気遣い無用の彼氏様 前編
「こんなところにおったんか?」
視線だけで見上げると忍足が跡部と並んで立っていた。
たった今、青学の不二対四天宝寺の白石の試合が終わったばかりの歓声の中、
は自分の膝に両肘をくっつけ、
その顔の半分以上を手で覆うようにしてテニスコートを眺めていた。
「跡部、帰ってなかったんだ。」
「ああん?俺様が帰ると思ったのか?」
「だって…、その頭、似合ってないもん。」
ぽつりとこぼすような無愛想なの言葉に忍足はぷっと吹き出したが、
跡部に睨まれたので慌てて横を向いた。
「ふん、俺様のステータスが髪型ぐらいで変わる訳ねーだろ。
お前位だぞ、似合わねーなんて言うのは。」
「おめでたい人ねぇ。
みんな跡部の事、可哀相だと思ってほんとのことが言えないだけじゃん。」
跡部の方に顔を向けるのでもなく、
試合が終わったばかりのコートを見下ろしたままの格好で
なおも毒づくの横に跡部はどっかりと腰を下ろすと、
みんなにその健闘を称えられながら不二が自分のベンチに腰を下ろすのを、
面白そうに見やった。
「じゃあ、あいつにもほんとの事が言えるのか?」
皮肉っぽく跡部が言うので、忍足はやれやれと言った顔で
跡部の後ろにゆっくりと腰を下ろしたが、は微動だにしなかった。
結構今のは痛いところを突かれたんちゃうか、と
忍足はの後姿に想いをはせた。
跡部とは中等部の頃より顔を合わせれば歯に衣着せぬ仲だったが、
が最近不二と付き合うようになってから、
跡部のへの絡みが以前より増したと思うのは忍足の気のせいではないだろう。
大体跡部は青学が前々から気に入らなかった。
…正確には、手塚率いる青学の存在が気になって仕方なかった。
自分の唯一のライバルである手塚への対抗心といったら並々ならぬものがあったが、
ここへ来て、跡部にとっては全くのダークホース的存在だった不二が、
あっさりとに告白してしまった事が悔しくて仕方なかった。
…のだろう、と忍足は推察している。
まあ、大体不二もも互いに練習量の半端じゃない部にいる訳だから
そうそう会える訳でもなく、
どちらかと言えば跡部といる時間の方が多い分、
跡部には不二のもの…という自覚はあまりないようだった。
今日も今日とて、青学の越前に負けてしまったのだからさっさと氷帝学園に戻ってもいいのだが、
氷帝を打ち負かした青学が決勝まで残れなかったらそれは氷帝の恥だ、
と言わんばかりにのこのこと試合会場に戻ってきたのであるから、
その勇気は別の意味で褒めてもいいかも知れないが、
跡部としてはが自分たちと一緒に帰らないのが不満なだけだった。
「ほんとの事って?」
「不二も全国ではたいしたことなかったな、ってことだろう。」
いやいや、お前が言うと洒落にならんで、と忍足は突っ込みたかったが
かろうじて口を挟むのはやめた。
不二が公式で負けたのは、恐らく今回が初めてではないだろうか?
不二の、がっくりと肩を落としてうなだれている姿は、
後ろから見る方がさらにその落胆振りが分かるようで、
青学のメンバーたちもそっとして置いてやってる、
そんな感じだった。
その背中をが視界に入れてない、ということはないと思うのだが、
どう見てもは誰もいないコートを眺めてるようにしか見えない。
いや、あの後姿は痛々しくて見るに耐えないのだろう。
「じゃあ、跡部もたいしたことなかったんだね〜。」
「なんでそうなるんだよ。」
「跡部が先に言ったんじゃない。」
「俺様と不二は違うだろうが?」
「そりゃあ、同じとは思わないけど…。」
不二の試合を最後まで見て、もしかしたら泣いてたんやないやろか、
と忍足は密かに心配していたのだが、やっと顔を上げたの横顔には
涙の後はなかった。
そやろな、俺らが負けた時もは涙を見せへんかったな、
いや、の笑顔に何べん救われたか知らん、
けど、結構俺らも影で泣かせてきたんやろなぁ、…と忍足は思っていた。
「男っていうのはな、負けを知った後で強くなるもんだ。
俺様みたいに心も強けりゃな、1度や2度の失敗は物の数じゃねーんだよ。
大体、今まで負けた事がないっていうのはな、
本当の己の強さの限界を超えた事にはなんねーんだよ。」
偉そうに言うものの、明らかに公式戦で負けた回数は多いというのに、
尚も不二より優位に立とうとする跡部に対して、
は尊敬のまなざしを向ける。
が、それが跡部をたてるの演技であるに違いないと忍足にはわかるのだが、
跡部にはそれがわからないらしい。
「跡部ってさ、開き直りにかけては天下一品だよね。」
振り返って忍足に同意を求めてきたに忍足も苦笑しながら相槌を打つ。
「そやなぁ、跡部には一編、落ち込んだ所を拝ませてもらいたいくらいや。」
「なんだと?
落ち込む暇なんかある訳ねーだろ。
俺はな、まだまだ強くなれる、そう思うとだな、
ふつふつと力がみなぎって来るんだよ。」
「うわっ、すごすぎ。」
がやっと普段のような柔らかい笑い声を上げると
跡部も俺様な態度は変わらないのに、
どこか目元だけ笑ってるのに忍足は気づいた。
なんや、跡部も気ぃ遣ってたんか、ほんまに分かり難い奴やな、
と忍足はため息をついた。
「ふん、今頃俺様の凄さを知るなんざ、遅すぎるだろが。」
「いえいえ、これ以上凄くならなくていいから。」
「ああ? まだまだだ。
今年はだめだったがな、次に対戦した時は俺様の美技の前に
奴らをまとめてひれ伏させてやるんだよ。
ふん、いつまでも女々しく立ち止まってられっかよ!」
「あ〜、はいはい。
じゃあ、そんな立派な跡部様にジュースでもおごっていただこうかな?」
が悪戯っぽく手を出すと、怪訝な顔をしながらも、
跡部はすんなりジャージのポケットから財布を取り出すとの手に乗せた。
「ああ、好きなもん、おごってやるぜ。
どうせ青学戦はまだまだ長引きそうだしな。」
「サンキュ!!
忍足の分も買って来ようか?」
「おお、頼むわ。
少し遠いけど向こうの自販機の方が種類多かったで。
ゆっくり選んで来や。」
「そうね…。」
がちょっとビックリしたような目で忍足を見たので、
忍足はニッコリ笑って頷いて見せた。
が席を離れると同時に、次のダブルスの試合開始のアナウンスが告げられた。
「なあ、跡部。
人間、立ち直りが早いって言うのも損や思うで…?」
「あぁ?」
「いや、何でもないわ。」
歓声の中、忍足はいつの間にかポツンとタオルが椅子の背に掛けられたままの席を、
面白そうに眺めていた…。
********
観客席から急ぎ足で外に出てみたものの、
探すべき人の後姿は右を向いても左を向いてもどこにも見当たらず、
はひとつ小さくため息をついた。
中学の頃から青学とはたびたび練習試合を行っていたから、
も付き合い出す前から不二の事は知っていた。
青学の天才と言われるだけあって、彼の繰り出す華麗な技は、
見る者の目を奪わずにはいられない魅力があった。
あの華奢な体でよくもあれだけラケットの面を自在に操って
計算づくでない感性のみで、何の変哲もない黄色のボールの回転数を
瞬時に倍増させられるものだと常々感心していた。
それなのに、四天宝寺の白石にあと一歩というところで及ばなかったのである。
不二自身も余程悔しい思いだったろうとは思うが、
それ以上にもショックは隠せなかった。
中・高と氷帝テニス部のマネージャーだったは、
たとえばレギュラー落ちした時の滝とか宍戸とかの落ち込んでた時、
昨年度の氷帝が全国に出場しながらベスト16で敗退した時、
それらの時間も彼らと一緒に過ごしてきていたから、
不二の後姿を目の当たりにした時も、最初はさほどの事ではなかった。
確かに不二の負け姿を見るのは初めてではあったが、
試合はどちらかが勝ち、どちらかは必ず負けるものであって、
負けてしまった以上それを冷静に受け止めるのは当たり前のことで、
その上で今まで氷帝の彼らにしてきたように不二の事も慰めもしたかったし、励ましてもあげたかった。
でも、こうして今、不二の後姿を追って試合会場を抜け出してみたものの、
不二にかけてやる言葉はないように思えるのだった。
は手の中の黒い皮財布をじっと見つめた。
気持ちのいい肌触りはいかにも跡部らしい上質な本皮らしかった。
跡部のあの一種鈍感な開き直り方には毎度の事ながら恐ろしく呆れるものの、
こちらが慰めなくても勝手にどんどん立ち直る性格は
側にいるものとしては本当に手がかからなくて小気味いい。
けれどそれはマネージャーとしてのご都合主義にすぎない。
不二の後姿に放っておけない気持ちが先行してしまったが、
それがマネージャーとしての性だとしたら、
むしろ不二を傷つけるのではないだろうか?
不二に凄く会いたいのに、
会ってもどうする事もできない自分がいる。
自分の無力さと相対して、それで不二が自己解決してしまっていたら、
もう2度と自分が不二の特別な存在だと思えなくなるようで、
その事がを無性に不安にさせていた…。
は財布をくっと握り締めると、のろのろと自販機を探すことにした。
会場内からどっと笑い声が上がるのを耳にしながらも、
は自販機の前で新たなる難問に悩みだしていた。
自分用のカフェオレはいいとして、さて跡部と忍足には何を買えばいいだろう?
不二を追いかけるためだけになんとなく跡部にせがんでしまった財布が
急に重たく感じられる。
赤くついたランプを見上げながら思案していると、
不意に見慣れぬ腕が伸びてきて、アップルティーのボタンが押されてしまった。
「僕はこれがいいんだけど。」
横にはさっぱりとした顔の不二が立っていた。
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