嘘か真か 2
「どうしたの?」
の声ではっとする。
周りを見ればいつの間にか授業は終わっていて
皆そそくさと昼食のために移動している姿が目に入った。
「べ、別に。」
「なんか元気ないけど?
まさか今はやりの新型じゃないでしょうね?」
冗談とは思っていてもなぜだか笑い飛ばす事もできず
熱はなくとも寒気がするようなだるい気分に
自分は本当に病気にでもなったんじゃないかと思ってしまう。
「ううん、風邪じゃない。
けど、なんか気分悪い・・・。」
「マジ? が体調崩すなんて珍しいね。
どうする?早退する?」
確か放課後に幸村に会ってくれと切原に頼まれたような気がする。
気は進まないけれど、乗りかかった船のまま
切原の言うような事が本当だったのかには確かめる必要がある。
放課後まで保健室で凌ぐのがベストのような気がした。
「ううん、そこまでじゃないから
ちょっとだけ保健室で横になって来る。」
「そう?辛かったら言って。
鞄とか持って帰ってあげるから。」
心配そうなにありがとうと言っては重い体を
引き摺る感じで教室を出た。
ぐらりと歪む様に見える階段を半分まで降りた所で息が切れる。
病は気からと言うけれど、精神が平衡を保てなくなると
こんなにも体力まで削られるのかと泣きたい気持ちだった。
放課後、幸村と対峙した時に
自分は果たして真っ直ぐに立っていられるのかと不安になる。
その不安の種が階下から上がってくるのを見止めるや
の顔は強張ってしまった。
「あ、さん、こんにちは。」
屈託なく微笑みかける幸村はまるで切原の話とは違う。
あの話は他の誰かだったのではないかと記憶を辿る。
でも思い出す限り切原の声は確かに部長の幸村だと言っていた。
「どうしたの?」
黙りこくったまま階段の踊り場に佇むは不自然だったのだろう。
幸村は人懐っこい笑顔のまま心配そうに聞いてきた。
いつもの幸村だ。
「な、何でもない。」
「何でもないって顔じゃないみたいだけど?」
「・・・。」
まだ混乱してる頭では幸村とどんな風に話せばいいのか
分からなくなるのは当然のことで、悪いとは思ったけど
そのまま1段2段と階段を下りれば、
なぜか幸村まで上がりかけていた足をに合わせて来る。
「俺、結構こういうの、気にする性質なんだけど?」
の行く手を阻むように前に立たれは困ったように眉根を寄せる。
普段のなら幸村を避けるなんてあり得ないのに
聞きたい事はたくさんあるのに上手く言葉に出来ない。
信じたい気持ちからなのか、疑ってる気持ちが勝ってるからなのか、
どちらにしても不愉快な話し方しかできそうにもない。
「ほんとに、何でもないから。」
「そんな顔で嘘つかないで欲しいな。
俺、さんに避けられるような事したかな?」
ふるふると首を真横に振りたかったのに
体が強張って自分の足元を見たままやはり何も言えない。
ますます幸村に不審に思われてしまうと頭で分かっているのに
優しい幸村の声もそれが演技なのではないかと疑ってしまう。
「今日のさん、変だよ?」
「ごめんなさい。
ちょっと具合悪くて・・・。」
「えっ、そうなの?
どれ・・・。」
言い訳にするなら最適だろうと思って言った言葉だったのに
幸村は遠慮なしにすっとその大きな手での額に手を当てた。
かっと熱くなる頬が自分でも分かってますます顔が上げられない。
「熱はないみたいだね?
今インフルエンザ、流行ってるみたいだから気をつけないと。
あっ、もしかして保健室に行く所だった?」
「う・・・ん。」
「じゃあ、一緒に行こうか?」
「えっ?」
「大丈夫?ほんとに何だか顔色悪いよ?
危なっかしくて見てられないからさ。」
にっこり微笑む幸村の顔がちらりと前髪の間から見えて
慌てて目を逸らす。
本当にどうして今日に限ってこんなに優しいのか。
切原の言葉通りなら、幸村はその気も無いくせに
の気持ちを弄ぶように必要以上に優しくしてくれてるに違いない。
それでも騙されていたとしても嬉しいと思ってしまう位
幸村の事が好きなのだと返って実感してしまう。
「あの、幸村君、私、平気だから。
お昼、食べに行く所だったんでしょ?」
「ああ、そうだけど。
さんこそ何も食べないんじゃ体に毒だよ?
そうだ、何か買って来てあげようか?」
保健室にを送り届けると尚も幸村はそんな事を申し出る。
「い、いい・・・。」
「うん、でもほら、さん、放っておけないし。
ちょっと売店に行って来るから待ってて。」
「でも。」
「気にしない、気にしない。
弱ってるさんに付け込みたいな、なんてね。」
それ、どういう意味?と聞き返そうと思ったのに
爽やかな笑顔を残して幸村は行ってしまう。
あまりにもあっけらかんと本音を聞いた気がして、
やっぱり切原の言う通り、自分はからかわれているのだろうかと
気分は滅入ってしまう。
保健室のベッドの上でまんじりともせずに
は両膝を抱えたままその膝の上にほっぺたをくっ付けてみた。
この状況は全くもって異常だ。
落ち込んでる気分のはずなのにどこかそわそわしてしまう。
幸村が自分のために売店に行ってると思うと
例えそれがまやかしだとしても待っている間は彼女的疑似体験だ。
幸村は何を買ってくるのだろう?
本当に戻って来るのだろうか?
戻って来たらどうすればいいんだろう?
そんな都合のいい夢を見ていた所で
醒めてしまった時の落胆を思えば下らぬ妄想なんてしなければいいのに
それでもドキドキする思いを抱えたままはそっと目を瞑った。
しばらくして昼休みの喧騒の中、
保健室の外の廊下から聞き覚えのある声が混じるのに気がついて、
はぼんやりとその声だけ拾おうと意識を集中させていた。
「先輩、どこ行ってたんスか?」
「何?探してた?」
「昼休みにミーティングあるって言ってたじゃないッスか。」
「ああ・・・。
でも真田がいるから別に俺がいなくても事足りるだろ?」
声の持ち主に行き当たってははっとした。
それは紛れもなく切原と幸村だった。
「それ、なんスか?
つうか、昼は食堂行くって言ってたじゃないッスか!」
「食堂?
うん、まあいろいろあってさ、今日はパンにした。
ミーティングの話は後で聞くから。」
「え〜、そんな今更。
先輩、放課後はちゃんと練習付けてくださいよ!?
俺、すっげー楽しみにしてるんスから。」
「ははは、赤也こそ。
朝、あんな事なければちゃんと相手してやったんだよ?」
「わかったッス。」
切原の一段と明るい声が聞こえなくなったと思ったら
保健室のドアがゆっくりと開くのが見えた。
大きな白いビニール袋を持って立っている姿は幸村には不似合いだと思った。
「さん、起きてて大丈夫?」
近づいて来る幸村の言葉は相変わらず優しげだった。
トクンと波打つの鼓動は幸村の声を聞くだけで反応してしまうけど、
それを顔には出すまいと変に背中に緊張が走る。
「購買、凄く混んでたけどいろいろ買って来ちゃった。
パンを選ぶ時にさ、さんって何が好きなのか
俺、知らなかったなぁなんてちょっと悩んじゃったよ。
ね、この中に好きなのある?」
苦笑いしながら袋の中身を全部見せてくれる幸村に
何て答えればいいのかは面食らう。
幸村は本気でここで一緒にパンを食べる気らしく
ベッドの近くに椅子を持って来ると
座る前にズボンのポケットから缶を2本取り出して見せた。
「コーヒーと紅茶、どっちがいい?」
黙ったままでいると幸村は困ったように小首を傾げ
更に差し出して来るから仕方なくおずおずと紅茶の缶をもらう。
プルタブを開ける音だけが嫌に大きく反響する。
緊張しているは紅茶を飲む一口がほんの少しになる。
目の前にはいくつものパンがころがっていて
幸村も黙っているからは尚の事動きが取れない。
恐る恐る幸村の方に視線を移せばばっちりと幸村の眼とかち合った。
「遠慮しないで?」
「あっ、うん。
でもこんなにたくさんは・・・。」
「パンの事?
パンは俺も食べるから。
こう見えて、俺、結構大食漢なんだよ?」
「嘘?」
「さんとはクラス違うから知らないだろうけど。
そうだな、俺、朝もガッツリ食べる方だよ?
そんな風に見えない?」
「うん。」
「さんは?
あんまり食べないの?」
「普通、だと思うけど。
でも、私も朝もちゃんと食べる方。」
「そう。」
幸村はニコニコしながらクリームパンに手を伸ばした。
それを半分に割るとに差し出してきた。
「なんかそういうの、嬉しいな。」
「何?」
「同じだって思える所があるのって嬉しくならない?」
幸村はクリームパンをあっという間に頬張っている。
さすがに食欲はわかないけれど
半分にされたクリームパンが元はひとつだったと思うと
何となく気恥ずかしくなる。
これまでこんなに近くで二人だけで同じ時間を過ごした事なんてなかったし、
それは夢見る事だけで精一杯の事だったから
目の前の幸村を見ても現実のような気がしない。
けれどもさっきまで割れるように痛かった前頭部の痛みは
嘘のように治まっている。
幸村の落ち着いた雰囲気はやはりとても好きだと思ってしまう。
ただ高ぶる気持ちもあってとても幸村のように
落ち着いてクリームパンを食べるなんて事は無理そうだけど。
「あっ、でも無理に食べなくていいから。
残ったら後で食べればいいんだし。」
「後で?」
まるでの心の中まで分かるかのようにさり気なくフォローもしてくれて
その優しさが本物なのか偽物なのか、とても、とても気になる。
それこそ先延ばしにしたって意味がない。
それがの性分だったはずだ。
は思い切って幸村の方に向き直った。
「幸村君。」
「何?」
「幸村君は・・・。」
どうしてこんなに優しくしてくれるの?と聞こうと思って
見上げたその先に幸村の真剣な表情があった。
勇気を出したつもりだったのに
その幸村の口から「さんだからだよ。」とか
「俺、さんの事、好きなんだよ。」という答えが返って来ても、
期待してる言葉だったとしても、それを100%信用できるかどうか
には判断がつかない事に行き当たって不安になってしまった。
馬鹿な事、この上ない。
今の自分は言葉自体に喜んでも
それが嘘か真かと、猜疑心で悩まされるに違いないのだ。
「幸村君こそ大丈夫・・・なの?」
「えっ、何が?」
「ミーティング。」
寸での所でありきたりの会話に戻す事ができた。
このまま知らない振りを決め込むことはできないだろうかと
そうすれば居心地の良さだけ手に入るような気がした。
「ああ、聞こえちゃった?
でも別にたいしたミーティングじゃないよ
あいつ、俺がいないとバカみたいに騒ぐからさ。」
五月蠅かった?と幸村は苦笑した。
ひとつ下のテニス部の後輩なんだけどね、と幸村は続けた。
「切原君、だよね?」
「あれっ? 赤也の事知ってるの?」
驚く幸村に首を左右に振ったら
幸村はちょっと怪訝そうな顔をした。
は慌てて言い足す。
「切原君ってどんな子?」
「赤也? 赤也の何が知りたいの?」
「そ、そんな大袈裟な事じゃなくて。
幸村君はどんな風に思ってるのかなって。」
「どんな風に・・・か。
そうだな、赤也は弟みたいな感じだね。
ちょっと落ち着きなくてやんちゃで、
でも人より何倍も負けず嫌いだからテニスは結構真面目にやってる。
勝つ事に凄く前向きって言うか、貪欲だね。
強くなるために平気で何でもやるタイプだし。
後、煩い。
少しでも相手してやらないと煩くて敵わない。」
今朝もね、と幸村はため息をつきながら話を続けた。
「赤也は1年の中ではとても強いんだけど
それを鼻にかける様な所があって。
同学年の子と練習するのが馬鹿らしいんだろうね、
俺と練習したがって五月蠅いんだ。
まあ、やる気と根性は認めるけどね、
今日みたいに俺と柳の練習コートに入って来るなんて
無鉄砲もいい所なんだよ。
挙句の果てに俺の球を受け損ねて顔面で受けちゃうし。
痛くない、なんて思いっきり見栄張ってたけどね。」
「えっ?」
「どうしたの?」
の顔色が変わったのが分かったらしく
幸村は不思議そうに聞き返してきた。
「あれは・・・、切原君は殴られたんじゃなかったの?」
言葉を選ぶ余裕もなくてついはそう言ってしまった。
その瞬間、はふと切原はそう言っただろうか、
という疑問が頭をよぎった。
「誰が?」
「・・・。」
「誰がそんな事言ったの?」
核心を突いてしまったという恐怖よりも
確信でなかったらという恐怖がなぜかを包み込んだ。
自分こそが本当の事を知っていると思っていたのに
幸村の鋭い視線に捕まって、途方もない事を喋ってしまったのではないかと言う
新たな後悔で、の心臓は耐え難い何度目かの痛みに悲鳴を上げた。
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2009.11.26.