秘密の恋人 3








一大決心をして、無遠慮に大きな音をさせながらドアを開けたら
明るい光の中にいつも追いかけていた幸村の大きな背中が見えた。


意外に逞しい幸村の背の向こうにがいるのだろうと
普段見る部長とマネージャーというありふれた位置関係に
ほっと安堵したい気持ちがあった。

けれどそう思いたかったのは自分の幻想で
実際目に入った光景は幸村が覆いかぶさるようにしてを抱きしめ
の存在など無視したかのようにを求める姿だった。

 「俺の言いたいこと、わかるよね?」

 「せ…い…ち…、んっ…。」


喘ぐように小さく漏れ聞こえるの声には全身の血の気が引いた。


今まで一度たりとて二人のそんな素振りを見せ付けられた事がなかったから
そのの艶っぽい声といい、幸村の背中から漂う男の色香といい、
見てはいけないものを見ているようで、
けれど初めて見る他人のキスの光景には声を失っていた。

それは大好物の生肉にむしゃぶりつく狼のようだと思った。

テレビドラマや映画のキスシーンはとてもきれいだと思ったけど
今目の前の二人のキスを見ることはにとって言いようのない苦痛だった。


こんな事ってあるだろうか?

こんな幸村を自分は知らないと思った。

幸村の事は凄く好きだったけど
たとえば幸村の彼女になったとしてもこんな濃厚なキスを受け入れることも、
ましてやその先の事を想像するなんてことは実際的にはの中にはなかった。

自分の幼稚さ加減に気づくと同時に
不動の二人の関係に自分が割り込もうとしていた事に
今更ながら恥ずかしくなってきた。

自分はよりも幸村に好かれていたと思っていたのに
は幸村に似合わないなどと勝手に自己満足していたけれど、
実は幸村に似合わないのはの方で、今まで二人にどんな風に思われていたのだろう
ふとそう思ってしまったらもうここにはいられないと言う羞恥心しか残らなかった。




は思わず部室から逃げ出した。






    ********





幸村の体を押し戻すようにしては開け放たれたままのドアを確認した。



 「…精市、あなた、わかっててやったわね?」

 「俺はいつも本能の赴くままにキスしたいだけ。」

 「そうやって、…私に言わせたいのね?」

 「言ってくれる?」

幸村は全く急ぐ素振りも見せずにの頬にかかる髪をすくい上げた。

 「…わかったから。
  だからさんを引き止めてあげて?」

 「…。」

 「何?」

 「愛してる。」

幸村はもう一度優しいキスをの唇に落とすと
の出て行ったドアから走り出した。







     ********






息が苦しい。

転びそうになりながらいくらか夕闇が濃くなって来た正門までの並木道を
は休むことなく走り続けた。

走って走って、そのまま現実逃避できたらどんなにいいだろう。

そんな風に思っても走り続けたいという気持ちとは関係なく、
足は段々速度が落ち、息が上がってとうとう止まってしまった。

それでも早く学校から抜け出したくて
は動かない足元を見つめながら歩き出した。




 「ちゃん!」

幸村の足音がしたと思った時には、もうすでに右手を掴まれていた。


 「着替え、終わっていたんだ。
  ごめん、気づかなくて。」


幸村の声は普通と変わらなかった。


 「じゃあ、そこまで一緒に帰ろうか?」

 「…あ、あの、幸村先輩?」

 「何?」

 「…。」

 「聞きたい?」


言うべき言葉が見つからなかった。

というより、肩で息をついているには
まだ気持ちの整理も付いてなかった。


 「は俺の彼女。」

 「…。」

 「まあ、仕方ないよね。
  部活中にべたべたするの、真田が凄く嫌がるからね。
  最も秘密にしたいって思ってた訳じゃないんだけど。
  みんな知ってることだし…。
  って、ちゃんには秘密にしてた事になるのか。」


唐突にあっけらかんと話す幸村はクスリと笑みをこぼす。

独り占めしていた幸村がすでに誰かの彼氏だった事がショックだったのか、
優しくて甘えたいだけ甘えさせてくれてた人が実はとんでもない男だったのが悲しいのか、
は幸村の横顔から視線を繋がれたままの自分の手に移した。

大きくて暖かいその手はなぜの手を包んでるのか不思議だった。


 「ちゃん、俺のこと、好き?」

 「えっ?」

突然の言葉にはビクリと体を震わす。

 「俺はちゃんの事、好きだよ?
  気に入ってるし、可愛いと思う。」

人が幸村の言動に振りまわされっぱなしだというのに
この先輩はの気持ちなどお構いなしにさらりととんでもない事を言う。

これがさっきの場面に出くわさないままのなら
素直に嬉しいと思ったかもしれない。


 「わ、私は…、わからなくなりました。」

 
俯いたまま小さな声で返事をしたら幸村はぎゅっと手を握り締めてくれた。


 「うん、そういう正直なところ、好きだよ。」

 「それ、…慰めてるんですか?」

 「どうして?」

 「私、幸村先輩の事、全然わからないです。
  初めて出会った時から優しくしてくれて
  会うのが楽しみで傍に居たくてテニス部に入って…。
  私、…幸村先輩が好きでマネになったんです。
  それなのに…。」

 「酷い男だと思った?」


後で冷静に考えれば全くもって酷い男だと思うべき所だったのに、
いつも通りの優しい声であの甘いマスクで
少し拗ねたように問い直されればそうだとも言えなくなってしまう。


 「…先輩、先輩のことはいいんですか?」

 「なんで?」

 「だって…。」


本当に幸村がわからない。

さっきまで深い口付けを交わしていた彼女は部室に置き去りで
なんで自分と手を繋いで歩いているのか理解できない。

が本命なら自分は愛人なのだろうか、などと馬鹿な考えが頭に浮かんだ。


 「そうだな、は俺が何やらかしても
  俺の事を酷い男だとは思わないだろうね。」


ああ、なんか物凄いのろけを聞かされた気がする。

そうしたらやっと涙がじわじわと溢れてきた。


 「幸村先輩、…もういいです。
  私、一人で舞い上がってて馬鹿みたいですよね。
  だから、なんか、もう…。」

 「ちょっと待って。」



幸村はの顔を覗き込むと真面目な声でを制した。


 「辞めるなんて言わせないよ?」

 「でも…。」

 「君はもうテニス部になくてはならないマネージャーだよ。
  がいなくなる今、君がいないと全国大会まで俺たちが困るんだけど。」

 「えっ?」

 「やっとね、がマネを辞めるって言ってくれたんだ。」

 「先輩が…?」

 「そう。
  君が不純な動機でテニス部に入ったっていうんなら俺も同罪。
  のために君を勧誘したんだ。
  だから、この手は離さない。
  が…君を必要としてる。」


もちろん、俺もだけどね、と幸村は繋いでない方の指先で
の頬に溢れた涙をふき取る。

そんな仕草も憎らしいほどかっこよくて
実際はもう完璧に失恋しているというのに
そうじゃないようにも思えてくる。


 「私…、先輩に必要なんですね?」


しゃくり上げながらそう聞いたら幸村は
くしゃりとの頭を撫でて額にそっとキスをしてくれた。











Next


Back