Rマークの君 3
朝練が終わると俺は一目散に教室を目指した。
誰かの顔が見たい、ただそれだけの理由で
足早になる自分は昨日までの俺とは明らかに違う。
こんな風にワクワクするような気持ちで
通い慣れた自分のクラスに飛び込むような事になるなんて。
それはさんと仲良くなりたいと思う気持ちが
積極的に働いている証拠なのだと自覚する。
夜になって彼女の電話番号もメールアドレスも知らない事に気づいて
見つけたRマーク入りのシャーペンの事を
いち早く伝える事ができないもどかしさに
一晩という長い時間を恨めしく感じた。
だから教室に入った途端
彼女の姿が見当たらない事は俺にとっては計算外で
勢い込んだ分だけ余計に落胆する気持ちが強かった。
数人の女の子たちが何事かと振り返るのを何とか笑顔で交わして
俺はさんを見かけなかったか、とさり気なく聞いてみた。
机の横には鞄が掛けてあるから登校はしているのだろうけど
どうやら普段大人し目の彼女の所在を知っている者はいないようだった。
俺はシャーペンを胸ポケットにしまうと
当てもなく廊下を歩き出した。
さんの行動パターンですら何も知らず、
こんな風に行き当たりばったりの行動をしている自分が
自分じゃないような気さえする。
だけど気分はすこぶる良かった。
「おはよう、さん。」
当てもなく歩いたわりに、階段を上がってくるさんと
すんなり出くわす事ができたのはラッキーだった。
さんの手には何かがしっかり握られていて
俺を見つけた時のさんは驚いた目をしたまま
その手を慌てて後ろに隠したのだけど
俺の目にはそれが何だったのかしっかりと焼きついてしまった。
「お、おはよう、幸村君。」
ぎこちない挨拶に俺の平静さはあっという間に波打つ。
言い知れぬ不安と漠然とした猜疑心。
俺たちの間にはまだ確固たるものはなかったけど
それに近いものはあるような気がしていた。
だからその時感じた嫌な気持ちは曖昧としていた。
だけど、頭の片隅で「何やってんだよ!」と丸井の声が聞こえる。
そう言えば昨日の丸井は何で不機嫌だったのか、
今頃になって気になってきた。
何でか分からないけど、また丸井に怒られそうな事を
俺はこれから仕出かしてしまうのかもしれない。
「これ。」
俺は胸ポケットからRマーク付きのシャーペンを取り出して
さんの目の前に差し出した。
本当ならさんは嬉しそうに笑って受け取ってくれるはずなのに
何となく感じた不安そのままに、さんの顔が曇った。
「昨日帰ってから探したんだ。
さんにあげたくて。」
「あ、ありがとう。」
口篭りながらお礼の言葉が小さく聞こえたけど
さんはシャーペンを受け取ろうとはしない。
俺の気持ちは苛立った。
「どうしたの?
昨日あんなに欲しがってたじゃない?」
「でも、それ、幸村君のだから。」
「そんな事、気にしないでよ?
俺がさんにあげるって約束したんだから。」
「あ、うん、でも・・・もういいの。」
「いいって? 何だよ、それ。」
小さな苛立ちはますます強くなる。
あんなに仲良くなりたいと思ってたのに
何故だか今日はカチン、カチンと癇に障ってくる。
傍から見たら俺が小さなさんを苛めてるようじゃないか。
そう思っても俺はさんを思いやる事ができないでいた。
「さん。
じゃあ、これを君にあげるから
君の手の中にあるものと交換してくれない?」
「えっ?」
まさか俺がそんな事を言い出すとは思わなかったのだろう、
狼狽するさんは不審そうな表情のまま俺を見上げて
それでもわずかに首を横に振り
口元を震わせながらきっぱりと言った。
「幸村君にあげるようなものじゃないから。」
「だったら見せてくれるだけでいい。」
「人に見せるものじゃないし。
幸村君には関係ないよ?」
「関係ないかどうか、俺が決める。」
「何で? どうしてそんな事言うの?」
小さくて大人しくてどこか頼りなげな女の子に見えたのに
今のさんは俺を精一杯撥ねつけて来る。
自分の理不尽さは自分でも分かってる。
さんが誰かに貰ったであろうその手紙を
読む権利なんて今の俺にはない。
どんな対戦相手であろうと怯んだ事のない俺には
とにかくいつもの冷静さなんてなかった。
相手の五感を奪う事ができる俺が
さんによって感覚を麻痺されてるみたいだ。
それなのにその理不尽さを真っ向から突っぱねる
さんの強い瞳に俺はもっともっと縛られたいと思った。
矛盾してる。
そんな事分かってる。
エゴかもしれない。
でも問いたださずにはいられない。
自分の不安を取り除きたいがために
さんを不快にさせてるんだろうけど
関係ない、なんて言われたくなかった。
だから俺には周りを気にする余裕なんてまるでなかった。
もとより誰に見られたって臆する俺じゃない。
いつの間にかひそひそと俺たちの様子を覗う級友たちに
周りを取り囲まれ、それに気づいたさんは
さっきまでの勢いはどこへやら
途端に真っ赤になって居心地悪そうに俯いてしまった。
その態度があからさま過ぎて俺の機嫌は更に悪くなった。
俺を突っぱねる強さがあるなら
どうして周りを突っぱねる強さを見せないんだ。
そうだ、昨日だって、逃げるように帰ったじゃないか。
「今度は何?
朝っぱらから揉め事か?」
階段をゆっくり上って来た丸井の赤い髪が見えた。
その側には丸井の彼女がいた。
「幸村さ、女泣かすなら目立たない所でやれよ?」
丸井は彼女と仲良く手なんて繋いでいる。
俺はむっとした。
「俺たちの事に口挟まないでよ。」
「おーおー、いっぱしの事言うわりに
褒めた事じゃねーんじゃねぇ?」
周りを見回して丸井はため息をついた。
そして何事か丸井が自分の彼女に耳打ちすると
丸井の彼女はさんの手を掴んで
驚く事に上がってきた階段を降り始めた。
「丸井!」
「なー、幸村。
頭冷やせよ!」
されるがままに手を引かれて消えて行ったさんの右手には
くしゃくしゃになった紙切れが見えた。
「どういうつもり?」
HRの始まるチャイムに遠巻きにしていたギャラリーは
やっと散り散りに減って行った。
それらを眺めながら丸井は冷めた目で俺を見て来た。
「幸村さ、もう少し気にした方がいいぜ?」
「その持って回った言い方、止めろよ。
言いたい事があるならはっきり言ってくれ。」
「じゃあ、はっきり言うけどな。
お前、歩く立海の看板みたいなもんなんだから
その横に立つモンの事、ちゃんと考えてやれよ。」
「何だよ、それ。」
丸井は階段の壁にもたれかかると
ガムを一つ口に含んだ。
「幸村はさ、いつも注目の的だから、
いつ誰に見られたって気になんないんだろうけどさ、
今まで誰も知らなかった子がいきなり
幸村の側にいたら、あっという間だぜ?」
「何が?」
「噂だよ。」
「噂? 別に何言われたって・・・。」
「そうだろ?
幸村は何とも思わないだろ?
けど、さんは幸村と同じな訳?」
あっ、と俺はさんの曇った表情を思い出した。
「なあ、幸村はさんの事、好きなんだろうけど、
まだ両想いって訳じゃねーだろ?
想いが通じ合ってたって上手く行かねー事なんてざらだぜ?
けど、噂なんて待っててくれねぇ。
昨日、チラッとさんをお前がコートに連れて来ただけで
もうあちこちで陰口叩かれてたってが言ってたんだぜ。」
俺は鉛を飲み込んだように重い気分になった。
さんが隠してた手紙はきっと俺がらみの
嫌がらせの手紙だったのかもしれない。
俺に近づくな、とか、俺と話すな、とか?
ああ、それなのに俺は俺のシャーペンを彼女にあげたかっただけなのに、
彼女は受け取れるはずも無かったんだ、
こんなみんなの目がある所では・・・。
「丸井。」
「幸村、お前結構気が回んねーのな。」
「仕方ないだろ、
隠れて付き合うなんて俺の辞書には無いからね。」
「隠れようったってできねーだろ?
幸村の彼女って看板はでかすぎるんだからさ。」
丸井はポケットに手を突っ込むと
迎えに行くか?ともたれていた壁からやっと背を離した。
俺はそれに倣って一歩ずつ力を込めて階段を降り始めた。
さんに一番でかいRマークを渡さなくてはならない事に
俺は不安よりもワクワクする気持ちを抑えきれない。
これは俺の独断だけど
きっと俺という大きなRマークでも
さんは大事にしてくれそうだと俺は確信している。
まあ、希望的観測とも言うのだけど。
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