恋のキューピッド 2
「も無防備過ぎじゃない?」
「えっ?」
自分がシミュレーションした展開になる前に
不二らしくない低い声でそう聞かれは慌ててしまった。
「な、何が?」
「君が越前の家にいるっていうのには正直驚かせられたけど
まあ、それは何か事情があるんだろうね。
って高校からの転入だったよね、確か。」
「あっ、うん。」
「でもだからって、年頃の女の子が寝顔を簡単に他人に見せてしまうのは
余りにも危機感がないと思って。」
見上げれば不二の目は怒っている様にも見える。
「あ、いや、でも、リョーマのうちとは昔から行き来してたし、
私の寝顔なんてそれこそ飽きるほど・・・。」
「飽きるほど?」
「え、えと、何て言うか、
私、小さい時から朝は起きられない子で。」
「まさか毎日起こしてもらってるとか?」
もうますます分が悪くなる一方で、
何で大好きな人にこんな醜態を晒さねばならないのか、
もちろん自分がちゃんと毎朝起きられれば良いだけのことだけど、
小さな頃からお泊りしていたせいか、
リョーマのうちも我が家同然のように居心地が良くて、
まさかこんな形で不二の耳に入るなんて想像もしていなかった。
「その、まさかです。」
小さく呟けば不二に盛大にため息をつかれてしまった。
元々リョーマのうちでは南次郎おじさんも堂々との部屋に入って来るし、
リョーマが起こしてくれなければそれこそ毎日完璧に遅刻。
持ちつ持たれつというより、の依存の度合いの方が大きい。
リョーマとはもちろん幼馴染というより姉弟、
いやの方が妹分のような間柄と言う方がぴったりかも知れない。
その辺の所をもう少し詳しく不二に伝えた方がいいのかどうなのか
と悩むの目の前に不二はの弁当を差し出してきた。
は渡してくれるものだとばかり思って身構えれば
不二は相変わらず難しい顔をしている。
「取り合えずこれは預かっておく。」
「ええっ?」
「もそうだけど
僕は自分自身の脳天気さにも腹が立っているんだ。」
は自分が脳天気だと非難されるのは分かる気がしたけど
不二もそうだとはどうしても思えない。
朝起きれないとかお弁当を忘れるとか、
青学の天才がと同じであるはずがない。
凡人には分かりにくい、天才ならではの視点があるのかもしれない、
そんな風に思いながら小難しい表情の不二もまた
何となくカッコイイな、と思うはやはり脳天気そのものだ。
ぼうっと見つめていればその視線に気がついて
不二は呆れた様に口元を緩めた。
「昼は一緒に食べようか?」
「昼?」
「僕も弁当だから、カフェテラスに持って行って食べようか?」
「えっと、私と?」
「そうだけど、何か問題ある?」
問題なんてあるはずはないけど、
でもそんな嬉しい展開について行けない。
というか、お弁当を普通に食べられるか途端に自信が無くなる。
「で、でも・・・。」
「でも?」
不二に鸚鵡返しされはびくりと肩を震わす。
「越前とは一緒にご飯食べてるんだろ?」
さらりと不二はそんな台詞を吐くと
そのままを残して教室に戻って行ってしまった。
は呆然としたまま不二の背中を見送って
やがてチャイムに気がつくとあたふたと教室に入って行った。
近くの席から菊丸のもの言いたげな視線がちらちらと目の端に映る。
の席から不二の姿は見えないから
だってその実授業なんて頭に入って来ない。
何が悪かったのか全然分からないのだけど、
リョーマが大丈夫と言った言葉を鵜呑みにした自分が
浅はかだったのではと思い悩む。
片思いの不二の姿をこっそり携帯に納めて
それを宝物のようにしていた事をリョーマに知られてしまった。
さんざん馬鹿にされ、本気で泣きそうになった途端
リョーマが協力してくれると言い出した。
自分がと仲の良いところを見せ付けて
不二に対抗心を持たせる事ができれば上手くいく、
そんな作戦だったのにこの重い空気はとてもいい作戦とは思えない。
昼を一緒に、と誘ってもらえたのは嬉しいけれど
何となく不二の冷たい視線が気になる。
気になるまま昼休みを迎えてしまった。
の目の前にはなぜか困り顔の菊丸がいた。
「あ、あー、あのさー。」
「何?」
「いや、俺、邪魔だったらはずすよ?」
気まずい雰囲気に耐え切れなくなったのか
菊丸は恐る恐る不二に尋ねるが不二はにべもなく答えた。
「邪魔なんて思ってないけど、
ね、さん?」
「えっ? う、うん。」
も慌てて答えるが気持ちは菊丸と同じだ。
何で自分がここにいるのかさっぱり分からない。
「英二も気になるならちゃんと聞いてみれば?
授業中随分さんの事、気にしてたじゃない?」
不二の言葉に棘があるかのようでも生きた心地がしない。
好きな人の別の一面を見るようで
隣にいるというだけでも緊張するのに、さらに加わる重々しい雰囲気に
リョーマの届けたお弁当を見つめるばかりで食欲なんてまるでない。
「へっ? いや、別に、なんて言うか・・・。
ただ、さんって越前と、ど、同棲してるって、
あれ、ホント?」
「越前、そんな事を言ったの?」
やべぇという菊丸の舌打ちに思わずは慌てて否定する。
「ち、違うの。
そうじゃなくて、ただの居候です。」
「居候って?」
きょとんとする菊丸には必死になって弁明する。
「リョーマのうちとは小さい頃から知り合いで
今単身赴任中の父がアメリカで倒れちゃって、
母がそっちに行ってる間一人暮らしはまずいだろうって。
だから今はリョーマんちにお世話になってるだけで・・・。」
「だけ、って・・・。」
不二の口調にまた体が強張る。
だってこれは家の都合だよ?
父と母が決めた事だよ?
それを何で不二に咎められるのか。
そんな疑問がぐるぐると頭の中で湧き上がるのと同時に
穏やかで朗らかで大らかそうに見て来た不二の
どこにこんな面があったのか、目を疑うばかりである。
「そ、そっかぁ。
じゃ、じゃあ、仕方ないよねん?」
こわごわ同意してくれる菊丸を見れば
やはりその表情は明らかに不二に気を使っているよう。
押し黙る不二がおもむろに弁当を食べ始めるので
菊丸も慌てて食べ始める。
も箸をつけるけど美味しいはずの弁当が喉を通らない。
ちらりと横に視線をくれると不二と目が合ってしまった。
「何か飲み物、買って来ようか?」
喉を通らないの気持ちを察してくれたのか
それは定かではないけれど
すっと立ち上がった不二が席を外すや否や
途端に菊丸がため息をつく。
その菊丸の様子にも同じ気持ちだった。
「あの、菊丸君?」
「うん、何?」
「不二君、怒ってる?」
「うーん。」
菊丸は腕組みをして天井を仰ぐ。
「まあ、怒ってるっちゃあ、怒ってるんだろうけど。
でもさんに対してじゃないと思うから。」
「ほんと?」
不安そうなの表情に菊丸は苦笑した。
まあ、ああいう不二の態度を見れるのは
それだけ親密な相手じゃないと見られないから、と
口に出しそうになって止めた。
菊丸だって越前がの事を呼び捨てにしていたのには
正直びっくりだった。
でもその衝撃の度合いは多分不二と菊丸では
違うものになっていたのだろうと何となく気付いた。
菊丸は改めてをじっと見つめた。
「さんってさ〜。」
「うん?」
「越前の事はどう思ってるのかな?」
「リョーマ?」
「そ。所謂、幼馴染って奴でしょ?」
「うん、まあ、そうかな。」
「幼馴染でも、こう、何ていうか
お互いに意識し出したりとかってよくあるじゃん?
そういうのはないの?」
「えっ? な、ないよ、全然!
リョーマは生意気な弟って感じだし、
私なんてカルピンより扱いが酷いし、
まあ、たまに優しい所はあるけど・・・。」
「ふーん。」
菊丸は越前の挑発的な顔を思い出していた。
弟分っていう顔つきじゃなかったな、と心の中で菊丸は思った。
「ね、さんは越前の事、よく知ってるんだよね?」
「どうかなぁ。」
「越前って彼女、いる?」
突然の質問には口に入れた卵焼きにむせそうになった。
「さ、さぁ? リョーマはそういう話、しないし。」
「中等部の部活の話とかに出てこない?
乃ちゃんとか・・・。」
「乃ちゃん?」
「そ、竜崎監督の孫なんだけど。
俺たちみんな、お似合いだなって思ってんだけどさ。
どうも越前見てると、他に好きな奴でもいるんじゃないかなって、
あっ、これは俺の独断なんだけどね。」
「リョーマに好きな人?」
はぽかんと菊丸を見つめる。
確かに誕生日やバレンタインになるとたくさんのプレゼントを持ち帰ってるけど
その中に本命がいるようには思えなかった。
こんなに沢山貰って大変だね、とが言えば、興味ないし、と答える。
そのくせ「からは何もないの?」と催促するから
何て欲深なんだと、素直じゃない口ぶりにいつも閉口していたけど。
実の姉のように越前の彼女の事を幼稚園の頃まで遡って
真剣に思い出し始めているを
菊丸は面白いものを見るかのように眺めていた。
身近にこんな可愛い子がいれば越前だって他の子に目移りなんてしないだろう。
越前がと同棲してると言い切ったのはあながち嘘でもなく
ただ越前の願望が入った言葉だったのではないかと菊丸は思いついた。
「リョーマに好きな人がいるかどうかは分からないけど
付き合ってる子は絶対いないと思う。」
「へぇ、何でそんな事分かるの?」
「だっていつだってテニスばっかりだし。
たまに買い物行く時だって私と一緒だし、
そうじゃなきゃ家でカルピンと遊んでるし・・・。」
「ふーん。越前ってさんと出かける事、あるんだ?」
またしても絶対零度的な冷たい声にも菊丸も驚いた。
いつの間に戻って来たのか、
不二は手の中の紙コップのひとつをの前に置いた。
そしてゆっくり自分の席に着くと、もうひとつの紙コップを自分の前に置く。
ほのかに甘い香りが辺りを包んだ。
「あれっ? 俺のは?」
菊丸は不用意にもそんな事を言ってしまってから
不二の視線にかち合って瞬時に後悔した。
「飲みたかったら自分で買ってくれば?」
「あ、あー、そうだねん。」
罰の悪そうな表情を浮かべて菊丸は慌てて自分の弁当を平らげると
あっという間にたちを残して席を立ってしまった。
あっけに取られるは不思議そうに菊丸の後姿を目で追った。
けれどその視線の横から不二の痛いほどの強力な視線を感じて
は恐る恐る不二の方を向いた。
不二はまるで何事もなかったのかのように
にっこりとに笑いかけた。
「これは僕のおごりだから遠慮しないで飲んでね?」
「えっ? あ、うん、ありがと。」
「でね、さっきの話だけど?」
「さっき?」
さっきとはいつの事だろう?とが戸惑うと
不二はもういつもの不二のように優しい口調で畳み掛けてきた。
「朝、起きられないっていう話。
考えたんだけど、僕がモーニングコールしてあげるよ。」
突拍子もない話には驚いてしばし固まる。
何でそういう展開になっているのだろうか?
「モーニングコールって!?
そんなの、不二君に迷惑だよ。」
「迷惑だなんて思ってないから提案してるんだけど。」
大好きな人の声で目覚めるなんて夢のような話だ。
それはそれは素敵な朝を迎えられそうで、
でも明日の朝を想像するだけでドキドキしだして
は恥ずかしさのあまり頬の火照りを隠すように両手で押さえた。
「もちろん、さんが嫌じゃなければの話だけど?」
「い、嫌なんて、そんな事ないけど。」
「じゃあ、決まり。」
あっさり決めてしまう不二にびっくりだったけど
それでも不二との仲が一歩前進したと思えば
凄い事に違いない。
これもリョーマがお弁当を持って来てくれたお陰だな、と思えば
家に戻ったら一応お礼を言わなきゃいけないかな、とは思ったが
でもそれを素直に受け取るリョーマではないし、
反対にまたからかわれるのがオチだとやっぱり秘密にしておこうと思い直した。
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