掌に伝わる温度 sequel 3
「Aランクに行く覚悟があるんだな?
だが、悪い事は言わねぇ、ここらへんで諦めるんだな。
お前、間違いなく潰されるぞ?」
これが真田辺りに言われた言葉なら
間違いなくむきになって言い返せたと思う。
でも他校の、それもほぼ初対面に近いという跡部に
冷ややかに言われた言葉は頭では理解できなくても
心の中を否応なくえぐられた様な不快感だけは理解できた。
「俺の所まで必ず来るんだよ。」
彼の言葉を真っ直ぐに飲み込んで
頑張れば必ず導いてくれる何かを漠然と信じていた。
幸村のいないコートは寂しかったけれど
がむしゃらに突き進む事ができた点では
かっこ悪いと思ってるそんな姿を見られずに済んで
は躓く事もなくここまで勝ち上がれた。
だけどそれは自分ひとりの力ではない。
勝ち上がってきた試合ひとつひとつで
自分が成長してきたかのように思っては来たけど
その自信は砂上の楼閣だったのではないか、
跡部の突き刺さるような青い視線に
は体の震えが止まらなくなっていた。
「跡部、いけすかん事言うなや。」
「ああ? それを言うならお前の事だろうが?
お前が本気出せば、パートナーであるこいつが狙われるだけだ。
そんな事もわかんねぇで女をパートナーにしたのかよ?」
「あんな、跡部。
ダブルスは力の2乗やないんやで?
結局は相性が物を言うんや。
さんはそんな柔なパートナーやないで?」
忍足のフォローはの不安を取り除くにはいたらなかった。
普通ならこんなに嬉しい言葉はない。
だけど本当は忍足が思ってくれるほど自分には力がない。
加えて言うなら、自分がAランクに上がりたいのは
幸村がいるからだ。
覚悟だとか、本気だとか、そんな重苦しい言葉で
テニスをしてきた訳ではなかった。
全く個人的な不純な動機に付き合わされてる事を
忍足は知らないと思うとの良心はチクチクと己が身を責めるのだった。
「どうだかな。
相性が良くてもそれを持続させる精神力がなくちゃ
この先は切り抜けられねーぜ?
すでにお前のパートナーにはそれがねーようだがな。
忍足、Aランクに上がるつもりなら他のパートナーを選ぶんだな。
こっからは一度選んだパートナーは変えられねーんだぜ?」
「わかっとるよ。
だからさんを選んだんや。
どうせ強い言うてもみんなにわかペアやん。
跡部がええ見本や。
未だにBランクなんて跡部らしくないやろ。」
「ふん、忍足だけには言われたくねーな。
まあ、いい。好きにしろ。
俺様は明日にはAランク行きを決めるぜ。
いつまでもあいつらに見下ろされて食事なんて
胸くそ悪いからな。」
跡部は心底嫌そうに中2階を見上げると
そのまま席を立った。
言われなくてもAランクのメンバーがそこで食事を取っているらしい事は
にも雰囲気で分かった。
手の届かないその場所に幸村がいるのだろうが
は顔を上げて幸村を探す気にもなれなかった。
「さん、そんなに落ち込まんとほら食べような。
跡部の言う事なんて気にする事ないんやから。」
気にするなと言われてもぐらついてしまった自信は
どんどんあやふやになってしまっていた。
幸村に励まされたから頑張っていた訳で
幸村の言葉でなくては傷ついた自信は回復できない。
明日からの試合に悉く負けてしまったらと思うと
怖くて指先は小刻みに震えて冷たくなっていた。
「さん、Aランク目指しとるんやろ?
確かに男子同士のダブルスとミクスドやったら
力では負けてしまうやろな。
けどな、テニスは単なる力勝負やないやろ?
気持ちで負けたらあかんねん。」
忍足はそう言うと自分の手での手を包み込んだ。
「俺が潰させたりせーへんよ?」
「忍足君。」
「ここまで来たら持久戦は覚悟せなあかん。
今までのように短期決戦はもう無理や。
タイブレークがどこまで続くかわからんゲームになる。
やから、ちゃんと食べとき?」
優しい忍足の言葉と彼の大きな手の温かみに
の目頭に熱いものが込み上げてくる。
「私でいいのかな?
・・・足手まといじゃないかな?」
「そう思われたくなかったら余計に頑張り。
さんが自分で頑張らなあかんやろ?
俺はな、さんのテニスがまだまだ見てみたいんや。
Aランク目指したい言う女子はなかなかおらへん。
最初の意気込みはどないしたん?
まだ、だめやった訳やないで?
これからやん。
な、俺と一緒に跡部に一泡吹かせてやろや。」
一生懸命励ましてくれる忍足の気持ちが嬉しかった。
今回のような合宿がなければ
全く縁のない氷帝の忍足とペアを組む機会なんて
恐らく二度とないだろうと思う。
まして忍足という人物がこんなに優しい人だと
知ることもなかっただろうとぼんやり思った。
甘えてもいいのだろうか?
自信を取り戻す所までは行かないけれど
まだしてもいない試合の事をくよくよ考えても仕方がない、
そういう風に思えることが出来たのは
間違いなく忍足のおかげだとは思った。
********
「幸村、食べないのか?」
テーブルを挟んで柳が口を割った。
眼下に見下ろす光景を柳だって見ていない訳ではないだろう。
幸村は視線を自分の手元に戻すと
握り締めすぎた拳をゆっくりと開いた。
自分がこんなに動揺してしまうとは思ってもみなかった。
「心中穏やかとは言えない様だな。」
「俺の気持ちが分かるなら聞かないでくれ。
それともが俺から離れてしまう確立でも
はじき出すとか言わないだろうな?」
幸村はイライラしたままの声音で吐き出した。
「そんな数字が出るはずがないだろう?
しかし、お前でもそんな顔をするんだな。」
含み笑いする柳にむっとして幸村は盛大にため息を吐き出した。
モヤモヤした気持ちを全部吐き出すかのようにわざとらしく。
「仕方ないだろう?
この1週間に会ってなかったんだ。
触れる事も声を聞くことも出来ない。
ただひたすら待つなんて俺のスタイルじゃないよな、ほんと。」
それなのに久しぶりに見たの顔はすっかりやつれている。
連日の試合形式の合宿に凌ぎを削って勝ち上がって来たのかと思うと
今すぐにでも飛び出して彼女を自分の腕の中に閉じ込めてしまいたかった。
優しい言葉を掛けて、その髪に瞼に唇に
ありったけの愛情を注いでやりたいと思った。
なのにの手を握りしめて話しかけているのは自分ではない男なのだ。
他の男に慰められている彼女の顔なんて見たくなかった。
たとえ彼女が苦しい状況だとしても。
「どうやら忍足とダブルスを組むらしいな。」
柳は淡々と目の前の光景を口にする。
が幸村でない男とダブルスを組まねば
自分の下に辿り着けない事を重々分かっていても
心の中にくすぶる炎は穏やかではいられなかった。
「忍足ならうまくやるだろう。」
「ああ、そうだろうな。」
「なんだ?心配なのか?」
「・・・する訳ないだろ。」
彼女がAランクに上がって来ないなんて事はない。
相手が忍足なら尚更だ。
全国大会のシングルスでいい成績を残していれば楽勝だったはずなのだ。
今だってそうだ、Cランク以上に女子は誰もいない。
つまりはは女子の中で一番強いという事だ。
テニスプレーヤーとしても彼女としても
は幸村にとって自慢の女の子なのだ。
だから何も心配する事はない。
ただ心配なのは、その彼女の魅力を忍足が知ってしまう事だった。
「会いに行こうかな。」
ポツリと漏らした幸村の言葉を柳はやんわりと遮った。
「やめておけ。」
「わかってるよ。」
「わかってるならそんな事を言うな。
今は辛くとものためだ。」
「だからわかってるって言ってるだろ?」
幸村は唇を噛み締めると乱暴に立ち上がった。
テーブルの上の皿が無遠慮にぶつかり合う音がした。
幸村は眼下の恋人に一瞥をくれると
不機嫌さを抑える事もなくあっさりとテーブルを離れて行った。
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2009.7.6.