掌に伝わる温度  sequel 4







 「おはようさん。」


珍しく後ろ髪を束ねた忍足は
相変わらずさわやかな笑顔でするりとの横位置に並ぶ。

その手馴れた様子は馴れ馴れしいというものと紙一重なのに
あまり嫌な気がしないのは
昨日までに培ったダブルスのスタイルのせいだと思いたい。

 「ちゃんと寝れた、ちゅう顔じゃないようやね?」

挨拶を返そうと思う前に顔を覗き込まれて
は思わず両手で自分の頬を挟む。

 「そ、そんなに酷い顔してます?」

 「そないな顔見とるとこれからの試合に
  引っ張ってってええもんか、ちょい罪悪感やね。」

 「だ、大丈夫です!
  こう見えて絶好調なんです。」

力を込めてそう返したら忍足はほんまかいな、と呆れたように笑った。


Cランクから上を目指すには今までとは異なる特別ルールが適用される。

ここからは一度ペアを組むと、Cランクから脱落するまでペアの解消は認められない。

そしてAランクを目指しての試合形式では
Cランク以上から対戦相手を選ぶ事ができる代わりに
ランクによって勝ち星が点数制となる。

ただし、Cランクの対戦相手では1勝利は1ポイントにしかならず、
しかも連続して5試合勝たなければならない。

負けるとその時点でDランク行きとなる。

 「さて、俺たちはどないする?
  Aランクの奴に勝てば5ポイントやから1試合で済むんやけど。
  最強ペア相手やと負けてもランクは落ちん言うても、難しいやろね。
  妥当な線はBランク相手に勝ち星3点で2試合ゆうところか。」

Bランクの奴と対戦するのも一筋縄では行かないだろう。

対戦相手をあれこれ思い描いていた忍足は
ふと押し黙ったままのに気がついてその視線を真横に向けてみた。


はBランクコートの先に見えるAランクコートの方を
一心不乱に見つめているようだった。

少し眉間に皺を寄せて誰かを必死に探してる様は
テニスをしている時のがむしゃらさとはまた少し違っていて、
その瞳に映る姿に一喜一憂してる色が垣間見えて
忍足はを可愛らしい奴と思って眺めていた。

そしての探し人が見つかったのだろう、
ふんわりと和らいで一人で照れている様がまた可笑しくて
忍足の口元も自然と綻んでしまう。


こんなに遠く離れていても
には幸村の後姿がはっきりと見て取れる。

あのフォーム、ラケットの振り抜き、力強いステップ、
久々に見る幸村の背中に胸の中がキュンと疼く感じがする。



 「えらいAランクにご執心やねんな。
  そない気になる男がおるん?」

の視線の先を探るように忍足がAコートを眺めながら話しかけた。

は隣に忍足がいる事なんてすっかり忘れていた事に気づき、
幸村の姿を熱心に探し出していた自分が恥ずかしくなって慌てて首を振る。

 「ち、違います。」

 「そう言われてもなぁ。
  俺、割とそういうの、敏いねん。
  あー、あれか。
  ほんまはそいつがおるからAランクになりたいんやね?」

図星されてしまった時ってどうして言葉が出て来ないのだろう。

ただただ顔は熱を帯び出すだけでどうしていいかわからず、
幸村に会えたと言う嬉しさはもうどこかに消え去っていた。

純粋にテニスの頂点を極めたい人たちとはちょっと違う、
そんな自分の思いを見透かされてしまったと思うと
軽蔑されたのではないかと気持ちが塞ぎこむ。

 「別に動機が不純とかそう言う事思うてる訳やないで?
  なんつうか、俺って、おせっかいなんや。」

 「えっ?」

思わず聞き返すと忍足は楽しそうに言葉を続けて来た。

 「でもなあ、ただのおせっかいやないで?
  誰にでもこのおせっかいゆう技を発動したりせぇへんよ。
  けどな、一旦対象相手を見つけると、
  とことんアフターフォローしてしまうねん。」

意味が分からなくて知らず知らず忍足の顔を見上げていた。

忍足の前髪がさらりと動くと
眼鏡の奥から黒い瞳がじっとこちらを見据えている。

幸村以外の男の人の顔を
こんなに間近に見つめた事なんてなかったけど
忍足もまた幸村同様、自分とは同い年の癖に
妙にお兄さんぶった所があるような気がした。


 「さんってギャップが大きすぎるんや。
  普段はちょっとの事で動揺する位可愛ええのに
  試合となるとめちゃくちゃなり振り構わずやん。
  あれアウトやなー思うボールも夢中で取りに行くし、
  きれいな子やのに、えらい必死で頑張りやさんで、
  なんでそんなに上のランクにこだわるんやろなーって。 
  やから、久々になんかおせっかいしたくなってん。」

忍足の話を聞いてるうちにますます顔が赤くなって来る気がした。

そう言えばきれいなフォームで打とうなんていうこだわりは
合宿中は思いもしなかった。

早く試合を終わらせたい、早くランクを上げたい、
そればかりしか頭に無かったから、きっと
はたから見れば滑稽な試合振りだったかもしれない。

 「私、バカみたいですよね?」

 「そんな事、言うてないよ?
  ただな、Cランクまでならそない必死なテニスも通用するやろけど
  こっからはちょっとの事で動揺するようなテニスをしたらあかんねん。」

 「それは・・・分かってるつもりなんですけど。」

 「分かってないって。
  Aランクに気になる奴がおるんやろ?
  それ、気にしないで集中できるか?
  それも今から対戦する奴らには短期決戦は通用せぇへんで?」

確かに忍足の言う通りかもしれない。

今までは幸村の影も形もないコートだったから
逆に今までの殻を破ってのプレイスタイルで思う存分戦って来れた。

けれど、Bコートでの対戦となればそういう訳にも行かなくなる。

幸村の事を思うだけで今だって少しだけ体が固くなる。

そう、関東大会や全国大会の時のようなミスを
また連発しそうな嫌なイメージが沸き起こってくる。

不安げに揺れるの瞳を忍足は逃さなかった。

 「ええか、さん。
  俺の目をじっと見てくれんか?」

 「な、何ですか、急に。」

 「ええから。」

忍足は両手での肩を掴むと真っ直ぐにの瞳を覗き込んで来た。

 「俺のとっておきを伝授したる。
  俺の目の中にさんが映っとるやろ?
  俺の目の中に見えとるさんはな、最強の女の子や。
  俺とダブルスを組んどる。
  体はちっこいけどな、パワーもあるし、瞬発力もある。
  ネットに出れば叶う相手はおらんはずや。
  さんは頭もええからチャンスボールは見逃さへん。
  万一さんの脇を抜けるボールがあったとしても
  気にせんでもええよ、後ろには俺がおるからな。
  ええな。後ろには俺がおる。まかせたらええねん。
  やからさんは相手に心を読ませたらあかん。
  隙を見せたらあかんねん。
  相手に対しては心を閉ざすんやで?
  俺がどんなボールでも打ち返したるから安心してな。
  さんはただ相手を見てるだけでええ。
  後ろも回りも見たらあかんよ。」

低く優しい忍足の声はまるで呪文のように続いた。

忍足の黒い瞳の中にいるがとてもしっかりと
自分を見つめ返しているのが見える。

これからの不安な気持ちなどこれっぽちも無く、
忍足の言うように何も心配する事などないように思えて来る。

 「試合が終わるまでさんのパートナーは俺や。
  絶対に余所見をしたらあかんで?
  相手の動きだけ集中して見るんや。
  何も考えんでも体は動いてくれるはずや。
  俺が保障する。
  さんはもっと余裕見せたテニスでええ。
  さんと俺の相性はバッチリなんや。
  さんが心を閉ざしても
  俺はさんの動きはわかるんや。
  だから何も心配せんと胸張って前を見てたらええねん!
  な、俺も全力出すからさんも全力で戦うんやで?」

まるで催眠術に掛かったかのように忍足の言葉だけが胸に響く。

真っ直ぐに自分を信じてくれるパートナーのために
は思わず力強く頷いていた・・・。









     ********



 「ゲームセット! ウォンバイ忍足・ペア。」


長いタイブレークの末Bランクの対戦相手にやっと1勝する事ができた。

これでAランクに一歩近づいた、という実感は意外にもなかった。

見慣れぬ沖縄ペアの縮地法には苦戦したが
最後まで冷静に集中力を欠かす事無く試合ができたのは
にとって有意義な一戦となった。

ベンチに座り込むとどっと疲れの波が押し寄せて来て
しばらくは立てそうも無い感覚には充実感を噛み締めていた。

見れば握力のなくなっている手からラケットが滑り落ちたのを
どこか他人事のように惰性で眺めていて
俄かにはそのラケットを拾う気力も無かった。


 「大丈夫か?」

傍らに座って来た忍足の優しい声に癒されるような気がする。

落ちたラケットを忍足が拾ってくれるのもただぼうっと見ていたら
忍足はの頭をクシャリと撫でてきた。

 「よう頑張ったな。」

その一言を噛み締めるようには目を閉じた。

心地良い風が火照った体を冷ましてくれるようで
その風に身を任せていたら急に意識が薄れていくのを感じた。

 「ええよ、もたれても。」

ありがとうと呟いたつもりがの声は忍足には届かなかった。

こんなに疲労してるなんて自分でも気づかなかった。

思えば合宿中はほとんど熟睡できていなかった。

忍足とペアを組むまではずっと日替わりのパートナーで、
一試合ごとに戦い方も守り方も相手のレベルも違っていて
新鮮と言えば聞こえはいいが精神的な疲労は目に見えないだけに
ただただひとつずつランクが上がる達成感でしか心休まらなかったように思う。

だから余計に忍足とのダブルスがやりやすく感じたのだと思う。

タイブレークにもつれ込んでも
は相手コートの死角にいかに奇襲をかける事が出来るかだけに
終始専念できた。

それは今までにない感覚だった。

シングルスのようでいて
振り返る事をしなくても自分の後方には忍足がいるという
その存在感は究極のダブルスのように思えた。

 「次の試合は午後やしな。
  少し休もうか。」

忍足の低い声はとても安心できた。

忍足に寄り掛かってる姿を想像できれば
普段のなら絶対にそんな事はしなかったのだろうが
緊張の糸が解けた今、には何も考える力は残っていなかった。

忍足はそんな意識を飛ばしてしまったの頭を
自分の胸にそっと引き寄せると
規則正しいの呼吸に合わせるようにその髪を優しく撫で付けた。

 「このままずっとこうしておれたらええのにね。」

誰に言うともなく忍足は雲ひとつない空を仰ぎ見た。








       ********






 「どうした、幸村?」


軽いウォーミングアップのつもりのサーブの練習に
幸村は何度となくフォルトを連発した。

コートの中でこんなに幸村が集中力を保てない事など
未だかつて見た事がなかっただけに
柳はため息を吐くと幸村に声を掛けた。

そうする事で幸村を落ち着かせようと思った柳だったが
幸村はすたすたとベンチに戻るやラケットを放り投げた。

何の事はない、幸村にコートの外に出るきっかけを与えてしまった事に
柳は苦渋の表情で幸村を追いかけた。

 「幸村、練習はまだ終わってないぞ。」

 「そんな事はわかってるさ。」

 「どこに行くつもりだ?
  まだ休憩時間ではない。
  コーチが戻って来たらどうする気だ。」

分かりきった事とは言え、聞かずにはいられない。

Aコートにコーチの姿は見当たらなかったが
練習中にコートの外に出た事が知れたら
いくら優遇されてるAランク生でも厳罰は免れないだろう。

 「柳・・・。
  こんな時のために君がいるんだろ?」

冷ややかに答えると幸村は柳の返事も待たずに歩き出して行った。
 

  
自分の胸を掻きむしりたくなるようなこの感情は一体何なんだ。

隣のコートで見かけたの姿に幸村は衝撃を受けていた。

かつて彼女に抱いた淡い感情とは全く違う。

そんな可愛いものじゃない。

感覚のない足に一歩一歩力を込めて幸村は
焦る気持ちを必死で堪えながらこの眼に映る小さな彼女の姿を
見失わないようにただ前に前にと進んでいるだけだった。


 


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2009.7.20.