8.新しい居場所を求めて
校内球技大会の翌日は日曜日だった。
は久しぶりに本気モードでテニスの試合をしたせいか、
なかなか起き上がることができなかった。
でもそれは肉体的な疲労だけではなく、
明らかに不二に申し込まれたミクスドの事が、
の心に重くのしかかっているのは事実だった。
不本意ではあるにしても、テニスを完全に捨て去る事ができない自分に気づかされてしまったのだ。
幸村のためにテニスを辞めることが最後の幸村への愛情だと思っていたにとって、
またミクスドをやると言う事は、取りも直さず、幸村との決別を意味する。
届かなかった自分の思いを、そのままの形でずっと心の奥に留めておきたかった。
表面的にはテニスをやめるという形であっても、
それまでの幸村とのテニスを抱えたまま、時を止めていられたからだ。
は枕元の携帯に手を伸ばすと、しばらくぼんやりとしていたが、
意を決したようにある番号を押し始めた・・・。
「はい、ですが・・・。」
見慣れない番号からの着信に戸惑ったのだろう、
懐かしい親友の声は妙によそよそしかった。
「もしもし、?
私、だけど・・・。」
「?
本当になの?」
「・・・うん。今まで連絡しなくてごめんね。」
「ううん。おばあちゃんが倒れたんだって聞いてたから。
でも、いきなり転校しちゃってそれっきりだったから心配したよ。
もう、落ち着いたの?」
「おばあちゃんはもともと病弱な人だったからこれが初めてっていうわけじゃないんだ。
でも母がこっちに来たいって言うから、急だったんだけどね。」
「うん、うん。顧問の先生に聞いたけど、
今、青学に行ってるんだって?」
「この間、真田君が来たよ。」
「ふふっ。知ってる、知ってる。
真田君、がいなくなってから機嫌悪くてね。
でも、一人で行くとは思わなかったな〜、ってみんなが言ってた。
ねえ、それにしても、
本当にテニス、やめたわけじゃないんでしょ?」
の口調が突然真面目になった。
「あのね、昨日、幸村が入院したんだよ。」
「えっ?昨日・・・?」
「うん。でもただの検査入院だけどね。
それでね、私、これから病院に行くんだけど、もおいでよ。
幸村もに会いたがってるし・・・。」
「幸村君が?」
「真田君がね、が青学でテニスをしてないって怒ってたよ〜。
で、お前が悪いんだって幸村に食って掛かったんだよ。」
はため息をついた。
真田が幸村にたて突くなんて思ってもみなかった。
「・・・私が悪いだけなのにね。」
「幸村も同じような事を言ってたわ。
本当にあなたたちってベストパートナーよね?」
がクスクス笑っていた。
はが幸村をダブルスのパートナーとして好きだということしか知らなかった。
もちろん、が自分の気持ちをや幸村に告白する前に二人がくっついてしまったのだから、
には言えなかった訳なのだが・・・。
「じゃあ、幸村君のお見舞い、私も行くね?
私、幸村君に話しておきたい事があるんだ・・・。」
「うん、わかった。
じゃあ、10時ごろ、駅で待ってるわ。」
に病院の近くの駅を教えてもらい、は携帯を切った。
そしてベットから下りると、しばし悩んだ末、
は青学の制服をクローゼットから取り出した。
10時少し過ぎに、は指定された駅で電車を降りた。
空はどこまで青く、雲ひとつなかった。
改札口には待ってるはずのの姿はなく、
帽子をかぶった見覚えのある男が腕組みしたまま構内の柱に寄りかかっているのが見えた。
はおずおずと近寄るとまっすぐにその男の顔を見上げた。
「真田君?なんでここに?」
「ああ、から電話をもらったんだ。
あいつなりに気を遣ったんだろう?」
はを責める気にはなれない。
真田がに気があるらしいというのは部内でのもっぱらの噂ではあったが、
も本当の気持ちをに知られたくはなかったので、
今まであやふやにしていたのである。
「まあ、どうせ俺も幸村の見舞いには来るつもりだったからいいんだが・・・。」
「うん、私も真田君と一緒でよかったよ。
と二人きりだとずっとのろけ話聞かされちゃうもの。」
そう言っておどけてみたものの、真田にはの気持ちがわかるだけに何も言わないでいた。
真田の、不器用であるが、そんなところの優しさはにはありがたかった。
「で、幸村と逢ってどうするつもりなんだ?」
真田は青学まで押しかけて行った時の事を思い出していた。
「真田君。あの時はごめんね。
ほんと、私、どうしようもない奴だったよね?
私ね、幸村君とちゃんと話して、青学でまたテニス、やろうかと思ってる。」
真田は一瞬驚いた顔をしたが、それっきり黙って病院への道のりを肩を並べて歩き出した。
幸村の入院した金井総合病院は駅からさほど遠くない距離にあったが、
敷地は広く、かなり大きな病院だった。
ロビーの吹き抜けは高く、ステンドグラスの窓はまるで高級ホテルを思わせる程だった。
エレベーターで7階に上がると、その階は個室ばかりのようであった。
は幸村の病室を確かめると、静かにノックした。
中から幸村の声がした。
「やあ、久しぶりだね?」
ベットの上で半身起こしたまま、幸村がにこやかに真田とを迎えてくれた。
「突然引っ越してから全然連絡くれないから、
もう忘れられちゃったのかと思ってたよ。」
幸村は長い前髪をさらりとかき上げた。
肌は白く透き通っているので、普段の彼を知っていても、
彼が長期入院してると言われたら信じてしまうかもしれない。
そのくらい幸村は儚げで、病院が似合っている、とも思うほどだった。
「まさか。
私が幸村君のこと忘れるわけないじゃない?」
は笑って返したが、胸の奥がチクリと痛むのがわかった。
「本当に転校しちゃったんだ。
それ、青学の制服なんだね?
はどんな制服でも似合うね。」
「幸村君もそんなお世辞言えるって事は
全然元気でほっとしたよ。」
「やだな。僕はにはお世辞なんて
一度も言ったことないよ。」
幸村の視線には少し頬を染めると、
まるで胸のリボンが曲がっていたかのように左右に引っ張りながら直す振りをした。
「ごめんね。・・・何も言わないでテニス部も辞める様な事になっちゃって。」
「そうだね。
・・・でも、たとえ転校していなくても、
はミクスド1本に絞っていたから、
俺がテニスできなければ、どっちにしても試合には出られなかったわけだし、
の性格だと、きっとテニス部を辞めていただろうね。」
幸村の笑顔が眩しかった。
「だが、転校しなければ誰かとミクスドを組み直して出られたはずだ。」
黙って窓の外を見ていた真田が初めて口を挟んだ。
「真田。それは無理だよ。
だって俺以外とペア組む気はなかったと思うよ。」
「しかし・・・。」
「それに誰かがとミクスドに出たら、
団体戦の戦力が弱まってしまうだろ?
団体戦に支障をきたすような事は俺が許すはずがないよ。
には悪いけどね。」
真田は幸村の言葉に口をつぐんだ。
病床とは言え、立海大の部長はあくまでも幸村なのだから。
「ただ、ミクスド優勝の夢をに見せてあげられないのは、
パートナーとして本当に不甲斐ない気持ちなんだ。」
幸村はすまなさそうにを見つめた。
「だって、仕方ないよ、こればっかりは・・・。」
「俺もね、最初は自分の運命を呪ったよ。
なんでこんな思いをしなくちゃいけないんだろうって。
病名もよくわからないし、治るかどうかもわからないって医者に言われた時は、
正直腹がたったね。
それでもプロかって。
でも、時間が経つうちに、悪い事ばかり考えても仕方ないなって思ってね。
どんな結末が来ようとも、その運命を受け止めて、
やれる事はやってみようと思ってるんだ。」
はテニスをしている時の、あの自信に満ちた幸村の顔つきを目の当たりにしていた。
幸村はテニスを諦めていない・・・。
「ねえ、。
青学でテニス、してないんだって?」
は真田をチラリと見やると、幸村をまっすぐ見つめた。
「私ね、幸村君とミクスドに出る事だけが夢だったから、
青学に行っても全然テニスをする気になれなかったの。
幸村君がテニスできないのに、私だけやるのが、その、気が進まなかったの。」
「そんな事だろうと思ったよ。
でもね、俺は諦めてないよ。
できれば全国大会までには治したいって思ってる。
もしだめでも、半身不随になっても、テニスを辞める事はしないよ。
だから、もテニスを辞めるなんて言って欲しくないな。」
幸村はそう言うと、サイドテーブルの上のテニスボールを握り締めた。
「それに・・・、結局、
俺ではを満足させてあげる事はできなかったしね。」
「えっ?」
「俺はの心の半分しか満たしてあげる事はできなかった。
俺にはわかるよ、君とは付き合い長いし。
俺とミクスドに出られなくなって、
一番不安な時に君を支えてあげる事もできなかったしね。」
「幸村君・・・。」
「真田も全然頼りにならないし。」
幸村は意地悪く真田を見やった。
真田は憮然と帽子を目深にかぶり直した。
「柳の話だと、今年の青学は結構曲者揃いらしいね。
ミクスドに出られる奴がいるかどうかわからないけど、
君のテニスの可能性を無駄にはして欲しくないんだ。」
「・・・ありがとう。
私、幸村君とミクスドに出られないって知った時はすごく辛かったけど、
実はね、昨日、こんな私と一緒にミクスドしたいって言う人に出会ったの。
初めは無理だなって思ったんだけど、
私も、やっぱりテニスが好きだなって気づいて・・・。
ちゃんと幸村君に報告してからやろうと思って。」
「ああ、よかった。
それを聞いたら安心できるよ。」
「うん。立海大で教えてもらったテニスが好きだから、
辞めるなんて事、できないよ・・・。
私、今まで幸村君や真田君とテニスができて、本当によかったって思ってる。」
は真っ直ぐに幸村を見つめると、心のつかえがやっと取れる思いだった。
とにかく一歩前進できた・・・。
「ミクスドの大会、楽しみにしてるよ。
のパートナーがどんな奴か見極めたいしね。」
幸村はそう言うと、真田の方を向いた。
「これで真田も安心して部活に身が入るよね?
ふふっ、それとも新たに悩みが増えちゃったかな?」
「幸村。余計な事を言わんでもいい!
がテニスを続けるなら、それだけでいいんだ。
俺は部活があるからもう行くぞ?」
「ああ、いいよ。」
「あ、じゃあ、私もそろそろ帰るね。」
「うん。わかった。
いいかい?あんまり自分だけで抱え込まないんだよ?
は考え過ぎの所があるんだから・・・。」
「うん。幸村君、本当に今までありがとう。
じゃあね!」
は真田の後について病室を出た。
「・・・私、幸村君のこと、好きだったよ。」
病室のドアを閉めながら、最後の言葉をは小さく囁いた。
病院のロビーでは前から走ってくるに気がついた。
「〜!!」
「・・・。」
「もう帰るの?」
「うん、幸村君とはちゃんと話せたし、
私、また本気でミクスドやろうって決めたから。」
「よかった〜。
私、のテニスしてる所見るの、好きだったんだよね〜。
そっかぁ、もう帰っちゃうのか、残念だな。」
そう言いながらは真田の方を見ながらクスクス笑った。
「とゆっくり話がしたかったけど、
今日は真田君に譲るわ。
せっかく二人っきりになれるんだし。
の携帯番号はわかったからいつでも話せるしね。
でも、またこっちに遊びに来てね。
ブン太とか赤也が喜ぶし・・・。」
は言いたいことを言うと、
手をブンブン振りながら笑顔で二人をいつまでも見送ってくれた。
「のああいう所が俺にはわからんな。」
病院の敷地を出た所で真田が呟くように言った。
「は天然だよね。
でも全然憎めなくて、ほんわかしてるし、
一緒にいるとつまらない事でくよくよしてる自分の方が
可笑しくなっちゃうもの。」
きっとそんな所が幸村も好きなんだろうな、とは思った。
「いいのか?
が俺達のことを勘違いしたままで。」
「真田君には悪いと思ってるけど、
がそういう風に思ってくれてる方が楽だったし。」
「。俺では幸村の代わりはできないだろうが、
もっと甘えてくれていいんだぞ?」
真田はそう言うとを自分の胸の中に抱きしめていた。
今までそうしたかったのにできなかった分、力が入ってしまった。
「真田君///」
「しばらくこうさせてくれ。
お前がずっと好きだった。
多分これからもだ。
けど、お前はまた俺でない別の奴とダブルスを組む。
お前の心はやがてそいつの事で一杯になる。
はそういう奴だ。
一は全。全は一・・・。
不器用なところはお互い様だな。」
「真田君、ごめん・・・。」
は真田の思いを受け止められない自分を
こんなに愛してくれてる真田を思って涙を流した。
「しかし、今度お前が泣くような事があったら、
俺はお前を腕ずくでも取り戻しにいくからな!」
帰りの電車の中から懐かしい立海大の校舎を見ながら、
はまだ体に残っていた真田のぬくもりの余韻に浸っていた。
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☆あとがき☆
いやあ、ちょっと長くなってしまってすみません。
真田の扱いをどうしようかと悩んじゃって、
ええい、告白させちゃおう、そしてばっさり・・・。
ええ奴なのに、ごめんね、真田!(笑)
2004.9.26.