秘密の恋人 2







3年の先輩マネはという人だった。

先輩を初めて見た時に、仁王先輩が落ち込むなよ、と言った言葉を反芻した。

その人はとてもきれいで素敵な先輩だった。

長い髪を無造作に束ねて、腕まくりしながらあちこち飛び回る様は
ただのマネージャー業なのに、なんだか別の仕事をしているかのように優雅で品があって、
とても運動部の、むさくるしい男子テニス部の縁の下の力持ちとは思えない。

そう、控えめなくせに惹きつけられるような香りを持った花、と例えればいいのか、
とにかく不思議な存在感を持っている人だった。

優しくて、よく気がついて几帳面で、
それなのに押し付けがましくなくて、さりげなく何でもこなしてしまう人。

難があるとすればあまり自分からは話しかけて来ないタイプ。

下手をすれば黙々と仕事をこなしていて、いつの間にかふいと姿を消してしまうような。


そんな先輩だから言わずと知れず、
部の中では誰からも愛されてるような人だった。




でも、とは思う。

先輩は幸村先輩には似合わない、と思ってしまった。


確かに幸村先輩は先輩に絶大の信頼を寄せてるとはすぐにわかったけれど、
暗いとは言わないまでも先輩のような無口な人では快活な幸村先輩には
とてもじゃないけど退屈なのではないかと思うほど。

それは単にに人一倍負けず嫌いな性分が元々あったためと
周りを冷静に見る余裕が無いくらい幸村に傾倒していたため、
に対する判断は自分の都合のいいように歪曲されてしまっていたのだろう。


マネージャーとして入部してから幸村は事あるごとににいろいろな事を頼んでくる。

それは些細な事だったのに、幸村が自分の方を選んでくれてるんだと
そのひとつひとつにはますます変に自信を持つようになっていった。




そんな先輩はある時、ごめんね、と言ってきた。



 「さん、ごめんね。」

 「先輩?」

 「いろいろ悪いと思ってるんだ…。」

 「えっ、な、何がですか!?
  先輩は何も悪くはないですよね?」

 「んーん。入ったばかりなのに幸村は大変な仕事ばかりさんに頼むでしょ?
  なんだか申し訳なくって…。」


それは新入りだから仕方ないと思っていた。

だけど、休み明けとか週末明けに先輩は体調の優れない事が多かった。

そしてそういう日は決まって幸村は先輩に何もさせようとしなくて、
重いものを運ぶ仕事なんかはすべてに回ってきていた。

それでも、それはそれで嬉しかった。

経験の浅さはまだまだ埋められないけど
幸村がよりも自分を頼ってくれてる事が嬉しくて、
それはそのまま優越感に浸れる瞬間だったのだ。




 「大丈夫です。
  私、体力には自信があるし…。」

 「そ、そう?」

 「はい。夏までにはいろいろ覚えて
  先輩がいなくても全然大丈夫なくらい、
  私、やれる自信がありますから。」


ちょっと意地悪な言い方だったかな、とも思ったけどいずれは引退するんだし、
先輩のできない事をやれば自分の存在感は嫌でも目に付いてくる、
の心の中には少しずつを追い出したい気持ちと
幸村に好かれたいという気持ちが膨らんできていた。











 「ちゃん、張り切ってるね?」

ボールの入ったかごを一人で運んでると不意に幸村がくしゃりとの頭を撫でる。

 「幸村先輩!」

 「ふふっ、ほんとに体動かすの好きなんだね?」

 「へへっ、もう何でも頼んでくださいね?
  幸村先輩のためなら何でもできますから!」

 「それは頼もしいな。
  俺もちゃんの頼みなら何でも聞いてあげるよ?」


見上げればランニングを終えたばかりの幸村は
それでも息ひとつ乱れてる風でもなくにっこりと微笑んでる。

は頬を赤らめながらも臆することなく
それまで密かに暖めていた思いを幸村に打ち明けた。


 「あっ、じゃあ、じゃあ。」

 「うん? 何かな?」

 「幸村先輩、私にテニスを教えてくれませんか?」

 「テニス?」

 「ええ!! 私、幸村先輩とテニスができるようになれば
  もっと楽しいかなって思ってて…////
  体育の授業で少しはやったけどもっと上手くなりたいし。
  あの、もちろん練習の邪魔はしませんから
  先輩が疲れてなかったら毎日少しずつでも…。」

 「俺でいいの?」

 「幸村先輩がいいんです!」

 「ふふっ、ほんとに君は可愛いなあ。
  そんな風にお願いされたら嫌とは言えない雰囲気だね。」


やったぁとほくそえむは、幸村が立ち去った後に
ゆっくりと近づいてくる柳とに気が付いて彼らの方に向き直った。


 「そう言えば先輩って、テニス、できるんですか?」


無邪気に笑いかける顔とは裏腹には完全に冷めた心持ちでを一瞥した。

ここ数ヶ月では、テニス部のマネのくせに…とどこかでの事をばかにしていた。

テニスのルールは柳並みに詳しいくせに
が丸井たちにのせられてラケッティングに挑戦した時も
が冗談でもラケットを持つことをしなかったからだ。


 「私、やっぱりただのマネでも少しぐらいテニスできるようになりたいし、
  その方が絶対いいと思うんですよね。
  今、幸村先輩にお願いしたら教えてくれるって言われたんです。」

 「そう…。」


先輩は少しだけ傷ついたように見えた。

それはの心をくすぐった。


 「幸村先輩に教えてもらったらすぐに上手くなりそうで、
  もうすごく楽しみです!!
  そうだ、幸村先輩といつかミクスドやりたいなぁ。」


柳先輩が少し怖い顔をしていたけれど
柳先輩は先輩と仲良くしてればいいんだわ、
私は幸村先輩とだけ仲良くなりたいんだから、と
の曇った表情に勝ち誇った笑みを向けては幸村の後を追った。





の後姿を柳はため息を付きながら見送った。

 「いいのか、あんな風に言われて。」

 「別に…。テニスできないのはほんとのことだし。」

 「できない、ではなくて、しないだけだろ?」

は眉根を寄せてゆっくりと答えた。

 「少し違うわ。」

 「それでも…、幸村は少しを甘やかしすぎだろう?」

 「それも違うわ、柳。
  甘やかされてるのは私の方だわ。」

はぎゅっと唇をかみ締めると小さくなっていく幸村の背中を見つめていた。






それからというもの、コートではたびたび幸村との二人が
楽しそうにテニスをしている姿を見ることが多くなった。

は有頂天だった。

幸村を独り占めにしてる自分。

そして幸村に大事にされてる自分。

それを遠くからが見ているのを感じると、は申し分なく勝ち誇った気分になれた。







その日も練習後に幸村に付き合ってもらった
女子更衣室から着替えて戻ると、ふと部室の前で固まってしまった。

中にいるはずの幸村の声ともう一人、それはの声だった。

はいけないと思いつつもドアに耳を寄せた。




 「…貴重な時間を幸村は潰しすぎてる。
  そろそろお遊びはやめにしたら?」

の声は普段と違ってあまりにも感情的になってると
はその違和感になぜか胸騒ぎがした。


 「貴重な時間、それはにも言えることだろう?」

 「今が一番大事な時でしょ?
  3連覇を成し遂げるんでしょ?
  さんに付き合うなら赤也の相手をしてあげて!
  幸村だってわかってるでしょ?」

 「…? 二人の時は名前で呼び合う約束だったよね?」

 「な、何言ってるのよ?
  真面目に話してるの、ちゃかさないで!」


は耳を疑った。

二人が名前で呼び合う仲までいってるなんて考えたこともなかった。


 「俺は至って真面目だよ?
  ちゃんにヤキモチ焼いてくれるなんて嬉しいな。
  最もそうなるだろうとは思ってやってた事だけど。」

 「やめて!」

 「いつまでマネージャーごっこをしてるつもりなの?
  わかってるだろ?
  俺が君に何を求めてるか?」

 「私はマネージャーよ!」

 「マネージャーはちゃんで十分だよ。
  完璧ではなくてもあの子なら十分やっていける。
  もう君は必要ないんだ。」


が幸村に最終宣告されたのを聞いたというのに
全然嬉しくないこの気持ちはなんだろう、とはぼんやりと思った。

その先を聞いてはいけない気がするのに、体は全く動かなかった。


 「君は表舞台に立つべきだ。
  君の腕はもうとっくに完治してる。
  ねえ、
  俺はコートの中にいた君に恋したんだよ?
  充電期間はとっくに終わってる。
  だってそのことに気づいてるはずだよね?」

 「でも!」

 「今までずっとのしたいようにさせてきた。
  それなのに君ときたら試合に出るのを怖がるばかりで
  初めからマネージャーのような顔をする。
  みんなが腫れ物に触るみたいに遠慮してるのがわからないのかい?」


見えないだけに黙り込んでしまった二人のいる部室の空気が重く感じる。

今まで部活では見せたことない顔を二人がしているのかと思うと
は妙に焦った。

よくはわからないにしても
たとえ二人が自分の知らない関係だったとしても
今の流れでいけば多分にとってはあまりいい流れではないはずだ。




は息を大きく吸い込むと部室のドアを大きく開けた。
  









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