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        37.見えない未来 5






 「楓!」

桜と楓はまるで久しぶりにあったかのように抱き合った。


 「桜、大丈夫なの?」

 「赤也との試合の事?」

 「だって棄権なんてするから。」

楓は桜の肩越しにちらりと幸村を見た。

さっきまで桜に笑いかけていた幸村の顔は
今はもうニコリともしていなかった。

 「ごめん、心配かけちゃって。
  でも大丈夫。
  久しぶりにこんな大きな大会出たから少しバテちゃっただけ。」

 「そうね。
  桜はもともとあんまり体力なかったしね。」

 「返す言葉もありません。」

桜がおどけて頭を下げた拍子に二人は同時に笑いあった。

 「まあ、桜にもひとつ位弱点がないと赤也が可哀想だしね。」

 「ごめんね、赤也の事。」

 「何言ってるの。
  赤也は打たれ強いんだし
  この位の事でめげるようなら次期部長にはなれないわよ。」

 「そっか。
  立海のお母さんには苦労かけるけど
  赤也の事、お願いします。」

 「だーれーが、お母さんよ!!」

楓はしみじみと桜の顔を見た。

後輩を思いやるその顔は凛としてとても綺麗だった。

桜は優しくてテニスが上手くて、楓の自慢の友達なのだ。

でも視線を移さずとも分かる。

多分、その顔を幸村もずっと見つめて来ていたのだ。

楓は苦しくて苦しくてたまらなくなった。

 「そうそう、青学の人たちが桜を探してたよ?」

 「えっ?」

 「ほらあの、ゴールデンペアの外はねの人。
  えっと?」

 「菊丸君?」

 「そう。不二君と一緒に。
  閉会式の会場は離れてるからね。
  桜もそろそろ行かないと。」

 「うん、分かった。
  楓、今度またゆっくり会いたいね?」

 「うん、私も。」

桜は振り返ると幸村に小さく手を振った。

 「じゃあ、幸村君、また。」

 「ああ。たまには立海にも遊びにおいでよ。」

 「ふふ。余裕だね。
  私が行ったら敵情視察になっちゃうよ?」

 「何を言ってるんだ。
  立海のコートは君の古巣なんだから
  いつでも戻って来ていいんだよ?」

幸村の言葉に桜は笑って戻って行った。

何気ない言葉だが楓は幸村の本心を聞いたように思った。








 「赤也より桜の事がそんなに心配だったの?」


小さくなる桜の後姿を見送ると
楓はゆっくりと振り返って幸村を見上げた。

けれど幸村の視線は楓を捉えなかった。

そのまま歩き出す幸村に楓は思わず幸村の腕を掴んだ。

立ち止まった幸村の表情には
ありありとうんざりだと言わんばかりの色が見えた。

 「赤也の事は柳たちに任せてる。
  それより天王寺こそ何しに来たんだい?」

 「私?
  私は桜の親友よ?
  その友達を気遣う事は誰が見ても可笑しくないと思うけど。」

 「何が言いたいんだい?」

 「だってどう見たって可笑しいでしょ?
  幸村こそ・・・。」

 「今ここで、君は最後まで曝け出す覚悟はあるのかい?」

冷たく言葉を遮られ、幸村の鋭い視線に楓は後悔した。

そこには楓の知らない幸村がいた。


今まで幸村の事が好きで
幸村の一番近くにいる事だけで幸せだった。

周りからも親友からも祝福され
理想のカップルとまで言われて来た。

幸村はいつも優しかった。

  ありがとう、すまない、君は凄いよ

そんな台詞は山ほど貰っていたのに。

大事にされていたのは自分だけでない事に何の疑問も持たなかったのに
幸村の心が今自分の元に全くない事に気づいてしまった。

付き合って欲しいと楓の方から告白して今まで付き合ってくれたけど
驚くほど簡単に始まった恋は、初めから終わりがあったかのように思えて
向こうに見えるゴールテープ手前で楓は引き返せない事実に目を背けたかった。

何も気付かずにいれば
もう少し幸村とは恋人同士でいられたのかもしれない。

けれど楓は幸村の本心が他にある事に気づいてしまった。

そして安穏と過ごしていた日々よりも今
無性に幸村を手放したくないと思う自分がいて
まさか自分にもこんなに醜い感情があるなんて楓は思ってもいなかった。



 「もう、無理なの?」

絶対言いたくなかった言葉が突いて出る。

 「その言葉に答えが欲しい?」

案の定、幸村は楓の好きだった幸村ではもうなかった。

 「でもいずれ答えを出す気だったんでしょ?」

 「そうだと言ったら?」

無表情の幸村の言葉に楓の心は悲鳴を上げながらも
どろどろとした黒い感情に身を任せるように
まるで自分ではない言葉が湧き上がるのを止めようとも思わなかった。

 「幸村の思い通りになんてならないわ。」

楓は顔を歪ませたまま必死だった。

なり振りなんて構っていられなかった。

 「だってそうでしょ?
  私と別れたって桜と一緒になれるはずないじゃない。
  桜が私を見捨てると思う?
  親友の元彼と付き合える神経を桜は持ってないわよ?」

 「だから?」

幸村は少しも動じなかった。

 「私だって桜の事は好きよ?
  幸村が桜とテニスするのを見るのだって好きだった。
  全然平気だった。
  だってそうでしょう?
  立海で一番強い者同志がペアを組んでるんだもの。
  それは当然の形だった。
  でもそれはテニスのペアであって恋人じゃないわ。
  恋人は私でしょ?
  私が勝ち取ったのよ?
  なのに、何で今更桜なの?」

楓は自分が自分じゃない感覚に嫌悪感を抱いていた。

こんな風に激高して誰かを責めたり罵ったりするなんて
今までの楓なら有り得ない事だった。

幸せ過ぎたのかも知れない。

できた友達と好きな人に囲まれてただただ幸せだと思っていた。

それなのに気付いてしまえば自分はただのお邪魔虫同然ではないか・・・。

 「今更? 違うね。
  こうなる事は初めから決まっていたんだ。」

 「えっ?」

 「君が俺を勝ち取っただって?
  バカを言っては困るな。
  俺は君を選んだつもりは全くないよ?」

 「そんな!?
  だって、私と付き合ってくれたじゃない?」

 「付き合う?
  これが?
  君が付き合ってと言ったから付き合っただけだ。
  ただそれだけの事だ。」

ただ、それだけの事って・・・。

幸村の冷たい視線は試合の時
彼が相手選手の五感を奪って
試合終了のコールがかかった時の目に似ていた。

もう自分は幸村の相手としてその目には映っていないのだ。

楓の恋はいつの間にか終わりを迎えていたのだ。

でも楓はそれをどうしても受け入れたくなかった。

 「でもあんなに優しかったじゃない。
  周りが羨むぐらい私たちは・・・。」

 「君は俺たちが本当に恋人同士だったと思うのかい?
  デートをしたことがあった?
  手を握った事があった?
  抱きしめた事は?キスは?
  まあ、君は俺が思う以上に何でもない事で喜んでいたからね。
  そういう意味では、いい彼女だったかもしれない。
  俺に彼女がいないとなれば俺の傍に一番いた
  俺のパートナーに矛先が向いてしまうからね。」

幸村は微かに口元だけで笑って見せた。

 「俺が一番大事にしてきたのは君じゃない。」

それでも最後の彼の優しさなのか
桜の名を出す事はなかった。

けれどその事が逆に幸村が桜をどんなに思っているのか
嫌という位伝わって来てしまって、もうどうやっても敵わないと思い知らされた。

幸村に騙されていたんだと思うよりも
結局自分に力が足りなくて幸村の気持ちを
自分に引き込めなかったのだと思って悔しかった。

それでもまだ楓に望みがない訳じゃない。

溢れそうになる涙を堪えながら幸村を見据えた。

 「でも例え幸村が桜を想っても
  その想いはもう届かないとしたら?」

 「俺はいつまでも待つよ。」

 「幸村には分からないの?
  桜は公私共に不二君のパートナーでいるのよ?
  桜は不二君を選んだんだわ。
  その幸せを幸村は壊す気なの?
  いいえ、私を捨てた幸村が桜に不二君を捨てさせても
  桜は幸村と一緒にはならない。
  ううん、なれない。
  幸村と一緒になったらあの子は壊れちゃうわ。
  無理よ、絶対無理よ!」

幸村の目は一度大きく見開かれた。

それはそうだろう、幸村は不二と桜が付き合ってるのを知らない。

幸村が諦めてくれればいい、楓はぼやける視界の中で
幸村が、立ち去った桜の方向に視線を移すのをただ見つめるしかなかった。

やがて幸村はため息と共に吐き出した。

 「天王寺、君は悪女にはなれないね。」

 「えっ?」

 「そうやって木之本の心配ばかりしている。」

嵐が通り過ぎたように幸村は穏やかに言った。

楓の目からはらはらと涙が零れた。

 「そんな事言わないでよ。
  そうやって桜を守るのね?
  私に酷い事を言わせないために・・・。」

 「別に。
  俺の事、木之本にどんな風に言ってもいいよ。
  今更聖人ぶる気はない。」

 「嘘。」

 「嘘ならもう随分木之本にもついてる。
  でも後悔する事ばかりだ。
  もうこれからは自分を偽って生きたくないんだ。」

閉会式出場校への集合のアナウンスが流れて来た。

幸村は真っ直ぐに楓に手を伸ばしてきた。

 「今までありがとう。」

 「私は、嫌よ。」

 「いいよ、それで。
  天王寺の気の済むまで付き合うよ。」

楓と手を繋ぐと幸村はゆっくりと歩き出した。

 「こ、こんな事したって・・・。」

楓は嗚咽を堪えながら俯くと
黙って幸村に引かれるまま閉会式の会場へと一緒に歩き出した。

多分これが最初で最後なのだと
繋がれた幸村の大きな手ばかり楓は見つめていた。





  
  
 


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2012.1.19.