レンズの向こう側 2
あの日、帰りの電車の中で手塚君には
ずっと説教されっぱなしだった。
無論手塚君が怒るのも仕方ないと思った。
だけどあの日から私はマネ業に身が入らなくなっていた。
「随分元気がないね。」
ぼんやりと窓の外を眺めていた私に不二君が声を掛けて来た。
「そう、かな?」
「そんなにやりたかったの?」
「えっ?」
不二君の言葉に私はまじまじと彼を見つめた。
「氷帝の忍足とテニスやったって聞いたよ?
さすがの手塚もショックだったんじゃないかな?」
「ショック?」
不二君はやれやれと言った顔つきで私の横に座った。
書きかけの部誌は日付以外何も書かれていない。
「うん。
僕だってショックだったな。」
「何で?」
「そりゃあ、が右手の故障でテニスできないって知った時は
僕たちもどうすればいいかなんて全然分からなかった。
落ち込んでるはそのままテニス部を辞めそうだったし。
あの時手塚が必死になって君をマネージャーにしたのも
悲嘆にくれていたの事を思ってのことだったけど。
こんなにもあっさりと忍足に持って行かれたかと思うとね。」
大袈裟にため息を付く不二君を不思議そうに見やった。
どうも不二君の言ってる事が私には分からない。
「何でそこで忍足君が出てくるの?」
「がテニスやりたいって本気で思うなら
僕だって手を貸すよ?」
「ああ、うん。それはどうも。」
反射的にそう答えたら不二君はその眉間に皺を寄せて
私の手の中から部誌をゆっくりと取り上げた。
何だか今日の不二君は不二君らしくないな、と思った。
部誌を無造作にぱらぱらと捲る視線が怖くて
思わず不二君から目線を外すと私は窓の外をもう一度眺めた。
夕焼けの赤が色濃くなって
きっとあの空のずっと向こうでも
同じ色が続いているのかな、なんてどうでもいい事が浮かんだ。
「心、ここにあらずだね?」
静かな不二君の口調はやっぱり怖い。
「そんな事・・・。」
仕方なく畏まって不二君に視線を戻すも
やはり不二君はどことなく機嫌が悪そうだ。
「充分、上の空だと思うけど?」
「ごめん。」
「ボールを拾ってはため息を付く、
立てかけてあるラケットを見ては思いに耽る、
昨日はドリンクを作るのも忘れてた、
おまけに最近の部誌はまるっきり記録になってない。
これはどういう訳だと自分では思ってるの?」
多分このままの状態が続けば
そのうち手塚君にも説教されるのだろう。
それは分かっていたけど
どうしようもなくやる気が起きないのだから仕方がない。
「どうって言われても・・・。」
「マネージャー、やめたい?」
「ええっ? そ、そんな事、思ってないよ?」
まさかそんな言葉が不二君の口から出るとは思わなかったから
びっくりしてしまった。
「そうなんだ?」
「そうだよ。」
「僕はまた、女テニの方に復帰したくて悩んでるのかと思ったよ。」
今度は私がひとつため息をついた。
「私が? 何でまた・・・。」
「だって乾がは楽しそうだった、って言ってたし。」
そう言えば乾君にも見られていたんだっけ、と思ったら
急に顔が熱くなってきた。
「そ、そりゃあ、楽しかったわよ?
でも、だからと言って今更頑張っても
右手で打ってた頃と同じようにはならないだろうな、とは
自分でも分かってるし・・・。」
「ふーん。」
全然納得してない不二君の顔がそこにあった。
「な、何?」
「じゃあ、何でそんなに身が入らないの?
他に気にしてる事があるって事だよね?」
「えっ? う、うん、まあ。」
口篭ると不二君は身を乗り出すようにして聞いて来た。
いつになくしつこい不二君に私はたじたじとなる。
「忍足の事?」
「や、そうじゃなくて、
だから、ほら、何て言うか、
その、少しの間とは言え相手してもらったのに
お礼も言えなかったな、みたいな?」
「お礼?」
「だから、何も言わずに帰っちゃって、人としてどうかな、とか。
ほ、ほら、私ってば初心者面しちゃって、
ちょっと良心が痛むって言うか、
もちろん左手でテニスなんて初めてだったんだけど。
相手はレギュラーで、下手な人とやったってメリットなんてないのに、
それなのに面倒臭がらずにすごく優しくしてくれて・・・。」
「優しくされたんだ?」
「えと、もちろん不二君だって優しいけど、
あの、氷帝だよ?上から目線みたいなテニス部のレギュラーなのに
何で私なんかに親切丁寧にテニスしてくれたんだろう、とか
その、いろいろ考えちゃって。」
しどろもどろに言葉にするうち、とてつもなく自分が恥ずかしい事を言ってる気がしてきた。
目の前の不二君は間違いなく呆れた表情をしているし。
「、まさか本気で忍足が優しいなんて思ってる?」
「えっ?」
「あいつは心を閉ざすのなんてお手のものなんだ。
本心なんてどこにあるか分からない奴なんだよ?
真に受けたら痛い目を見るよ?
暇つぶしにからかわれてたのに決まってるじゃないか。
女の子を口説く常套手段だって気付かなかったの?」
今度は私が呆気に取られる番だった。
不二君が人の事を悪く言うのも初めて聞いた気がした。
でもだからこそそれは真実なのかもしれない。
最初に見た忍足君のイメージが髣髴と思い出される。
嘘の笑顔と軽い口調に騙されて
私は氷帝の天才にからかわれていたのだろうか。
それはそれで何だか凄くショックだ。
鼻の奥がツンとしてみるみる瞼の上に堪えきれない想いが
競り上がって来た。
「?」
嫌だ、泣きそうだ。
思いっきり俯いて髪で顔を隠したけど
不二君には多分気付かれている。
バカみたい。
何、期待したんだろ?
あれ、何か期待してたんだっけ?
「ああ、もう!
泣くほど忍足が好きっていう顔をしないで欲しいな。
これじゃあ僕は悪者じゃないか。」
「へっ?」
モヤモヤしていた私の気持ちに今名前が付いた。
「分かった、僕が悪かった。
君がそんな風に思ってるなんて信じたくなかったんだ。
だからちょっと意地悪した。
安心して。
忍足は君をからかったりなんてしてないと思うよ?」
「べ、別にそんな事で落ち込んでる訳じゃ・・・。」
説得力ない言い訳は不二君に通用しない。
私の胸の鼓動は今や恥ずかしいぐらい鳴り響いてる。
「僕に嘘をついたってダメ。
めちゃくちゃ落ち込んだじゃないか?
忍足に失恋して悲しいって、顔だったよ。」
「失恋?」
マネージャーの仕事が手に付かないほど私は忍足君の事を考えていた。
優しくしてくれた理由を知りたいと思ってた。
それを不二君に、からかわれただけと聞いただけで
失恋したかのように悲しくなったんだ。
私はいつの間にか忍足君に・・・。
「だってそうだろ?
どう見たっては忍足に恋してる。
そういうのは理屈じゃないからね。
とにかく、認めたくはないけど
それでが幸せになれるんだったら応援するよ。」
不二君は最後に深くため息をついた。
私だってため息つきたい。
不二君の言葉で私の気持ちは上がったり下がったりなんだから。
「。
君が楽しくテニスができるのを
僕も手塚も心から願っていたんだからね?」
ぽんと頭に手を置かれ、
やっとそこで皆に気を遣わせていたんだなって気付いた。
部室から出て行く不二君の後姿に
思わず惜しみない親愛の情を込めてありがとうと小さく呟いた。
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2011.11.24.