星に願いを








 「ごめん、痛かったよね?」


差し出された手をしげしげと見たまま動けない自分は
相手に随分と大袈裟に映ってしまったんじゃないだろうかと
逆に情けなくなってしまった。

ほんとはぱっと立ち上がって
何でもなかった風に振舞えばどうってことない日常だったはずなのに
夢見た展開が全く意に沿わない形だったから頭が付いていかなかった。

出会い頭にぶつかってしまった私は
そのはずみでそのまま床にお尻を打ち付けて立ち上がれなかった。

痛みも大きかったけど目の端に
不二君の顔がちらっと入って来て
そこで初めて私は菊丸君とぶつかったんだって認識した。

千載一遇の出来事にがっかりしている自分も自分だけど
そんな私をびっくりしたように見つめてきた菊丸君が
あろう事か私を抱き上げてそのまま後ろにいた不二君に何か言いながら
階段を降りはじめたのには唖然とする他なかった。

もう私は恥ずかしくて恥ずかしくて
それなのに拒否権の発動もできず
何でこんな事になったのだろうかと悔やみきれずに
顔を伏せている事しかできなかった。



 「大丈夫?」


気がつけばいつの間にか保健室のベッドに寝かされていた。

気を失っていた訳じゃないのに
私の記憶力はここへ来るまでの一部始終を
メモリーする気はなかったみたいだった。

心配そうに覗き込まれて菊丸君の優しい一面には感謝しきれないけど、
その一方でどうしてあそこであんなに仰々しくぶつかる事になったのか
思い返すといたたまれなくなって、このまま瞬時に家に帰れないだろうかと
そんな事ばかり頭の中でぐるぐると考えてしまう。

 「まあ、多分、尾てい骨にひびは入ってないでしょうけど
  とっさに声も出なかったようなら
  やっぱり一応医者に診て貰った方が良さそうね。」

菊丸君がぶつかった時の様子を保健室の先生に話していた。

二人の会話をどこか他人事のように聞きながら
さっきまでは何ともなかった背中まで
ジンジンと痛み出してきたような気がしてくる。

でも痛いなんて言えない。

これ以上菊丸君に迷惑を掛けたくなくて
大丈夫です、と寝かされたベッドの中から声を出そうと思ったら
不意に不二君の声が聞こえて来て私の体は一気に熱を帯びてしまう。

 「さんは英二と違って華奢だから
  ちょっと心配だよね?」

 「へっ? ああ、うん、そだね。
  もうちっと早く気付いてあげられれば避けられたんだけど。
  うん、でも階段の上から落っこちなくてほんと良かったよ。」


よくアニメか何かで、自分の想い人とぶつかって
それが縁で仲良くなったりする話があるけれど、
現実ではそういう事はないんだなって私はそっちの方がショックだった。

どうせなら片思いだった不二君とぶつかりたかった、
なんて思ってるとは菊丸君は全く知らない訳だけど、
でもぶざまにすっころんで挙句の果てに菊丸君に運ばれるという
醜態の一部始終を不二君に見られてしまった私は
もう何でもいいから早く二人にここから立ち去ってもらいたかった。

 「さん、どうする?
  もう少し様子見てから帰る?
  それともおうちの人に来てもらう?」

赤くなってる私の顔を見て
先生はごく自然に私の額に手を当てた。

私は僅かに首を振って先生を見上げた。

 「あの、うちの親、遅くまで仕事だから。
  でももう少しすればひとりで帰れます。」

 「そう、でもそれなら尚更一人じゃ帰せないわね。
  熱もないようだし、まあしばらくゆっくり寝てなさい。
  先生が後で車で病院に寄ってあげるから。」

人のいい先生はそう言って軽く笑った。

 「あ、じゃあ俺、さんのクラスに行って
  鞄取って来てあげるよ。」

 「あ、あの、菊丸君。
  そんなに気を使わないで。
  大した事ないし、私の方も悪かったんだし・・・。」

慌てて返事をするも不二君の言葉に私は固まってしまう。

 「さん、それ位英二にさせても大丈夫だよ?
  痛い思いをしたのはさんだけなんだから。」

不二君はかすかに笑ったようだったけど
私は保健室の薄い布団をそっと押し上げて顔を隠すしかなかった。

とても不二君の事を正視できる状態じゃない。

菊丸君が慌てたように保健室から飛び出す音を聞きながら
無性に悲しい気分になるのはどうしてだろう。

その後の事もあんまり覚えていない。

鞄を持って来てくれた菊丸君がえらく私の事を心配してきて、
不二君はただ黙って私たちを見てるだけで
私はずっと変なところで緊張していた。

これ以上不二君にかっこ悪い自分を見ていて欲しくなかったんだと思う。

保健の先生にいい加減部活に行きなさいと言われるまで
菊丸君は何度となく大丈夫?を繰り返してきた。

ささいな事故だったのに凄く疲れた。

しばらくして先生に病院に連れて行ってもらって
軽い打撲だと言われても気分は全然晴れなかった。  




心配してくれるのが不二君だったら良かったのに、と
そんな事ばかり考えていたから
翌朝、昇降口で待ち構えていた菊丸君を見た時、
正直私はうんざりと目を逸らしてしまった。

でも菊丸君はそんな事には無頓着だった。


 「おっはよ!
  どう?だいぶ良くなった?」

 「あっ、うん、おはよ。
  ただの打ち身だから、全然大丈夫。」

 「そっか。昨日は病院はすぐに診てもらえた?」

大丈夫と返せばそれでお終いだと思ってた会話を
菊丸君は笑顔で続けてくる。

その馴れ馴れしさが何となく眩しくて私のテンションは下がる一方だった。

 「うん。湿布だけもらっただけだから。」

 「たいした事なくて良かったよ。
  さん、めっちゃ跳ね返しちゃったからな。」

そんな大袈裟な、と私はため息を付いた。

確かに私は小柄だけどそんなに柔なつもりはない。

 「それでさ、お詫びに、これ。」

菊丸君が差し出してきたのは可愛らしい小花のブーケだった。

その意外性に私は咄嗟にありがとうも言えないで立ち尽くしていた。

 「あー、なんか、こういうの俺の柄じゃないんだけど。
  お見舞いっていうか、その、こういう時はこういうのがいいって。」

 「えっ?」

 「とにかく、お詫びのしるしに貰ってよ?
  って、作ったのは不二なんだけどさ。」

 「不二君が?」

 「あいつんち、庭に花が一杯あってさ。
  さすがだよね、俺なんてそういう気遣いってできないからさぁ。
  まあ、黙ってりゃ分からないって言われたけど、
  そういうの、俺、出来ないし。
  取りあえず、作ったのは不二だけど、
  俺の気持ちを込めてお詫びに・・・。」

受け取った小さな花束に驚くばかり。

不二君が作ってくれたと思うと嬉しいけど、
それは私の為じゃなくて菊丸君の為だと思えば気分は複雑だ。

加えて言うなら、こんな昇降口で花を受け取ってる図は
めちゃくちゃ浮きだっている・・・。

 「ありがと。
  でも、もうそんなに気を使わないで?」

 「ああ、うん。
  でも、俺、これをきっかけにさんと仲良くなりたいんだけど。」

頭を掻きながら照れ笑いする菊丸君の顔を
私は真っ直ぐ見ることができなくなって思わず俯いてしまった。





  仲良くなりたい


  仲良くなりたい




授業中もその言葉がエンドレスで木霊している。

あれからクラスメイトにも冷やかされながら
私は貰った花を教壇に飾った。

菊丸君とぶつかった私はそこで菊丸君の小指から出ていた
縁の赤い糸に絡まってしまった気分だった。

もっと私に運があったら
不二君の赤い糸に偶然絡まる事が出来たかもしれないと思うと
残念な気持ちばかり先に立った。

ついてない私。

菊丸君に好意を持たれてしまっては
きっと仲の良い不二君とは永遠に繋がらないような気がして、
例えばこれを逆手にとって不二君とも仲良くなれる、という
ポジティブな方向も考えないではなかったけど
不器用な私に絡まった糸を解いて不二君と上手く繋げる自信はなかった。











 「さん!」

クラスが違うのに、あれから幾度となく菊丸君に出会う。

そして会えば必ず菊丸君は声を掛けて来る。

明るくて屈託ない彼はとてもいい人だと思うけど
私の心の中にはいつだって不二君がいて、
菊丸君と話すだけで不二君が遠くなるような気がして
どうしてもいつも少しだけ菊丸君に冷たくしている自分がいる。

そうしてそんな自分がたまらなく嫌になる。

 「でさ、今日は部活が早めに終わるから
  一緒に帰れないかな、って誘いに来たんだけど?」

 「えっ?」

 「何か用事ある?」

 「あ、うん、ちょっと。」

取り立てて用事がある訳ではないのに
そんな風に言葉を濁せば菊丸君は大抵、そっか、残念無念また明日、
なんてふざけてくれていたのに、今日はちょっと違って見えた。

 「学校の裏通りに最近ケーキ屋ができたの知ってる?」

確か雑誌でも取り上げられたほどチーズケーキが美味しいって評判の店。

一度は行ってみようと思っていたけど
まさか菊丸君から誘われるとは思わなかった。

 「姉貴がそういうの目聡くってさ、
  帰りに買って来いって半強制なんだよ。
  で、一人じゃちょっと恥ずかしいからさ、
  さんが付き合ってくれると行きやすいかなって。」

私の家にも数日前にその店のチラシが入って来ていた。

カップルで行けば半額になるって書いてあったのに
菊丸君はその事には触れなかった。

 「どうかな?」

 「でも・・・。」

言い澱んでると菊丸君はちょっと困った顔で
わずかにため息をついた。

 「デートみたいで嫌?」

まるで見透かされたような言葉に
どう返事をすればいいか、一瞬怯んでしまった。

菊丸君は無頓着な所もあるくせに
その動体視力を誤魔化せるほど私は役者ではなかった。

 「俺さ、さんの事、好きだよ。」

 「あの。」

 「ごめん。
  告白するのはもっと時間かけてからにしようって
  思ってたけど、つい勢いで言っちゃった。
  迷惑だった?」

迷惑かと聞かれれば迷惑に違いない。

でもはっきりと菊丸君を振っていいのか決断できない。

せっかく不二君とも仲良くなれるチャンスを
自らなくしてしまうのはとても残念に思えて、
ずるいと頭の隅で自分を責めながらも
私はどうしても返事ができなかった。

 「俺、単純だからさんが断らなかったら
  良い方に解釈しちゃうよ?」

仲良くなりたいって言われた時から
菊丸君に告白されるかも知れない事に気付かないほど鈍感でもない。

彼はとても分かりやすい。

人懐こくっていつの間にかこちらの懐に入ってしまう。

それが彼の持ち味だと思うし
嫌悪感は湧いてこないから
だから私は余計にどうしていいか分からなくなる。

ただ、それは不二君の友達っていうのが
私の中にあるからなんだろうけど。


 「わ、私のどこが好きなの?」

 「ちっちゃくて可愛い所。」

 「えっ?」

 「ぶつかった時にさん、すっごく派手に転んじゃってさ。
  わああ、何でそんなに軽く吹っ飛ぶんだろってびっくりだった。」

菊丸君の即答に私は不可解な表情を浮かべてしまったらしく
菊丸君はしきりに謝ってきた。

 「ああ、ごめん。
  俺んちさ、姉さんが2人もいるんだけど、
  これがみんな逞しくてさ。
  俺なんか小さい時から何やっても勝てなくって。
  それなのにさんは全然違ってて
  守ってあげなきゃ、って思うくらい可愛くってさ。」

私は段々恥ずかしくなってきた。

 「私、そんなに可愛くなんてないから。」

 「えっ、そんな事ないよ。
  凄く可愛いよ。
  俺が保障する、って俺に保障されても
  さん、困るだけだっけ?」

菊丸君の無邪気な笑顔が眩しすぎる。

 「あー、そんな迷惑がられると凹むんだけど、
  もしかしてさん、好きな人がいるとか?」

 「あっ。」

不意打ちで核心を突かれたらまた顔に出てしまったらしくて、
私の表情を読み取った菊丸君は
軽い気持ちで言った自分の言葉の意味にショックを受けたようだった。

 「そっかぁ。」

だよな、いるよな、なんて菊丸君は一人で納得してる。

これって菊丸君を振った事になるのかな、
なんてぼんやり思った。

不二君とももう繋がる事なんてないかも。

 「ま、でもさ、友達なら別に良いよね?」

落胆していたのはほんの一瞬だったような気がする。

 「何が?」

 「だからさ、ケーキ食べに行く話!
  他にも誰か誘ってみるから、一緒に行こうよ?」

何て前向きなんだろう、と菊丸君の人懐こい笑顔に
思わず頷いてしまっていた。








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