伝える術
「幸村君ちってこっちだったの?」
その日はたまたまいつもとは違う道を通った。
その道は私と幸村君の住んでいる町内の境だったから
小・中と公立だった私の学校区もちょうどその道で隔たれていた。
だから高校に入るまで割とご近所だったにも関わらず
お互い全然知らない存在だった事は格別驚く事でもない。
まして幸村君は私が高校入学時にはもうすでに
立海大付属のスーパーアイドル的存在だったから
同じ学年だというのに私にとっては雲の上の存在だった。
こうして同じクラスにでもならない限り
きっと友だちの噂話の中でしか幸村君を知り得なかっただろうと思う。
いや、同じクラスでも社交辞令的な挨拶程度ならできても
それ以上の話なんてできる筈もなく、
テニスとは無縁のいたって地味な文化部に所属していた私には
幸村君に振る話題もなくて、ただクラスメートの背後から
みんなが振る話題に答える幸村君の声を聞くのが関の山だった。
「さんちは?」
「私は向こうの角を曲がった先の坂の途中。」
「俺は通りを渡って、あのポストの所を入って行った奥の家。」
幸村君が指し示すポストは確か立海の願書を投函した時のポストだったと気付いた。
「意外に近くだったんだね。」
ふとそう洩らす私の言葉に幸村君はそうだね、と相槌を打つ。
まるで信じられない。
二人で並んで帰る道々、幾度となく頭の中で呟いている。
こんな風に近くで幸村君と並んで喋る事なんてなかったから
彼がとても背が高くてその容姿の割りに
がっしりとした体躯の持ち主である事にうろたえてしまう。
だからなるべく視線は横に向けない。
真っ直ぐ帰り道の先々に視線を配りながら
いつもと変わらない落ち着いた幸村君の声だけに耳を傾ける。
「小学校区が同じだったら劇的な再会があったんだろうね。」
「再会?」
「そう。さんがすごく綺麗になって驚いた、とか。」
「そ、そんなの、あり得ないよ。」
「小さい頃は一緒に遊んだのに、
なんかよそよそしくなっちゃったね、とか。」
「な、ない、ない!」
顔の前で手を振って否定したけど、
こんなにご近所だったのにどこかですれ違った記憶も無い事が
少しだけ寂しいような気持ちになった。
「あ、じゃ、じゃあ、私、こっちだから。」
分かれ道でそう言ってみたのに
幸村君は通りを渡る風でもない。
「幸村君?」
「送って行くよ。」
「えっ?」
「どうせだったらさ、さんちまで。
そんなに回り道じゃないし。」
彼がそんな驚くような事を言うから
嬉しいと思っても会話を続ける言葉が見つからない。
どうして?
そんな疑問系ばかり浮かんでも
気軽に口に出せるものでもなく、
不自然だなって思いながら家に着くまでだんまり。
「思ったより近くだった。」
家の前でどんな風に切り出せばとそればかり考えていたら
私の頭の上から笑い声が漏れる。
同じクラスになってもう1年になろうとしている
こんな時期になってやっと身近に話せたクラスメートは
私とは違って落ち着き払っている。
「明日、朝練があるんだけど・・・。」
「うん?」
「迎えに来てもいいかな?」
「えっ?」
のんびりとした口調でもその内容は私の想像を超えるもので
私はぽかんと幸村君を見上げてしまう。
回らない頭に疑問符が一杯溢れてきても
幸村君にもの凄くかっこよく微笑まれては、私の目は釘付けになったまま。
どんな理由があればその視線から逸らす事ができるのか
わからない位見つめ合ってしまった。
それでも幸村君の目には
私の疑問を解く鍵は何も示されていない。
「よ、よくわからなかったんだけど?」
「そうみたいだね。
さんは朝は苦手?」
「朝って?」
「俺は朝練があるから早く家を出るんだけど、
さんを迎えに来てもいいかな?」
「えっ?」
「だからね、一緒に登校したいんだけど?」
噛み砕くように優しく言われてやっと気付く。
そんな夢みたいな事を真顔で幸村君は言う。
からかわれてるなんてこれっぽっちも思わないけど
素直に返事も出来ない。
「無理・・・かな?」
「えっと、無理じゃないけど。」
「変・・・かな?」
「変?」
「いや、さんがあまりにも不審顔だから。」
幸村君と一緒に登校したら、やっぱり変に映るかな。
ドキドキしてるのに、なんだか冷や汗も出る。
こういう時、自分でちゃんと決断できる人って凄いと思う。
一生懸命考えてるつもりなんだけど
幸村君に不審がられるばかりは損だと思うのに、
加えて思うなら、幸村君の誘いに嬉しいと思う気持ちはあるのに
そういう表情も出来ないなんて
女の子としてどうだろうと思ってしまう。
「あー、ごめん。
俺の中では全然突拍子もない事じゃないんだけど
さんにはいきなり過ぎたよね?」
幸村君の困ったような表情でやっと私の頭も動き出した。
これでさっきの事はなかった事にされたら
多分思いっきり後悔してしまう。
「あの、い、嫌じゃないから。
頑張って早起きするから。」
「ふふ、そんなに頑張らなくてもいいよ。」
「でも、迎えに来てもらうなんて
なんか、悪いし・・・。」
「そんな事気にしてる?
いいんだ、俺、そういうの、一度やりたかったんだ。」
幸村君がこんなに笑顔の素敵な人だとは思わなかった。
ううん、いつも楽しげに笑って皆の輪の中にいたけど
今日の幸村君は眩しいくらい輝いて見える。
ああ、きっとそれはこんなに間近にいるからかもしれないけど。
「じゃあ、明日ね。」
来た道を戻っていく幸村君の背中を振り切るなんて出来なくて
角を曲がって見えなくなるまでぼーっと見送ってしまった。
あれから、幸村君は毎日迎えに来てくれた。
「朝ごはん、ちゃんと食べた?」
そんな他愛無い会話から始まって
それでもこのささやかな逢瀬で色んな事を話したと思う。
それもどれも本当にどうでもいい事ばかり。
宿題の話だったり、家族の話だったり、
部活の話だったり、小学校の時の話だったり、
庭に咲いてる花の話だったり、封切前の映画の話だったり。
脈絡もなく、広く浅く、そんな感じ。
毎朝、初めて幸村君の顔を見る時はトクンと胸が鳴るけれど
並んで歩き始めると普通に話せるようになるから不思議だ。
でもそれは多分、幸村君の落ち着いた雰囲気が
意図的に働いてるような気がする。
だって私との会話はとても普通で、自然で平面的。
何て言うのかな、そこにお互いの感情がないって言うか、
深く詮索しないって言うか、居心地の悪さは無いけれど
どうしてなのかな?っていう私の疑問には
誘ってくれたあの日から幸村君には答えてくれない雰囲気がある。
最も私から聞くなんてそんな大それた事はできないから
今のままでいいなら、やっぱり動けない私は何も聞けないのだ。
校門を抜けて幸村君がテニスコートの方へ行く辺りで
この頃幸村君はいつもちょっとだけ立ち止まる。
じゃあ!・・・なんて片手を上げて颯爽と立ち去りそうなのに
教室に向かう私と朝練に向かう幸村君は
ほんの少しだけその歩みを止めると
分かれ難い、って言うのとは違うと思うのだけど
何かを言いよどむ様な幸村君の素振りに私はいつも
私の方から踏ん切りを付けてあげる。
「じゃあ、私、先に行くね?」
「ああ。」
登校中はあんなに色んな事を話すくせに
この時は幸村君はなぜか神妙な顔つきになる。
それを見るたび、私は仲良くなれそうだと思っていても
学校で並んでいる所を誰かに見られるのは嫌なのかな、
と思ってしまう。
当たり障りの無い会話は
私にこれ以上自分の事を好きになるな、
と暗に幸村君に言われてる様な気がしてならない。
幸村君はちょっとだけ
女の子と一緒に登校する、という事だけを
楽しみたかっただけなんじゃないだろうか、と思う。
中学の時はきっと凄い人気で
女の子と付き合うなんて、
それも誰か一人に決めて付き合うなんて事は出来なかったのかもしれない。
そうでなきゃ、幸村君に彼女がいないのも
何となく不思議だったから。
「あのさ。」
だけど今日はいつもと違っていた。
幸村君が私を呼び止めたのだ。
私は顔だけ振り返って何?と聞いた。
「今日の昼、一緒に食べない?」
幸村君の申し出に私の胸はまたトクンと波を打つ。
そしてまたひとつ、疑問が湧き上がる。
でも私はそれを口に出せない。
「昼?」
「うん・・・。
そういうの、まだやった事がなかったんだ。」
そういうのってどういう事?
私はまたわからなくて幸村君の顔をじっと見るけど
彼の表情からは何も引き出せなかった。
「さんっていつもひとりで食べてるだろ?」
高校から入った私にはあまり仲のいい友達はいない。
中学からの持ち上がり組はすでにグループが出来ていたし、
と言っても別にハブられてる訳じゃなくて
なんとなく昼はいつも一人でさっさと済ませて
図書室に行くのが日課だっただけだった。
「誰かと約束してるなら仕方ないけど。」
「えっ?別にないけど。」
「じゃあ、食堂でいいかな?」
黙って頷くと幸村君はやっとにっこりと笑ってくれた。
昼に誘う事がそんなに思い悩む事だったのかと訝しく思う。
だって教室の中の幸村君は誰に対してもどんな内容の事でも
はっきりと口に出せるタイプだと思っていた。
もしかしたら真面目に女の子と付き合うシュミレーションを
やっているのかもしれない。
中学の時の幸村君を知らない私は
うってつけだったのかも知れない。
なんとなく、なんとなく幸村君の態度を見て
そう納得して私はひとり落ち込んでいた。
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