オンリーラブ 2
「デートしようよ。」
不二ははっきりとそう言った。
でもにはそれがあたかも日本語ではなかったような気がした。
聞き間違い・・・だよね?
と自問してみる。
「そんなに驚かないでよ?
聞こえなかった?」
「だ、だって・・・。」
「どうする?
僕は、もう一度美術館の中を一緒に回ってもいいけど、
さんはあんまり興味なさそうだし。
何か食べに行く?
それともどこか行きたい所ある?」
不二はの目を覗き込むように聞いてくる。
薄茶色の不二の髪がさらりとの顔の近くで揺れるものだから
思わず二人の顔の近さにドキッとさせられてしまった。
少々強引な所はあるものの、選択肢を並べる辺り
不二は従兄よりも格段に優しいなどと考えて
なんでいちいち従兄と比べては不二の方がいいように思ってしまうのだろうと
は眉を顰めてまた考え込む。
その様子に不二は口元を綻ばせていた。
「さんって考え込んじゃうタイプなんだね?」
「えっ?」
「真面目って言うか・・・。
長考しすぎて友達に置いてきぼりにされたりしない?」
「そ、そんなことは・・・。
で、でも従兄にはいつも怒られる、かな。」
「従兄って、あのおばさんの息子さん?」
「うん・・・。
ぐずだ、のろまだって。
で、結局景ちゃんがパパッと何でも決めちゃう。」
「言えなくなっちゃうんでしょ?」
まるでの性格はお見通しと言わんばかりに不二は笑い出す。
確かに従兄には何も言えなくなって従ってばかり。
それが楽と言えば楽なんだけど
子供の頃は頼りがいがあって男らしいなんて思っていたのが
この頃は段々とそれもどうだろうと思うようになっていた。
「それにしてもさんのおばさんって
なんだか凄そうだね?」
「えっ?」
「だっていきなり君をモデルに写真集出すなんて企画、
そうそうできないよ?
僕もほとんど風景しか撮らないんだけど
あの写真家も確か人物像って、頼まれても撮らない人だと思ってたけど。」
「そうなんだ?」
「余程のコネでも持ってるのかな?」
まあコネと言えば、おじさんの地位と権力と財力を考えれば
何もできない事などないはずなのだが
その辺を嫌味なく企画を通していくおばさんの社交術は
本当にたいしたものだと常々尊敬してはいるのだが
そういう事を不二に話す気にはなれない。
「でも僕も機会があればさんをモデルに写真撮ってみたいな。」
「えっ?」
「いい写真が撮れそうな気がするんだ。
さてと、とりあえずここは出ようか?」
不二は当たり前のようにの手を握り締めると
美術館の出口を目指してゆっくりと歩き出した。
やはり不二の考えてる事はわからない。
脈略のない話に耳を貸してる間に
なんだかどんどん彼のペースに落ちて行くようだ。
これにはさすがのも悠長に考えてはいられなかった。
「ふ、不二君!」
「何?」
「手・・・。」
「いいんじゃない? ここは学校じゃないし。
僕たちを見て騒ぐ人は誰もいないよ?」
「そうかもしれないけど、じゃなくて、
手を繋ぐ事自体おかしいと思うけど?」
「おかしくなんかないよ?
デートだって言ったでしょ?」
不二はおかまいなしにの手をぎゅっと握り締める。
従兄だってこんな事はしない。
せいぜい腕を捕まれて引っ張られるだけ。
「デ、デートって言われても私たち付き合ってないよね?」
「付き合ってないとデートできないの?」
それが普通じゃないの?とは心の中で叫ぶ。
それとも不二にとっては当たり前のことなんだろうか?
付き合ってない子でも誰とでもデートできちゃうんだ、
とは納得しかかっていた。
「ねえ、また一人で考え込んで決め付けてない?
まさか僕だって誰とでもこんな事したりしないよ?」
まるでの心の中を読み取るように不二が言った。
「じゃあ、なんで?」
「そうだな、さんの事、もっと知りたいから。
学校じゃなかなかさんと話せないし。
二人っきりだったらちゃんと話せるかなって思って。」
「私と?」
「うん、すごく気になるから。」
そう言って不二は照れ笑いをする。
初めて見る自信のないようなはにかんだ不二の顔。
それはにも伝染してしまう。
「他の人ならね、どんな風にでもしゃべれるんだけど
さんには、どんな風に話したらいいかわからない。」
「えっ?」
先程初対面のおばさんとは臆する事無くしゃべっていたくせに、
とは訝しげに不二の顔を見た。
「少し強引なくらいに話さないと
チャンスをものにできないかなって思うけど、
あんまりしつこくしたらさん、黙っちゃうし、
嫌われたらどうしようって、
今も少し緊張してるし、自信ない・・・。」
「不二君が?」
「うん。だからどんな事でもいいから
さんと話す時間を増やしたいな。
それで一杯僕が質問して、さんが答える。
些細な事でいいんだ。
だから深く考えないで? ね?」
「・・・質問って?」
「赤と青ならどっちが好き?とか。
偶数と奇数ならどっちが好き?とか。
好きな食べ物は何?とか。」
「そ、そんな事?」
「そんな事。」
不二が笑うからも思わず笑ってしまった。
美術館の中庭をゆっくり歩きながら
手を繋いでいるのも不二と並んで歩いているのも
とても自然な事のように思えてくる。
不二は決して急がないし、強要もしないし、
難しい事も言わないし。
が答えるまで辛抱強く待っていてくれるのも
素直に嬉しいと思う。
誰にも邪魔されない時間がこんなに楽しいものだと思わなくて
歩きながら、カフェでお茶しながら、
ストリートの店先を覗きながら
はこの日、いつの間にかずっと不二と他愛もない話ばかりしていた。
********
昨日、苦手だと思っていた不二と話すのはとても楽しかった。
そう思い返してみても今の状況は
どう考えても、昨日の事が夢だったんじゃないかと思う光景だ。
でもそれが当たり前の光景・・・だった。
不二の周りにはいつだっていろんな子がいる。
そして誰とでも仲良く楽しげにポンポンと会話してる不二が
眩しすぎて別人のように映る。
の方から普通に話しかけられればいいのだが
不二の周りにはいつも大勢の人垣ができるほどで
さして用事もなければその人垣に分け入って
不二に話しかける勇気も気力もにはなかった。
席が近ければよかったのに、
委員会が同じであればよかったのに、
部活が一緒だったら良かったのに、
家が近くだったら良かったのに。
あげればキリのない他力本願な考え。
でもにはそんな風に思うだけで精一杯。
叶うはずもない境遇に仕方ないかとため息をつく。
もともと不二とは住む世界が違うと言うか、
不二が高嶺の花だったのだ。
何を今更、とは次の時間の教科書を出しながら
わずかにため息をこぼした。
「さん、おはよう。」
えっ?と顔を上げれば今思っていた不二がそばに立っている。
「お、おはよう。」
「さっきプリントを運ぶのを先生に頼まれたんだけど
一緒に行ってくれない?」
「えっ?」
「今日、僕とさんが日直なんだけど?」
指差された方を見ると確かに自分の名前の横に
不二の名前が記されている。
促されて慌てて不二の後を追うも腑に落ちなくて
廊下ですれ違う視線の多さに辟易しながら不二を見上げた。
日直として並んで歩くだけで注目の的だ。
それを意識せざるを得ない学校と言う場所は
昨日とはまるで違う居心地の悪さ。
「不二君、今日の日直、私、菊丸君とだったと思ったんだけど?」
「英二の方がよかった?」
よかった?って言われてもそれは返答に困る質問だ。
日直に良いも悪いもない。
「・・・やだな、そういうとこで悩まないでよ?
変わってもらったんだ。」
「菊丸君と?」
「そう。 さんが今日日直だから
一緒に日直したいなって思った。
いけなかった?」
不二は実に楽しそうに笑っている。
「ううん、そんな事ない。」
「よかった。」
安堵する不二が不思議だった。
「やっぱり学校じゃ気兼ねなく話せない?」
「うん、そう・・・だね。
不二君、人気者だから。」
「そうかな?」
さらりと受け流す不二の言葉にはふと頭に浮かんだ疑問を反芻する。
この人は自分が人気者だって感じていないのだろうか?
そんな事はないと思うけど、
それともそれが普通過ぎて、もっとみんなに騒がれる位の自分を思い描いているから、
不二は今の自分を人気者という範疇にはめていないのだろうか。
従兄も常に人の中心にいないと気がすまない人だけど
人気者だね、なんて言葉で喜ぶ人ではなかったし。
不二も従兄と同じタイプだったら少し幻滅かも・・・。
「さん?」
呼ばれて腕を掴まれて、は初めて職員室を通り過ぎようとしている自分に気がついた。
傍らでクスクスと肩を震わせてる不二の様子に
は顔を真っ赤にして佇む。
「また自分の世界に入ってる。」
「っ////」
「さん、思った事は何でも聞いてよ?
僕は、さんの質問にはちゃんと答えるつもりなんだけど。」
ちょっと待ってて、と呟くと不二は一人で職員室に入って行ってしまった。
質問って?
何の質問?
私が何を不二君に聞くって言うの?
は不二の言った意味が分からなくて呆然とその背中を見送ってしまった。
ぼんやりしていたらポケットに入れていた携帯が
誰かの着信を早く取れと言わんばかりに震え出した。
は職員室の前だというのも忘れて思わず携帯に出てしまった。
チラリと見えた文字は従兄からだった。
『もしもし?』
『か?』
『景・・・ちゃん。』
わかっていてもこんな時間に電話してくるなんて
まずあり得ない事だったから訝しげに従兄の名前を呼んでいた。
『お前、青学の不二と付き合ってるのか?』
いきなりの質問には返答ができなかった。
頭の片隅で、おばさんが面白おかしく話したのだろうという事は分かった。
そして今、従兄がその話を面白おかしく受け取っていない事だけは理解できた。
『言っておくが、不二はテニスでは天才肌かも知れんが
家は普通だぞ?』
『景ちゃん、あのね・・・。』
『不二にどんな事を言われたのか知らねーが
お前とは全然釣り合わねーんだからな?
甘い夢を見たいつうのはわからねーでもないが
お前は女なんだからな?
間違いがあったら自分の将来に傷が付くんだぞ?』
一気にまくし立てられて相変わらずの横柄振りには返事をする気にもなれない。
自分だって彼女と名の付く女は何人いるんだか分からないくらいの癖に
家だとか格式だとか釣り合いだとか、には当然のように言って来る従兄が
まるで口うるさい小姑のようでうんざりしている。
この従兄と離れたくてわざわざ青学に入学したというのに、
従兄の干渉は氷帝の幼稚舎の頃よりずっと変わらなかった。
『大方あいつの甘いマスクにやられたんだろうが
不二はあれでなかなかのプレイボーイなんだぞ?
どうせお前なんか泣かされるのがオチだ。』
『それ、景ちゃんの事でしょ?』
『なんだと?』
一挙に声のトーンが低くなって従兄が怒ったのが分かる。
大体いつも女の子泣かせてるのは従兄の方で
大体それはのせいになっていた。
『なんで私が泣くの?
泣かされてるのは景ちゃんの彼女たちじゃない?
景ちゃんが私に構うから・・・。』
『ああ? あいつらはただの遊び友達だ。
それを勘違いしやがって、どいつもこいつも身の程知らずなんだよ。
俺やがその辺の奴と釣り合うはずがねーだろうが。
お前が素性を隠して青学にいたとしてもだ、
そんなのバレたらお終いじゃねーか。
何なら俺が不二に・・・。』
『やめてよ、景ちゃん!
不二君とは別に・・・。』
「僕とは何?」
の手の中から携帯が抜き取られて行くのを
はまるでスローモーションを見ているかのように目で追うだけだった。
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