33.見えない未来 1









 「この夏までだ。
  夏が終わったらテニスは辞めなさい。
  そういう約束だったろう?」



テニスを辞める



父が口に出したその言葉は
が考えているものとだいぶ違う事にはうすうす気付いていた。

まだ先の事だからと考えなかった自分も悪かったのかもしれない。

それでも夏の大会で3年生が引退するのは
どこの部活動でも大体同じであった。

でもそれは単純に部活の引退であって
父が言う「テニスを辞める」事とは意味が違う。

立海大にいた頃はそのハードな部活は引退したとしても
大学部に入って教員を目指していたにとって
夢は子どもたちにテニスを教える事だった。





 「子どもたちに?」

 「そう。
  私は小さい頃に父にテニスを習ったけど
  その楽しさを一人でも多くの子どもたちに教えてあげたいの。
  子供の頃にそんなチャンスがあれば
  今のテニス界に凄い子が誕生する事も夢じゃないでしょう?」

 「へぇ、はそんな事考えてたんだ。」

 「そうすれば立海大も安泰でしょ?」

 「ははは、そんな先の事まで心配してるの?」

 「だって今のレギュラーは別格だもの。
  こんなに凄いメンバーがこの時期に同時に集うなんて
  この先は無理だと思うし。」

 「確かに。来年の赤也は苦労しそうだしね。」

 「でしょう?」

 「じゃあ、俺もに協力しようかな?」

 「えっ?」

 「俺、スパルタコーチにどう?」


そんな話を幸村とした事を不意に思い出した。

幸村はどう思ったかは知らないが
は真剣に自分の未来像をそんな風に思い描いていた。






 「?」

 「・・・。」

 「!」

 「えっ?」

不意に呼ばれた名前に顔を上げれば
不二が困ったようにため息を付いている。

慌ててベンチから立ち上がれば
不二の後ろから黄色のジャージが目に飛び込んで来た。

 「心、ここにあらずって顔だけど、大丈夫?」

 「あっ、うん、大丈夫。
  で、何?」

 「ああ、それが君の後輩君が
  どうしても宣戦布告したいらしくて。」

 「赤・・・也?」

見ればむすっとした表情の切原が
それでもと目が合えば人懐こそうに頭を下げて来た。

 「先輩、久しぶりッス!」

 「久しぶりだね。
  それにしても赤也がミクスドに出るなんて
  ちょっとびっくりだった。」

自由奔放なゲームメーカーと言えば聞こえはいいが
元来人の意見に従うのが嫌いな赤也は
協調性を問われるダブルスでも
その自分勝手な攻めのスタイルはなかなか変えられず
幾度となくパートナー役を務めた柳でさえ匙を投げる程だった。

 「あー、幸村部長に言われたんス。」

 「幸村君に?」

 「なんつうか、いろいろ経験しろっつう事で。」

へらりと笑う赤也を見ながらは思わず立海ベンチに
視線を巡らせた。

 「まあ、俺もミクスドなんてガラじゃないんスけど、
  でも負ける訳にはいかないッスよ。
  それに、先輩の相手は幸村部長以外は、俺、認めてないんで!」

 「えっ?」

 「だから先輩には悪いッスけど
  最初からマジギレモードで行くッス!」

ビシッと目の前に突き出されたラケットは不二に向けられ、
けれど不二は不二で余裕ぶった顔で苦笑している。

 「僕は相当悪者なのかな?」

 「当たり前ッス。
  俺が幸村部長の代わりにあんたをぶっ潰す!」

 「じゃあ、僕も負けられないな。」

 「赤也!」

 「俺、最初からナックルでガンガン攻めますんで。
  部長の許可は貰ってるんで
  悪く思わないで下さいよ、先輩。」

生意気な顔と偉そうな口調のわりに
赤也はに対してもう一度お辞儀をするとさっさと走り去ってしまった。

短絡的に行動してしまう赤也は
余程が不二とペアを組むのは嫌だったらしい。

 「赤也ったら・・・。」

 「は後輩にも愛されてるんだね。」

 「えっ、そんな事ないけど。」

 「だってどう見たって僕が
  立海大の姫を略奪したかのように思われてる。」

不二の言葉にが呆れたようにため息を付く。

 「そんな事。」

 「でも姫は渡さない。」

 「不二君ったら!」

不二が赤也の挑発を真に受けているとは思わないが、
赤也は完全に幸村の術中に嵌っているのは容易に想像できる。

幸村が赤也をミクスドにただで抜擢する訳がない。

幸村が何を考えて赤也をこのコートに送ってきたのか、
には思い当たる事がある。

けれどこの試合で無茶な事はできない。

それは幸村にも不二にも釘を刺されている。

まして無茶がたたれば父の耳にも入ってしまう。

は小さくなってしまった赤也の背中をまだ凝視したまま考えていた。
  



 「?」

しばらくして不二が声を掛けてきた。

は不二を振り返ると意を決したように口を開いた。

 「ねえ、不二君。」

 「何だい?」

 「お願いがあるの。」

 「お願い?」

 「ううん、無茶な事だって分かってるんだけど・・・。」

 「無茶な事はさせられないよ?」

不二は軽くため息をついてを見た。

 「それは分かってる。」
  
 「でも、あの後輩のために必要な事なんだね?」

 「ごめん、青学なのに。」

 「いいよ、言ってみて。」

不二はの真剣な目に
今更ながら胸の高鳴りを覚える。

彼女が頼ってくれるならどんな事でも受け入れる、
それが不二の不二なりの覚悟だった。

 「私、赤也のテニスを潰すつもり。」

 「えっ?」

 「赤也は私と不二君のペアを認めないって言ったでしょ?」

 「そうだね。」

 「赤也の悪い癖なのよ。」

 「なかなか挑戦的で悪くないと思うけど。」

不二はうちにもそういう後輩がいるけどね、と付け足す。

 「でも赤也はちょっと違う。
  あの子の周りに凄い先輩がい過ぎるから
  赤也はどうしても井の中の蛙なの。
  超えるべき強敵はいつも身内で
  それ以外に目を向けようとしない。
  向けないどころかどこか馬鹿にしている。
  視野が狭すぎるって言うか、
  ちゃんとコートの向こう側の相手と向き合わない節があるの。」

 「で、僕を更に悪者に仕立て上げたい?」

 「あっ、ううん。
  そうじゃなくて・・・。」

は慌てて不二を見上げた。

 「多分だけど。
  赤也をミクスドに出したのは
  私と対戦させるためなんだと思うから。」

 「どういう事・・・?」

 「赤也のナックルサーブはとても危険なサーブなの。
  でもそれは赤也がまだ未熟だから。
  それなのにあの子はナックルサーブで平気で人を傷つける。
  試合時間が短ければ短いほど自分は認められるって思ってる。
  ナックルはあの子の自信そのものなの。」

は静かに目を閉じた。

 「でもなんでその切原君の自信を
  君が打ち砕かなくちゃいけないんだい?」

 「赤也は・・・本当の意味で悔しい思いをしてないのよ。」
  

心地よい風が耳元をくすぐる。

試合前のざわめきが嘘のように掻き消えていく。

 「切原君は立海3強をまだ超えられずにいるのに?」

瞳を見開けばそこには信頼できるペアの顔があった。

 「うん、そう。
  赤也は立海3強を超えるのを目標にしてはいるけど
  幸村君たちに勝てない事を表向き悔しいと思っても
  心のどこかで悔しいと思ってない。
  仕方ない事、っていうか、当たり前になってしまっている。
  だから本当の意味でどん底を味わってない。
  そこから這い上がるための力量が
  精神的にも肉体的にも未熟すぎる。」

 「身内なのに手厳しいね。
  でも、それだからこそ彼には伸びしろがまだまだあるって事なんだね?」

不二の言葉には深く頷いた。

 「私に勝てなかったらかなり落ち込むと思う。」

 「そうかな?」

 「私が赤也以上のナックルサーブを持ってたとしたら?」

 「えっ?」

 「赤也は・・・知らないのよ。」


の言葉に不二は少なからずショックを覚えた。

   赤也は知らない

それは自分にとっても知らない事なのだ。

そして彼は知っているのだろう。



   またか。


チクリと胸を刺す感触を
不二はただ黙って飲み込む他はなかった。








  


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