サクラ散る頃に
「あっ。」
通り過ぎざまについ声が出ていた。
普通に見て見ぬ振りをすればよかったのに
つい声が漏れ、そんな自分に驚きながらも
相手が立ち止まったのをいい事に自然に手が伸びた。
髪に付いていたのは紛れも無くサクラの花びらで
どうって事はない、どこかで散り始めた花びらが
風の悪戯か、運良く相手の髪にまるで髪飾りのように
とどまっていただけだった。
幸村はその薄紅色の花びらをそっと摘むと
その一連の動作を息を詰めて見守っている相手の目の前に差し出した。
「これ・・・。」
照れ隠しのように笑って見せると
相手の女の子はまじまじと幸村を見上げて来た。
「何?」
ありがとうという言葉を期待していた訳ではなかったけど
一緒になって笑ってくれるものと思っていた幸村は
幾らか冷めた目つきで真っ直ぐに見つめられた
その思わぬ反応にほんの少し驚いていた。
「花びらがくっ付いていたから。
嫌だった?」
少々いい訳がましく言ってしまったな、と幸村はため息をついた。
見かけない顔だとは思った。
もちろん全クラスの女子を見知っている訳ではなかったけど
余りにも明るいその緩やかに波打つ髪が目立つだけに
真面目な瞳はその子の印象に似つかわしくなく思え、
今まですれ違った事もなかったな、と改めて初対面のその子を見た。
「ううん、別に。
ただ、知らない人がいきなり自分の髪に手を伸ばして来たら
普通驚くと思うけど?」
顰め面した表情を少しも隠そうともしない彼女は
ぶっきら棒に答えてきた。
幸村は知らない人扱いに固まった。
校内で自分の事を知らない生徒がいるなんて思ってもみなかったし
幸村に声を掛けられて迷惑そうに言われたのも初めてだった。
「あっ、そっか。ごめん。」
幸村は慌てて謝ると引っ込めるに引っ込めない手の中の花びらを
どうしたものかと眺めた。
するとその子はその花びらを摘むと臆する事無く自分の制服のポケットにしまってしまった。
「えっ?」
「他に何か?」
「いや、別に。」
そう、別に用事があって呼び止めた訳じゃない。
だけど曰く有り気に相手に見られては何となく幸村の方が居心地が悪い。
「なぁんだ、新手のナンパかと思ったけど
そうじゃないんだ?」
物怖じせずにそんな事を言う彼女は苦笑いを浮かべた。
だけど、歯が白くて健康的な笑顔はもの凄く可愛い、
幸村は普通にそう思った。
「サクラの花びらが付いていたから、取ってあげただけなんだけど?」
「ふーん、じゃあ無意識に手が出たのね?」
「うん、まあ、そうかな。」
「そういう事、誰にでもしてあげちゃうと彼女に誤解されるよ?」
「えっ?」
幸村はまた今度も驚いた。
大体自分には今彼女なんていないから心配されるような行動とは思ってないし、
親切心でやった事だったから、何となくありがた迷惑のように言われるとは
思ってもみなかった。
幸村君って優しいね。
概ねそんな風に言われる事が多かったから
幸村は逆に彼女の顔を穴が開くほど見つめてしまった。
「君は彼氏が他の誰かの髪に付いた花びらを取っていたら
嫌な気分になるって事?」
「当たり前じゃない。」
キッと幸村を睨むようにしてそう答えた彼女は、
見解の相違だね、と呟くと走って行ってしまった。
幸村はぼんやりとその後姿を見送った。
自分の行為を親切だ、とは思わないんだ、と幸村は心の中で呟いた。
何故だか無性にがっくりきた。
彼女には彼氏がいるんだろうか、
そしてその彼氏が誰かに優しくしている所を見たのだろうか、
そんな余計な事が頭に浮かんだ。
部活が終わって幸村は着替えながら自分の髪を触ってみた。
ロッカーの内側に鏡があったから何となくそれを覗き込んで。
自分の髪より長かった彼女の顔がその鏡の中に見えた気がした。
「幸村もお年頃じゃの。」
隣で仁王がニヤニヤと立っているのが見えた。
「別にそういう訳じゃ。」
「鬱陶しいなら幸村も後ろで括ったらどうじゃ?」
仁王は自分の括ってある部分を引っ張って見せた。
そう言えば仁王の銀髪もかなり目立つよな、と思いながら
幸村はロッカーの扉を静かに閉めた。
「仁王は知らない女の子の髪に
サクラの花びらが付いていたらどうする?」
「何じゃ、また具体的やの。」
仁王は無造作に練習着を脱ぎ捨てると自分の鞄に突っ込んだ。
「俺の知らん子なら知らん振りするの。」
「知ってる子だったら?」
「髪に花がついとーよ、って言うちゃる。」
「取ってあげないんだ?」
「幸村じゃないからのぉ。」
仁王の答えに幸村は眉根を寄せた。
「何、それ。」
「幸村なら誰にでも取ってやるんじゃろ?
そう思うたんじゃが、違ーとったか?」
違うとは言えなかった。
多分花びらじゃなかったら声を掛けなかったとは思う。
幸村は花が好きだったから、それで気になったんだと思う。
そう正当化しようと思った。
だけどそれは相手が知らない子でも知ってる子でも
同じように取る、という点では普通じゃない事なのか、と
しみじみ思い知らされてしまった。
仁王なら自分と同じようにするような気がしたから
幸村とは違うと言われて何となく気分を害した。
仁王は幸村の眉根が寄るのを面白がって眺めた。
「何じゃ、知らん子の髪にでも触って怒られたんか?」
「別に怒られた訳じゃないよ。」
「じゃあ幸村が気にする事じゃないじゃろ。
そこが幸村の幸村らしいとこじゃなか?」
「俺らしい、ね。」
「何じゃ、不服そうじゃのぅ。」
仁王は制服のシャツを羽織るとくるりと幸村に向き合う。
そしてやおら幸村の右頬にかかる髪を掬い上げた。
「俺が幸村と同じ事するとセクハラだと言われるぜよ。」
幸村はやれやれと身を引いた。
仁王の手から幸村の髪が零れ落ちる。
「それは日頃の行いが悪いからだね。」
「ま、俺は彼女以外に愛想を振り撒く気はなか。」
「俺だって愛想を振り撒いてる訳じゃないよ。」
「ああ、そうじゃろな。
そこが幸村の特異体質じゃ。
無意識に女の子に優しくできるのは幸村のええとこじゃ。
それに誰も愛想笑いなんて思うてないじゃろ。
ま、十人十色じゃからの、幸村のそういうとこが気に食わん奴もたまにはおるじゃろ。
そういう奴とは関わらん方がええ。
気に病む事じゃないぜよ。」
確かに幸村は女子とは誰とでも気軽に喋れる。
妹がいるせいか、小さい頃から女の子には優しくと親に言われた。
だから女の子たちはどの子も一様に守ってあげる対象だと思ってたし、
優しくするのは当たり前だと思ってた。
気に病む必要なんてどこにもない。
どこにもないはずなのにあの子の顔が浮かんだ。
俺は嫌われたのかな、そう思うとショックを受けている自分に幸村は気付いた。
立海大のサクラ並木がすっかり散ってしまうと
今度はテニスコートのフェンス沿いに植えられている八重ザクラが満開になる。
今年はそれを複雑な気持ちで幸村は見上げていた。
仁王には気にするなと言われたが
気がつけばついあの子の髪に付いていた花びらを思い出してしまう。
あれからテニス部の誰かのクラスに用ができると
それとなく教室内の女子を目で探してしまう。
けれど不思議なもので会いたいと思うその子には
なかなか会うことは無かった。
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