サクラ散る頃に 2
新学期が本格的に始まって新入部員が続々と入って来ると
途端にテニスコートは活気がみなぎって来る。
最高学年になった幸村は柳たちと入念なミーティングを
毎日遅くまでやっていた。
近隣の有名中学からも腕に覚えのある特待生が集まって来るから
持ち上がりのテニス部の後輩たちとバランスよくコート割を決めるのが
毎年の事とは言えなかなか神経を使う作業になる。
皆経験者とは言え高等部に入れば全員新入部員だ。
弱肉強食の世界とは言え、高校に入ってからの伸びしろはまだまだ計り知れないものがある。
伝統を守り抜くためにもこの時期、
新入部員たちへの指導をおろそかにはできないのだ。
「幸村、今日はこの辺にしないか?」
珍しく柳の方から作業の切り上げを打診された。
5月の連休に行なわれる恒例の新人同士の対抗試合のオーダーは
ほとんど本決まりになっていたから幸村も同意するべく顔を上げた。
「そうだね、まあ、これでいいと思う。」
「後は俺が顧問に提出しておこう。」
いつに無くさっさと机上の片付けに入る柳を
幸村は呆気に取られて見ていた。
「柳、何かあるの?」
「たいした事ではないんだが。」
そこでお終いにしそうな雰囲気を柳が醸し出すから
幸村は相槌を打たずに柳を眺めていた。
それに気付いた柳は仕方なく返事を続けた。
「ただ、人を待たせているからな。」
「へぇ、そうなんだ。 だ・れ?」
特に知りたい訳ではなかったが、
柳が待たせるなんて意外だなと思ったから幸村は突っ込んだ。
「だ。」
「?」
「書道部の部長だ。」
それよりも幼馴染の、と言わなかった柳に幸村は尊敬の眼差しを向けた。
「もしかして、やっと付き合い出したんだ?」
「まあな。」
以前からなかなか似合いのカップルだと評されていたのに
幼馴染特有の身近過ぎて恋愛対象にならない、よくあるパターンかと思っていた。
と言っても柳が大事にしているのは日の目を見るより明らかだったし、
どちらかと言えば奥手で恥ずかしがり屋のに問題があるように思っていた。
「よくテニスコートに来れたね。」
「保護者を付けたからな。」
「保護者?」
「ああ、の親友だ。」
柳が困り顔になったので幸村は苦笑した。
まああのがひとりでテニスコートに来れるとは
幸村も思ってなかったから、柳の彼女の保護者に興味が沸いた。
「保護者と言う位だから随分しっかりした奴なのかい?」
「ああ、まあ、そうだな。」
「よし、面白そうだから一緒に帰ろうかな。」
幸村がそう言うと柳はため息をついた。
とは言え幸村がそう言い出すのは予想の範疇だったらしく
柳は手際よく部室内の戸締りを確認し出した。
外に出れば夕日が眩しくて幸村は思わず目の上に手をかざした。
その時不意に聞こえた声に聞き覚えがあって
ぼんやりと視線を柳の方に向けると
さっと一人の女の子がもう一人の女の子の前に進み出た。
「柳君、遅い!」
「すまなかったな、。」
「私はいいけど、の事思ったら早く出て来てよ。
大体テニスコートで待ち合わせなんて信じられない。」
キツイ視線を柳に向けるその子は幸村が探していた女の子に間違いはなかった。
けれどあの明るかった髪の色が黒に変わっていて
それがとても不思議な光景だった。
「ああ、待たせたな、。
大丈夫だったか?」
「あ、うん。」
赤くなって俯くを無理やり自分の後ろから
柳に押し付けるようにする彼女を幸村はじっと見つめていた。
それなのにまるで幸村の存在を無視するかのように
幸村には視線を向ける事無くはに笑いかける。
「ほらほら、もっと堂々と帰りなよ。
お邪魔虫は消えるからさ。」
「えっ? も一緒に帰ろうよ?」
「冗談は止めて。
こういう目立つ人種の側にいるの、嫌だって知ってるでしょ?」
「目立つ人種?」
幸村が呆れたように繰り返しても彼女は幸村をチラリとも見ない。
その様子に柳が取りなすように口を開いた。
「彼女はと同じクラスのだ。
物言いはキツイ所があるが根はいい奴だ。」
「ちょっと!
勝手に紹介しないでよ。」
むっとするはそれでも未だ幸村を無視し続ける。
その姿勢が頑なすぎて柳はと幸村を遠慮なく眺めた。
「俺の記憶違いじゃなければ
君の方が目立っていたような気がしたけど。」
訝る幸村にの傍らからがおずおずと答える。
「の髪の色の事?」
「ああ、かなり派手な色だったからな。
しかし幸村がを知っていたとは意外だな?」
「知ってるって程じゃないんだけどね・・・。」
「ちょっと、二人とも!!
私の事なんてどうでもいいでしょ?」
眉間に皺を寄せて不機嫌そうなをよそに
柳は聞こえなかったかのように幸村に向けて続けた。
「杉田に合わせたんだろ?
最も先日別れたらしいから元に戻したんだろうが。」
「杉田?
知らないな。」
幸村の即答に柳は思わず含み笑いをしてしまう。
幸村は誰にでも優しいがその優しさは
誰も気付かぬほど完璧に表面的だ。
だからの事に関心を示す幸村が興味深くて
いつもはしないテニス以外のデータを幸村に与える事にしてしまった。
とは言え天然な自分の彼女が親友の不機嫌な心情よりも
幸村の疑問を解決するべくいつになく饒舌になったのは
ひとえに幸村マジックのせいだろう。
幼馴染である柳の他にが気軽に話せるのは
柔和な雰囲気を持つ幸村だからこそである。
「杉田君は陸上部の長距離選手だよ。」
「うーん、やっぱり知らないな。」
「あまり目立つ選手ではなかったからな。」
「でも物腰の柔らかなとことかは幸村君に似てるかも。」
の余計な一言には鋭い視線をに向けていたのだが
はそれに気づく事無く続けた。
「杉田君、今年はいい所まで行けそうだったのに
春休み中に怪我しちゃって県大会、無理そうだって言われたんだよね。」
「まあ、怪我が無くともそこまで戦績を残すほどの選手とは言い難かったが。
真面目を絵に描いたような選手だとは認識していたものだ。
だがレギュラー落ちした杉田は感心できるものではなかったな。」
「杉田君が髪を染めたのにはびっくりしたけど。
ほんとに真面目そうだったのに、あんなに変わっちゃって・・・。
それにまで付き合うんだもの、どうしたのかと思った。」
「そうだな。」
柳の視線にはますます不機嫌そうに眉を顰めていた。
「もう、何でそういう話になる訳?
どうでもいいよ、もう、終わった事だし。
人の事より自分たちの事を気にしたら?
こんなとこにいつまでもいたら目立って仕方ないじゃない。
私は先に帰るわよ。」
「そんなに人の目が気になる?」
引き止めるように幸村はすっとの前に進み出た。
は驚いた目で幸村を見上げると
まるで見えない気迫に弾かれるように半歩身を引いた。
「あんなに目立つ髪の色をしていたくせに?」
「ゆ、幸村君に関係ないでしょ?」
「ああ、やっと俺に向かって喋ってくれた。
確かに元カレとの事は俺には関係ないけど、君にはとても興味ある。」
「えっ?」
「だってそうだろ?
の親友なら俺の事、知らない訳じゃないだろ?
それなのにこの間の君、俺の事、まるで知らない人みたいな
素振りだったし。」
「そ、それが何だって言うのよ?」
「俺には生憎彼女なんていないんだけど。」
幸村がに笑いかけるのと同時に周りの木々がざわっと揺れた。
多分それはほんの偶然の産物だったのだろうけど
夕闇から起こったかのような突風に幸村以外の3人は思わず目を閉じた。
揺れる木々からたくさんの花びらが舞い散った。
目を開ければそこかしこに濃いピンクの花びらが落ちきらずに踊っている。
は素直に感嘆の声を上げていた。
この時期テニスコートの周りの八重ザクラの散るさまは
現実とは思えないほど綺麗で幻想的だった。
そのいくつかの花びらはの髪を彩った。
「俺はこっちの髪の色の方が君にはとてもよく似合ってると思う。
今だってサクラの花びらが髪飾りみたいで素敵に見える。」
「そ、そんな歯の浮くような台詞で
誰もが同じように喜ぶと思ったら大間違いよ?」
幸村の言葉にムッとしながら返すはそれでも
自分を見つめる幸村の強い視線に耐え切れないように俯いた。
「俺は本当の事しか言わないんだけどな。」
「それが、常套句なんでしょ?」
「何でそんな風に思うかな?
て言うか、君はかなり俺の事間違ったイメージで見てない?」
軽くため息をついて幸村は続ける。
「俺には彼女はいない。
だから例えば今君をここで口説いても
誤解されるような事もないし、
その髪に触れても
君が心配するような事も全く起こり得ない。」
「だ、誰が心配なんか・・・。」
「君にも誤解する彼氏はいないんだろ?」
幸村はそっと手を伸ばすとの髪を掬った。
髪から八重の花びらが滑るように舞い落ちた。
の肩がピクリと震えたかと思うと
真っ直ぐに幸村を見上げて来た。
その目が潤んでいるのをも柳もはっきりと見てしまった。
「ばかにしないでよ!」
泣きそうな声だった。
いたたまれなくなったかのようにはぎゅっと唇を噛み締めると
身を翻すようにして幸村の前から走り出した。
は慌ててに声を掛けようとしたが
柳は静かにそれを遮った。
「でも。」
「分かっている。」
柳はを安心させるかのようにぽんと頭を撫でてやると
幸村に向き直った。
「幸村、お前はの事どの程度知ってるんだ?」
「全然。」
「では、からかっているのか?」
「全然。」
未だにが立ち去った方向を真っ直ぐ見据えてる幸村を
柳は考え込むように見つめた。
恐らく柳が見ている事を幸村は感じているはずだろう。
「あの子、杉田って奴の事、本当に好きだった?」
「なぜそう思う?」
「なんとなく。」
幸村が柳にそう答えるとは幸村君って凄い、と小さく叫んだ。
柳と幸村の視線が自分に移ると途端に赤くなるだったが
それでも親友思いのは頑張って幸村を見上げた。
「、本当は凄く好きな人がいるって前に言ってた。
でもその人は人気者でとても目立つ人だから
自分と釣りあう人じゃないって。
でも杉田君と付き合うようになってからは杉田君の事は一杯応援してた。
個人マネだねって言うくらい。
それなのに自棄を起こした杉田君は部活にも顔を出さなくなって
他校の女の子と遊んだりするようになっちゃって。
の事、ウザイなんて言い出すし。」
「何で髪を染めたの?」
「?
は罪滅ぼしだって言ってた。」
「罪滅ぼし?」
は一瞬考え込むように柳を見上げたが
柳が黙って頷くのでポツリポツリと話し出した。
「確かにはとっても良い彼女役をやってたなって思う。
部活頑張ってる杉田君の応援は欠かさなかったけど、
怪我しちゃって試合に出れないってなった時、
が、幸村君は難病からも立ち直ったんだから
杉田君も頑張れば大丈夫だよ、みたいな事を言ったらしいの。
そしたら杉田君、前から思ってたんだろうけど、
俺は幸村とは違う、彼女ならそんな風な事は言わない、って怒っちゃって。
俺の事、本当は好きじゃなかったろう?って言い出して。
好きなら髪の色を同じにしてみろ、って事になっちゃって。」
「それであの色に?」
「でも結局杉田君がを振ったらしいんだけど。」
「杉田って意外との事、よく見てたんだろうね。」
幸村の言葉には押し黙った。
幸村はまだ降ってくる八重ザクラの花びらに手を伸ばすと
それをそっと手の中に受け止めた。
「ねえ、。
君が柳と付き合う事にした時、は反対しなかったんだ?」」
「えっ? あ、うん。
だって柳君が守ってくれるって言ったから。」
「に?」
余程恥ずかしくなったのだろう、は真っ赤になって下を向いてしまったが、
柳はその側で涼しい顔をしていた。
「なんだよ、それ。
って全く失礼な奴だよな。」
憮然と文句を言う幸村はそれでも楽しそうに笑みを洩らした。
「幸村?」
「ああ、何でもない。
ただ、俺とが付き合うようになったら
君たちももっと騒がれるだろうけどいいかな?」
「えっ?」
「ああ、むしろ、はその方がいいかもしれないな。」
「ええっ!?」
驚くに向かって柳は微笑んだ。
幸村はその光景にさらに笑い声を上げた。
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2011.5.19.