レギュラージャージ





 「今日は暇だなぁ。」

は図書室のカウンターに頭を乗せたまま呟いた。
今日は司書の先生がいる日だったので、図書当番は一人だった。
それなのに、その先生までもが、今日は暇そうだからと、閉館30分前に帰ってしまった。

 「あと30分か…。」

は柱に掛かった古めかしい時計の針を見つめながらため息をついた。

 「10分前になったらもう閉めちゃおうかなあ…。」

頭を乗せたカウンターの目の先に、図書室の鍵があった。
耳をすませれば、グラウンドで練習している運動部の掛け声や、ボールを打つバットの金属音などが、
眠気を誘うようなのんびりした音楽のようにも聞こえる。
心地よい音と窓から入るわずかな涼しい風には目をつぶった。




しばらくして、ハッと我に返ると、はおもむろに図書室の時計を見上げる。

 「もしかして、私、寝てた?」

誰に言うでもなく口に出してしまってから、はひとりで笑ってしまった。
寝ていたといってもわずか15分くらいのこと、それに図書室は以前としてなんら変わることなくそこにあり、
図書室には誰もいなかった。

 ( ………? )

ほんの一瞬前までは誰もここに来た節はないと確信していたのに、
は自分の肩に掛けられてる不思議なものに目が点になっていた。

   ―誰かが本を返しに来た?―

その事実はさほど驚くべきことではなかった。
本を返却しに来たものの、図書当番が居眠りをしてる、で、可哀想に思ってか、はたまた親切心からか、
起こしては悪いと思って、本の主が黙って帰ったとしても不思議ではない。
反対に本を借りたいなら、是が非でものことを起こしただろうし。

ところがカウンターには返却の本は置かれてなかった。
問題は肩に掛けられてる、運動部らしきジャージ、である。
真っ白な生地に目も覚めるようなブルーのライン、
ご丁寧に背中には『SEIGAKU』の刺繍付き。

 (さすが、青学、私立だけあって、ジャージも高そう…。)

とそんな妙なことを思いつくこと自体、間違ってるのだが、
はしばしそのジャージを両手に持って、自分の顔の高さに持ち上げ、なんでここにあるんだろう?と自問する。

 (とにかく、本人に返さないとだめだよね…?)

はカウンター周りを整理すると、窓のカーテンを閉め、部屋の電気を消してから、
自分のカバンとジャージを持つと、図書室の鍵を閉めた。





はジャージの胸のところに小さく『 tennis club 』と入ってるのを確かめた。

  (テニス部か。何年生だろう?)

がそう思いながら中庭を歩いていると、向こうから、まさにが持っているのと同じジャージを来た少年が向かってきた。

 「ちょっと、そこのテニス少年! 君、何年生?」

は唐突に話しかけた。少年はむっとして答えた。

 「そういうあんた、誰?」
 「あ、いきなりでごめんね。私、3年の
  で、あなたは?」
 「1年、越前リョーマ。」
 「そっかぁ〜、1年生か。初々しいなあ。」
 「なんか用スか?」
 「あのね、これ、テニス部1年の子のジャージなんでしょう?
  誰のかわかんないんだけど、渡してもらいたいんだけど…。」

は手に持っているジャージを越前に渡そうとした。

 「それ、マジで言ってるんスか?」
 「だってジャージないと、困るでしょう?」
 「ていうか、それ、レギュラージャージだから。」
 「レギュラー用?」
 「1年のレギュラーは俺だけだから、2年か3年…。
  って、ネーム、見てないんスか?」
 「え?ネームなんて入ってたっけ?」

越前はおもむろに自分のジャージの前を裏返して見せた。
は慌てて、手に持っているジャージの裏を見ると、そこには、
『不二周助』の文字があった。

 「なんだ、不二君のかぁ〜。
  でも、越前君、これから部活でしょ?ついでに渡してくれないかな?」

はニコニコと悪びれる風もなく越前に言った。

 「やだ!」
 「えっ!?」
 「不二先輩のってわかったんだから、自分で渡しなよ。」

越前は心の中で、(ちぇっ、不二先輩のもの、ってことじゃん)と毒づいた。
そうとは知らないは、(む〜。1年でレギュラーはすごいけど、生意気〜。渡してくれたっていいじゃない)
と、立ち去る越前に眉をひそめた。


  (うーん、テニスコートに行くしかないのかなあ…。)

不二はと同じ3年6組だった。
と言ってもさほど親しいというわけでもなく、話しかけられれば挨拶をする、くらいのものだった。
ただ、と目が合うとき、不二は必ずと言っていい程、極上の笑みで返してくるのではあったが、
には、単に、人好きな男の子くらいにしか映ってはいなかった。

  (でも、青学テニス部レギュラーってことは、不二君もすごいってことだよね。)





はテニスコートの全貌が見える部室のあたりで、すでにジャージを本人に手渡すことは不可能に近いことを悟った。
なんにしても、黄色い歓声を上げてる女の子たちの目の前を通って、不二本人を呼びつけることなど、にはできないことだった。



とその時、ちょうど部室から出てきたのは、背の高い乾だった。
乾とは2年のときに委員会で一緒になったことがあったので、も気軽にしゃべれる存在だった。

 「あ、乾君。ちょうどいい所にいた。」
 「か。こっちに来るなんてめずらしいな。」
 「乾君もレギュラーなんだよね?」

は乾のジャージ姿を初めて見るかのように見上げた。
 「ああ?今頃気づいたのか?」
乾は苦笑した。
 「ところでさぁ、このジャージ、不二君のものらしいんだけど、
  乾君から不二君に渡してもらえないかな?」
 「不二の?…なんでが持ってるんだ?」
 「う〜ん、それが私にもよく解らないんだよね。
  図書当番中にいねむりしちゃって、その間に肩に掛けてくれたみたいなんだけど。」
 「ふむ。それは興味深いデータだな。」
乾のメガネの奥が光った。
 「何か言った?」
 「いや。ところで俺はあいつの性格をかなり正確に把握できてると思うんだが…。」
 「うん、うん。」
 「そのジャージは俺が持っていくわけにはいかないようだ。」
 「なんで?」
 「が持っていく分にはなんら問題はない、ということだ。」
 「なにそれ。レギュラージャージって他のレギュラーは触っちゃいけないものなの?」
 「うーん、ある意味、それは当らずとも遠からじ、ってことだな。」

は(これって呪いかなんか込められてるの?)と手元のジャージをしげしげと眺めた。
のその様子を横目で見ながら、乾は(不二の手口もには効くのか?)と楽しげだった。




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