右のお皿に私の気持ち、そして左のお皿にあなたの見えない気持ちを乗せてみる。


計っても計っても計りきれないほどの私の想い。


そして、計っても計っても計りきれないあなたの心。




いつまでたっても動かない天秤に
私は今日も計れないものを乗せてみる…。









        
 等価交換







 「柳君!!」


いつ振り返っても、このクラスメートの柳は
片時も本を手放さない。

こんな至近距離で声をかけてるのだから
1回で返事をしてくれてもよさそうなものなのに
2度3度と彼の名前を繰り返さないと
この優等生君はなぜだか返事をしてくれない。

 「ねえ、柳君ってば。」

 「何か、用か?」

 「用がなかったら呼びません!!」

 「なら、用はなんだ?」


取り付くしまもない、っていうのはこういう事を言うのだと思う。

いつもいつも冷静で、抑揚のない大人びた口調は、
同級生たちには受けがよくても
私にしてみれば毎度の事と思えど傷つく度合いは同じ事。

そっけなくてどこかよそよしくて
3年連続で同じクラスになったというのに、
今年初めて彼と同じクラスになったという子たちよりも
会話が弾まないのは余程私は彼にとって好まない人間の部類なのかもしれない。

そう思うたび柳を好きでいる自分はどこまでバカなんだろう。

いい加減諦めたいのに、
けれど、彼は私が貸して、と言ったものを拒否した事はなかった…。



 「さっきの生物のノート、写させてくれない?」

 「は授業中、一体何をやってるんだ?」

 「何って、授業、聞いてるよ?見ててわからない?」

 「ノートをとらずにか?」

 「真剣に聞いてるんだもん!」


やけくそで答える私の顔をじっと見つめてくれるこのひと時が、
たとえ軽蔑のためのため息をつかれたりしたとしても、
彼の視線を独り占めできるなら、私はどんなバカにだってなれる気がする。


 「真剣に聞いてるなら写す必要もないだろう?」

 「だってあの先生、期末ごとにノート提出させるじゃない?
  柳君のノートって見やすいんだもん!」


そう言ってさっと手を差し出せば、
全く表情を変える事はないにしてもノートを貸してくれる柳は
基本的に優しいのだと私は思っている。

たとえ柳が不本意ながら貸してくれるのだとしても、
私は柳の優しさを勝手に私への愛情だと思い込んでは
柳の受け皿にその思いを乗せてみる…。

でも、その透明で不確かな優しさにはまるで重さがなくて、
私は今日もため息をつくしかない。


ノートを広げて、柳の几帳面な文字を見るだけで
私はもう胸が一杯になる。

自分に宛てられたラブレターとは程遠い内容なのに、
柳が書いたっていうだけで、こんなにも私はとても幸せな気分になれるんだ。


だけど、…その幸せは、長くは続かない。

ノートを写してしまえば、もう柳のノートは私の手元には残らない訳で…。


何を借りても柳の私物は決して私のものにはならないと思うと、
こんなに近くにいるのに不意に寂しくなる。








 「柳君!」


柳を呼ぶ声が聞こえたかと思うと
ミス立海大のさんがにこやかな笑顔と共に教室に入って来るのが見えた。


 「柳君、これ、ありがとう!」


ちょうど私の横で柳に本を返すのが目の端に映った。

そのちょっと凝った、装丁が珍しい本は
確か先週まで柳が休み時間に読んでいたものだった。

なんでさんがうちのクラスに?と思ったが、
彼女が有能な男子テニス部のマネージャーだった事を思い出して納得した。

 「ああ、もう読めたのか?」


柳の声が幾分柔らかい、と思うのはひがみだろうか?

同性の私から見ても、さんはきれいで社交性のある、
魅力的な人だと思う。

こんな素敵な人に彼氏の噂がないのもとても不思議だけど、
不思議以前に私にとってはある意味脅威なのだけど…。


 「とても面白かったわ。
  柳君がこういう本も読むのかと思ったらそれも楽しかったし。」

 「俺のイメージではなかったか?」


傍らでクスクス笑うさんと、
それを柳がどんな表情で見ているのだろうと思い始めると、
私はもう柳のノートを写すどころではなくなっていた。


 「大いにね。
  でも、自主トレをすっぽかした理由が
  柳君に借りた本が面白すぎて、って言ったら
  随分手ごたえがあったわ。」

 「そこまで言ったのか?」

 「あら、最終的にはそこまで言った方がいいって
  柳君が言ったんじゃない。」

 「今日の部活は荒れるな。」

 「そう言いながら柳君は楽しんでるでしょう?
  まあ、いいわ。
  本は本当に面白かったから、お礼にこれ。」

 「なんだ?」

 「クッキー焼いてみたの。
  柳君のイメージに合わないかもしれないけど?」

 「いや、そんなことはない。
  ありがたく頂こう。」


さんが柳に手渡したであろう、紙包みのクシャッという音が私の心をかき乱す。

来た時と同じようになんでもない風に教室から出て行くさんの後姿よりも、
今、柳が何を見ているのかが気になった。

柳の瞳が彼女の後姿を追っていたら、
それとも彼女にもらったクッキーを愛しそうに見つめていたら、
私は自分の天秤が永遠に持ち上がらないことを知る事になる。

けれど、打ちのめされる事になっても
今の好奇心を押さえる事は私には出来なかった。


そして私が、ゆっくりと振り返った時、柳の目に映っていたものは…





私だった!?






 「な、何?」


急激に上がる顔の表面温度は一体何度だろう?

私は柳の机の上の花柄模様の紙包みに視線を落とした。

視線を落としてから、これじゃあ、この包みを気にして振り返ったって思われる、
そう思った瞬間にはもう遅かった。


 「お礼だそうだ。」

 「そ、そうだってね…。」

 「気になるか?」

 「へっ?」

間抜けな声を出してる自分が情けなかった。

 「の趣味は菓子作りだそうだ。」

 「…へぇ。」

 「まあ、当然の成り行きだろうな。」

 「…?」

 「普通、物を借りたら何かしらお礼をするものだろう?」


柳の言葉にピクリと反応してしまう。



それは、それはたとえば、私に言ってるの?




 「えーと、それはつまり?」

 「がさっきから気にしてるようだったから
  言ってみただけだ。
  がどこまで厚顔無恥なのかと思ってな。」


恐る恐る視線を柳に向ければ、
柳は別に怒ってる風でもなく、むしろどちらかと言えば
笑っているようにも思える。

けれど、言われてる事はかなり酷い事のような…?


 「柳君って、そんなに打算的だっけ?」

 「俺が聖者のように見えるのか?」

 「え、えーと、
  頼み込めば何でも貸してくれる有り難い神様…とか?」


私がそう言ったら、柳は本当に呆れたように顎に手をかけて
考え込んでしまった。




神様じゃお気に召しませんか…?


だけど、私にとっては手の届かない存在って言うだけで
神様同等なんですけど。


誰にでも優しいっていうのは、神様特有の無償の愛って奴で、
そうであれば、たとえ私個人に対して柳の気持ちが見えないにしても、
例えばさっきのさんにしても
柳には神様的な気持ちしかありはしないのだと安心できる。


 「ほ、ほら、あんなに素敵なさんにも本を貸してあげたけど、
  私にもノートとか、辞書とか、今までいろんな物を貸してくれたじゃない?
  さんと私なんて月とスッポンみたいなのにさ。
  柳君って、ほんと、優しいなって…、
  困った時の神様、って感じで…。」


なんか、黙り込まれると柳って何を考えてるか私にはわからなくなるから、
ついつい焦ってしまう。

特別扱いなんてしてもらえるなんて思わないけど、
けど、柳の私物を借りてる間は自分は特別なんだと
ちょっと位思っても、ばちは当たらないと思ってたんだけどな。



 「まさか、そんな風に思われていたとは計算違いだったな。
  俺は利益のない事はしない主義だ。
  だからに対しても、
  俺はそれ相応な見返りを期待していたのだが?」

 「…?」



見返りって?


それってただのギブ&テイクって奴?


ああ、そうか、柳は私に優しいと思っていたけど
もうそこから違っていたんだね。

勝手に優しい気持ちをでっち上げて、
おまけにそれを愛情だとすり替えて今まで片想いを続けてきたけれど、
柳にとっては見返りがないとなれば
私との関係なんてクラスメイト以下なのかもしれない。


ううん、あのクッキーに勝る見返りなんて
今の私には作れる器量はどこにもない…。










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