スイートクリスマス
寒いのは苦手だ。
指の先がすぐにかじかむし、
小さく縮こまって歩くから
登校するだけで肩も凝ってしまう。
だから昇降口に着くとほっとする。
自分の靴箱のある方に回り込もうと思ったら
その反対側に背をもたせかけて
人待ち風の同級生がいるのが見えた。
校内でも有名な人だからそのウェーブのかかった髪で
顔が隠れていてもすぐに彼だと分かってしまう。
とても人気のある人だからたった一人で
どうしてこの時間彼がそこにいるのか理解に苦しむ。
でもまさか声なんて掛けられないし。
ちょっとドキドキしながらも
気にしないように少し俯き加減で自分の靴箱の前に立った。
何だか上履きを履き替えるという日常行為を見られるだけで
恥ずかしいと思うのはどうしてだろう。
だから不意に彼の声が昇降口に響いてきた時には
自分の他に誰がいるのだろうかと聞き耳を立ててしまった。
「今日は特に寒いね?」
でもちょっと遅れて来たこの時間、周りには誰もいない。
まさか独り言?
そんな訳もないかと恐る恐る振り返ればニッコリと微笑まれた。
「おはよう、。」
「お、おはよう、幸村君?」
あれ?っと思った。
聞き間違いじゃなければ、目の前の幸村君は
私の事を呼び捨てにした。
いつからだっけ?
昨日も同じクラスの丸井君の所に来ていたけど
昨日は呼び捨てにされただろうか?とふと考え込んでしまった。
「さぁ。」
考え込みながら靴箱の蓋を閉めていつものように階段の方へと歩き出したら
幸村君はまるで当たり前のようにすっと私の横に並んで来た。
「えっ?」
「クリスマスっていつもどうしてるの?」
どうしていきなりそんな話題になるのか不思議だったけど
昨日そう言えば丸井君たちがクリスマスの話題で盛り上がっていた事を思い出した。
「べ、別に普通・・・だと思うけど。」
「普通?」
「えと、クリスマスには家族とプレゼント交換したり
ケーキ食べたりするだけだけど。」
何もしない訳じゃないけど、ごく一般的だと思うから
そんな期待されるような目で見られても答えようがない。
「そっかぁ。」
「ゆ、幸村君ちはクリスマス、家族でやらないの?」
「え、やるよ。
やらないと妹が五月蠅いからね。」
幸村君はクスリと笑った。
五月蠅いなんて言いながら楽しそうな幸村君を見ると
きっと優しいお兄ちゃんをやっているのだろうと安易に想像つく。
「じゃあさ、クリスマスイブは空いてる?」
「えっ?」
唐突な質問に階段の踊り場ではたと足が止まってしまった。
私が止まれば幸村君も止まる。
そうして私の思考回路も止まる。
「ちょっとしたメンバーでクリスマス会をやろうと思ってるんだけど
も参加してくれないかな、って思って。」
私はまじまじと幸村君を見上げてしまった。
まさか幸村君直々にお誘いされるなんて思わなかったからびっくりだ。
どうかな?なんてお願いポーズの幸村君をこんな間近で見てしまったら
だめなんて言える女の子がいるだろうか?
「わ、私?」
「うん。」
「な、何で?」
いちいちどもってしまう私の心臓はドキドキしだして五月蠅くて敵わない。
別に告白されてる訳じゃないんだからと思っても
その次位に嬉しい事には違いない。
でも何で自分が誘われるのか、さっぱり分からない。
「それがさ、持ち寄りのクリスマス会にするつもりなんだけど、
のケーキは最高だから絶対誘ってくれって丸井に頼まれたんだ。」
ケーキ=丸井君の連想はすんなり合点が行く。
丸井君は滅法甘いものに弱い。
そしてその情報力は甘いものに関しては柳君以上で
女子の誰が料理が上手で美味しいかと言う、プロ級の舌を持っている。
ケーキやクッキーを作るのが好きな私にとって
丸井君はちょっとした味見の指南役で
時々彼に食べてもらってはその批評を楽しみにしていたりもする。
だけどその繋がりなら丸井君自身が誘ってくれた方が納得がいくのになと思った。
「あの、ケーキ作るのは好きだから別にいいけど・・・。」
「いいけど?」
「えっと、何時までに作ればいいかな?
丸井君が取りに来てくれるのかな、とか。」
ケーキを作るのは嫌じゃない。
むしろ幸村君も食べてくれるなら張り切ってしまう。
どこでやるのかは分からないけど、当日の朝に作れば間に合うだろう、
と思って聞いてみたのに、なぜか幸村君は真顔になってる。
と言うより少し不機嫌?
「ケーキ目当ては丸井だけど、
俺はを誘ってるつもりなんだけど?」
「ええっ?」
「ケーキ作ってもらうのにを招待しないなんて、
そんな酷い事を言うと思ってる?」
「う、ううん。」
それはそうだけど、でも本当に私が行ってもいいのだろうか?
そんな不安が拭いきれなくて俯いたら頭の上で小さくため息をつかれた。
「俺の言い方が悪かったかな?」
「あっ、ううん・・・。」
「じゃあ決まり。
詳しい事はまた後で相談するから。」
「えっ?」
予鈴のチャイムに急ごうか?と急かされ
私と幸村君は小走りに階段を上がりきった。
幸村君と途中で別れ、息せき切って自分の教室に飛び込めば
丸井君が待っていたかのようにこちらを向いてきた。
「おう、幸村に会ったか?」
「えっ?」
「いたんだろぃ?」
「あっ、うん。も、もう、びっくりだったよ!」
マフラーを外しながら私が答えると丸井君は
私の困った顔を見ながら可笑しそうに笑った。
「酷いよ、丸井君。
ケーキ食べたいなら直接言ってくれればいいのに。」
「いや、ケーキつったらしか考えられねーし。
って、幸村、何て言ってたんだよ?」
「何?」
「ちゃんと誘われたんだろぃ?」
そんな事言われたら私はどうリアクションしていいか分からない。
分からないけど顔は熱くなってくる。
「いいのかな?」
「いいって、何だよ?」
「だって私なんかが行っても・・・。」
「幸村が誘ったんだろ?
ならいいんじゃねぇ?」
丸井君は人ごとのようにあっさりと言う。
「だって、テニス部の集まりなんでしょ?」
「テニス部つったって俺たちだけだし。」
俺たちだけだし、なんて簡単に言うけど私にとっては敷居が高すぎる。
丸井君繋がりで他のテニス部メンバーとも顔見知りとは言え
だからと言ってクリスマスに呼ばれる程親しい訳でもないのに。
まして幸村君に誘われたからと言ってそれを真に受けるのもどうかと思う。
丸井君に誘われたのならまだ分かる。
丸井君はぶっきら棒で素っ気無い所もあるけれど
意外に気配り上手な所があるから
自分が誘った子が肩身の狭い思いをしないように
あれこれ構ってくれるのではないかと容易く想像できる。
でも幸村君にはそんな想像ができない。
って、期待する方が可笑しいのだろうけど。
そんなもやもや感が顔に出てしまっていたのか
丸井君は苦笑いを浮かべている。
「そんなに心配するような事じゃねぇと思うけどな。
もっと軽い気持ちで来ればいいんじゃね?」
「そう言われても。」
「クリスマスつったらケーキだろぃ?
ケーキがなきゃ始まらないだろ?」
畳み掛けるように丸井君にケーキを所望されれば嫌とも言えない。
私がため息をつきながら自席に座ると
丸井君の頑張れよと言う小さなエールが耳に入って来た。
結局その日の授業は全然頭に入らなかった。
ノートの端には頼まれたケーキのデザインがいくつも落書きとなって増えた。
考えあぐねて丸井君に相談しようとするのだけど
なぜだかのらりくらりとはぐらかされる。
こういうケーキが食べたいと言ってくれれば楽なのに
どうしてだか今回は丸井君は言葉を濁す。
仕方なく帰りに本屋にでも寄って
クリスマスに喜ばれるケーキ特集でもないか探すしかないかな、
と思った所へ幸村君に呼び止められた。
「当日の事なんだけど・・・。」
私は思わず振り返って丸井君の姿を探したけど
すでに丸井君の姿はなかった。
仕方なく幸村君の方に向き直れば
一緒に帰らない?と笑みが返って来る。
私は慌てて鞄を持つとマフラーで顔を半分隠すように巻いた。
こんな有名人と並んで帰るなんてそれこそ初めての経験で
とても堂々と歩けたものではない。
それなのに幸村君はと言えば、
こっちが面映い気持ちでいる事なんて微塵も思わないのか、
いつもより饒舌な感じで話しかけてくる。
私はコートの下でドキドキする気持ちを一生懸命抑えてると言うのに
会話の端々で呼び捨ての名前が登場するたびに顔が熱くなってしまう。
「で、思ったんだけど、
ケーキはうちで作ってくれないかな?」
「えっ、何て?」
「材料は俺が用意しておくからさ。
は少し早めに来てケーキ作ってよ?」
「うちって、幸村君ち?」
目を合わせるつもりはなかったのに
突拍子もない話に思わず幸村君を見上げてしまった。
幸村君は満面の笑みだ。
それなのにその一瞬後にちょっと眉根を寄せて
だめかな?なんて私の心の奥を見透かすように覗き込まれては
だめなんてとてもじゃないけど言えなくなる。
全く幸村君という人には驚かされてばかりだ。
「結局、クリスマス会は俺のうちでやる事になったんだ。
午前中に作っちゃえばのうちから運ぶ手間がなくなるだろ?」
運ぶ手間はなくなるかもしれないけど
まさか幸村君の家のキッチンを借りる事になるなんて
それはそれで緊張してしまう。
「でも・・・。」
「大丈夫。
俺んち、結構道具は揃ってるし、俺も手伝いたいしさ。」
どうしよう?
手伝うなんて言われたらますます困ってしまう。
幸村君のうちっていうだけでも初めての事なのに、
幸村君と一緒にケーキを作るだなんて
そんな夢のような事が普通起こり得る訳がない。
私が言葉に詰まっていると、幸村君の後方から
幸村君を呼んでいる声がした。
「先輩! 幸村先輩!」
見れば、2年の切原君が走って来るのが見えて
幸村君は明らかに面倒臭げに振り返っていた。
「何、赤也?」
「えっ、先輩、帰るところッスか?」
「見て分かるだろ?」
ちょっと不機嫌になってる幸村君の顔を見て
切原君がおっかなびっくりの格好で私の方を見遣るから
私はどうぞと先を促すように目配せをした。
「ああ、そうッスよね?
いや、ほんと申し訳ないんスけど。」
「だから何?」
「あの、冬休み中の練習申請の件なんスけど。」
「それなら柳に頼んだんじゃなかったっけ?」
「いや、それがうっかり締め切りを過ぎちゃって、
許可証出してもらうのに前部長のサインを貰って来いって
顧問の先生に言われちゃいまして・・・。」
「何やってんの?」
「すんません。」
「わかった、じゃあ、ここで書くから。」
「いや、それが用紙は部室にあって・・・。」
ぺこぺこと頭を下げる後輩君に幸村君は思いっきりため息をついていた。
「、待っててくれる?」
「えっ、あ、でも・・・。」
私が余りにも困った表情を見せてしまったから
幸村君は仕方ない、と思ったみたいだった。
「そうだね、寒いのに待たせちゃ悪いよね?」
「うわっ、マジですいません!!」
「ま、赤也には後で責任取ってもらうとして、
は先に帰っていいよ?
後で電話するから。」
「電話?」
「じゃあ、気をつけて帰ってね?」
恐縮しまくってる後輩を連れて幸村君は元来た道を引き返す。
私は幸村君の後姿を見ながらほっとしながらも
電話が来ると言う新たな緊張に複雑だった。
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