嘘か真か 1
「あんたが先輩?」
移動教室の途中、不意に知らない男の子に呼び止められた。
見れば癖っ毛の生意気そうなその子のタイは
下級生の色。
一応先輩と敬称は付けてくれたものの
なんだか目つきは悪くて
ざっと思い出してみても知り合いの弟あたりでもないし、
とは無視を決め込む。
「いや、ちょっと待て、って・・・。」
通り過ぎようとしたら前に回りこまれ
今度はとても神妙な顔つきでもう一度名前を確認してきた。
「そうだけど、何か用?」
第2理科室は東棟の一番端にあるから急ぎたいのに
はとりあえずこの癖っ毛君の胸にある名札を読んだ。
切・原・赤・也。
やっぱり知らない名前だ。
名前に赤色が入ってるくせにすごく綺麗な黒髪だな、と
その子の親はどういう意味を込めて付けたのだろうと
ぼんやりと思って見ただけなのに、切原と名乗ったその子は
なぜか視線があちこちに飛ぶ。
まるで落ち着きがない。
「あの、俺、1年の切原ッス!」
その情報は君の口より早く知ったわよ、と突っ込みたかったけど
初対面の人間を凹ます趣味もないし、
とにかくあまり接点を持ちたくない人種のように感じて黙っていた。
「あの、なんつうか、いきなりで・・・、
俺も困ってるんスけど。」
目つきが悪いのにもじもじしている。
あんなに生意気な態度だったくせに口ごもられると
そのギャップにこの初対面の子がどういう子なのか
全く持って掴めない。
ただ、このノリだと次に飛び出す言葉は
あなたの事、前から好きでした、とか言い出しかねない雰囲気。
年下なんてあんまり興味ない。
なんだか面倒臭い・・・、そう思ったは
心持ち口調が早くなる。
「何でもいいから早くしてくれないかな?」
「えっ?」
「ほら、私、次、理科室なんだけど?」
「あっ、す、すんません。」
ちょっといらついた口調が効いたのか
初めの生意気さはどこかへ消えて
申し訳無さそうに頭を掻く後輩は
それでも抜け目無さそうな目つきでこちらを覗っている。
癖っ毛の髪はさらにぐしゃぐしゃになっている。
「あの、ほ、放課後、暇ッスか?」
「えっ?」
「放課後、つ、付き合って欲しいとこあって。
あの、とにかく待ってるんで。」
返事をする前に切原は脱兎の如く走り去って行く。
待ってるって一体どこよ?
はため息交じりに苦笑した。
あの子、ほんとに何だったのだろう?
「! 何してんの?」
理科室にぎりぎりで到着すると親友のが珍しく呆れている。
「いや、何か1年の子に引き止められて。」
「えっ、男?」
ノートを広げながら頷いて見せたら
は面白そうに目を輝かせている。
「何、それ。
告られでもしたの?」
「そうじゃないけど、放課後付き合って欲しいってさ。」
「へ〜、それはそれは。」
「だけど、その子、まぬけなのよ。
放課後たって今日なのか明日なのか、
待ってるって言われたってどこで待ってるんだか、
何にも言わないで行っちゃうんだもん。」
「ばっかじゃない、そいつ?」
ばっさりと親友の言葉で切られていく後輩を思うと
ほんの少し不憫にも思うけど
必死だったあの子の顔を思い浮かべると思わず
口元に笑みが零れてしまう。
「何、ったら怪しい〜。」
「何が?」
「まんざらじゃない顔してる。
さてはいいかも?なんて思ったりしてる?」
「まさか。」
「で、どんな子だったの?」
どんな?と言われても生意気そうな年下の男の子ぐらいしか
印象はない。
万一告白されたってその気になるようなタイプでもない。
「弟みたいな?
髪が凄く黒くてクリンクリンだった。」
「ぷっ。やだ、なんか可愛い。」
それだけでのツボに嵌ったらしい。
他人事だと思っては暢気に笑っているけど
告白されたら断らなくてはならないその面倒さを思うだけで
それが後々に伸びるのは正直気分のいいものではない。
それともこのまま会わなければ
何となく向こうが察してもう会う事もないかもしれない。
大体呼び出し場所をちゃんと伝えなかったあの子が悪いんだ、
とは生物の教師が教室に入るや
切原赤也の事はすっぱりと考えるのを止めてしまった。
翌日、天気はまるで真冬並の寒さだった。
見た目にまだ早いかと手袋をして来なかったのが恨めしい。
ちょうど校門を通り過ぎた所では昨日の後輩君に出くわした。
「先輩、酷いッス!」
開口一番そう文句を言われはぎょっとなった。
一度校舎に入ってから校門まで走って来たらしく
切原は手に何も持ってはいなかった。
吐く息が白くて長かった。
「俺、待ってたのに。
約束したじゃないッスか!
無視するなんて酷いッスよ。」
拗ねた口調にただただ唖然となる。
無視してなかったと言えば嘘になってしまうが
したくてした訳でもない。
言いがかりだと思いながらも
余りにも落胆するようなそぶりで睨んで来るから
の方もまじまじとこの後輩君を見つめてしまった。
待ち合わせの場所を指定をしなかった君が悪いんじゃないの?
と出かかった言葉は切原の赤い顔で止まってしまった。
「何で来てくれなかったんスか?」
「切原君、どうしたの、そのほっぺた?」
いくら寒いからといって
片方の頬だけ赤いのは奇妙だった。
切原の事なんて何も知らないのに
その引っ叩かれたような跡は気にするなと言う方が無理だった。
「あ、ああ。何でもないッス。」
「何でもない訳ないじゃない?
喧嘩でもしたの?」
「違うッス!」
むっつり口をへの字にまげて
けれどその眼差しは偉く恨みがましいものだった。
「先輩が昨日来ないから・・・。」
「えっ? 私のせいなの?」
「いや、その・・・。
違うと言うか、違わないって言うか。」
歯切れの悪い様はの好奇心を煽り立てる。
自分のせいだと言われれば理不尽な事この上ないけど、
ひょんな事から知り合ってしまった後輩君を
このまま放って置くのも気分が悪い。
大体は元々面倒見がいい。
生徒会に入っているのだって
面倒見の良さが結局面倒臭い事は嫌だと文句言いつつも
人の何倍も仕事をこなしてしまう気立ての良さ故なのだ。
「ねえ、保健室に行こう。
それ、腫れてるんでしょ?
まだ時間あるから一緒に行こう。」
「へっ?」
一瞬びっくりしたような目をしながらも
切原は嬉しそうな笑みを浮かべた。
と言ってもどこか胡散臭げな生意気そうな表情は
ミステリアスと言えば聞こえはいいけど
どこか気を許せる感じでもない事には
やはりこの子は掴みどころのない子だと心の中で思う。
「先輩ってほんとに誰にでも優しいんスね?」
「そんな事ないけど。
ねえ、それより私に用があるんなら今聞くけど?」
歩きながらは切原に言ってみた。
大体放課後、放課後と後回しにされるのは面倒臭い。
やれる仕事は今やる、問題は端から片付けていく、
それがの信条だったから切原の言い分をちゃんと聞いて
応えてあげようと思っていた。
けれど切原は今度は黙ったままだった。
「放課後じゃなきゃだめなの?」
保健室に着いて勝手知ったる薬品棚から湿布を探す。
それを手にしたまま椅子に座ってる切原の前に立つと
切原はに視線を合わせる事無くぶっきら棒に返事をした。
「そうッスね。」
「何で?」
ひんやりとした湿布を切原の頬に張ってやると
切原は物憂げにを見上げた。
「頼まれたから。」
「頼まれた?」
「先輩に・・・先輩を連れて来いって。」
手に残った湿布のセロファンを捨てようと切原に背を向けた途端
は彼に後ろから抱きしめられた。
「俺、先輩の事が・・・。」
予想もしてなかった後輩の行動には動揺を隠せなかった。
無防備と言えばそうかもしれなかった。
けれど切原の突然の行動に冷静に対処する事ができず、
は思わず身を翻すと切原を突き放した。
俯いたままの切原は明らかに傷ついたように肩を落としていた。
「俺、別に先輩と付き合いたいとか、
そんな風には思ってないッス。」
に後悔の念が湧き上がった。
告白されたら間違いなく振るはずだったのに
こんな形で彼を拒否してしまった事の方が罪な気がして
は言葉もなく呆然とうな垂れている切原を見つめていた。
「でも、先輩が・・・。
俺が先輩の事、好きだって知って、
それが勘に触ったらしくて。」
「先輩が・・・、その、先輩を落とすみたいに言って。」
「放課後、連れて来いって言われた。
俺の先輩だから頼まれれば断れなかった。
嫌だったけど、仕方なくって・・・。
でも先輩が来なかったから、俺のせいにされて、
んで、朝練でしごかれて・・・。」
俯いたまま切原は湿布の上から自分の頬を触っていた。
殴られたのだろうか?
片思いの先輩に始めて声を掛けたのが
理不尽な自分の先輩の頼みごとで。
まるで何か三文小説のシナリオでも演じてるような
この後輩君を可哀想に思う。
切原の想いに応える事はできないけれど
切羽詰った行動を仕出かすほど思いつめてる事に
情状酌量の余地はありそうだった。
でも自分に何が出来るのかは思いつかないけれど。
「切原君・・・。」
「先輩。
俺、どうすればいいッスか?」
重い沈黙の末切原は押し殺した声を搾り出す。
「どうすればって・・・。」
「俺は悔しいだけッス。
先輩の事、そんな気もないくせに
俺に当て付けるみたいに告白するなんて。
それも俺にその片棒を担がせるなんて・・・。
酷いッスよね?
先輩だからって許せることじゃないッスよね?」
「う・・・うん。」
「だから、先輩から俺の部長の事、振ってくれませんか?」
「えっ? ぶ、部長って・・・?」
「テニス部の、幸村部長ッス。」
切原の口から出た名前を聞いた時から
ずっと頭が割れるように痛い。
信じがたい事が続くと人間、思考能力は自動的にストップしてしまうらしい。
あの後、切原とどんな会話をしたかも定かではない。
自分がいつ保健室から戻ってきたのかも思い出せない。
それよりも切原の話をどう捉えていいのかも分からないでいる。
幸村を知らない訳じゃない。
毎月定例の部長会議で会ってるし
テニス部の真田とは同じクラスになった事もあったから
その真田の所に幸村がちょくちょく顔を出すものだから
何度か他愛無い話をした事もある。
割と話しやすい、にしてみれば好感の持てる男子だった。
いや、好感以上のものを持っていると言っても過言ではない。
にだって話した事はないけれど
もうずっと密かな片思いをしているのだ。
思いを打ち明けたいとはまだ思ってはいなかったけど
打ち明ける前に幸村の事を振って欲しいと言われれば
には出来ない相談だった。
けれど幸村は切原に当てつける為に自分を呼び出すらしいと聞けば
そこに一縷の望みもない事は明白だった。
これも失恋と呼んでいいのだろうか。
そんな風な人には見えなかったのに・・・。
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