秘密の恋人 4
「でさ、なんで先輩たちのチョコの方が微妙に大きいんだよ?」
「つうか、引退した先輩たちにチョコはいらないだろ?」
新部長として風格はまだまだ幸村には劣るけれども
初めて会った時より数段背が伸びた切原は
部室の机の上に並んだチョコを手に取りながら訝しげに呟いていた。
あれからもう半年以上の時間が過ぎた。
幸村に必要だと言われてあのままはテニス部のマネを続けている。
幸村が公言した通り立海大テニス部は全国3連覇を成し遂げ
3年生は今はもう引退して切原たち2年生主体の部活に姿を変えた。
淋しいという感情は根強く残ってはいるが
マネ業を一人でこなすのは本当に大変で
なんだか息つく暇もないくらいあっという間だったような気がする。
結局は関東大会直前に、本当に潔くマネージャーの座をに明け渡した。
そしてまるで別人のようにラケットを取ると生き生きとコートに戻って行った。
後から柳先輩に、肘を痛めてそのリハビリの間、男子テニス部のマネージャーをしていたが
なかなか現役に復帰しないことを幸村が心配していたと聞いた。
一番近い距離で毎日いることにお互いが甘えてしまったのだと…。
幸村がコートの中のに恋をしたと言った言葉が印象的だった様に
が目にしたのテニスは同性が見ても惚れ惚れするくらいきれいで強かった。
それはもう納得という言葉では言い表せない位しっくりと心に収まってはいたけど、
幸村の事は今でも見かけるたび胸の奥が少しだけキュンとなる。
「なあ、なあ、これ、数が違うんじゃねーか?
ひとつ多いぜ?」
切原は別の袋に入ってるチョコの包みを見つけてに差し出した。
「ちょ、ちょっと、切原先輩!
勝手に見ないでください!」
「これ、本命チョコだったりして?」
焦るの伸ばした手をするりとかわすと
切原は怒ったように赤くなったをまじまじと凝視してきた。
「…まじかよ?
つうか、お前さー。
いい加減幸村先輩の事は諦めたら?」
「えっ?」
「が幸村先輩の事好きなのは知ってたけどよ。
お前も知ってるじゃん。
先輩が留学しちゃうって話。
そんで幸村先輩がすっげー凹んでたのをさ。」
引退した3年生たちはそれでも時々はテニス部に顔を出していた。
幸村も後輩指導に余念がなかったけど
気が付けばコートをぼんやり眺めている幸村の背中をもたびたび見ていた。
それでも幸村がに積極的に留学を進めたと知ったのはつい最近の事だった。
「でもよ、そんでも幸村先輩の心の中には一人しかいねーしよ。
どうしたって先輩には…。」
「そんなの、言われなくてもわかってます。」
「本当にわかってるか??
そりゃあ幸村先輩は何かとの事、気にかけてくれるだろうけど…。
お前が一生懸命頑張ってるのを見てたのは
何も幸村先輩だけじゃねーんだぜ?
そりゃなぁ、俺なんかまだまだ幸村先輩には勝てねーけどよ、
俺だって、俺だってなー…。」
なぜかムキになってつっかかってくる切原は
いつもみたいにお調子者の感じは全くなくて
そんな切原にの方が逆に慌ててしまう。
「あ、あの…切原先輩?」
「あー、もー、俺はいつになったらあの怪物を乗り越えられるんだよぉ?」
「何? 痴話げんかの真っ最中だったりする?
なーんて、バレンタインにそれはないか?」
切原が大声を出したのと、
クスリと笑いながら突然部室に入ってきた幸村はほぼ同時だった。
切原が一瞬で飛び上がる様には思わず苦笑してしまった。
「へー、赤也も随分偉くなったものだね?
部室を私用で使ってるのかな?」
「えっ、いや、あの、俺、まだ何も…。」
しどろもどろになる切原は相変わらず幸村には頭が上がらないらしい。
手に持ってる可愛い包みに幸村の視線が注がれると
切原は顔を真っ赤にしながらそれを机の上に投げ出す。
「ふーん、これからなんだ?」
「やっ、な、何のことっすかね。」
「とぼけたってだめだよ?
何ならちゃんに聞くけど?」
それまでただの部室だった室内が
幸村がいるだけでかつての主を喜ぶかのように
がらりと雰囲気が変わるのを切原はため息をつく思いだった。
所詮、この人には勝てない気がする、そう思うだけで
なんとなく背中が縮こまる…。
「幸村先輩、これ、私からです。」
やにわには切原が机の上に落とした包みを手にすると
幸村の方に差し出した。
それを見た幸村は同じように並んでる大きなハート型のチョコに手を伸ばした。
驚いて大きな瞳で幸村を見上げるに
幸村は嬉しそうに微笑み返す。
「うわぁ、とてつもなく大きい義理チョコだねぇ。」
「せ、先輩、そういう言い方はないんじゃ…?」
口を挟む切原に幸村は少しだけきつい視線を送る。
「俺、以外から本命チョコ、受け取る気はないんだけど?」
「…そ、そうっすよね?」
「だからこっちをもらうよ?
でも、チョコは今日初めてもらったな。」
柔らかく微笑む幸村を見てしまったら
やっぱり抑えることなんてできなくて
は小さな包みを胸に抱きしめると思いつめたように幸村を見上げた。
「先輩…、私やっぱり先輩の事、好き…です。」
「ちゃん?」
「マネージャー業、必死で頑張ってきたのも
やっぱり先輩が好きだからで…。
先輩が先輩の事、好きだってわかってるのに…。
でも、でも、やっぱりこっちを貰って欲しくて…。
だめ…ですか?」
切原がはっと息を呑む音が聞こえ、
幸村の口元から笑みが消えた。
「うーん、ちゃんの事は好きだけどね。」
「私、諦めきれないんです…////」
「じゃあ、キスしようか?」
唐突に幸村は冷ややかに答える。
そして幸村の左手がの後頭部に伸ばされるや
幸村はその長身の体を屈め、に覆いかぶさるように顔を近づけてきた。
の脳裏にあの時の幸村との姿が思い出され、
は思わず恐怖におののく小動物のように小さく震えた。
「ゆ、幸村先輩、何やってるんすか!?」
掴みかかりそうになる切原を寸での所でかわす幸村には
初めからその気はなさそうだった。
「ちゃん、わかっただろう?
キスはね、本当に好きな人となら怖いなんて思わないよ?」
「…。」
「その気持ちはね、憧れなんだと思うよ。
今はまだそういう気持ちはわからないかもしれないけど、
毎日キスしたくなるくらい好きな人がちゃんにもきっとできるから。」
幸村はそう言うと切原の方に視線を移した。
「赤也も苦労しそうだね?」
「うっ…。」
「当分手も握らせてもらえないかも。」
クスッと笑う目が意地悪く光ってる。
切原はげんなりと肩を落とすも、
俯いてるの方を心配げに見つめた。
いつか、毎日キスしたくなるくらい
俺に夢中にさせてみせる、そう言いたかったけど
の気持ちを思うと今日は何も言えないと口元を引き締めるしかなかった。
「ああ、そうだ、赤也。
春になったら俺も留学することにしたんだ。
だから当分はこっちには顔を出せないから…。
ま、弦一郎や蓮二がおせっかい焼きに来ると思うから
ちゃんと1年生を勧誘するんだよ。」
「えっ? りゅ、留学って?」
「だからさ、毎日キスしたくなる恋人と
俺は一日も離れて暮らせないからさ。」
あっけらかんと言い放つ幸村は
来た時と同じようにいつの間にか部室を出て行ってしまった。
黙り込むと二人、残された切原は探るようにに声をかけた。
「全く、あの先輩ってほんと空気読めない先輩だよな。」
「…。」
「言いたいこと言ってさ…。
なあ、、泣くなよ?」
「な、泣いてなんか…いません。」
「そんならいいけどよ。
なんなら胸貸そうか?
それともタオル、貸してやろうか?」
優しい切原の言葉に、はやっとくすぶっていた気持ちに火が付いたように
激しく泣き出し、1年間の片思いに終止符を打つごとく
しばらくの間、切原を困らせたのだった。
********
「ああ、。」
「精市?」
「今日、久々に男テニコートで試合しないか?」
「してもいいけど。」
「俺が勝ったら俺んちに泊りね?」
「全く、酷い賭けね。」
「俺に勝ちたいんなら打ち返せない球を打ってよ。」
口元をへの字に曲げるの顔が可愛くて思わずその唇にキスを落とす。
はそんな恋人に黙って手の中の包みを差し出した。
「これ、のチョコ?」
「ご要望通り、精市が絶対打ち返せない球よ?
どうする?」
含み笑いするに幸村は驚きつつ、包みを開け出す。
そこにはテニスボールを型どったチョコが現れた。
「ああ、ほんとだ。
こんなストレート、打ち返せないな、一生。」
「じゃあ、私の勝ちね?」
「だめだよ、。
これでタイブレークにもつれ込んだんだから…。」
幸村はそう言うとをその手で抱きしめていた。
こんなところで、と文句を言うに、
だから秘密にしてるつもりは全然ないんだから、と幸村は囁いた。
The end
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☆あとがき☆
ダブルヒロインで書き進めてしまったので
ほんと最後はどうしようかと悩んでしまいました。
いや、もちろん、幸村の彼女は一人ですけどね。
もう、彼女まっしぐらっていうのがいいです。
翌日朝練あるのに彼女に無理させちゃう程
彼女が好きで好きでたまらない、っていうのがツボです。
バレンタインものなのにこんなにUPが遅くなってすみません。
待たせた分期待が大きくなって肩透かししちゃうだろうな、
と、それが怖いです…。
2008.2.22.