伝える術   2







 「今日のランチ、どれがいいかな?」

昼になって連れ立って食堂に入ると
幸村君は不意に私に聞いてきた。

 「私、お弁当があるんだけど?」

小さな包みを持ち上げて見せると
幸村君は屈託無く笑った。

 「さんだったらどれが好き?」

どうやら私の好みを聞いて選びたいようだった。

私は仕方なく、一番ボリュームのあるのを指差した。

それなら幸村君のお腹を一杯にできそうだと思ったからだ。

 「じゃあ、それにしようっと。」

幸村君は時折こんな風に子どもっぽい事を言う。

誰だったか、テニス部の中では幸村君が一番怖い、と
言っていたけれど、私にはちょっとそれは信じ難い感じだった。

テニスは小学校の頃からやっていたらしいから凄く上手いのだろうし、
高校に入って先輩を押しのけてもう部長になっている事を考えれば
私が思う以上に凄い人なのだろう。

多分、私はまだまだ全然幸村君の事を知らないと思う。


 「さんはこっちに座って?」

食堂の奥の窓際に私を座らせると
幸村君は私の前にAランチセットを置いた。

そして私のお弁当をひょいと持ち上げると
それを自分の前に置いて包みを解き始めた。

 「ちょ、幸村君、それ、私の。」

 「うん、だからね、交換して食べようよ?」

 「えっ?」

私は目を丸くして幸村君を見つめる。

そのちょっと照れたような、それでいて
とても嬉しそうな顔をされると嫌だとは言えなくなる。

きっと、こういう事もしてみたかったんだろうと思う。

 「これ、私には多すぎるんだけど?」

 「大丈夫。
  残ったら俺が手伝ってあげる。」

こういう事は私だって経験が無い。

きっと付き合ってる人たちなら普通なのだろうけど
私にとっては普通ではない。

幸村君とこんな風に疑似体験が出来るのはとても稀有な事だろうけど
それを平然と楽しめる余裕なんてないし、
それなのに一緒にいる事が嬉しくなってきている私が
少しだけ可哀想に思えてなんだか複雑な気分だった。

小さなお弁当を食べている幸村君は絶対変だった。

きっと周りも変に思っているんだろうな、と思い出したら
とても顔を上げている事なんて出来なくなっていた。



 「幸村、何食べてんの?」

誰かが幸村君に声を掛けてきて
私はますます居たたまれない気分になっていた。

 「お弁当。」

 「や、見れば分かるし。
  つうか、そんなんで足りるの?」

ちらりと横を見れば、赤味がかった髪の子が
菓子パンを山のように両手に抱えて立っていた。

 「丸井は今日もそれなの?
  栄養バランス、全然ないじゃないか?」

 「仕方ないじゃん。
  あいつと今、冷戦中。」

丸井君は幸村君の前に座ると菓子パンの袋を
無造作に引きちぎってパンを頬張った。

 「なんだ、まだけんか中なの?
  さっさと仲直りすればまた手作り弁当が
  食べられるんじゃないの?」

 「そんなの、言われなくたってわかってるつーの。
  けどさ、俺から折れるなんてださくねぇ?」

 「ださいかどうかは知らないけど。
  大体けんかの原因は何だったの?」

私は選択科目でもこの丸井君とは一緒になった事がなかったから
二人の会話を聞くともなしに聞きながら
時々こっそりと幸村君の顔を覗ってみた。

彼女のいるらしい丸井君の話は幸村君にとって
いろいろ参考になるのかな、なんて下らない事を思った。

 「あー、なんつうか、見解の相違?」

 「何の?」

 「いや、まあ、あれだよ。」

丸井君は何とも歯切れの悪い返答だった。

不意に丸井君と目が合って私は慌てて視線を逸らした。

幸村君と一緒に聞いていいような話ではないような気がした。

大体私は丸井君の彼女が誰なのかも知らないし、
丸井君だって赤の他人の私がこの場にいては
話したいことも話せないんじゃないかと思いを巡らす。

と言ってもこの場を離れるタイミングも言い訳も私には思いつかないから
空気のようにいないものと思ってくれないかと
なんだか申し訳ない気分で手元のトレーばかり見つめていた。

 「俺の事はどうでもいいだろ、
  そっちこそ何やってんの?」

 「何って、ランチタイム。」

幸村君は当然のように答えながら私のお弁当を平らげていく。

丸井君が不思議がるのも無理ないよね、と私は小さくため息をついたまま
もうランチが喉を通るものでもなく箸を置いた。

すると幸村君は私のお弁当箱を丁寧に包み直すと
さっきとは反対に私の前からランチの残りとお弁当箱を
至極当たり前のように交換してきた。

 「えっ?」

疑問の声を発したのは私ではなく丸井君だった。

 「じゃあ、これ、もらうね?」

幸村君は私に断りを入れる感じで改めていただきますと
小さく手を合わせた。

もう私はなんだか妙にくすぐったい気持ちで
テーブルの上に戻ってきた小さな包みだけを凝視していた。

 「なあ、幸村。」

 「何?」

 「お前ら、付き合ってんの?」


やっぱりこんなの変だよね?と思う気持ちと、
幸村君の彼女に見えるかな、と言う嬉しい気持ちと、
でも本当は違うんだけどな、というがっかりな気分で
胸が締め付けられるような、何とも中途半端な気分になる。

それでも幸村君が何て答えるのか
少しだけ、ううん、とても気になった。

 「何で?」

 「いや、幸村が女子と二人でランチなんて
  今までなかったんじゃ、ね?」

 「ああ、そうだね。」

 「だろ?」

 「だからこういうの、一度やってみたかったなって思ってさ。」

 「へっ? それって・・・。」

幸村君の返答に丸井君は黙り込んでしまった。

丸井君の視線が多分私の顔を何度となく
突き刺しているんだろうと思う。

そりゃあそうだよね、
幸村君と私が付き合うなんて傍目から見ても不釣合いだから
きっと丸井君には解ってしまったのかもしれない。

私より幸村君の事なら丸井君の方が良く知ってる訳だし、
その幸村君がやりたかった事をしてるだけなんだと
普通に驚く事でも何でもない事なのかも知れない。


すっかり食べ切ってしまった幸村君はトレーを持って立ち上がった。

 「じゃあ、さん、行こうか?」

 「あっ、うん。」

促されて私が立ち上がった時、丸井君と目が合った。

 「お前さ〜。」

丸井君は先に歩き始めた幸村君には聞こえないように
わざと私とすれ違いざまに小さく声を掛けてきた。

 「大変だな。」

私はどうやら丸井君に同情されてしまったみたいだった。

付き合ってるんじゃなくて、
付き合わされてるんだな、って。

そう丸井君は思ったんだと思った。

それは間違いじゃなかったけど
私はそれでも幸村君と仲良くなれて嬉しいんだけど、
それを丸井君に敢えて言う事もないから、
黙って会釈して通り過ぎた。








朝の登校はあまり人の目に触れずに済んでいたらしく
今まで気になる事もなかったけれど
お昼時に幸村君と並んで歩いて学食に行くようになると
さすがに周りの視線が気になりだした。

それは好奇の視線というより
明らかにやっかみまじりのチクチクと刺すような視線だった。

そう言えば丸井君が幸村君は
女子と二人でランチを取るような事はなかったと言っていたけど、
それは本当の事だったみたいで
私は日毎に幸村君を独占している事の罪深さに
どう釈明したらいいのかを考えるようになった。

一番いいのは幸村君が私たちの関係を
ただのクラスメートだと一笑に付すか、
それとも本命の彼女を連れて歩くか、だと思う。

でも、どちらにしても
この頃、幸村君の事を考えるだけでとても幸せな気分になる私は
この関係が終わってしまうと多分とても傷つく事になりそうだった。

他愛ない話をしながら
居心地のいい幸村君の隣を手放すのはひどく惜しい。

自分の中にもあったこの独占欲は
私にはとても驚くべき感情だった。

なんであの子が?とか
どうして今日も一緒なの?とか
そんな風に周りに思われて
罪悪感だった感情が段々我侭な優越感に塗り変わる。

幸村君が私を見てくれる、
私に微笑みかけてくれる、
一緒に肩を並べて歩いてくれる、
そのどれもが私の優越感で
だけどそんな風に思ってる私の思いを彼には知られたくはなかった。



 「そう言えば、今日は保健委員会だったね?」

 「うん。今年度最後の委員会。
  反省会みたいな事をやるって言ってた。」

 「じゃあ、それが終わったらコートの方においでよ?」

毎月第一木曜日は保健委員会だった。

秋頃から流行りだした新型インフルエンザのおかげで
普段たいした活動のなかった保健委員会は
ここの所他の委員会より長引いた。

委員会活動の話し合いよりも
若い保健の先生が感染症の予防について
熱弁を振るう時間の方が多かったからだ。

 「コートって、テニスコート?」

 「うん。今日は一緒に下校できるしね。
  もちろん委員会の方が早めに終わるようだったら
  部活の見学してるといいよ。」

幸村君はにっこりと目を細めて笑いかける。

 「でも・・・。」

 「丸井の彼女だってそうしてるし、
  マネージャーには話し付けとくから
  特別に正面フェンスの方で見学できるようにしておくよ。」

今の私はテニス部レギュラーの彼女さんたちと同列らしい。

 「彼女を待たせてさ、一緒に帰る、っていうのがやってみたくてさ。」


何度目かの幸村君のやってみたい事は
どうして彼女が出来た時にしないのだろう?

私は彼女じゃないのに・・・。

何となく、そう、いつもならその思いに蓋をするところなのに
何となくその疑問が顔に現われてしまったようで
幸村君は口元から笑みを消して私をじっと見つめてきた。


 「嫌だった?」

 「ううん、そんな事ない。」

 「進級すればさ、今よりもっと忙しくなりそうなんだ。」

1年で時期部長に抜擢されたと聞いていたから
それは事実なのだろうと思う。

 「今なら新入生もいないし、3年は卒業だし、
  練習ものんびりしてるんだ。」

 「そうなんだ。」

 「ちょっと寒いかもしれないけど
  そんなに遅くまで練習しないつもりだから。」

 「あ、うん・・・。」


これで私がコートの丸井君の彼女の隣で練習を見たら
丸井君はどんな顔をするんだろう、
ふとそんな事が頭を掠めて私は力なく笑って見せた。











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