レンズの向こう側
第一印象は最悪だった。
と言ってもそれは彼個人に対する印象じゃなくて
学校自体の印象っていうか、
はっきり言えば氷帝学園テニス部の印象が最悪だった。
あの氷帝コールは、まあうちだって負けじと同じようなのがあるからいいけど
試合前に指を打ち鳴らしての「俺様の美技に酔いな」のパフォーマンスは
どう見てもキザ過ぎてスマートに見えない。
あんな事をいちいちやって髪をかき上げる様は
ギャラリーの女の子たちを喜ばせ、
イコールそれが自分のステータスだと思ってるという
何とも普通じゃない自己顕示欲に呆れるばかりだ。
うちのレギュラーだって個性派ばかりではあるけど
でも普通に真面目だ。
あそこまで酷くない。
目立って五月蠅いと言えば桃城か、ラケットを持ったタカさんくらいだし、
それだってコートを離れれば普通の高校生だ。
偏見かもしれないと頭で分かっていても
どうしても部長を始めとするあの氷帝軍団の
鼻持ちならぬ派手で高慢ちきな雰囲気は好きじゃなかった。
できれば関わりを持ちたくない学校だったけど
練習試合をするならどこよりもメリットのある学校だった。
何しろ設備が凄い。
テニスコートだけでもうちの3倍、いや5倍くらいはある。
部員数もうちよりも断然多いから
レギュラー以下の後輩たちに試合を組ませてあげるのも楽だった。
そうじゃなきゃ、わざわざこの学校に足を踏み入れる気に
なれる訳もない。
あの時だってそうだ。
本当なら手塚君と乾君だけで行くはずだったのに
マネージャーだからというそれだけで
一緒に行った方がいいだろうと乾君が提案したんだった。
一通り練習試合の日程調整がすんなり決まった所で
氷帝テニス部部長の跡部君が手塚君に軽く打って行かないかと持ち掛けてきた。
「手塚、屋内コートができたばかりだ。
それも俺様が趣向を凝らした最上級の屋内コートだ。
どうだ、見て行かねーか?」
何とも偉そうな態度に虫唾が走るけど
意外にも手塚君ってそういうのには疎くて
誘われるままに跡部君に従うつもりらしい。
「ああ、そうだな。」
「えっ? ちょっと待って、手塚君。
今日は打ち合わせだけなんだから・・・。」
こんな所に長居はしたくないからそう切り出そうとしたら
乾君まで跡部君の肩を持つのには泣けてくる。
「まあ、そう急かすな、。
なかなか興味深いデータが取れるかもしれない。
それに30分程帰りが遅くなった所でたいした違いはないよ。」
「でも。」
「ああ、それならお前はうちのマネが相手してくれるだろう。
コートの方へ行けばためになる事もあるんじゃねーの?」
ちょっと小ばかにされたような跡部君の物言いに
これ以上何を言っても無駄だと思ったから
仕方なくテニスコートの周りをぶらつく事にした。
どうせなら転がっているボールのひとつでも
盗んでやろう位の気持ちだった。
1個や2個なくなった所でお金持ち学校では
どうってことないんだろうな、なんて勝手に思ったりして。
だから不意に声を掛けられた時は正直
悪い事をしでかす前に見透かされたような気がして
変な汗が出てしまった。
「なあ、自分、何しとるん?」
「えっ、私? べ、別に。」
「それ青学の制服やろ?
ああ、そういや今日は手塚が来るゆうてたな。
自分、青学のマネやったんだっけ?」
「ええ、まあ。」
見れば少し長めの前髪から銀縁の眼鏡ごしに
まじまじと上から下へと観察されている。
手塚君とか乾君は結構目が悪いから
薄型加工をしてると言ってもかなり度のきついレンズだったけど
私の目の前にいる長身の彼のレンズからは
ストレートな視線が真っ直ぐに突き刺さってくる感じ。
丸型の縁取りの柔らかい印象とは裏腹に、レンズの奥の瞳はとてもきつくて
思わず関わり合いたくないな、と直感的に身構えてしまった。
それなのにその印象とは180度違う軽い口調に
私はそのギャップにしばしぽかんと彼の口元を凝視してしまった。
「自分ええ足してるなぁ。」
「はぁ?」
「いや、すまん、すまん。
綺麗な足しとるからつい、な。」
「なっ!?」
新手のナンパ文句か、と心の中で毒づきながら
警戒心丸出しの私の表情にその眼鏡君は
長身の体には似合わないくらい背を丸めて謝ってくる。
謝るくらいなら最初からそんな失礼な事は言わなければいいのにと思った。
「ああ、ほんまに堪忍やで。
つい見惚れてしもうただけや。
そないに構えんとき。
可愛ええ顔が台無しやで?
それにしても手塚の姿が見えんけどどこにおるん?」
私はため息をひとつ吐き出してから答えた。
「おたくの自慢したがりの部長さんに連れて行かれたわ。
お陰で私は氷帝のマネージャーさんと親睦を深める時間を
これでもかというくらい頂いてますけど?」
嫌味を込めてそう言ったのに眼鏡君は可笑しそうに、そうかそうかと頷いてくる。
「あー。それやったら当分帰って来んやろな。
跡部の奴、手塚の事気に入って離さんのが目に見えるようや。
そや、時間持て余しとんやったら俺が相手したるわ。」
「ええっ?
ぜ、全然結構です!」
「おかしな子やな。
日本語になってへんで?」
「いえ、ほんとにお構いなく!!
それに忍足君だって練習があるでしょう?」
思わずそう彼の名前を出したら
忍足君はさらに嬉しそうな顔をする。
心なしか目がキラキラしてる。
とてもさっきの第一印象とは同一人物には思えない。
「何や、俺の名前、知っとるんやんな?
知らんのか思うて内心ドキドキしとったんやで?」
いや、それは有り得ないでしょう、とツッコミたかった。
仮にも関東に名を馳せる氷帝テニス部のレギュラー、
それもNO.2の異名を持つ天才プレーヤーなのだ。
お近づきにはなりたくない学校ではあるけど
曲がりなりにも練習試合を申し込む対戦校のマネとしては
相手メンバーの名前くらいは熟知してるつもりだ。
まあ、それ以上の情報は乾君任せだけど。
「そ、その位常識・・・。
って、そうじゃなくて、レギュラーがサボってちゃいけないんじゃないの?」
「ますます嬉しいなぁ。
俺の事気遣ってくれるんやんな?
でもこういうチャンスは逃したらあかんねん。
青学の姫さんと二人っきりのチャンスやんか。
五月蠅い奴がおらんのやから俺らも楽しい事しよか?」
「べ、別に気遣った訳じゃ・・・。
って、どこに行くの?」
耳に心地よいのんびりした口調だと油断したら
その行動力には目を見張る位。
いつの間にか手を掴まれて有無を言わせずずんずんと
手近なコートに引っ張り込まれた。
フェンスに立てかけられていた誰のとも知れぬラケットを笑顔で渡されて
初めて忍足君にテニスをしようと誘われている事に気付いた。
「あ、あの?」
「ああ、遊びやから。」
「じゃなくて!
私、テニスなんて無理だから。」
「ええって、ええって。」
随分久しくテニスから遠ざかっていた。
避けていたと言う方がしっくり来るくらいだけど
そんな事を忍足君に言う気はなかった。
と言うか、こんなにも簡単にテニスをやろうと言われるとは
思ってもいなかった。
青学なら誰もそんな事を冗談でも言ってくれる人はいない。
だから忍足君の誘いに何となく乗ってしまったのは
自分の中にテニスをしたいという気持ちのかけらが
残っていたのかもしれないし、
全然知らない人だから返って気が楽だったのかもしれない。
もちろん、久々のラケットの重みに耐え切れなくて
私は思わず右手に渡されたラケットを左手に持ち替えた。
握りなれないラケットを持つ感覚は
まるで自分の手じゃないみたいだった。
でもそれは初々しくてちょっと嬉しかったのも事実だ。
「そう来るか?」
「えっ?」
忍足君の呟きに彼を見上げると
忍足君はニンマリと口元に笑みを湛えていた。
「初心者ちゅう事なんやな?」
念を押されて私は小さく頷く事しかできなかった。
ラケットを手に固まってる私の傍に来て
忍足君は親切にも持ち方の講義から始まった。
添えられた手でラケットの持ち方を直され、
私の背後から忍足君はラケットの振り抜き方を
まるで私の体に覚え込ますように何度も一緒に素振りをしてくれた。
その懐かしい感触に私の顔は間違いなく紅潮気味だった。
嬉し、恥ずかし。
拙い1年生が先輩に手取り足取り教えてもらってる感じに
私は思わず苦笑いが堪えきれなくなっていた。
右手が使えないなら左手で。
それは考えなかった事ではなかったけど
今更利き腕を変えてまで一から出直しても何になるだろう、
そう言う気持ちが強かったから試して来なかった。
なのに、氷帝学園のコートで、
しかも氷帝の忍足君に指導されているなんて
あまりに尋常な事ではない事くらい頭の隅では分かっていたけれど、
久々にテニスをしている実感に私の理性はなくなっていた。
いつの間にか熱心にラケットを振っている自分。
それを忍足君が褒めてくれるのが素直に嬉しくて嬉しくて。
利き腕じゃなくても結構さまになってるかも、
なんて自惚れてる当たり、いつもの自分じゃなくなっていた。
「ああ、なかなかええ感じやで?
飲み込み早いやんか!
そうそう、その調子。
そしたら軽く打つからそのまま返してみ?」
忍足君はそう言って自分もラケットを掴むと
反対側のコートに移った。
子どもに向かって投げるようなスローボールだったけど
それを打ち返した時の感触はあまりに新鮮で
しかも忍足君はやっぱり一球毎に褒めてくれるから
つい嬉しくてガッツポーズまで飛び出してしまう。
忍足君は超初心者に教えるように辛抱強く付き合ってくれ、
空振りを幾度となく繰り返しても
何度も何度も優しいボールを送ってくれる。
ラリーと呼べるものでは全然なかったけど
私はいつの間にか楽しくて楽しくて夢中になってしまっていた。
「!!」
だから不意に手塚君の大きな声と
振り返りざまに見た恐ろしいくらい不機嫌な顔に
私は思わずラケットを派手に取り落としていた。
コートに響くラケットの音に
楽しい夢の時間が終わった事を知った。
「待って、手塚君!
右手じゃないから。」
そう言い訳をした所で手塚君には伝わらなかったみたいで
手塚君は私の左腕を掴むと恐ろしいくらいの早さでコートから
私を連れ出し、唖然としている跡部君の前をも素通りする。
乾君がこれで失礼するよ、と跡部君に
体裁だけの挨拶をしているのが聞こえたけど
手塚君の勢いに飲まれて、私は忍足君にお礼も言えずじまいだった。
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2011.11.14.