36.見えない未来 4










 「あれ、ちゃんは?」

菊丸はの様子を素早く盗み見した。

黄色のジャージには赤い立海大マーク。

見知らぬ女の子と二人でいる不二に菊丸はもう一度つっけんどんに言った。

 「ちゃんはどこ?」

 「は、幸村君と会ってる。」

 「ええっ!?
  な、何、それ?
  何で?」

菊丸は不二の想像通りのリアクションをした。

 「別にそんなに驚かなくても。」

 「はぁ?不二、本気でそんな事言ってんの?
  てか、棄権なんてするからみんな心配してんだぞ?
  すみれちゃんにもちゃんと釈明しないと・・・。
  って、ちゃん呼んで来ないとまずいだろ?」

相変わらずの打てば響くような菊丸口調に不二は黙り込んだが
さすがに棄権した理由を竜崎先生に報告しない訳にはいくまい。

とそれまで黙っていたが菊丸に取りなした。

 「それなら、私が呼んで来ます。」

 「へっ?」

菊丸と不二に対してぺこりと頭を下げると
は風のように身を翻して走って行ってしまった。

菊丸はそれをポカンとした表情で見送ってしまった後に
気まずそうに不二を見やった。

 「あの子、誰だったの?」

 「の友達。
  立海大のマネージャーだって。」

 「ふーん、で、不二に何の用?」

 「僕に、じゃないよ。
  に会いに来たんだ。」

 「そうなの?
  俺はまたてっきり・・・。」

 「何?」

 「いやいや、別に何でもない。」

不二は慌てて口篭る菊丸を見ながら僅かにため息を洩らした。











       ********




 「やあ、二人揃っているとは奇遇だね?」

幸村との側にいつの間にかカメラを手にした井上が立っていた。

その姿に幸村は愛想よく答えた。

 「井上さんこそ、忙しそうですね。」

 「そうだな、今回の試合はなかなか見応えがあるからね。
  幸村君は調子はどうなんだい?
  そろそろ本格的に試合に参戦したい所なんじゃないかな?」

差し障りない口調は井上らしい、と幸村は思った。

 「そうですね、全国大会の決勝までには復活できると思いますけどね。」

 「そうか、それは大いに楽しみだね。
  幸村君のファンは多いからね。
  取材のし甲斐がありそうだ。」

 「そんな事はないですよ。」

 「いやいや、謙遜はしなくてもいい。
  実際、君こそプロの道で我々を楽しませてくれる逸材に
  他ならないのだからね。」
  
井上は落ち着き払った声でそう言った。

 「それにしても今の試合は興味深かったね。
  まさか青学が棄権するとは思わなかったが、
  それも作戦のひとつだったのかい?」

 「井上さんにはそう見えたんですか?」

 「切原君にはその方が何倍も効果的だったと僕は思ってるんだが?
  それともさん、本当にリタイアしなければいけない程
  どこか痛めてしまったとか?」

 「えっ?」

不意に井上に質問されは困った表情を浮かべた。

が、が返答する前に幸村が代わりに答えていた。

 「、正直に答える必要はないから。」

 「おいおい、幸村君、それはないだろう?」

 「あのまま試合を続けた所で結果は変わりません。
  決着は全国大会で、と言う方が
  井上さん的にも面白いのではありませんか?」

 「参ったな、君には。
  まあ、僕はさんのファンでもあるからね、
  ひとつでも長く君の試合の取材ができるなら文句はないが。」

井上はに向かって笑いかけた。

 「ところで、そんな僕にひとつだけ夢を持たせて欲しいんだが。」

 「夢、ですか?」

 「そう。僕は自分が見つけた繭がやがて孵化するのを心待ちにしているんだよ?」

は訳の分からない、と言った表情を浮かべた。

 「井上さん!」

 「いやいや、幸村君。
  君にだってもう止められる状態でないのは分かっているだろう?」

井上の言葉に幸村は眉を顰めた。

 「そういう意味では僕は不二君を大いに評価したいね。
  君だってどこかで彼に感謝しているんじゃないのかい?」

 「憶測はやめてもらえませんか?」

語気を強める幸村に対して井上は余裕の表情で軽く咳払いをした。

 「君といい、不二君といい、
  なぜか僕は煙たがられてるようだね。
  それだけ大事にしたいのだろうが。
  でも今日ははっきり言わせて貰うよ?

  僕はね、さん、
  君は、プロになるべきだと思ってる。」

いきなり矛先を向けられては目を見張った。

 「えっ、私がですか?
  む、無理です。」

 「無理なんて事はない。
  選抜合宿の話は聞いてるかい、さん?」

 「ちょっと待って下さい、井上さん!」

 「幸村君!
  君は大事にしすぎて見誤っていたんだよ?
  君の手を離れた今、君だって充分分かっているのだろう?
  それに取り戻すならこの合宿しかない。違うかい?」

井上の言葉に幸村は黙るしかなかった。

井上は少し間をおくと、改めてに向かって話し続けた。

 「夏の大会が終われば君は間違いなく選抜合宿に推薦される。
  それがどういう事か分かるかい?
  全日本の代表、つまりはプロと同等の資質ある者たちの
  登竜門たるべき合宿なんだ。
  このチャンスを生かさない手はないと僕は思う。」

 「あの、私はプロになるつもりは・・・。」

 「さん、君はもっと自分の可能性を見つめてみた方がいい。
  僕は散々幸村君にも言ってるんだが
  後輩指導に回るのもいいが
  それは自分の力をもっと試した後でも充分できる事だ。
  それに今、女子プロの世界は低迷している。
  さんがプロになれば女子テニス界に
  大いに影響を与えると思っているんだよ。」

 「そんな、買い被りです。」

 「いや、そんな事はない!」

断言する井上には唖然とするばかりだった。

幸村に振った話なら充分解るが
自分がプロの世界で通用するなどと、ただの一度も考えた事はなかった。

 「現に君はいろんな選手と戦って来てますます輝いて見える。
  強い相手と戦うのは嫌いじゃなさそうだ。
  いや、むしろ君は相手が強くないと、本気を出せないタイプだね。」

井上の言葉に幸村はため息をついた。

井上の観察力は全く持って正しいとしか言えない。

の可能性だけを考えるのなら
間違いなくテニスを続けさせるべきなのだ。

 「あの、井上さん。
  私、もちろん今回のミクスドはとても楽しいんです。
  いろんな人と対戦できていろんなテニスがあって、
  今まで知らなかった世界が広がるようで一試合毎が宝物のような時間なんです。」

 「そうだろう?」

の言葉に井上は嬉しそうに相槌を打った。

 「でも、それは高校の間だけなんです。」

 「えっ?」

 「テニスはもちろん大好きなのでずっと続けるつもりですけど
  こんな風に試合に出るのも多分この夏限りだと思います。」

 「ちょっと待ってくれないか?
  君が立海大にいた頃にも幸村君に上を目指さないと言われて
  僕はひどく驚いたんだが。
  何もそう性急に決めなくてもいいと思うんだが。」

井上の表情には必死さが加わってきて
幸村は黙って困惑しているを見つめていた。

 「その才能をもっと伸ばしてみたいとは思わないのかい?
  君はまだまだその才能を出し切ってはいない。
  もっと貪欲になってみてもいいと思う。
  いや、戸惑うのも分かる。
  しかしプロへの切符を君はすでに手にしているんだよ?
  それをみすみす捨てるのは勿体無いとは思わないのかい?」

勿体無い・・・井上のその言葉に
は以前、井上がそんな様な事を幸村に対して言っていた事を思い出した。

あれは幸村に対してだけでなく
に対しても使っていた言葉だったのだ。

勿体無いのだろうか?

そんなプロへの道が自分の目の前に本当に広がっているのだろうか?

だとしても、この夏の大会で引退を余儀なくされてるには
選抜合宿へ行かせてもらえるかどうかも分からない。

多分、父はいい顔はしないだろうと予想はつく。

父を説得させるだけのものが自分の未来にあるのかどうか
には全くと言っていい程自信はない。


黙り込んでしまったに井上は少し慌てたように付け加えた。

 「とにかくこれを機会に考えてみてはどうかな?
  今すぐに決める問題でもないし、
  全国大会や選抜合宿できっとさんの気持ちも
  いい方向に変わると僕は信じているよ。
  そう言えば青学では手塚君や不二君がプロになるための
  海外留学を考えているそうじゃないか?
  その辺の所はじっくり相談に乗ってもらえるんじゃないかな?」

 「えっ?」

 「さて、そろそろ閉会式だね。
  僕は先に会場に向かうとしよう。
  ではまた今度ゆっくり取材させてもらうよ。」

井上さんは腕時計に視線をくれると
カメラを担ぎ直しながら二人の元から離れて行ってしまった。

その後姿を見送るの横顔から幸村は目が離せなかった。

この夏限りと言ったの言葉は
かつて幸村が仕向けた事とは言え、どこか重苦しい感じを受けた。

 「ねえ、
  井上さんの話には驚いたと思うけど
  これからゆっくり考えていけばいいんだからね?」

幸村が優しく言葉を掛けると不意には幸村に視線を返して来た。

その視線は幸村が思う以上に不安な色を湛えていた。

 「私、全然、そんな事、考えた事もなかった。」

考え考え、そう言葉にするに向かって幸村はため息を付いた。

 「うん、そうだろうね。
  その責任は俺にもあるからね。」

 「ううん、そんな事ない。
  全国で勝つのが私の夢だったし、
  それ以上なんて、とても。
  幸村君がプロになるのなら話は分かるけど・・・。」

 「
  俺は正直どっちでもいいんだ。
  前にも言っただろ?
  俺の夢は君ともう一度テニスをする事。
  だからそのためにも選抜合宿は参加して欲しいと思うよ。」

 「でも・・・。」

 「はもっと強くなれる。
  それは俺が保障するよ。
  俺はいつだっての味方だ。
  今もこれからだって、俺がついてる。
  だから、何か悩んでる事があるなら相談に乗るよ?」

幸村の優しい言葉には思わず顔を伏せた。

幸村が入院した時には自分は何もできなかったのに
今、こうして他校の生徒になっても幸村はの事を気にかけてくれる。

かつて自分が幸村とのテニスに拘ったように
幸村が自分とのテニスに拘ってくれているのは正直嬉しい。

だって幸村とはテニスがしたい。

でもそれは例えば幸村がプロになったとしても
自分がプロになる事とは別物だと思う。

もちろん自分の将来はいずれはきちんと考えねばならない問題だ。

だけど考えるべき事はそこだけではない事には思いを馳せようとしていた。

何かもっと別の大事な事。

それを考えなくちゃいけないのには上手く思い出せなかった。

初めて聞いた言葉。

それをは確かめなければならないのに
井上の言葉の中に酷く気にかかる言葉があったのに
それがなかなか思い出せなかった。


そんな押し黙ったままのに幸村はつと手を伸ばしかけた。

 「ほら、そんな顔をしない。
  表彰式に出るんだろ?」

後もう少しでの頬に手が届きそうになった所で
を呼ぶ声に幸村の手が止まった。

振り返るの頭越しにの顔が見えた。


 「!!」

走り寄るの姿にの表情は途端に明るくなった。

  








  
  


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2011.11.10.