レンズの向こう側 3








自分が忍足君に恋をしてるって認めてから
俄然マネ業も頑張るようになった。

随分身勝手な話ではあるけれど
忍足君とまたテニスがしたいなってそう思うだけで
面倒だと思っていたスコア付けや記録も嫌じゃなくなったし
マネ業を能率よく終わらせる事で
毎日少しずつ左手で素振りをする時間を作った。

もちろんそんなにすぐに左手でラケットを使いこなすなんて無理だけど、
ちょっと面映い練習は楽しくて
その動機は全く不純なのに、この頃はなぜか2軍3軍の後輩たちとも
今まで以上に仲良くなれた気がする。

即席のマネージャーとは言え、今までどれだけ自分が壁を作って
いかにマネージャーらしく溶け込んで来なかったのかと思い知らされた。

それだけ余裕も心配りも協調性もない、
お飾り的なマネージャーだったのだろうと反省もする。

テニスができなくなって突然マネになった先輩、
そんなの誰だって敬遠したくなると言うものだろう。


そんなこんなであっという間に2週間が過ぎた。

氷帝との練習試合のその日、
鼻持ちならないと思っていた氷帝の門構えに
ただそれだけでドキドキしてしまう自分は
周りが変に思うくらい挙動不審だった。


 「?」

不二君がクスクス笑うのを私は黙ってやり過す事しか出来ない。

 「そんなに緊張する?」

 「べ、別に。」

 「1・2年の試合が先だから
  何だったら僕がお膳立てしてあげようか?」

 「あ、あのねー、私、別にお膳立てして欲しいなんて
  一言も言ってないでしょ?」

口では強気でそう不二君に答えても
本当はとてもじゃないけど氷帝側に一人で乗り込むなんて
そんな事はできない。

と言って不二君に頼むなんてなお嫌だ。

 「大体私はこの間のお礼を言いたいだけで。」

 「お礼だけ?」

 「だから、意味深に返さないでよ!」

ムッとしたら不二君は遠慮なく噴出してしまって
先を歩いていた桃城君や海堂君が不審そうに振り返って来た。

私は慌てて知らない振りを決め込む。

そうしながら氷帝のコートに向かっていると
氷帝のマネージャーさんが私に向かって手招きしているのが見えた。

確かさんという名前だっけ、と思い出しながら
型通りの挨拶を交わす。


 「こんにちは。
  今日はよろしくお願いします。」

 「こちらこそ、お待ちしてました。」

にこやかな笑顔のさんはもうすでにジャージ姿だった。

これは私も早く着替えを済ませねばと思うのに
さんは私の制服の袖を引っ張るようにして歩き出した。

 「あの?」

 「ああ、ごめんなさいね。
  でも誰かの邪魔が入ると困るから・・・。
  どうかそのまま何気ない顔で一緒に歩いてくださいね?」

声を顰めてさんは答えると幾分早足になる。

氷帝のコートの周りは今日は多くの女子生徒で賑わっている。

さすがは氷帝だな、なんて思いながらさんに尋ねた。

 「いつもこんなにギャラリーが多いんですか?」

 「えっ? あ、ううん、今日はちょっと特別かな。」

 「まさか氷帝にも青学のファンがいるとか?
  ・・・って事はないですよね?」

 「うーん、まあいるとは思うけど、今日はちょっと違うのよ。」

さんは含み笑いのまま続けた。

 「とりあえずさんにはお手伝いしてもらいたい事があって。」

 「あ、遠慮なく何でも言って下さい。
  練習試合を組んでもらうのに無理を言ったのはこちらですし。」

 「無理を通したのはウチの方も同じです。
  間際になって日程を変えてもらってすみませんでした。」

 「いえ。」

そんな会話をしながらもさんはコートからどんどん離れて行く。

ここで取り残されたら絶対一人じゃ戻って来れないな、なんて思ったりしながら
豪勢な造りの氷帝の校舎に入る。

私が物珍しそうにキョロキョロしながら歩いていたら
とある教室の前で立ち止まったさんは
私の腕を取ると申し訳無さそうにドアを開いた。

 「さんにはこの部屋にある物を
  コートまで運んでもらいたくて。」

さんが私に先に入るように促すから
そのまま一歩前に進めば、なぜか軽くトンと背中を押された。

えっ?と思う私がつんのめる様に教室に入ってしまうと
さんがごめんね、と呟いたのが背中越しにドアの向こうへと消えた。

 「、すまんかったな。」

そして同時にさんに向かって放たれた声に思い当たると
私はそのままその声の主を穴が開くほど見つめてしまった。

だってまさかそこに忍足君がいるなんて思わなかったから。

会えるとは思っていてもこんな風に二人っきりにさせられるとは
想像もしていなかったから。

教室の真ん中ほどの机に忍足君は浅く腰掛けている。

途端にドキドキする胸を押さえながらかろうじて彼の名を口にした。

 「お、忍足君?」

 「ああ、びっくりさせてすまんかったな。
  に頼んだのは俺なんや。」

 「えっ?」

 「こうでもせな、今日はゆっくりさんと話もできんからな。」

忍足君は静かにそう言った。

 「あの、コートに運ぶものがあるってさんが・・・。」

忍足君が私に話があるってどういう事だろう、と
聞きたいことは他にたくさんあるのに私の口からは別の質問が出る。

だってさんは教室には入らずにどこかに行ってしまったのだから。

忍足君は微かに笑っていた。

 「あー、それは後でお願いするかも知れんちゅうことで。
  できんかったら別にええんや。
  それより・・・。」

忍足君は長めの前髪を持ち上げるようにかき上げた。

それを見るだけで私の胸は一杯になる。

何だろう、手塚君だって忍足君同様大人びているけれど
手塚君が同じ動作をしたってちっともドキドキなんてしない。

むしろ鬱陶しいなら髪を短くすれば、なんて言ってしまいそうだけど
忍足君の前髪が短かったらあの瞳に直に射抜かれそうで
私としては今のままで居て欲しいとさえ思う。

 「この間は大丈夫やったん?」

忍足君の優しいイントネーションは本当に耳に心地いい。

加えて私の事を気遣ってくれてると思うとそれがとても嬉しい。

 「だ、大丈夫です。」

 「ほんまに?」

 「手塚君は私が勝手にコートに入ってたから怒っただけで。
  あ、あの、・・・あの時は本当にすみませんでした。
  とてもよくしてもらったのに、お礼も言わないで帰っちゃって・・・。」

 「ああ、ええって、そんなん全然気にしてないから。
  それより俺が勝手にテニスやろうって誘ったのに
  手塚があんなに怒るとは思わへんかったから。」

私は申し訳ない気持ちでもう一度頭を下げた。

 「いえ、私が悪いんです。」

 「そんな事ないやろ。」

 「でも・・・。」

 「さんは何も悪ぅない。
  腫れ物を扱うようにして来た手塚たちが悪いんや。」

 「えっ?」

ふと視線を忍足君に向けると
忍足君の目はあの時初めて感じたような鋭さで私を射抜く勢いだった。

その視線に気圧されそうになったけど、でもこの前のように怖いとは思わなかった。

忍足君の視線の元では何を隠したって意味がないのだと思うし、
逆に私は彼に何もかも知ってもらいたいと思ってる。

だから目を逸らさなかった。

忍足君が何を考えてるのか私の方が知りたいと思っていた。

 「ひとつ聞きたいんやけど、右手はもう治らんのか?」

私は酷く驚いて声も出なかった。

忍足君がその事を知っていてテニスに誘っただなんて。

忍足君はそんな私に目を細めてゆっくりと話し出した。

 「俺な、さんが男子のマネージャーやってるって知って
  びっくりしたんや。
  俺の知っとるさんは中3の夏、関東大会の個人戦で優勝した子やった。
  何となく見た女子の決勝戦で初めてさんに会うたんや。
  足の綺麗な子やな、って目が離せんようになってしもうて。」

 「えっ?」

 「高校に入ってまた試合会場で会えるんやろな、って思うてたら
  さんはコートの外におった。
  知らんうちにマネージャーになってて
  それもよう分からんけど酷く寂しそうに見えてしもうた。
  声を掛けたかったんやけど、
  何も事情知らんのに何もできひんしなぁ。
  だからこの間は渡りに船やって思うてな。
  思わず誘ってしもうた。」

忍足君はそこでふっと視線を下ろしてしまったから
長い髪のせいで彼の表情は全く分からなくなってしまった。

沈黙は途端に私を不安にさせた。

 「私、嬉しかった。
  忍足君とテニスできて、凄く楽しかったよ。」

伝える術が分からなくて
話が前後するのも構わずとにかく聞いてもらおうと思った。

 「右手の痛みがどんどん酷くなって指先まで痺れて来て、
  テニスしてたらこんなのは誰にでもあると思ったから我慢してて、
  でも肘が本当に上がらなくなって来て、
  そこで初めて医者にテニスは辞めなさいって言われて・・・。
  2年くらい掛けてゆっくり治療すればまたできるって言われたけど、
  高校ではもう試合に出れないと分かったら目の前真っ暗になっちゃった。」

忍足君は黙って聞いてくれていた。

 「手塚君にマネージャーになれって言われた時も
  どうせ同情なんだって思ったらテニスコートから色が消えてしまったの。
  誰も私とテニスしようなんて言ってくれなかったし
  私だって誰にもテニスしたい、なんて言わなかったし。
  だって私は初心者じゃなかったし、
  周りだって初心者だなんて思えなかっただろうし。
  だから忍足君に誘われた時、左手でもいいかなって思ったの。
  私の事を知らない忍足君は私を初心者だって思ってくれて
  一から教えてくれようとして、
  でもそれが、とてもとても楽しくて。
  ほら、まだできる、またできる、一緒にやってくれる人がいる。
  そう思ったら夢中になっていて。

  だから、この間はありがとう。
  忍足君にはずっとお礼が言いたくて。
  今日は忍足君に会いたかったから・・・、
  こうして会えて本当に良かった。」

ドキドキしながら話し終わると忍足君はすっと視線を私に戻してくれた。

でも忍足君の表情はとても複雑だった。

 「そうか。」

 「忍足君?」

 「手塚があれ程怒るちゅうのはな、
  それだけさんの事を大事にしとるんやで?」

 「えっ?」

 「さんは自覚なしなんか?」

 「自覚って?」

 「俺はな、さんには笑っていて欲しいねん。
  テニスがしたいんなら素直に手塚に言えばいい、そう思う。
  ああ、もしかしたら不二もさんがそう言うのを待っとるかも分からんな。
  いや、あいつの事やから手塚に負けず劣らずなんやろな。」

 「あの、忍足君。
  話が見えないんだけど?」

悩ましげな忍足君を前に私は恐る恐る尋ねてみる。

 「俺もさんとテニスして楽しかったわ。
  高校のテニス部は無理かもしれんけど
  テニスをすっぱり諦めたんとちゃうなら続けて欲しいわ。
  そんで、また笑って欲しいねん。」

 「あ、うん。」

 「ああ、くそ。
  やっぱ俺は諦められへんわ。」

忍足君は片手で顔を覆うとしばし口を噤んでしまった。

私もどうしていいのか分からない。

忍足君とのテニスは楽しかったと伝えたはずだし、
忍足君も私とテニスして楽しかったと言ってくれたのに、
何でこれからも一緒にやろう、っていう事にならないのか
そういう事じゃなかったのだろうかと思い悩む。

 「あんな、俺、さんにずっと片思いしてきてん。」

 「えっ?」

 「さんの事が好きや。
  好き過ぎて困ってんや。
  今だけでええから、俺の事、好きやって言ってくれへん?」

忍足君に告白されて嬉しいはずなのに
どう考えても今のこの雰囲気は告白されて舞い上がるような状況ではなかった。

忍足君の切なそうな目が私を捉えるも
その瞳の色は私を暖かく包んではくれなかったからだ。

何だろう?

レンズの向こう側がとてもとても遠く感じる。

何を言っても忍足君には届かない感じがして私の心は身震いしている。


私は忍足君に何て言えばいいんだろう?





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2011.12.2.