嘘か真か 3
「誰がそんな事言ったの?」
幸村の詰問に耐え切れなくなって下を向いた。
幸村の話が真実なら切原が嘘を言った事になる。
それならば何故自分は切原の話を信じたのだろうか。
いいえ、違う!
自分は切原の言葉を全部信じていた訳じゃない。
鵜呑みにしていた訳じゃない。
そう自分の中で反論する声が頭中を占めていても
心のどこかで幸村を信じ切れなかった事を悔やんでる自分がいた。
恥ずかしい。
情けない。
幸村の事が好きなのに。
一番好きなのに・・・。
手元のクリームパンが滲んで見え出した。
「赤也だね?」
少しして幸村がため息混じりに聞いてきた。
声だけならいつもの幸村の優しい声だ。
それでもは答えようがなくて
涙が出てくるのを必死に堪える事しかできなかった。
「もしかして俺が赤也の事、殴ったとか?」
「あの、ううん、そんな事は・・・。」
「でも、さんはそんな風に思ったんだね?
それって赤也がそんな風に君に思わせたんだね?」
黙っていても幸村は次第に核心に近づいて来る。
考えてみたら幸村の方がの何倍も切原の事を知っているに違いないのだ。
落ち込んで俯きっ放しのの肩に幸村がぽんと軽く手を置いて来た。
「困った奴だな、赤也は。
さんをこんなに困らせるなんて。」
幸村の大きな手がの肩にじんわりと熱を込めて来る。
「赤也が悪いにしても
さんの中で俺の心証はかなり悪くなってるんだな。
それであんなに避けられてたのか。
これは本当に1発殴ってやらないと・・・。」
幸村がそんな物騒な事を言うものだから
は驚いて幸村を見つめ返す。
幸村はとても真剣な表情でそんなをじっと見ていた。
「もしかして赤也が心配?」
「えっ?」
「さん、誰にでも優しいから。
まいったな、本当は赤也の事、気に入ってるとか?」
「そ、そんな事・・・。」
「ほんと?」
肩に手を置かれたまま覗き込まれる幸村の顔が近くて
それこそ顔から火が出るんじゃないかと思う位頬は熱くなり
今日だけでの心臓への負担はかなりのものじゃないかと思う。
ドキドキが止まらなくて胸を押さえたいのに
右手にはクリームパン、左手には紅茶の缶。
告白するには今ひとつロマンチックな形ではないけれど
自分が気になるのは幸村だと言ってしまいたい。
そして幸村こそ、こんなにに優しくしてくれるのはどう言う訳かと
その感情の元を問いただしてみたくて仕方がない。
けれどもが言葉を探しあぐねている間に
幸村はの肩からすっと手を離すと静かに立ち上がった。
「具合が悪いのにあんまり長居しちゃ悪いからね。」
あっさりと部屋から出て行こうとする幸村の後姿に
は思わず声を掛けた。
「ゆ、幸村君!」
「何?」
「ありがとう・・・。」
「どういたしまして。
そうだ、具合良くなったら放課後、部室に寄ってくれないかな?」
「・・・テニス部の?」
「うん。
いくらなんでもそのパン、全部は食べられないでしょ?
持って来てくれると助かる。
・・・待ってるから。」
待ってるなんて、幸村は謎めいた言葉を残してを置いて行ってしまう。
放課後・・・。
どちらにしても放課後、切原とも話をしなくては、とは思った。
結局授業を受ける気がしなくて5時限目は保健室で過ごした。
幸村と半分に分けたクリームパンは甘くて美味しかった。
そう言えば幸村だって半分しか食べてない。
自分は大食漢だと言っていたのに
お腹がすいているのではないかと心配になる。
部活に顔を出すというがの鞄を持って来てくれたので
はと別れるとすぐにテニス部の部室を目指した。
昇降口を抜けた所では自分の前を歩く切原に気がついた。
「切原君。」
呼び止めると切原は一瞬怪訝そうな顔をした。
まるでここでは声を掛けてくれるなと言わんばかりの迷惑顔に
一瞬怯んだだったが、数人の1年生が二人を追い越すのを見計らってから
はおずおずと切原に話しかけた。
「朝の事なんだけど・・・。」
「幸村部長の事ッスか?」
「あ、ううん、そうじゃなくて、切原君の事。」
「俺?」
なんだか朝とは雰囲気の違う様には目を見張る。
5時限目は体育だったのか、面倒臭げに制服の裾からはみ出てるワイシャツは
彼をだらしなく見させて、幸村は彼をやんちゃな弟みたいだと形容したが
自分の弟だったら間違いなく頭のひとつもはたいて怒ってやるとこだ。
「切原君が私の事、好きだって言ってくれた事。」
「それが?」
「私、ほんとは好きな人がいるの。
片思いだけど凄く好きで。
だから切原君の気持ちには応えられない、って言って置こうと思って。」
「ああ、そんな事ッスか。
別にどうでもいいんスけど。」
「どうでもいいって・・・。」
「じゃあ、幸村部長も眼中にはないって事ッスね?」
自分の事はどうでも良くても幸村の事は別らしい。
切原は今朝とはまるで別人のようにほくそ笑んでいる。
「幸村部長と付き合わないんならそれでいいッス。
あの人には女と付き合う時間なんてないんスから。
先輩が幸村部長の回りにいられると気が散って困るんスよ。」
切原はどこまでも自己中心的だ。
大体に幸村を振って欲しいという事自体、間違っている。
というか、の気持ちは初めから聞く耳を持っていないらしい。
「あのね、切原君!」
がその先を告げようとした時に、後ろから誰かの足音が聞こえ、
切原の顔からみるみる血の気が引くのをは唖然とした面持ちで見ていた。
やがて切原を固まらせた人物の声が頭上から聞こえて来た。
「へぇ、赤也はさんに告ってたの?」
「ゆ、幸村部長・・・。
先に行ってたんじゃ。」
「ああ、今月の練習メニューを提出してたからね、
ちょっと遅くなっちゃった。
で、なんでさんが俺と付き合うと困るの?」
幸村は腕組みをしたまま笑っている。
いや、笑っているように見えるが明らかに無言の重圧が
切原に向けて圧し掛かっている。
でなくては、目の前の切原がこんなに萎縮してるのがおかしい位だ。
「赤也。
ちゃんと説明しなよ。
俺は自分が納得しない事は絶対見過ごさないって知ってるよね?」
「ぶ、部長。
俺は俺なりに考えて・・・。」
「赤也がさんの事、好きだって言うなら止めないよ?
さんは素敵な人だからね。
俺は正々堂々と勝負するだけだからね。
でも、さんを故意に困らせるだけだったなんて言ったら
赤也、俺は可愛い後輩だと思う奴でも容赦しないよ?」
幸村はとても冷静だった。
もし切原が幸村の弟だったらやっぱり頭ごなしに怒っているかもしれない。
けれどさすがテニス部をまとめている幸村だけあって
切原がどうしてこんな事をしたのかを話すまで辛抱強く待つのだろう。
が幸村を見上げると幸村はニッコリと笑い返した。
「大丈夫。
さんの前では殴ったりしないから。」
冗談で言ってるのだろうけど切原はごくりと唾を飲み込んでいる。
まるで死刑宣告されたような表情だった。
「ほら、赤也の言い分、聞いてあげるよ?」
切原はうな垂れるとポツリポツリと話し出した。
「俺、レギュラーになったからには
毎日幸村部長と打ちたいッス。」
初めてに話しかけて来た時もこんな感じだったとは思い出した。
落ち着かなくてむやみに髪を弄くって
言いたくない事を口に出さなくてはならない時は
切原はいつもこんな風なのだろう。
偉そうな態度や悪ぶった口調とは対極の様は
見知ってしまえばからかいがいのある可愛い後輩なのだと思う。
白状させられる切原は幸村の言葉に逆らえないらしい。
でも、切原はきっと幸村に嘘はつかない。
自分の本当の気持ちを幸村に知って欲しいと思う気持ちが
ありありとその表情に出ているとは不思議な面持ちで見ていた。
「でも俺が部長と打ち合える時間なんて高が知れてるし。
それなのに、部長は彼女が出来たら・・・、
テニスと彼女のどっちが大切かって言ったら彼女の方だ、なんて言うし。
そんなの許せないッス。
全国大会まで時間はいくらあっても足りない位ッス。
俺は、俺は幸村部長にもっと練習を見てもらいたいだけで。
だから、幸村部長に女となんか付き合って欲しくなかったんス!!」
「赤也、確かにさんは俺の大事な人だけど
だからって練習で手を抜くなんて言った覚えはないよ?」
思わぬ幸村の言葉にはえっ?と聞き返す。
「部長・・・。」
「いずれにしても、朝の件はさんの誤解をちゃんと解いてもらわないと。
俺が本気出したらテニスボールどころじゃないって思うけど、
まあ、そんな事はどうでもいいや。
大体、なんで俺が赤也を殴った事になるんだい?」
「えっ、いや、そ、それは・・・。」
口篭る赤也に幸村は深く追求はしなかった。
「まあいい。
とにかく赤也はきちんとさんに謝るんだね。
赤也のせいで俺まで信用なくされたらたまらないからね。
でも、ちゃんとさんに謝ったら
これからの練習では本気で赤也をしごいてあげるよ。」
「ほんとッスか!?」
「ああ。
先にアップして待ってるんだね。」
幸村の言葉に切原はに向けて最敬礼で謝ってきた。
「すいませんでした!」
幸村に相手をしてもらうのが本当に嬉しいのだろう、
もう一度、幸村にも一礼すると切原は部室に向かって走り出した。
その後姿を見送りながら幸村は苦笑しながら言った。
「さん、悪かったね。」
切原のあまりの単純さには拍子抜けする思いだった。
「ううん。
でも、切原君って幸村君の事、凄く好きなんだね。」
「え〜、そんな風に思ったの?」
「でも、同性に好かれるのっていい事だと思うけど?」
「でも俺は、今、目の前にいる女の子だけに好かれれば
いいと思ってる。」
「えっ?」
「こうやってさ、たまに差し入れがあったりして・・・。」
幸村はの手の中からパンの入ってる袋を取り上げた。
「俺が部活やってる間、待っててくれると嬉しいな。
ま、あんな構ってあげないとふて腐れる後輩もいるし、
部活が中心だからたまにしかデートできないけど、
それでもよければ・・・。」
幸村の真っ直ぐな視線は強すぎて痛いくらい。
その言葉は幸村の本気を醸しだしている。
疑う余地なんて微塵もないけれど
余りにも嬉しすぎて本当なのだろうかと
まだぐずぐずと信じきれないはぽかんと幸村を見上げるばかり。
さすがの幸村もの反応の薄さに小首を傾げてしまった。
「俺、告白してるつもりなんだけど?
さんの好きな人って俺じゃなかったの?」
「あ、あの、それは違っ・・・。」
「えっ?違うの?」
「そ、そうじゃなくて。
えと、ゆ、幸村君の事は前から好き・・・だけど。」
「だけど、って何?」
「あ、うん、だから、
幸村君が私の事、好きって言うのが本当なのかなって。」
好きという二文字を口に出した途端
何だか凄く恥ずかしくなっての顔は見る間に赤くなっていく。
そんなを見れば幸村だってが幸村の事を好きだという事は
一目瞭然なのに、なぜか幸村はの頬を思いっきりつねって来た。
「い、痛い!」
「ほら、夢じゃない。」
クスクスと悪戯っぽく笑う幸村はの顔を覗き込んできた。
「俺、結構前からさんにはアピールして来たつもりなんだけどな。
赤也の言葉は簡単に信じちゃうのに
俺の言葉は信じてもらえないの?」
「っ//////」
幸村は今度はの唇にかすかに触れるだけのキスをそっと落としてきた。
「俺はさんに嘘はつかないからね。
ずっと大事にするから。」
余りの早業に何度も瞬きを繰り返したら
幸村は本当に笑い出してしまった。
「全く、さんと付き合うのは大変そうだ。
言葉だけじゃ信じてもらえそうにないなんて
この先、楽しみだね。」
空いた手での手を握り締めると幸村は引っ張るように歩き出した。
幸村の手の暖かさに、幸村と付き合う事になるんだと
なんだかやっと実感が沸いて来て、
本格的な冬が来るまで当分手袋はなくても我慢できそうだな、と
は幸村の背中を見ながら思った。
The end
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2009.12.8.