オンリーラブ






今月の特別展は色にこだわるある有名な写真家の個展だった。

自然な色がどこまで多彩であるか、光の織り成す色調はどこまで雄弁か、
さり気ない風景の中に込められたメッセージは見ていて飽きない。

不二はそれらの写真を丁寧に見て回ると
ひとり感動を自分の心にしみこませるように
明るくて広いロビーの居心地の良いソファーに身を沈みこませて
しばらく余韻に浸っていた。

美術館特有の五月蠅くもなく静寂でもない
のんびりした空間と時間は
たまに一人になりたい時にはもってこいの場所だった。

ロビーでのんびり過ごしている人は大抵自分と同じような独り者だ、
と不二は何気なく辺りを見回してみた。

写真展がメインでない人も多いようで、
ロビーには文庫本を読んでる人もいれば、飽きることなく庭を眺めている人もいる。

それぞれが自分の居場所を確保して、なんとなく離れて座っている。


そんな中、窓際から離れて円柱の陰に自分と同い年位の女の子が
よそゆきのワンピースに身を包んで人待ち顔で座っているのに気づいた。

そっと誰にも気づかれないように小さく欠伸する様が可笑しくて
不二は何とはなしに彼女に視線を止めていた。

白いワンピースは秋にしては目を引くので
写真展の会場では一度も視界に入らなかった所を見ると
彼女はずっとここで誰かを待っているのだろう。

もしかしたら美術館にも写真展にも全く興味がないのかもしれない。

そんな事を思いながら彼女の横顔を観察しているうちに
彼女がクラスメイトのひとりに余りにも似ているのに気づいた。

普段の格好とは格段に違う雰囲気のため
すぐに結びつかなかったけれど
でも彼女に違いない、と確信した時にはもう体が動いていた。



 「やあ、奇遇だね、さん?」


不二を見止めた彼女の顔が瞬時に強張るのが分かった。

 「ふ、不二君? どうして?」

 「僕の趣味が写真だって言ったら分かってもらえると思うけど?」

にっこり笑っての隣に当然のように腰を下ろすと
彼女はほんの少し体を左にずらした。

 「写真?」

 「そう。今日やってる特別展の写真家がとても凄い人でね。
  一度ちゃんと作品を間近で見たいなって思ってたから。
  それにしても凄い偶然、さんに会えるなんて。
  何だか運命的なものを感じちゃうよね?」

 「ウンメイテキ?」

 「だって何の示し合わせもないのに
  この時間、この場所で会えたんだもの、
  ただの偶然じゃないと思わない?」

が戸惑うのがいじらしく思えた。

と同時に、彼女の休日を独り占めするだろう人物に嫉妬した。

不二とは3年になって初めて同じクラスになった。

彼女は生徒会の書記をしていたから
何度となく手塚がらみで挨拶する事くらいはあったけど
クラスでも大人しいタイプだったからなかなか仲良くなれるチャンスがなかった。

不二は誰とでも快活に話ができるけど
はその輪の中に自ら進んで入ってくる子ではなかったし、
たとえ友達と一緒にその輪の中にいても
いつの間にか抜け出てしまうような女の子だった。

 「さんは何しにここへ来たの?」

いかにも待ち合わせって言うのは分かっていたけれど
敢えて不二はさらりと聞いてみた。

 「ただの付き添い。」

 「誰の?」

具体的に話したがらないに対して不二は引き下がらなかった。

二人っきりで話せるチャンスなんてもうないかもしれないのだ。

 「私のおばさん。」

 「なんだ、そっかぁ。」

不二はよかった、と言わんばかりの態度を見せ付けて笑った。

 「さんが待ち合わせしてるのが男だったらどうしようか、
  って内心ドキドキしてたんだぁ。」

はあからさまに怪訝な顔をした。

 「だってさんって可愛いのに
  誰かと付き合ってるっていう噂は聞かないから、
  他校生に彼氏がいるのかなって心配したんだ。」

 「不二君が心配する事じゃないって思うけど?」


素っ気無く答えるわりに、人に可愛いなんて言われ慣れてない
不二の言葉に顔を赤らめた。

不二が臆面なくいろんな女の子たちを褒める光景は
見慣れてもいたし聞き慣れてもいたはずなのに。

本当に不二は苦手だ、とは思っていた。


 「うん、まあ、心配するって言うのは大袈裟かな。
  でもそういうの、一番気になる所じゃない?」

 「そう・・・かな?」

 「だって手間と労力が格段に違うじゃない?」

 「て、手間って?」

不二はその長い足を組むと自身の膝上で頬杖をついて
の顔をじっと見つめながらクスリと笑う。

は合わさった視線から逃れるように
膝上に組んだ両の手に焦点を合わせた。

そんな風に避けても不二の視線から逃れる事などできないと
彼の視線を肌でヒシヒシと感じながらも
はじっと俯いたままだった。

傍らの不二は本当に休日をのんびり過ごしてるかのように
リラックスしている。

なのに、は緊張したままため息もつけない。


学園のアイドルといっても過言でないくらい
不二は人気者である。

人当たりもいいし、優しいし、朗らかだ。

3-6の教室は不二と菊丸がいるだけで華やかな雰囲気で
いつも眩しいくらい。

太陽とも思えるそのアイドルが今の横にいる。

いつもならその他大勢を相手にしゃべっている不二が
の横でに話しかけているのが奇妙な感じだった。


 「不二君は誰かと一緒じゃないの?」

会話のない空気が耐え切れなくなって
精一杯の勇気を振り絞ってはそっと不二に聞いてみた。

 「うん? 今はさんと一緒だけど?」

噛み合わない質問と答えには隣に座っているこのクラスメイトの表情を
チラッと伺うように反射的に視線を上げたら、
不二はあたかもがそうする事を初めから待ち構えていたかのように
やっぱり笑っていた。

 「そ、そういうことじゃなくて・・・。」

 「さんも僕の事、気にしてくれてる?」

 「だから、そういうことじゃなくて。」

 「じゃあ、全然大丈夫だね?」

いきなり大丈夫の言葉で強制終了させられて、
思うことの半分も伝わらない、伝えられないもどかしさに
に小さなイライラが湧き上がってきた。

従兄といる時もそうだった。

思う事の半分もしゃべらせないままにどんどんと方向が変わって
一緒にいるだけで楽かと思うと全然そんな事はなくて
毎回振り回されて疲れしか残らない。

ただ従兄は不二よりもっと直線的に傲慢で
が何か言おうとする前に行動してしまう性格だったから
最近は諦めの境地で従兄の前ではすっかり無口になってしまっていた。

男の子ってみんな似たり寄ったりなのだろうか?

不二は見た目も口調も優しいから
従兄よりはましだろうと思っていたのに
少なからずは興ざめした思いでもう返事をする気にもなれないでいた。

そろそろおばさんも戻ってくるだろう。

そうしたらいい加減不二も引き下がるだろう。

偶然に学校以外で不二と出会えた事は
ほんの少し嬉しかったけれど、
やはり不二のペースには自分はついて行けないと思った。



 「待たせちゃったわね、ちゃん!」

救世主は突然現れるもので
おばさんはかっちりとしたグレーのスーツに淡いブルーのストールをなびかせながら
を見つけると少女のように満面の笑みを浮かべていた。

おばさんは小さい頃より本当にを可愛がってくれていた。

娘がいないのが最大の不幸だわ、と言うのが彼女の口癖だった。

がおばさんを出迎えようと立ち上がるよりも
なぜか傍らの不二の方が素早く立ち上がるものだから
はきょとんとした表情で不二の横顔を見上げてしまった。

 「あら、こちらはどなたかしら?」

おばさんはまるで少女のように小首を傾けると
真っ直ぐに不二の顔を凝視していた。

 「初めまして。
  さんと同じクラスの不二周助と言います。」

 「そう?」

大概の事では驚かないおばさんは
無遠慮に不二をつま先から頭の先までゆっくりと観察していた。

は慌てて弁明しようとしたのだが
よりも早くおばさんは興味ありげに不二に尋ねた。

 「残念な事に私の知り合いに不二と名の付く知り合いはいないのだけど。
  あなたのお父様は何をなさってる方かしら?」

 「僕がさんの隣にいるためには
  僕の父の職業が必要ですか?」

不二は淡々と即答していた。

いつもの朗らかさはまるでなくて
初めて見る不二の冷たい態度にの方が驚いていた。

不二ならもっとスマートに、にこやかに
おばさんの慇懃無礼な言葉を受け流すと思っていたのに。

 「あら、それはもっともな意見ね。
  いいわ、そういう答え、嫌いじゃないわ。
  単なるクラスメートなら全然必要なかったわね。
  それにしても不二君は私より先に約束していたのかしら?
  ちゃんなら友達より私の方を優先してしまう位
  やりかねないでしょうからねぇ?
  ああ、でもこんな友達がいたなんて初耳もいい所なんだけど
  不二君は私のちゃんとはどういう関係なのかしら?」

おばさんは別に気を悪くした風でもなく
と言って明らかに気を許したような笑みではなくて
弾丸のように言いたい事を言いながらも不二の事を観察していた。

二人の間にピリピリしたものを感じる。

でもおばさんは昔から媚びるような物言いの人は嫌いだったから
平然と受け答えしてる不二の印象は思ったよりもいいのだろう、
は漠然と思った。

でもとにかく今は不二と自分の関係に
好奇心を抱いてるおばさんを何とかしなければとは言葉を探す。

 「あ、あの、不二君とは・・・。」

 「いえ、今日はたまたまだったんです。
  僕、この特別展の写真家が前から好きで、
  部活の休みと重なるのは今日だけだったので
  ふっと思い立って足を伸ばしたんです。
  そうしたらさんを見かけてしまって、思わず声をかけてしまったんです。
  でも、できれば今日はこのままさんと一緒に過ごせたらなって、
  そう思ってはいるんですけど。」

不二はの言葉を制止するように話し出すと
の方へにっこりと笑いかけた。

は唖然とするばかりである。

 「正直なのね。
  けれど一応宣戦布告はしているのね、不二君?」

おばさんは変に気を回すことも得意なので
は何となく嫌な予感がしていた。

 「それに、あの写真家が好きだなんて
  若いのに見る眼がある所は気に入ったわ。
  実は私も大好きなのよ。
  今度彼の写真集をうちの会社の出版部で出す事になってね、
  その打ち合わせを今から急にする事になったのだけど・・・。」

おばさんはここでやっとの方へ視線を移した。

 「ちゃんにも同席してもらおうと思ってたのだけど。
  場所を変えてPホテルのラウンジで食事でもしながら、
  ちゃんをモデルに何枚か撮ってもらう話もしたいし。
  でも、そうね、それはまた今度の機会にするわ。」

 「えっ? お、おばさん?」

 「まあ、見たところうちの息子に負けないくらいしっかりしてるみたいだし。
  ふふっ、息子に話したらやっかむかしら?
  でも私が言うのもなんだけど、
  うちの子より不二君の方がちゃんにはお似合いかもしれないわねぇ?
  まあ、仕方ないわ。
  誘ったのに来なかった息子が悪いんだから。
  じゃあ、この埋め合わせは今度するわね、ちゃん。」


従兄同様、このおばさんにもいつも振り回されっぱなしなので
風のように去って行くおばさんの行動は見慣れてはいたが
この場に無責任にも置き去りにして欲しくなかったと
は恨めしそうにおばさんの背中を見送っていた。







 「君のおばさん、面白い人だね?」

不二はくすくす笑っている。

 「僕、さんの事、まかされちゃったみたいだけど?」

は椅子の上に置いてあった自分のバックを掴むと
盛大にため息をついて見せた。

 「それははっきりと社交辞令ですから。
  私、自分で帰れるから不二君も好きなようにして?」

 「そう?
  じゃあ、デートしようよ。」


不二の言葉にまたまたは立ちすくんでしまった。








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