サクラ散る頃に 3
幸村は自分の弁当を手にぶらぶらと歩いていた。
正確にはぶらぶらと当てもなく歩いているように見えて
その実そのしっかりとした足取りは目指す場所に向かっていた。
多分昼はあそこにいるよ、と柳と昼食を取る約束をしていたは
幸村に聞かれると内緒だからね、と教えてくれた。
だから幸村はを見つけてもごく当たり前のように偶然を装った。
「隣、座ってもいいかな?」
幸村の姿にびっくりした表情を浮かべたは
返事をする前にすとんと座ってしまった幸村から視線を戻すと
落ち着かなく自分の弁当をつついている。
そんな様子に笑みを洩らしながらも
幸村も勝手に弁当を広げて食べ始めた。
だからは自分の弁当を片付けて立ち去るという選択を
取り損ねたまま仕方なく幸村を無視していた。
しばらく二人とも黙ったままだった。
中庭のこじんまりとしたベンチはちょっと奥まった所にあったから
背中越しに歩く生徒の声がたまに聞こえて来ても
誰かの目に触れる事はまず有りそうになかった。
小鳥のさえずりが聞こえてきて、幸村は落ち着くなぁと声を洩らした。
「そう言えばさ、は柳の事、好きにはならなかったの?」
「はぁ?」
幸村からの意外な質問には思わず箸を落としそうになった。
「柳だったらどんなに揶揄されても彼女の事、守ってくれるらしいね。」
言ってる意味がわからなくてはちらりと幸村を盗み見た。
途端には後悔した。
間近に見る幸村の優しい顔は思わずの顔を熱くさせるのに充分だった。
「俺は人気者だから、彼女になったら苦労すると本気で思った?」
「えっ?」
「俺と付き合うと確かに大変かもね。
テニス部の連中はみんないつも注目の的だし、
彼女なんてなったら中傷されたり嫉妬されたりされるかもだけど、
だからって俺だって彼女になった子をないがしろにはしないけど?」
俯いたままは何も言えないでいる。
「ねぇ、の凄く好きな奴って誰?
教えて欲しいな。」
「誰って・・・。
私、杉田君と・・・。」
「別れただろ?
っていうか、好きじゃない奴と付き合うなよ、?」
「なっ!?」
「杉田が可哀想だ。
そんな思いで一緒にいられたって迷惑だよ?」
幸村は自分の弁当箱を傍らによけると
体をの方に向けた。
は慌てて顔を背ける。
幸村はお構いなしにの左手を取った。
「俺、杉田に会って来た。」
「えっ?」
「結構いい奴だった。
杉田にの事、俺が貰い受けると言っておいた。
だから少しは違うんじゃないかな。」
「な、何が?」
「杉田と別れてすぐに俺と付き合いだしたら外野が五月蠅いだろ?
まあ、どっちにしてもしばらくは噂の渦中だけどさ、
俺が好きでの事、掻っ攫ったくらいに言っておけば
少しはの事、非難されずに済むかなって。」
ゆっくりと持ち上げられたの手は
やがて幸村の口元に当たった。
びっくりして自分の手の先に視線を向けたは
やっぱりそこでも幸村の真剣な瞳にかち合って戸惑った。
逃げ出したくても自分の膝の上の弁当箱が邪魔で立ち上がれない。
片方の手は今幸村の手の中。
どうしていいか分からず手を引っ込めようとしても
幸村はぎゅっと握り締めて離してくれない。
「、俺の事、好きなんだろ?」
「なっ、何、訳の分からないこと・・・。」
「素直になれよ。
本当は好きだろ?」
「その自信はどこから来るのよ?」
戸惑っていたのに幸村の爆弾投下に
思わず声を荒げる。
クルクル変わるの表情に
幸村は楽しそうに余裕で切り返す。
「だって俺、今までに女子から嫌われた事ないし?」
「ば、ばかばかしい。」
「俺も、本気での事、好きだと思うし。」
「嘘!」
「嘘かどうか確かめてみなよ?
付き合ってみれば分かるよ。」
幸村が手の力を緩めるとは即座に手を引っ込めた。
その左手を右手でぎゅっと握り締めて
耳まで赤くなっているを見るのは楽しかった。
「私は・・・。」
「うん。」
「私は幸村君の事、好きになんてならない。」
脈ありそうな癖に尚も強情なに幸村は軽くため息をついた。
「どうして?」
「だ、誰にでも優しくしてる幸村君なんて信用できない。」
の言葉に幸村は一瞬目を見開いて驚いたが
ついにはクスクスと笑い出してしまう。
「何だ、そんな事?」
「そんな事って!」
「だって、それってヤキモチだろ?」
「ちがっ・・・。」
は膝の弁当をベンチに放り出すとそのまま逃げ出そうと立ち上がったが
寸での所で幸村はを後ろから羽交い絞めのように拘束すると
そのままぎゅっと抱きしめた。
「ちょ、ちょっと!」
「何?」
「何って、こっちが聞きたい!」
「うーん、新手のナンパかな?」
幸村がの耳元で優しく答える。
は途端に口元をぎゅっと噛み締める。
いつかの仕返しとばかりに幸村はの肩に顔を埋めたまま
さらにを拘束する。
「!
よく聞いて。
君がそんなに俺の事好きでいてくれたなんて嬉しいんだから。
もしかして俺が誰かに優しくするのを見るたびに傷ついていたのかい?
だからって初めからその気持ちに蓋をするなんてどうかしてる。」
「だって!」
「、好きだよ。
こんな風に女の子を抱きしめて
自分のものにしたいって思ったのは君が初めてだ。
付き合ってくれるよね?」
返事はなかったがの肩を抱く幸村の手に
そっと彼女の手が添えられて来たのが分かって
幸村は黙ってその手を優しく握り返した。
********
「、行かないの?」
目の前にはを迎えに来た柳と、
困り果てている親友がいた。
それでもは頑として自分の席から動こうとしない。
「行かない。
柳君がお迎えに来てるんだからいいじゃない。」
「でも、幸村君はも一緒に、って言ってたよ?」
幸村と付き合う事になったと言ったらの喜びようったらなかった。
恥ずかしがり屋のが一人でコートに行くのはまだまだ無理だったが、
と言っては自分もあのギャラリーの多いコートで
幸村を待つなんて事はしたくなかった。
遅かれ早かれ幸村ファンの子に睨まれるのは仕方ないとしても
皆に親しまれてる幸村を見る気にはやはりなれない。
は特別だからと言ってもらえても
あれから幸村が変わる事はなく、いつだってやっぱり女子に優しい。
不貞腐れてると思うのだがそれが本音なのだから仕様がない。
杉田と付き合っていた時のようなまがい物の彼女ではないのだから。
「私、教室で待ってるから、幸村君にもそう言って。」
「、幸村がそれで納得すると思うのか?」
「じゃあ、柳君が言ってよ。」
「お前は幸村を甘く見ているな。」
柳にふっと笑われてはぷいと横を向いた。
「すまない、柳。
俺の彼女は相当我侭のようだね?」
と背後にいつの間にか幸村が立っていて
その幸村の声には驚いて振り返った。
まさか幸村自ら迎えに来るなんて予想もしていなかった。
「、そんなに外が嫌なら部室で待ってるといいよ。」
「だから、部室に行くまでが嫌なの!」
「仕方ないね。」
幸村はの腕を取ると彼女を立ち上がらせた。
「絶対、行かないからね。」
「ああ、分かった。
ちょっと俺の鞄、持ってて。」
何をするのかと訝ると同じく、も柳の側で固唾を呑んで見守っていた。
妖しく笑う幸村の表情に柳だけはを哀れむようにため息をついていたが
ももそれには気付かなかった。
表彰状を渡すかのように鞄を渡されはそれを同じように受け取った。
すると幸村は机の上にあったの鞄もその上に重ねた。
ずしりと圧し掛かる鞄の重さには不思議そうに幸村を見上げたその時、
自分の足が空に浮かぶ体勢に思わず悲鳴を上げた。
「きゃあああああ。
な、何するのよ!?」
軽々とを抱き上げた幸村は相変わらずいつもとは違った笑みを浮かべている。
びっくりして真っ赤になっているを無視して歩き出す幸村に
周りのクラスメイトも呆気に取られている。
「やめて、降ろして。
どこ行くつもりよ?
やだ、降ろして!!」
「だって部室まで歩きたくないんだろ?」
「そ、そういう意味じゃない。
こ、こんなの、もっと目立つじゃない!!」
「は俺の彼女だよ?
その彼女にお姫様抱っこしてあげてるんだよ?
これって誰にでもしてあげられる事じゃないんだよ?
特別待遇なんだからもっと喜んでくれないかな?」
平然と言ってのける幸村には思わず柳に助けを求めた。
「や、柳君、何とかして!」
「無理だな。」
「無理だね。」
柳と被るように幸村も同じ事を言った。
恐る恐る幸村を見上げればにっこりと微笑まれる。
「柳が守るのはだけだからね。
を守るのは俺だよ?
のお願いだったら俺が何でも叶えてあげるからね。」
優しい口調には心の中で絶対嘘だ、と叫んでいた。
でもこの恥ずかしい状況はどうにかしなければならない。
仕方なくはだめもとで打開策を幸村に提案してみた。
「幸村君。」
「何かな?」
「部室まで歩くから・・・。
だから降ろして?」
「俺の部活が終わるまで待っててくれる?」
「えっ、あ、うん・・・。
と一緒に待ってる。」
仕方なくそう言えば幸村は上機嫌でを腕から降ろす。
そして二人分の鞄を片手で持つと空いた手での手を握り締めてきた。
「えっ?」
幸村はスタスタと歩き出すからは少し小走り気味になる。
「幸村君?」
「こういうのもいいね。」
幸村の熱がの手を包み込むから
の心臓はドキドキしっ放しだった。
幸村に翻弄されている。
誰にでも優しくて温和で柔和な彼の横顔は
の想像とかけ離れているような気がした。
まだ誰も知らない顔。
それはちょっと強引だけど他の子には絶対しない愛情表現。
だからはみんなに見られている事なんて忘れてしまっていて
少しだけ彼のもたらしてくれる優越感に口元が緩みそうになる。
「。」
「な、何?」
「ふふっ、何でもない。」
の表情を見ながら幸村もまたちょっとだけ優越感に浸る。
まだまだ素直じゃない彼女だけど可愛くて仕方なくて
幸村はわざと人目のある道を選んだりしている。
それは彼女には内緒だけど緑の眩しい木々を見上げて
幸村もまた口元が緩むのだった。
もうすっかり葉になってしまった並木は
そんな二人を歓迎するかのようにテニスコートへと誘うようだった。
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2011.5.26.