後ろにも目を 3
「恋愛経験のないさんじゃ無理じゃないかな?」
「何が?」
ちょっと意地悪っぽい目つきに変わった幸村君は
私の飲みかけの珈琲に手を伸ばすと
まるで自分のもののように飲み干してしまった。
幸村君の行動って絶対先が読めない。
「さんはの好きな奴が誰か知ってる?」
唐突に質問されるとすぐに考え込む私は
多分幸村君に関してだけ学習能力がない。
いや、はぐらかすのが上手い幸村君だからこそ
私は次々と翻弄されて自分のペースで考えられない。
でも、それにしても親友の恋の相手が誰なのか
今まで一度もそんな相談をされた事がない私は
軽いショックを覚えながらも結局答える事ができない。
「いくら頭が良くたってこればっかりはな。」
「そんな事・・・。」
「だってそう思ってるから相談できなかったんだろ?」
「そ、そうなの、?」
黙り込んでるの顔を見れば気まずそうな表情が読み取れる。
正直、相談されても良いアドバイスができるとは思わない。
とは例えそういう話ができなくったって
一番の親友である事には変わりないと思うけど、
でも一緒に悩む事くらいならできるのに
頼ってもらえなかった事はやはりショックだった。
「の片思いの彼は仁王なんだ。」
「えっ、仁王・・・君?」
たまに柳君に辞書を借りに来る事があったけど
コート上の詐欺師と呼ばれる彼の
飄々としていて掴みどころのない笑みは
幸村君以上に胡散臭そうに思い出された。
「ところが困った事に仁王の奴、
意外にも君に関心がありそうなんだよね。」
幸村君の言葉は私の頭の中を幽霊のようにすーっと通り抜けて行った。
だって仕方ない。
現実味のない言葉だったんだから。
「関心?
そんなはずはないわ。」
「何でそう思う?」
「だって私、仁王君とは話した事もないし、
話しかけられた事もないし。」
「でも見たんだろ?」
「見たって?」
幸村君は相変わらず意味不明な事を問い掛けて来る。
「言ってる意味が分からないんだけど?
私は柳君の隣の席なんだもの、
仁王君が柳君の所に来れば、誰だろう?って顔くらい見るわよ。
でもそれだけだし。」
「あー、それで興味なしって顔で視線外したんだろ?」
軽くため息をつかれて、さも私に非があるような口ぶりに
私は段々腹が立って来た。
「もー、それが何だって言うの?
私、仁王君に興味なんてないもの。」
「そういう態度はね、仁王みたいなタイプには逆効果なんだよ?」
「えっ?」
「難攻不落の砦を前に俄然やる気を出してしまうんだ。」
幸村君の説明に拍子抜けする。
朝までは幸村君とは接点すらなかったのに
こんな風に下らない話を延々と続けている自分は
やっぱり変だ。
変とは思っても
親友の片思いの相手がテニス部の仁王雅治なら
幸村君のアドバイスに従うのは賢明と思えなくもない。
「じゃあ、どうすればいいって言うの?」
仕方なくむっとして問い返せば幸村君は明るく言ってのけた。
「だから、俺と付き合えばいいのさ。」
それはそれはあっけらかんと。
王者立海大の頂点ともなると何でも言えてしまうのだろうか?
それにしたって簡単に言ってくれる。
「俺の彼女に手を出すなんて事が許されるはずがない。
チームメイトなら尚更だ。
まあ、仁王なら頭がいいから
俺の彼女だって知ればそんな事はしないだろうね。
どんなリスクが降りかかるか想像もできないのに
敢えてチャレンジするかと言えば、そこまで無謀ではないよ、あいつは。」
褒めているんだかけなしているんだか分からないけど、
これで私が幸村君と付き合わなかったら
私は仁王君とまで噂される事になるのだろうか?
私が幸村君と付き合う形でと仁王君が上手く行かどうかなんて
恋愛経験のない私にだって分かる。
そんな単純な公式が当てはまる問題じゃないはず。
でもを見れば藁にでもすがる思いなのか
不安そうに私を見ている。
告白する前に不安の材料となるべきタネは
ことごとく摘んでしまうべきなのだろう。
そうは思っても凄く怪しい話ではある。
「私と幸村君が付き合ってるって噂になれば
と仁王君は上手く行くの?」
私は正直に幸村君に聞いてみた。
「多分ね。」
「多分って、無責任な。」
「そう言うけど噂ぐらいじゃ仁王は騙せないよ?」
「えっ?」
「だってさんって演技下手そうだし?」
クスリと笑う幸村君は実に楽しそうだった。
「そんな・・・。」
「だからね、本当に付き合わなきゃだめだ。」
「ええっ?」
「そう、今から俺たちはもう本当の恋人同士だ。
ネクタイ交換もしてるんだし。
そうなれば呼び方もちゃんとしなきゃね。」
「よ、呼び方って?」
「そうだな、やっぱり呼び捨てかな。
もちろん下の名前でね。」
「どうしてそうなるの?」
爽やかな笑みに私は解けない問題に向き合ってる時のような
頭痛に見舞われた。
解けない問題というより理解に苦しむ問題。
「あの?」
「何?」
「私たちって友達でもないよね?」
「友達じゃないね。」
「そうでしょ?
今まで話した事もなかったし。
それがどうして付き合う事になるの?」
「そうしないといずれ仁王は君に夢中になるよ?
それでもいいのかな?
の恋はますます困難を極める事になるんだよ?」
「そ、それは困るけど。」
幸村君はじっと私を見ている。
真面目な顔つきで見つめられるとまた胸が苦しくなる。
からかわれてるのか、本気なのか、全然分からない。
「大丈夫。
俺の側にいれば何も心配いらないから。」
落ち着き払った声でそう言われると何もかも上手く行く気がする。
のためにも・・・?
・・・って、ちょっと待って。
上手く行くってそれは私と幸村君が恋人同士って事だよね?
それって私の気持ち以前に確定って事?
こんなに頭を悩ます問題に直面しようとは思ってなくて
どう考えても普通じゃない事に軽くパニくってる私をよそに
幸村君はすっと立ち上がるとごく自然に私のネクタイを手に取っている。
またしても先手を打たれてしまって頭が回らない。
でも頬は一気に熱くなる一方でその感情の起伏に私は
全く免疫がなくって息もできないくらい固まっている。
だんまりの私に対して幸村君はふっと笑ってネクタイから手を離した。
ストンと落ちるネクタイはそう変わらないはずなのに
幸村君のだと思うだけでいつもよりその存在感に重さが感じられる。
「そうだ、放課後はコートに来てね。」
「コート?」
「待ってるよ。」
幸村君は軽く手を振って行ってしまった。
そのさり気ないかっこ良さに私はまたもやポカンと見送る事しかできない。
全然付いて行けない。
どこがどうなってこんな風になってしまったのか。
「何なの、もう!」
ドキドキしている自分を隠すように乱暴に口に出せば
がごめん、と私に手を合わせている。
「?」
「ほんとにごめん、。
まさか幸村があんな事言い出すなんて思わないから。」
「幸村君って、変。
絶対、変!」
空になった珈琲の紙コップを何となく見つめてしまった。
「うん、まあ、尋常じゃないとこはあるけど、
あれでもすごく頼りがいがあるのよ。」
「だけど。」
「でも、幸村とって凄くお似合いだと思うよ?」
「えっ?」
驚くものの意外なの言葉に少しだけ嬉しくなる自分がいる。
どうしよう?
私も変だ。
「まで変な事言わないでよ。」
それでも今の私は天邪鬼だ。
「そんな事ないって。
幸村が大丈夫って言えば上手く行かない事なんてないし。
の事、本気なら尚更だよ。」
「本気って・・・。」
「うん、今のではっきり分かった。
幸村は本当にの事、好きなんだと思うよ。
大丈夫、心配ないって。」
逆にに励まされてしまった。
恋の悩みを抱えてるのはの方なのに
幸村君に思われてると思うと体がフワフワと浮いているような、
正直今までに感じた事のない浮遊感に私の方が襲われている。
まるで自分じゃない自分がいる。
だから午後の授業なんてまるで耳に入って来なかった。
気付けばノートにはまるで読めないミミズのような線しか書いていなかった。
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