38.揺らめき






閉会式が終わるとと不二は
早速竜崎先生にみっちりと説教された。

特には右手首に不安を抱えたまま無茶をした事に対して
きちんと医者の診察を受ける事と
医者の診断如何によっては謹慎も止むなしと宣告されてしまった。

幸いたいした事もなく、それでも3日ばかりはラケットも持たせてもらえず
は女テニの練習の指導をしながら
頭の隅では自分の将来についてふと思う所があった。

決勝での不戦敗はもちろん父の知る所とはなったが
が危惧するほど責められる事はなかった。

けれどそれが暗黙のうちに夏が終われば部活引退は
裂けられそうにもない事には憂鬱な気持ちだった。

自分の可能性が井上の言うように広がっているかどうかは
にはよく分からなかったが、
それでもミクスドの全国大会後の選抜合宿は魅力的である事に違いなかった。

かつての夢は幸村とミクスドで全国優勝する事だった。

それで完全燃焼して引退と思っていたのが
青学の不二とミクスドを組む事になった。

幸村があのまま復帰できなかったのならば
軌道修正したまま不二とミクスド全国優勝の夢を果たせば
は心置きなく引退できると思っていた。

でも今は少し違う。

幸村がコートに復帰できたのなら
としては引退する前に幸村ともう一度テニスをやりたい。

そしてそれが実現できる場が選抜合宿なのだ。

それにはやはり全国優勝を果たした後
父に自分の思いをどうにかしてぶつけねばならなくなるだろう。

そこまで考えるとは自然とため息を洩らしてしまった。


 「何、物思いに耽ってるの?」

はっと我に返ると目の前には知らぬ間に小鷹がいた。

 「如月さんもだいぶ伸びて来たわね。
  関東大会、どこまで食い込めるか、凄く楽しみだわ。」

小鷹はと並んで立つと、コートの中の舞を見ながら言った。

は別に舞のテニスを見ていたのではなかったが
小鷹の意見に同意するべく口を開いた。

 「そうね、如月さんにかかってるかもね、団体戦は。」

 「私たち、シングルスのトリオが勝ち続ければベスト4まで行くかな。」

 「あれ、優勝するつもりじゃなかったの?」

 「そりゃあ、そこまで行ければ願ったり叶ったりだけど。
  うちのレベルじゃ、ね。
  がいるから今年は夢を見れるんだもの、それだけで充分。」

小鷹はさばさばとした表情で笑顔を見せた。

がいなければ青学の女テニは初戦敗退が常だった。

 「女子は関東大会で終わりだけど
  もちろん、のミクスドは応援するし、
  男子は全国大会に行けるだろうから
  そうしたら全国大会を観に行って秀一郎を応援するつもり。」

 「大石君も頑張ってるものね。」

 「は不二を応援しなきゃね。
  そう言えば・・・。」

小鷹はの方に向き直るとの首元を指差した。

 「何?」

 「そろそろみんな気が付いてるわよ?
  不二と付き合ってる事。」

 「えっ?」

 「お揃いのペンダントしてるでしょ?
  この間の試合の写真にそれがバッチリ写ってて
  と不二がただのミクスドパートナーだけじゃない、って噂になってた。
  って、まあ、誰が見ても丸分かりだと思うけどね。」

小鷹はが頬を赤らめるのを面白そうに見とめるや
またコートの中の舞に視線を移した。

 「別に隠す事もないと思うけど?
  恋愛が部活に支障を来たすとは私も秀一郎も思ってないし。」

 「う・・・ん。」

 「むしろ、相乗効果で頑張って行けるんじゃないかな。」

そう言ってのける小鷹は大石とは
本当に恋人同士なのだろうかと訝るほどさっぱりした関係に見える。

お互いがお互いの部のために時に食い違う意見を戦わせる光景は
一度や二度ではなかった。

それでも小鷹と大石はぶつかった問題が二人の間にしこりを残すという事がなかった。

相手の意見を鵜呑みにするのでも、自分の我を通すのでもなく、
いつも何が問題なのか、すれ違う所は何なのか、
妥協と譲歩の狭間で最善の策を練ろうとする姿勢は
二人の信頼の深さを物語っていた。

 「那美と大石君は将来の事を話し合ったりするの?」

は一番聞きたかった事を口にした。

 「将来? 秀一郎と?」

 「うん、どうなのかなって。」

 「そ、そりゃあ、考えてるけど。
  秀一郎はどうかなぁ?」

 「えっ?」

 「だって、そういう事ってやっぱり
  秀一郎から先に言ってもらいたいし?」

まじまじと小鷹を見つめていると小鷹は焦ったように顔を押さえた。

 「だってそうでしょ?」

 「私?」

 「ああ、不二だったらすぐにでも言ってくれそうだもんね?」

 「何を?」

 「だから結婚の話でしょ?」

 「ええっ!?」

は思わず大きな声を出してしまって慌てて口を押さえた。

後輩たちの視線が一斉に注がれるのを見て
小鷹も慌てて声を小さくした。

 「違うの?」

 「もう、何言ってるの?」

はそう小鷹を窘めるものの
まるで考えていなかった結婚と言う言葉を思い浮かべて
そんな先の未来を考えている小鷹を可愛いと思った。

 「だって二人の将来って言ったらそういう事かと思った。
  は考えた事なかったの?」

 「・・・だって早すぎる。」

 「そうかなぁ。
  私は秀一郎と傍目を気にせず早く一緒になりたいけど。」

小鷹は目を細めて嬉しそうにそう言った。

 「でも大学には行くでしょ?」

 「ふふっ、学生結婚もいいなぁ。」

 「もう、那美ったら。
  私、真面目に聞いてるのに。」

の不貞腐れた口調に小鷹はごめんと笑いながら言った。

 「もちろん真面目に考えてるよ?
  一緒になれたらいいなあって。
  でも秀一郎は大学に行ったら忙しくなると思うんだ。」

 「青春大学に進学でしょ?」

 「うん。
  でもね、秀一郎は医学部だから。」

 「医学部?」

 「そうなの、秀一郎の夢は医者になって
  おじさんの病院を手伝う事なんだって。
  だから夏の大会が終わったら猛勉強みたい。
  多分内申的には全然大丈夫なんだろうけど、
  それでも今までテニス優先だったから。」

初めて聞く大石の夢には目を見張った。

 「驚いた?
  私も最初聞いた時はびっくりしたわ。
  それが眩しくも思えたけど
  あんまりきっぱりと言うから何だか寂しいなって思ったり。」

 「寂しい?」

 「だって今から私も同じ道目指すなんて無理だし、
  と言って何かやりたいっていうのも私にはなくて。
  でもどうせなら福祉関係の資格でも取って
  いつか秀一郎の役に立てればいいかなって思ってるんだけどね。」

はにかみながらそう答える小鷹の横顔をはぼんやりと見つめていた。

自分はそこまで何も考えていない。

それよりミクスドの試合の事や選抜合宿の事しか頭になくて
その先の事など不二と話した事もない事に気付いて今更ながらにショックを覚えた。

 「不二とは話した事ないんだ?」

の表情を読み取って小鷹がクスリと笑った。

 「そっか、不二も言い辛いんだろうね。」

 「えっ?」

 「ううん、私からは言わない。
  が自分から聞かなきゃ。」

 「何を?」

 「が聞きたい事。
  さ、そろそろ私たちもコートに入ろうか。」

先に歩き出す小鷹の後からもゆっくりとコートに向かった。


  




小鷹と話をしてからしばらくしても
は不二となかなか将来についての話を切り出す事ができなかった。

それは今どうしてもすぐにしなければいけない話にも思えなかった。

何気ない日常の会話からは不二からも将来どうしたいと言う話題は出て来ない。

けれどもしかしたらプロを目指しているのかもしれないと思う事はある。

いや、不二なら充分目指せるだろう。

青学の中で手塚と不二は格段の強さを秘めている。

今だって高校生離れしたプレイスタイルなのだ。

卒業後は世界に向かって羽ばたくと聞かされてもそれは当然のように思える。

そう思っていた矢先、いつものように不二を待つべく
部室からやや離れたベンチにが座っていると
その前を通り過ぎようとしていた黒崎と目が合った。

あれからもう随分久しいが
黒崎と面と向かったのは今日が初めてだった。

黒崎もに気がつくと思い返したようにのそばに近寄って来た。

 「凄い活躍ぶりね。」

一瞬緊張した表情を浮かべたに対して
黒崎は苦笑いを浮かべると、その長い髪を掻き揚げた。

 「別にもう何もしないわ。
  これ以上不二君に嫌われたくないもの。」

 「・・・。」

 「だからと言ってさんと友達になりたいとも思わない。
  だって私は今もずっと不二君の事が好きだから。」

は何も言えず黒崎を見つめた。

 「中学の時からずっとファンだった。
  不二君一筋だった。
  不二君は誰かと付き合う事がなかったから
  ずっと誰のものでもないって思ってた。
  だからさんと仲良くなっていくのを見るのは
  とてもとても嫌だわ。」

黒崎は臆する事無く自分の気持ちを吐露した。

 「黒崎さん・・・。」

 「さん、全国大会が終わったら選抜合宿の話が出てるんですってね?」

 「えっ?」

いきなり振られた話題には黒崎の真意が見えず
その瞳に不安の色を濃くした。

 「凄いと思うわ。
  さんには才能があるって今なら素直に思える。
  不二君が魅かれるのも仕方ないんでしょうね。」

 「そんな事・・・。」

 「いいえ。
  私、テニスだけなら何年も見て来たんだもの、
  ミーハーなファンよりは目が肥えてるって自信あるの。
  誉めたくなんてないけど、
  でもさんは実力があるって認めるわ。」

黒崎はそこでちょっと息をつくと持っていた書類を持ち直した。

大人っぽい雰囲気の黒崎はとても同い年には見えない。

はっきりと物を言う性格は敵を作りやすいのだろうが
逆にそれが黒崎の長所なのだろうと思うと
のテニスの実力を誉める彼女は
もう少し違った出会いをしていたならば友達になれたかも知れない。

 「私にはそんなに凄い才能があるとは思わないんだけど。」

 「相変わらずね。
  そんなんだから不二君があなたを引っ張り上げようとしてるのね。」

 「えっ?」

言っている意味が分からないというの表情に
黒崎は取り繕う事もなく嫌な顔をした。

 「本人に自覚がないなんて不二君も可哀想ね。
  でもそれで不二君に愛想をつかれるなら願ったり叶ったりだけど。」

 「どういう事?」

 「あなた、まさか私がそんな事を教えると思ってるの?
  分からないなら分からないでいい。
  敵に有利になる事なんて言う訳ないじゃない。」

 「敵だなんて。」

 「私はまだ諦めてないの。
  さんのせいで私も迷っていた留学を決めた位なんだもの。
  せいぜい選抜合宿で頑張ってね。」

黒崎はそう言うともうには見向きもしなかった。

断片的に意味深な事を匂わせながら
でも黒崎は肝心な事は何も言ってくれなかった。

黒崎の好きな不二を奪ってしまった自分は敵、
という黒崎の言葉がたまらなく寂しかった。

仕方がない事とは言え
より余程不二の事を知っている黒崎の口ぶりに
の心の中には小さな波紋が生じていた。



 「。」

何かを明確に思い悩んでいた訳ではなかったのだけど
は不二が声を掛けるまで全然気付かなかった。

顔を上げると不二の鋭い視線があっては驚いた。

 「今、黒崎がいたような気がしたけど
  まさか何か言われた?」

 「あっ、ううん。」

 「本当に?」

畳み掛ける不二を安心させるべくは笑みを浮かべた。

 「大丈夫。
  黒崎さんに誉められただけ。」

 「誉められた?」

訝る不二には立ち上がると肩を並べて歩き出した。

 「私にはテニスの才能があるって。
  だから選抜合宿頑張って、ってエールを貰っちゃった。」

 「えっ?」

今度は不二が驚く番だった。

 「不二君も変だなって思うでしょ?
  私もびっくりだったけど。」

 「それで?」

 「黒崎さん、今度留学するんですって。
  詳しくは教えてくれなかったけど、
  留学なんて凄いよね?
  きっと英語が得意なんだろうな、黒崎さんって・・・。」

そう続けてが不二を見上げると
不二はまるで言葉の呪縛に取り付かれたかのように立ち止まった。

 「留・・・学?」

 「どうかした?」

 「黒崎は僕の事は何も言わなかった?」

少し慌てたような不二の口調に思わず頷く。

 「そう・・・。」


は落ち着かない気持ちだった。

黒崎は知っていて自分が知らない事が
確かに存在するのだと直感した。

モヤモヤする気持ちを抑えるには
それを不二に問いただせばいいだけの事なのに
なかなか口に出せない。

どうしてだか緊張する。

訳もなく不安になる自分が情けなくて
それがそのまま顔に出てしまったのだろう、
不二が困ったな、と呟くのが聞こえた。

 「隠している訳じゃなかったのだけど。」

その後に不二の口から出た言葉は
一度目はそのままの耳には入って来なかった。

だから不二はもう一度はっきりとその言葉を
言わねばならなかった。




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2012.6.5.