君の笑顔






 「!」


部活が始まって間もないと言うのに
副部長の真田に怒鳴られた。

まあ彼の怒声はいつもの事だから気にしないけど。

 「なーにー?」

こっちだって忙しいんだから呼びつけないで欲しい。

用があるなら向こうからやってくるのが本当じゃないかと
私は大して気にも止めず大きな声でわざと間延びした返事をしてやった。

 「幸村を呼んで来い!」

その言葉にまたかとため息が出る。

 「真田が行けばいいじゃん。」

口に出してみたがこの距離じゃ真田には聞こえない。

全くこれで1週間だ。

新入部員が入って来てこっちだって手一杯のこの時期に
部長である幸村はここの所真っ直ぐにテニスコートに来ない。

何だかんだと真田にグチグチ言われて、結局私が
幸村を迎えに行く事になるんだけど、それが面倒臭くて嫌になる。

3年になって同じクラスにテニス部員がいないせいか
どうも幸村は野放し状態になっている。

ここの所毎日なんだから真田か柳が
幸村のクラスに寄って一緒に部活に来ればいいのに、と思う。

 「まーまー、
  幸村は真田が迎えに行っても来ないじゃろ。」

たまたま私の近くにいた仁王が私の独り言に答えてくる。

 「じゃから幸村が脱走する前に
  が幸村のクラスまで迎えに行けばええだけの話ぜよ。」

 「何で私がいちいち幸村の面倒を見なきゃいけないのよ。
  あんたたちが甘やかすからこんな事になるんでしょうが。」

むっとして仁王を睨みつけたら
また向こうの方から真田の呼びつける声が響き渡る。

その声に1年生たちがちらちらとこっちを恐る恐る覗っているのが分かる。

これじゃ私が真田に毎日怒られてるように見えるだけだ。

 「もうあったまに来る!
  ちょっと仁王、幸村呼んで来るから
  1年の相手、あんたがやっておいてよ!」

 「あー、わかった、わかった。
  適当にやっちょるから心配はいらんぜよ?」

 「すぐ戻って来るわよ。
  仁王だって1年じゃ練習になんないでしょ?」

せっかく1年生たちの個人記録ファイルを作るつもりだったのに、
と私はファイルをベンチに投げ出すとコートとはまるっきり反対方向の
美術室を目指して走り出した。










放課後になると幸村は美術室に入り浸っている。

幸村の趣味がガーデニングと言うのは周知の事実だったけど
絵を描くのが好きと言うのは最近知った。

といっても幸村の絵なんて見た事がないから
本当に好きなのか上手なのかなんて事は私は知らない。

3年になって私は柳や真田と一緒の書道を選択したから
幸村が美術を選択したと聞いた時はもちろん驚いた。

 「幸村って音楽選択したのかと思った。」

 「何で?」

 「いや、何となく。
  美術なんて面倒臭そうだったし。」

 「何だよ、それ。」

 「だって幸村が静物画とかイメージないし。
  どっちかって言うと抽象画は描きそうだけど?」

 「どういうイメージだよ?」

 「うん? だから絵の具ペタペタ塗りたくって
  遊んでる感じ?」

冗談のつもりで軽口を飛ばしたのに
幸村はあの時かなり不機嫌になったっけ、と
今更ながらに思い出す。

美術室は旧校舎の3階にある。

上履きに履き替えるのも面倒だったから
靴下のまま階段を駆け上がろうとしたら
思いの外滑るので仕方なく一段飛ばしは止めた。

と言っても2階の踊り場ですでに息が上がってしまったけど。

迎えに行くといっても
真田は部活が始まって大体小一時間経ってから
私に幸村を迎えに行かせる。

だからいつもは美術室に行く途中で幸村に出会う。

幸村が丸っきりテニス部を休むつもりはない事くらい
私だって真田だって分かっている。

ただ幸村の性格を知っているだけに
真田は幸村の美術室通いを容認せざるを得ないのだと思う。



でも、今日は美術室に着いても幸村は出て来ない。

こんな事は今までなかったから仕方なく、美術室の扉の前で呼吸を整えながら
恐る恐る少し開いている扉から中を覗けば
そこには幸村以外の人もいて私は咄嗟に声を掛けるのを躊躇った。

キャンバスに向かっている二人の仲睦まじい様子に
なぜか私の身体は硬直していた。


確かあれは美術部副部長のさんだ。

私と違って色白で、肩で波打つ黒髪が印象的。

物静かで、そう例えるならこれぞまさしくヤマトナデシコ、
と確か柳が形容していたようだったけど
本当にそうみたいだ、と納得してしまった私は
なぜだか幸村の楽しそうな横顔の方が目に焼きついてしまった。

さんが幸村の後方からキャンバスを覗き込む姿は
それ自体がまるで一枚の絵のようだ。

私はそっと教室を後にすると
そのまま上がってきた階段の一番上で腰を下ろした。

何となくつまらない、と思った。

でもこのまま手ぶらで帰ったら
真田にまたネチネチと小言を言われてしまう。


私はもう一度、美術室の中の二人の光景を思い出してみた。

選択授業の課題が仕上がらないのかどうかは知らないけれど
もしかすると幸村はあのさんに気があるのかもしれない。

それで日参してるに違いない。

絵を描くなんてさんに会うための口実なのだろう。

そうじゃなかったら幸村がテニスよりそっちを優先するなんて
考えられない・・・。

だけどあの二人が恋人同士だったなんて噂、聞いた事なかったな、
と私は再び考えてみた。

幸村はとても人気があるけれど
今まで好きな人の話さえ聞いた事もなかった。

と言ってもマネージャーだからって
そんな所まで把握してる訳ではないけど。

とにかく幸村にも春が訪れているのだろう。

それはそれで仕方ない事だ。


そこまで考えていたらなんだかバカらしくなって来た。

二人の仲を私が心配する必要なんてまるでない。

真田には何とかはぐらかすとして、やっぱり戻ろう。

どうせ幸村だって部活に全く出ないって訳じゃないんだし。

私が邪魔するのもそれこそ後で幸村に恨まれるのもかなわない。



立ち上がろうとしたら
私の後ろで美術室の扉が開く音がした。



 「なんだ、迎えに来てたんだ。」

階段を下りようとする所へ幸村が声を掛けてきたから、
私はちょっとぎくりとしながらも「まあね。」と気のない返事を返した。

 「そろそろ迎えに来る頃だとは思ってたけど。
  ここまで来たんなら美術室まで来ればいいのに。
  で、何でこんな所に座ってるの?」

 「別に。」

今度こそ勢いをつけて私は立ち上がり
スカートに付いたかもしれない埃を払った。

 「真田が煩いんだよね。」

 「だろうね。」

私が階段を下り始めると幸村も並んで下り始めた。

私は覗うように幸村を見上げた。

 「今日はもういいの?」

 「だって、迎えに来たんだろ?」

 「その事だけどさ、私も色々忙しいんだよね。
  明日からはもう迎えに来ないから真田にちゃんと言っておいてよ。
  私、別に幸村の邪魔する気はないし、
  真田だって話せば分かると思うよ、多分。」

 「真田?
  真田はちゃんと分かってると思うけど?」

幸村の返事に私はため息を付く。

真田は全然幸村の事情、分かってないから私を寄越すんじゃない。

どう言ってやろうかとしばし考えあぐねてたら
幸村はクスリと笑う。

 「ああ、まあ、真田も気が気じゃないのか。」

 「何が?」

 「俺がといるのが気に食わないんだろ?
  あいつ、の事、好きだからね。」

 「えっ?」

これはまさかの三角関係なのか?

幸村は真田の気持ちを知ってて美術室に通ってるのか?

それって真田は失恋という事?

幸村とさんのツーショットをまた思い出して
私は少しだけ真田に同情した。

それはそのまま私の気分にもシンクロした。


 「うん、でもまあ、大体出来上がったから
  明日で終わりにするよ。」

 「明日?」

 「にそんな顔見せられちゃ
  潮時かなって。」

またも静かに笑みを洩らす幸村の顔を
きょとんと見上げてしまう。

私、今、どんな顔をしていたっけ?

 「幸・・・村?」

 「何でさっき、美術室に入って来なかった?」

 「何でって邪魔かなって。」

幸村は機嫌が良さそうだったから
私は何となく素直にそう答えた。

 「何の邪魔?」

えっ、それを聞くかな?と口篭ると
幸村は階段を下りる足を止めた。

 「俺の絵、見たいって思わなかった?」

矢継ぎ早の質問攻めに私の頭は付いて行かない。

上履きを履いてないからつま先がひんやりする。

そう言えば幸村は何を描いているのか私は知らない。

幸村が絵が好きだなんて知らなかったから
どんな絵を描くのか知りたいと思う気も起こらないくらい
遠い話だったように思う。

あんな風に、
そうだ、さんのように
何のてらいもなく幸村の絵を覗き込む機会は
自分には与えられてない様に思えたんだ。

テニスをしている幸村は知っていたから
絵を描く幸村は知らなくてもいいと思い込もうとしていたんだ。

 「3年になったらとは同じクラスになれるかな、
  って思ってた。」

幸村が真っ直ぐに私に視線を合わせてくるから
何となく居心地が悪い。

そう言えばこの3年間、幸村とは
同じクラスになれないどころか、隣のクラスになった事もない。

放課後部活で顔を会わせて初めて
今日も学校に来てたんだ、とお互いの存在を知るくらい
普段幸村とすれ違うこともない。

近くて遠い幸村との距離は
部活と言う特殊な時間枠の中でだけしか
縮まらないのだろうと受け止めていて、
だから幸村のように同じクラスになりたいという
そんな願望は叶わなかった時の落胆を思えばこそ
自分には不必要なものだとわきまえていた。

同じクラスになれなかった事は偶然の産物だけど
幸村の近くにいない事を
影でほっとしていたなんてまさか本人には言えない。


 「部活以外でのの事、
  俺、結構知らないんだよな。
  それと同じくらいは俺の事知らないし。」

 「えっ?
  でもそんなもんじゃない、普通。
  クラス違うんだし。」

何しろ立海大は広すぎるのだ。

だから私の返答はまともだと思うのに
幸村は顎に指を当ててうーんと唸った。

 「それって、俺に興味ないとしか思えない発言だね?」

 「そ、そんな事ないけど。」

 「じゃあ、興味持ってくれる?」

それってさんとの仲を聞いて欲しいという事だろうか?

でもこの期に及んでもそういう類の話は振りたくない。

 「えっと、それは何の絵を描いてるのか
  聞いて欲しいって事?」

 「まあ、それでもいいけど。」

幸村がまた階段を下り始めるから
私も仕方なくそれに倣うのに
幸村はなかなか絵の話の続きをしない。

幸村の柔らかそうな髪が
階段を下りていくのに従いふわりと動く。

つかみどころのない幸村との会話は
本当に分かりづらい。

昇降口に着いて自分のクラスの靴箱の方に消えた幸村に向かって
私は思わず叫んでいた。

 「ねえ、幸村。
  私にどうして欲しいの?
  幸村の考えてる事って私には全然分からないよ。」

 「俺の考えてる事?」

靴を履き替えてるらしい幸村は大きな声で返してきた。

何も靴箱を挟んで会話するような事でもないのに。

私は急いで自分の靴の置いてある所に行くと
靴を履く間も惜しむ感じで慌てて幸村を探した。

何だか今、ちゃんと聞かねば
もう教えてくれないような気がした。

 「幸村?」

 「俺の事は明日、俺の絵を見てくれれば分かるよ。
  俺の思いはそこにあるから。」

 「何があるって?」

 「それより、もちゃんと教えてよね。」

 「だから何の事?」

 「が俺にだけ冷たい理由。」


私はもうそれ以上幸村と話ができなかった。

さっさとコートに向かっていく幸村の背中を
ぼんやりと見送りながら体中の力が抜けていくのを感じた。


冷たくしてる訳じゃない。

そんなつもりじゃない。

普通にみんなと同じに接しているつもりではいた。

でも柳や真田といる時のように
同じリラックスモードで幸村に笑いかける事はできなかった。

幸村のプレイスタイルに惹かれながらも
それは一種の憧憬に過ぎないといつも幸村には一線を引いていた。

柳たちを見る目と同じ目で見れないならば
私は目を瞑るしかなかったからだ。









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2010.4.16.