12.呼び水
それはとてもきれいな藤色のグリップテープだった。
丁寧にきっちりと巻かれたグリップテープを、は何度も握り締めていた。
「これ、巻き直してあげてもいいかな?」
不二にそう言われて、は改めて擦り切れてみっともなくなっていた自分のラケットを見つめた。
幸村が倒れる前に巻き直してくれてからもう随分時が経っている。
当たり前のようにあった幸村のグリップテープがあちこち綻んでいたのに、
それを直そうとしていなかった、いや、巻き直したくなかった自分の気持ち。
まして幸村が選んでくれたこのラケットをは大切にしていた。
もちろん他の人にそのラケットのグリップテープを直してもらうことなど
今まであり得ない事だった。
が、なぜか不二に巻き直してもらう事は嫌ではなかった。
むしろ、それは自然な事のようにには思えた。
青学で練習を始め、は次第に不二のテニスに惹かれていた。
青学の天才と言われるだけあって、不二の正確無比なコントロールに加え、
テニスセンスの良さは一目瞭然だった。
そしてそのテクニックは相手の技量によって変わることには気づき始めていた。
不二と対等に打ち合うためには、自分も更に高みへと登りつめなければ、
決して味わう事のできないものがある・・・という、一種の麻薬のような誘惑に、
は段々引き込まれていく自分を止める事ができないでいた。
そしての思いは、不二とテニスをしたいという気持ちと同時に、
常に不二と共にありたいという恋心に変わっていた・・・。
だから、不二とお揃いのこのグリップテープは、
にとって初めて不二に貰ったプレゼントのようなものだった。
********
が青学で練習を始めるようになって1ヶ月が過ぎようとしていた。
その頃から次第には不二の人気が半端ではない事を思い知るようになる。
初めはの靴箱に入っていた1通の手紙からだった。
差出人のないその手紙には、を揶揄する内容が書かれていたが、
もちろんは無視していた。
ところがその類の手紙は切れることなく続き、
不二の親衛隊と名乗るグループから、否応なしの冷たい視線を送られる事もしばしばであった。
そんなある日、とうとうは体育館裏に呼び出された。
「さん、呼び出された訳はわかるわね?」
「あんた、ちょっとテニスが上手いからって不二君を誘惑するような事は止めて欲しいのよね。」
「さんってミクスドしかしないんだって?
それってミクスドを利用して男を自分だけのものにしたいんじゃない。
立海大では上手くいったかも知れないけど、
私たちの不二君を騙すような事は止めてくれる?」
彼女たちの言葉には言いようもない怒りを覚えた。
「私、そんな事のためにテニスやってるわけじゃないわ。」
「あら、どうかしら。
立海大のパートナーがだめになったからうちへ来たってもっぱらの噂よ。
確か、パートナーだった幸村って奴をマネージャーと取り合ったんだって?
それとも幸村に二股かけられてあえなく玉砕って奴?」
彼女たちの嘲笑には耐えられなかった。
「幸村君のこと何も知らないくせに、変な言いがかりはよして。」
「へ〜、いやに立海大の肩を持つのね?
さん、じつは立海大のスパイだったりして。
不二君に近づいてるのも彼のデータを横流ししてるとか・・・。」
はその言葉にかっとなり、思わず相手の頬をひっぱ叩いた。
が、それが逆に彼女たちを煽る形となり、は地面に叩きつけられてしまった。
「あなたたち、何してるの?」
鋭い声に、親衛隊の子たちはあっという間に姿を消した。
「ひどい事するなぁ〜。」
「さん、大丈夫?」
の傍らにひざまずいての顔を覗き込んだのは小鷹だった。
「小鷹さん・・・?」
「あの子達、不二君の過激ファンね。
あの子達が黙ってるとは思わなかったけど、こんなにひどい事するなんて。」
「ううん。先に手を出したのは私だから・・・。」
「さん、無茶するなあ。」
見ると、小鷹のそばに大石が立っていた。
「何にしても、これは放ってはおけないな。」
「お願い、不二君には言わないで。
不二君のファンって言っても、不二君には関係ないよ。
私が彼女たちの挑発に乗ってしまったのがいけなかったんだし。
私なら大丈夫だから・・・。」
は懇願するように大石を見上げた。
「とりあえず、保健室に行こう。
足、大分擦りむいてるみたいだから。」
「秀一郎、私がさんを保健室に連れて行くわ。」
「ああ、頼む。」
は小鷹に付き添われ、保健室へ行った。
保健の先生がいなかったので、小鷹は器用に消毒綿をピンセットでつまむと、
の怪我の部分を消毒し始めた。
「部活やってると、こういうの、嫌でも得意になっちゃうのよね。」
小鷹がクスッと笑った。
「ごめんなさい・・・。」
「あら、さんが悪い訳じゃないんだから。
でも、あそこに居合わせたのが私たちで良かったわよ。
手塚君だったら大ごとになりかねないしね。」
「・・・前に、小鷹さんが言った事、やっとわかったわ。
私が不二君とミクスドをやるっていう事が気に入らないのね。」
「うふふ。青学の男テニは別格だからね〜。
一緒にテニスをやってるってだけでも大変だけど、
好きになったらもっと大変よ。」
「えっ?」
「私ね、秀一郎と付き合ってるの。
別に隠してる訳じゃないんだけど、
秀一郎もべたべたするの好きじゃないからね、
だからあんまり恋人同士に見えないらしくてね。
でも、それがかえってファンの子達を刺激しないからいいんだろうけど。」
小鷹は肩をすくめた。
「でも、不二君は目立つからね。
さんとペアを組むって聞いた時は、大変だろうなあって思ったもの。
不二君は人当たりもいいから、青学の中でも一番ファンが多いしね。
それがミクスド・・・なんて事になると、
嫌でも一緒に行動してる事が多くなるし。」
「・・・私、あんまり不二君と一緒にいない方がいいのかな。」
はため息をつきながらふと漏らした。
小鷹はの瞳を真っ直ぐに覗き込んだ。
「ねえ、さん。
さんは不二君のこと、どう思ってるの?」
小鷹が最後まで言い終わらないうちに、
騒々しく保健室のドアが開いた。
そこへ息せき切って走りこんで来たのは菊丸だった。
「ちゃん、怪我したんだって?」
その慌てぶりに小鷹は苦笑しながら菊丸の言葉をさえぎった。
「菊丸君、まさか、秀一郎がしゃべったの?」
「うん。大石とはゴールデンペアだからね。
俺たちの間に隠し事は出来ないんだよん。」
「全く、しようがないわね。」
「ああ、小鷹ちゃん、怒らない、怒らない。
でも、ちゃん、大丈夫?」
「菊丸君、心配してくれてありがとう。
ただのかすり傷だから。」
「不二のファンの奴にやられたの?」
「ちょっと転んだだけ…。
それに私が先に手を出しちゃったからいけないの。
自業自得だよ。」
「そんなことない!
ちゃん、よっぽどひどいこと言われたんだにゃ。
じゃなかったら、ちゃんが手を出すなんて事しないでしょ?」
菊丸の優しい言葉に、はこらえてきたものがぐっとこみ上げてきた。
「ううん、もう何言われても相手にしないから。
だから、もう全然平気。
ごめんね、心配かけちゃって・・・。」
は無理やり笑った。
(不二ってば、何やってんだよ。)
の辛そうな笑顔を見ながら菊丸が呟いた。
********
その日以来、は部活以外ではなるべく不二のそばにいないように心がけた。
それは単にこれ以上不二のファンクラブを刺激しないためであり、
小鷹も菊丸もしばらくはそうするのがいいだろうと助言したからだ。
だからに不二が声をかけようとするのを、菊丸はやんわりと阻止したし、
はで、休み時間には何かと理由をつけて、
小鷹のいるクラスに行くようになっていた。
「ねえ、英二。
最近さんは小鷹さんと仲がいいんだね?」
何も知らない不二が菊丸に言った。
「ああ、なんか、ウマが合うっていうかさ、
ちゃんもあっちでは部長だったから、
なにかと小鷹ちゃんも話しやすいみたい。
俺さ、思うんだけど、
小鷹ちゃんと仲がいいってことは、
ちゃんにはいい事だと思うよ。」
菊丸はじっと不二の顔色を伺った。
「うん。それはそうだけど、
なんだか避けられてるような気がする。」
「え〜、そっかにゃあ?
部活はいつも通りだし、
不二が気にするような事じゃないと思うにゃ〜。」
不二は菊丸の言葉にそれ以上は何も言わなかった。
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☆あとがき☆
不二とをつなぐ藤色のグリップテープ…。
なんでフジイロ?(笑)
でもこの事はさらに波紋を繰り広げることになります、多分。
2004.11.14.