35.見えない未来 3
たちがコートを離れるや、すぐに走って来たらしく
珍しく息の乱れている幸村の姿をは驚いた顔で迎えた。
「、赤也の事は悪かったね。」
幸村はの前に立つと即座に詫びて来た。
には幸村と同じくらい未来の立海大のエースを
同じ目線で心配する気持ちがあったから
幸村の言葉に僅かに首を横に振った。
「それより、まさか棄権するなんて思わなくて。
手首、悪化させてしまったのなら・・・。」
幸村は傍らにいる不二には目もくれずに言葉を続けようとした。
不二は黙って幸村とを見ていたが
の手を取ろうとする幸村より先にの手を掴むと
幸村の前からを引き離すように割り込んで来た。
「君に心配されるような事は何も無い。」
その断定的な物言いは全く不二らしくなかった。
はぎゅっと握り締められた手を見つめて声が出なかった。
「俺がの心配をするのは間違ってるかい?」
「この試合、棄権する事は二人で決めた事なんだ。
この試合に勝てなくても全国大会行きの切符はすでにあるからね。
切原君の事はに頼まれたからの好きなようにさせたんだ。
間違っても幸村君、君のためでも、まして立海大のためでもない。」
語気の強い不二に対して幸村は珍しいものでも見る目つきで不二を観察した。
「随分な事を言うんだね、不二君。
俺は個人的にの事を心配しただけだ。」
「は、今は僕のペアだ。
余計な気遣いはいらないと言っているんだ。」
「君にそんな風に言われる筋合いはないと思うけど。
俺がと話すのがそんなに気に食わないのかい?」
不二の態度に幸村も段々イラついてきているのがには分かった。
だけどどうしていいのか分からなかった。
「この際だから君にきちんと宣言するよ。
ミクスドの全国大会には俺は出られないから仕方ない。
けど、選抜合宿ではは返してもらう。
のそばにずっといられるのは俺の方だと思うからね。」
幸村はそこで初めて不二に冷たく笑って見せた。
不二は幸村のその言葉に驚くと共に動揺が隠せなかった。
幸村がを求めているという事実を目の当たりにして
の手を握り締めているのは自分であるはずなのに
どうしようもない不安に漠然と飲まれそうになっていた。
幸村は不二の目に浮かんだ動揺を見逃さなかった。
「、赤也の事で君にもう少し話しておきたい事があるんだけど。」
「幸村君?」
「不二君、少しなら構わないよね?
それ以外の話はしない、って約束してもいいよ?」
幸村の意味深な言葉には不二を見上げた。
少しの間不二は黙ったまま幸村を睨みつけていたが
つと握り締めていたの手を離した。
「不二君?」
「ああ、ごめん、
何だか大人げなかったね。」
「そんな事・・・。」
「僕は先に戻っているから。」
伏せられた瞳にの胸が痛む。
「不二君、待って・・・。」
「分かってる。
大丈夫、ちゃんと待ってるから。」
は振りほどかれた不二の腕を掴み損ねて
ぼんやりと不二の背中を見送ってしまった。
どうしてこんな事になったのか分からなくて。
そんなに幸村が優しく言葉を掛けてきた。
「、手首は本当に大丈夫なのかい?」
「えっ?」
振り返ると幸村の心配そうな瞳には困惑した。
「無理させていないかって心配だった。」
「平気だよ?
無理しないために棄権するって初めから決めてたから。」
「こんな形で赤也の事、
君に任せてしまって悪かったって思ってる。
君の了解も得ずに。」
「ううん。
その事なら大丈夫。私のやるべき事をやっただけ。
赤也が本気でナックルを使う、って言ったから・・・。」
「そうだね、赤也にはそれしかないからな。
でも君なら分かってくれると思った。
これで赤也が変わらなかったら
あのサーブは二度と使わせないから。」
「うん。」
「それと、にも
あのサーブはもう使って欲しくない。」
「幸村君・・・。」
「には似合わないよ。
あんなサーブがなくても君は
サービスエースを狙えるんだから。」
「そんな事・・・、全国で通用するかはわからないよ。
でも私もあれは赤也のサーブだと思ってる。
だからもう使う事はないと思う。」
幸村とは示し合わせたように
コートを後にする立海大の一群を見つめていた。
その中に赤也の丸まった背中を見かけた気がした。
「赤也は・・・大丈夫だよね?」
「ああ、もちろん。
・・・後味が悪いんだね?」
「少し、ね。
赤也にとっては屈辱的な試合だったでしょう?」
「まあ、今のうちに負けておいて良かったんだよ。
全国ではきっと立ち直ってる。
赤也の負けず嫌いは君も知っているだろ?
その時はももっと本気で相手してくれよ?」
冗談めかした幸村には返事をしなかった。
ごめん、赤也。
今度対戦したらまた赤也は負けることになるね。
次はきっと不二が黙ってはいないはずだ。
の目には小さくなるジャージの鮮やかな黄色が映っていたが
本当は先に戻ってしまった不二の事を考えていた。
幸村はそんなをやはり無言で見つめていた。
********
不二は振り返る事なく歩き続けた。
本当はと幸村を一緒に見たくなかっただけだった。
とは気持ちが通じ合っているのに
なぜか幸村を見ると彼氏という自信が脆くも崩れてしまう。
幸村がとミクスドのペアを再結成したい気持ちは分かる。
本当ならこの大会、幸村はとミクスドを組んで
順当に勝ち進んでいた事だろう。
そう思うから不二はどうしても幸村に対して
強気になれない。
を信じていない訳ではないのに・・・。
悶々と考え込みながら歩いていたら
不二は不意に話しかけられてその歩みを止めた。
「あの、は?」
見れば立海大のユニフォームを着ている。
「君は?」
「不二君ですよね?
初めまして、になるのかな。
私、の親友で立海大のマネージャーをやってると言います。」
「の友達?」
「ええ、とは立海大で一番の友達で・・・。
が青学からミクスドの試合出るって聞いて、
赤也には悪いけど私、の事応援してたから。
それで、あの、が試合を棄権するなんて、どうしたのかなと思って・・・。
は・・・一緒じゃないんですか?」
不二はその問いに視線で遠くに佇む幸村とを示した。
は不二の視線を辿って二人の姿を認めるや、はっと息を飲んだ。
「何で?」
「君と同じように心配してくれてね。」
「幸村が、ですか?」
「そうだけど、・・・気に入らない?」
「えっ?」
の表情を汲み取って不二が遠慮なく口に出せば
は眉を顰めてそれでも幸村たちを凝視している。
「悪い。
さんがあんまり浮かない顔をしているから・・・。」
「そんな事・・・。」
不二の真っ直ぐな視線には平静を取り繕う事ができなかった。
けれど不二は自分の方こそ邪推の念で
の表情まで同じように見てしまった事に苦笑した。
だから確信をついた言葉とは裏腹に
の本当の気持ちには思い至らなかった。
「いや、僕の方が平静で見られないだけ、かな。」
「えっ?」
「僕の事はから聞いてるよね?」
「あっ、はい。」
は慌てて返事をするとまじまじと不二を見つめた。
と幸村をこうして遠くから見れば本当に絵に描いたようなカップルだ。
と付き合いだした不二としても
そんな二人を見れば心中穏やかと言う訳にはいかないのだと
何となく察する事ができる。
それでも今はまだ不二は幸村の事を
ただのミクスドの元パートナーとしてしか認識していないだろうとは思った。
それなのに平静でいられない不二を思うと
その鋭さに感心はしても
もし幸村の本気を知ったら彼はどうするのだろう、と思い至ると
は自分と同じ立場である不二を気の毒に思った。
「は前の試合でちょっと手首を傷めててね。
だから今日の試合は途中で棄権する事にしたんだ。
たいした事じゃないし、
全国大会に備えてってところだったんだけど。」
不二は淡々とに説明してやった。
「それに、幸村君がの事を気にかけるのも
分からない訳じゃないからね。
本当ならあの二人がミクスドに出るはずだったのだから・・・。
だから・・・仕方ないって思うんだ。」
「でも。」
「そうだね、僕だってあの二人を一緒に見るのは
あまり気分のいいものじゃない。
立海大であの二人のテニスがどんな風だったのか
僕は全然知らない・・・。
知らないんだけどお互いのテニスに惹かれ合っているんだなって
何となく分かってしまうものだね。
でもそれでがステップアップするなら
それはそれで必然的な事なんだろうと思うしかないんだけど。」
さっき幸村に感じた黒い気持ちと
今に話している理解者ぶった気持ちはまるで正反対だ。
不二はの彼氏として良き理解者でなければならない。
相反する気持ちに翻弄されながらも
かろうじて不二は自分の中の気持ちを整理するかのように
言葉にした。
何よりの人懐っこい雰囲気はとは違った
あどけなさの残る童顔によるものなのだろう。
初対面であったはずなのに
幸村を知る立海大のマネージャーなら、と
口が軽くなってしまったのかもしれない。
「それにの気持ちを知っても
それでもちゃんと受け止めるって宣言しちゃったしね。」
「の気持ち?」
は訝しげに問い直した。
「僕と出合った頃ははテニスを辞めていた。
それは幸村君がコートにいないからだって言ってた。
そんな彼女をまたコートに立たせたのは僕だけど
幸村君がまたテニスができるようになって
一番ほっとしていたのは彼女だと思うんだ。
彼女はテニスも幸村君の事も嫌いになった訳じゃない。
むしろずっと好きだった気持ちを心の中に閉じ込めていただけ。
だからあの二人を見ていると
なんだか僕の方が邪魔者なんじゃないかと思えてね。」
不二の言葉にの心の中にざわめきが起こった。
の気持ち?
その言葉には雷にでも打たれたような激しい痛みを胸に感じた。
の気持ちなんて一度も考えた事はなかった。
あの真田に思われて否定しなかっただったが
そう言えばは真田の事を一度も好きだなんて言ってはいなかった。
幸村がテニスのパートナーとしてを特別視していたのは
今に始まった事ではないし、
むしろだってそれは分かり過ぎる位理解していたつもりだった。
でももしがずっと幸村に対して
パートナーとして以上の感情を持っていたとしたら
は今まで辛い片思いをしていたに違いない。
と同時に、更にの中で新たなる恐怖が走った。
それじゃあ、今は?
今、あの二人は自分たちがお互いに惹かれ合ってる事を知らないだけで
本当は随分前からよりも遥かに思い合っている二人という事になる。
そしてそれを今は不二も不安に思っているだけで
の他は誰も気付いていないと言う事になる。
「不二君は・・。」
唇が乾いては思うように言葉が続かなかった。
「ん?」
「の事が好き、なんですよね?」
「ああ、好きだよ。」
「も、不二君の事は、凄く好きだと思います。」
はの気持ちを代弁した。
それは本当の事だと分かっていても
どこか空々しく聞こえたし、
なぜか心の中は重苦しくなっていた。
それでも不二には充分だった。
「ありがとう。
そんなに気を遣ってくれなくても大丈夫だよ?」
の友達の言葉なら安心できる、と思い込んでいたのだろう。
不二はの言葉を言葉通りに受け取った。
そこで初めて不二は口元に笑みを湛えた。
「分かってるんだ、本当は。
幸村君はとミクスドをやりたいだけなんだって。
それは避けられそうにないからね。」
不二の笑みは無理やりなんじゃないかとにも伝わってきた。
ミクスドをやりたいだけ・・・。
果たして幸村はそうだろうか?
「でもそれはにとっていい事なんだ。
彼女が僕と同じように更に上を目指してくれるなら・・・。
もっともっといろんな人と対戦して吸収して
それをのらしいテニスで発揮するなら
そんな彼女のテニスを僕は一番近くで見て見たいし。」
だってのテニスを見るのは好きだった。
綺麗なフォームで目を見張るような制球力で
幾度となく男子レギュラーの度肝を抜くようなストロークに
はいつも心躍らせられた。
決して力がある訳でも体が大きい訳でもないのに
惹きつけられてしまうのテニスはだって充分側で見て来ていた。
そして大好きだった。
その気持ちは幸村も同じだと信じていたのに。
「ふっじ〜!!!!」
大きな声が突然間近で響いて来たと思ったら
不二との元に走り寄って来たのは菊丸だった。
「何やってんだよぉ。
表彰式に出るんだから早く戻って来いってすみれちゃんが・・・。」
不二の元に近づくやそこに見慣れない女の子といる不二を見て
菊丸の目が不審そうに見開かれるのを
不二は参ったな、という表情で迎えた。
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2010.11.30.