ラブ・パワー  2





      

ふわふわする。

地面に足がついていない感じがする。

それはどうしてだろうと考えようとすると
途端に胸が苦しくなる。

 「?」

幸村のお見舞いに行った翌日も
は一日中ぼうっとしていた。

考えても考えても答えが見つからない。

だから親友のが何度も自分を呼んでる声にも
反応が遅れた。

 「ったら!」

 「えっ?」

 「柳君が呼んでくれって。
  今日の、変だよ?
  どうかした?」

心配げに覗き込まれたに何でもないと答えながら、
自分を呼んでいると言う柳の元に歩いて行った。

今日は図書委員会は無かったはず、と
柳との接点はそれぐらいしか思いつかなかったから
ぼうっとした頭でも頭が回ったことにほっとして長身の柳を見上げた。

 「わざわざ呼び出してすまなかったな。」

不審げな表情を読み取ったのか
柳は委員会の話ではない、と前置きをした。

 「が今日行くと聞いてな、
  これを持って行って欲しいんだが。」

見ればクリアファイルに何か書類のようなものが挟んであった。

 「私が?」

 「ああ。」

 「どこに持って行くって?」

また頭が着いて行かなくなって、ぼんやりとクリアファイルに視線を落としたら
柳はクスリとかすかに笑ったようだった。

 「幸村の所へ行くと聞いたが。」

 「えっ?」

幸村と言うたった4文字の単語を耳にした途端
は顔が熱くなってきた。

ふらついた幸村をただ支えようとしただけだ、
と心の中で言い訳がましく抗議している自分がいる。

もちろんそんな心の中の声が柳に聞こえる訳ではないのに
でもあれは抱き合っていたのではないか?、と客観的に反論されそうで、
いやもちろん柳はあの場面を見ていた訳ではないから
そんな話題が出るはずはないのに
ひとりドキドキし出しては返答も出来ない。

 「いや、幸村がに頼んでくれと言ったんだが。
  放課後、寄ってくれるのだろう?」

 「まあ、うん、多分。」

歯切れ悪く頷けば柳はそれでも遠慮がちにファイルを差し出した。

 「。」

 「な、何?」

 「迷惑だったらはっきりと幸村に伝えた方がいい。」

思ってもみない忠告めいた言葉には驚くまま柳を見つめた。

 「いや、は真面目だからな。
  頼まれれば断れないだろうと思っただけだ。
  気にしないでくれ。」

そう言った柳の言葉の方が更に不可解で
立ち去る柳の後姿を意味もなく見送っていた。


 「柳君、何だって?」

肩越しにがひょいと廊下の方へ顔を出したのが分かった。

 「幸村君に渡して欲しいって。」

 「、幸村君とこに行くの?」

の方に向き直ると受け取ったファイルを見せた。

 「、一緒に行ってくれる?」

幸村には今度はひとりで来て、なんて言われたが
正直あの病室でまた二人っきりになるのは気が引けた。

やましい事など決して無いけれど
とても楽しいひと時を過ごせるとは思えない。

せめてでも一緒でなければ間が持たない。

 「やだ。」

 「えっ?」

の即答振りには思わずがっかりした声を出していた。

 「だって今日はテニス部の部活、見に行く約束したし。
  大体、が柳君に頼まれたんでしょ?
  そんなとこにノコノコ付いて行ったら怖いもん。」

 「何が怖いの?」

 「やだな、幸村君に決まってるじゃない。」

呆れたように笑われてはさすがのもむっとした。

 「幸村君はそんな事で気を悪くしたりしないよ、きっと。」

 「ああ、うん、きっと、の前ではね。
  じゃあ、私が付いて行ってもいいか、先に了解取ってよ?」

 「えっ?」

の悪戯っぽい目つきには慣れていたけど
まさかそんな事を言い出すとは思っていなかった。

 「、クラスの子のケー番、全部入れてるって言ってたじゃん?
  だから幸村君に電話してよ。
  いいって言ったら付いて行ってあげる。」

は連絡網の事を言ってるのだが
は途端に思い出してしまっていた。

携帯が・・・ない。

昨日幸村が病室の窓際での携帯を使って写真を撮ったのだが
あの後は携帯を返してもらっていなかった。

正確に言うと、それに気づいたのは家に戻ってからだった。

なぜ幸村が返してくれなかったのか、
それもさっぱり思い出せないというか、
そんな事も忘れるくらい自分がぼうっとしていた事に腹も立つ。

けれどそんな事をに詳しく聞かせる訳にもいかなくて
は曖昧にため息をついた。

 「ごめん、携帯、今日忘れちゃってて。」

 「じゃあ、仕方ないね。
  今日の所はが一人で病院に行く。
  私は切原君を見にテニス部に行く。
  はい、これで決まり!」

事も無げに言ってくれるが恨めしい。

迷惑な事なのか、仕方ない事なのか、
それでも頼まれてしまった事を放り出す訳にも行かず、
は諦めたように手元のファイルを胸に抱いて自分の席に戻った。











       ********










幸村の病室はドアが開け放したままだった。

勇気を振り絞ってそっと覗けば主はいないらしく、
ベッドの上には無造作に開かれたままの雑誌が一つ。

近づいてみるとそれは『月刊プロテニス』という雑誌で
全国大会に名乗りを上げた各県の精鋭たちの特集が載っていた。

幸村がいなかった事に少しほっとして
は雑誌のページを訳もなく捲ってみた。


 ―優勝校の危機―


そんな見出しには思わず眉を顰めた。

絶望的な立海大の主砲、幸村の復帰が間に合ったとしても
戦力になるかどうか、そんな風な記事にの胸は痛んだ。

開いていた窓から心地よい風が吹いて来た。

僅かにいい香りがする。

ふと顔を上げればベッド脇に置かれた花瓶には
昨日は無かった花が活けられていて、
そこだけ味気ない病室を明るくしているように見えた。

花好きな幸村を思って誰かが来たのだろうか?

柳に頼まれたとは言え、の手にはファイルしかない。

その事をは少し後悔した。

恨みがましく華々しい花瓶にまた視線を移すと
その花瓶のそばにの携帯が置いてあるのを見つけた。

はそっと近寄って携帯を手に取ると無意識にパチンと画面を開けた。

待ち受けの画面には昨日のと幸村がいた。

 「なっ!?」

明らかに待ち受けを変えたのは幸村に違いなかった。

かっと頬が熱くなるのと同時に
はいたたまれなくなって病室を飛び出していた。






ナースステーションにいた看護師に
幸村を見かけなかったかと問えば
思いの外簡単に幸村の居場所は分かった。

はますます顔が熱くなるのを抑えながら
自動販売機の並んでいる休憩室に向かった。

長身の彼は一番奥の自販機の前にいた。

ゆっくりと上がる腕は心なしか重そうで
筋肉が悲鳴を上げているかのようだ。

コインの投入口にさえ腕が上がらないのか
幸村の苦戦振りには思わず目を見張った。

リハビリが必要と言っていたがこれではラケットなんて振る以前の問題だ。

無理やり入れようとして
入れ損なったコインが幸村の手元から零れて床に金属音を響かせた。

ため息をつく幸村の背中が切なく見えて
は静かに歩み寄ると落ちたコインを拾って自販機に入れた。


 「幸村君、大丈夫?」

携帯の待ち受けを勝手に変えた幸村に
文句の一つでも言ってやらねばとさっきまで思っていたのに
の口からは心配げに幸村を気遣うものしか出て来なかった。

そんなを待ちかねていたかのように
幸村は傍らに立つに笑顔を見せると
まるで当然と言わんばかりに普通に聞いて来た。

 「どれにする?」

 「えっ?」

 「カフェオレだっけ?」

幸村はまた重そうに腕を上げて自販機のボタンを押した。

そして落ちて来た缶を取り上げようと腰をかがめると
昨日のようにふらつくものだから
は反射的に幸村の脇に手を差し出して補助をする。

缶を取り出すのに時間がかかったが
は辛抱強く幸村を支え、幸村も黙ったまま
やっと缶を取り出すと満足気に自販機前の長椅子にゆっくりと腰掛けた。

は自然と幸村の隣に座った。

 「はい。」

幸村は今までの一連の苦労した動作などなかったかのように
普通に缶をに差し出して来た。

ひんやりとした缶が手の中に移って来ても
はどうしてだかありがとうも言えなかった。

 「もうすぐ来る頃だろうなって思ったから。
  迷わなかった?
  看護師さんには伝言頼んでおいたから大丈夫とは思ったけど。」

 「う、うん。」

は思い出すだけで恥ずかしくなる。

ナースステーションでは看護師に
幸村の彼女と間違われたのである。

それは幸村の他愛無い冗談だったとは思うが
ずっとひとりで入院している幸村が看護師たちに
そんな風にうそぶいた事は責められない気がした。

だからは何も言わなかった。

 「でもかっこ悪いところ見られちゃったなぁ。」

はぁと大きくため息をつく幸村はそれでも楽しそうだった。

 「さんに手伝ってもらっちゃトレーニングにならないな。」

幸村はリハビリとは言わなかった。

なんだかそれもには胸につかえるものがある。

黙ったままのに幸村が顔を覗き込んで来た。

 「どうかした?」

 「あ、柳君のファイル、病室に置いて来た。」

 「ああ、ありがとう。」

 「それから、携帯、持って帰るね。」

待ち受けの事はもう幸村を責める気にもなれなかった。

何かしてあげる事があるなら力になりたいと思うけど
には何もできない気がした。

幸村の側にいるだけで悲しい気持ちになる。

幸村は必死で全国大会に出るつもりでいるのだろうけど
どう見てもそれは無理なような気がした。

手術は成功したとも聞いたし、
退院も近いと聞いたような気がしたけれど
不自由そうな幸村を思うとそれを慰める言葉も思い浮かばない。

気にしない振りをして他の話題を振る器量も自分にはない。

いたたまれない気分を隠す事もできなくて
は早々に立ち上がる。

 「あの、それじゃ、私・・・。」

帰ろうとするの腕を幸村が掴んだ。

思いの外その力は強くてはびっくりして幸村を見下ろした。

 「帰るなんて言わないで。」

 「でも。」

 「昨日、言ったよね?
  さんがいてくれたら頑張れるって。」

幸村はの腕に掴まるようにして立ち上がった。

がよろける前に幸村は昨日と同じように
をぎゅっと抱きしめて来た。

 「迷惑かな?」

 「・・・。」

迷惑と言う言葉が頭の中に響いて来た。

誰だっけ、そうだ、柳が言ったんだ。

迷惑ならはっきりと断れと。

でもは言えなかった。

迷惑とは違う、と心の中で思った。

 「困らせちゃったね。」

 「幸村君。」

 「だってもの凄く難しい顔してるから。
  さんって意外と分かり易いね?」

クスクスと笑う幸村は本当に楽しそうで
は面食らってしまう。

昨日と言い、今日と言い、
こんなにも簡単に幸村に抱きすくめられていいはずがない。

それなのに突き飛ばす事も大声を出す事もできない。

それは幸村が病気だから?

同情しているから冷たく出来ないの?
  
でもそれ以上にこのドキドキとした高揚感に
戸惑いが隠せない。

こんな気持ち、あっていいはずが無い。

幸村はただのクラスメートだけど
でもそれは自分とはかけ離れた世界に住む
憧れの男の子だから自分とは縁がないと決め付けていただけで。

幸村に求められればそれはやはり嬉しいと思ってしまった事実は
もはや自分の中でひとつのシミになってじわじわと心を侵食している。

携帯の中の二人が恋人同士に見えたのは
それが認めたくない願望だったからに過ぎない。

でもそんな虫のいい話・・・。
  

 「取り敢えず部屋に戻るの、手伝って欲しいんだけど?」


耳元で優しく囁く幸村の言葉に
は黙って頷く事しかできなかった。









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☆あとがき☆
 何となくまだ続きます。(笑)
2010.9.18.