24.ミクスド・デビュー 3
「それにしてもすごい数だったね。」
ひとしきりいろんな記者たちのインタビューに答えた不二は
やっと解放されたと思っていたので、うんざりとした表情で声の主を振り返った。
早くの元に帰りたかったが、声をかけてきた記者が
中学の頃から馴染みであった月刊プロテニスの井上だとわかると、
不二はそれでも気さくに歩み寄った。
「お久しぶりです、井上さん。」
「やあ、不二君のモテ振りも相変らずのようだね。」
「そうでもありませんけど。」
「ははは。なかなか取材人たちの質問攻勢をかわすのも上手くなったね。」
先程の不二の様子をずっと見ていたのか、
井上は相変らず他の記者たちとは違ってのんびりと話しかけてくる。
だがこの人は侮れない、不二は顔には出さずに神経を尖らせた。
「シングルスの天才のミクスド、期待通りの試合だったね。」
「それはどうも。」
「最も、ミクスドの高校大会自体前代未聞だし、
どこの学校もペアの完成度においては練習不足は否めないだろうね。
そういった状態ではシングルスの強い男子が試合をリードすれば、
難なく勝つだろう。 違うかい?」
井上は面白そうに試合内容を記録していたメモ帳をペラペラとめくっていた。
「不二君の試合はまさにそうだった。
ポイントを取るのは必ず君で、多くの誰もがそれを当然のように思ったのだろうが、
僕は君の試合内容には少々不満でね。
なんで彼女はあそこまで正確に君をアシストしているんだろうって
そればかり目に付いてしまってね。」
「…。」
「さんだったっけ? 君のペア。
彼女、元々は立海大の子だろう?
僕はこれでも記憶力はいい方でね。
どこかで見かけたなと思っていたら、ライン上の魔術師と言われたくらい
コントロールの上手い子だったと思い出せたんだ。
いやあ、青学にいたとは驚きだったね。」
「さすがですね、井上さん。」
不二が苦虫を噛み潰したような表情でため息をついた。
「けど、不二君はこの先どうしたいのかな。」
「…。」
「まさかこのまま彼女を君の後ろに隠したままでいいはずがないだろう?
いや、それはもう無理な事くらい君は知ってる。
中途半端なテニスは本来君を満足させない、そうじゃないかい?」
井上の言葉に不二は観念したように口を開いた。
「ええ、もちろんです。
彼女の事は僕が一番理解してますから。」
「でも、予選はわざとアシスト・オンリーに回ってもらったと?」
「まいったな。
初日から手の内を全て見せる程、
僕にはサービス精神はありませんよ。」
「はは、そこまで嫌われてるとはね。
でもまあ、本戦ではじっくり君たちの力を見せてもらえそうだね。
何と言ってもさんは本当なら幸村君とミクスドに出るはずだったと
僕は記憶してたのだがね。」
井上から幸村の名前が出るとは思ってなかった。
やはりこの人は油断できない…不二は心の中で舌打ちをしながらも
さも初めて知ったという風な表情を浮かべながら井上に聞き返した。
「あの幸村君がミクスドですか?
それは意外ですね。」
「おやおや、君がそれを言うのかい?」
井上はさも面白くて仕方ないという風に目だけで笑っていた。
「不二君も十分彼女の虜になっていると僕には見えたよ。」
「どういう意味ですか?」
「はぐらかすつもりかい、不二君。
僕もあまり手札は見せたくない主義なんだけどな。
まあ、いいだろう。
幸村君の復活のニュースは君も知ってるとは思うけど、
彼の復活の照準が何に合わせてるか、聞きたくないかい?」
不二はその顔に何の色も浮かべることなくただ黙って井上を見つめていた。
「まだこれは上層部しか知らされてない事なんだが、
夏の大会が終わったら、シングルス・ダブルス、そしてミクスドも合わせて
その上位校による特別合宿が予定されてるんだよ。
ただ、立海大だけは今までの戦歴から、
無条件でレギュラーは全員参加となっている。
その合宿で優秀な選手だけの選抜チームを作るらしいんだが、
どうやら幸村君はその合宿でミクスドを希望しているという話だね。」
「…。」
「人間ってね、失って初めてその価値を知る事があるものだよ。
幸村君はまだまだ強くなれるプレーヤーだと信じているけどね。
彼だって万能じゃあない。
自分を支えてくれる誰かを必要としたって悪い事ではない。」
「僕には井上さんのおっしゃってる意味が分かりませんが?」
「…そうかい?
僕はね、ただ、幸村君もさんもこのままで終わって欲しくないんだよ。」
「えっ?」
不二の表情に初めて動揺の色が浮かんだ。
「今回のこのミクスドの試合、そして特別合宿。
こういったものがきっかけとなって埋もれそうだったものが
別の方向へと変化するなら僕は大いに歓迎するべきだと思ってる。」
「井上さんは随分幸村君に肩入れしてるんですね。」
「ははは。不二君、それはちょっと違うな。
確かに戦線離脱した彼が驚異的に復活して来た事は
ビッグニュースではあったけどね。
僕個人が求めてるスクープは他にあるんだけどね。」
井上は余裕ぶった顔で不二に笑いかけると
肩に担いであったカメラを慈しむように撫でた。
「僕は言うなれば傍観者だ。
だけどね、僕にだって夢はあるんだよ?」
「井上さん?」
「僕が見つけた才能溢れるプレーヤーが
世界で羽ばたく日をこのカメラで納めたい、とね。」
いつもと違って雄弁な井上を訝しげに見つめてる不二にはおかまいなく、
井上は不二の後方に、おずおずと一人の少女が近づいて来るのを見止めるや、
さらに上機嫌にその少女の方へ笑顔を向けた。
「やあ、さん。
久しぶりだね。
僕の事は覚えているだろう?」
不二が振り返るとそこには井上に捕まって
困ったように不二に視線を送っていると目が合った。
瞬間、不二はの方に手を伸ばしていた。
「ほら、立海大の取材で何度か会ってると思うのだけど。
久々に君とゆっくりと話をしたいのだけど。」
「!」
「不二君?」
不二はの手を掴むと井上の前からを引き剥がすように引っ張った。
引かれるままは井上にペコッとお辞儀をすると
そのまま試合会場を後にした。
井上は不二の不躾な態度に怒るでもなく、むしろその様子を明らかに楽しんでるようで、
は硬い表情の不二に戸惑いながらも不二の後に従った。
********
着替え終わって更衣室のドアを開けると
すでに不二がの出てくるのを待っていた。
「他の人たちは?」
並んで歩く不二に聞いてみると不二は意地悪く笑った。
「僕だけじゃ不満?」
「もう!そんな事言ってません!」
「英二たちには先に帰ってもらった。」
「あれ? 帰りにどこかに寄ろうって菊丸君、
楽しみにしてたのに?」
「僕は二人でどこかに寄りたいって
楽しみにしてるのに?」
悪びれる風でもなく不二はの右手をそっと取る。
「今日はお疲れ様。」
「不二君こそ。」
が絡めた指にそっと力を込めると不二は柔らかく笑った。
「それにしても報道陣が多かったね。
不二君ってやっぱりすごい。」
「凄い訳じゃないよ。今のところ知名度が君よりあるってだけで。
本戦に入れば君にも注目が集まるしね、僕は嫌だけど。」
「私なんてたいしたことないよ。
それにしても井上さんにあんな態度とって、
気を悪くしてないかしら。」
「井上さん?
あの人はあのぐらいしても全然めげないから
心配しなくて良いよ。」
「それならいいけど。
なんだか不二君、怒ってた様に見えたから…。」
がそう言うと、不二はさっき感じた不快感をふつふつと思い出していた。
幸村がミクスドに照準を合わせてるという話。
あれは、幸村がとミクスドをまたやりたいという事だろうか?
それは多分そうだろう。
幸村も自分も、のテニスに惹かれているのは同じだろうと思う。
いや、僕はそんな事で不快になった訳じゃないんだ。
井上さんの言葉の中に何か引っかかるものがあったからなんだ。
それが何か分からないから余計に…。
「そう言えば前にもあの人の取材で
幸村君が珍しく怒った事があった。」
「えっ? 幸村君が?」
「そう…。
何の話だったか忘れちゃったけど、
ミクスドの事で何か言われたんじゃなかったかしら。
多分幸村君がミクスドに出るなんてもったいないとか、
そんな話だったと思う。」
全国大会3連覇を目指してる男子テニス部の部長が
何のステータスもないミクスドの大会に出るなんて
端から見ればもったいないと、井上が思うのも尤もな事で、
は、井上さんをかなりがっかりさせたんだよね、と照れ笑いをして見せた。
井上さんをがっかりさせたって!?
不二はしばらくその事が頭から離れなかった。
自分の知らない何かを井上は知っているのだ。
それは幸村の事ではなくて、の事ではないだろうか?
不意に不二は自分の直感に狼狽した。
けれどそれは何の根拠もない事だと不二は、
井上の大人ぶった表情を頭から消し去るようにため息をつくと
の手をもう一度握り締めるのだった。
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☆あとがき☆
おっと誰もこの人が出るなんて
思いつかなかっただろうな?(笑)
…って井上さんって何歳なんだ?
さて、終盤へ向かいつつも
布石を置いてしまった私…。
墓穴堀まくりで地球の裏側に到達しそうだな。
2007.6.5.