極上氷帝寮物語  10







うっすらと窓から朝日が差し込む。

は机に突っ伏したまま、カーテンの隙間から絨毯の上に伸びる、
一条の光の線をぼんやりと見つめていた。



結局一睡もできなかった。

そして何も手に付かなかった。



どこかでバタンとドアの閉まる音がしたから、
忍足とか宍戸あたりが寮からそのまま朝練に出かけたのだろうと
は身じろぎもしないで考えていた。



 (今日は学校に行くの、やめようかな…)



消極的な考えに、それがいつまで通用するのだろうか、と
は自問自答してみる。

起きてしまった事はもうなしにはできない。

跡部との噂話で持ち上がるであろう興味本位な視線を無視するだけの力は
自分にはあると思うけれど、
忍足や跡部本人たちを無視し続けられるか?と言うと、
それはにもわからなかった。


手塚の事が好きで好きで、その一途な思いだけで頑張っていた自分が好きだったし、
それが本来自分らしい事だと今まで信じていた。

だけど、ここへ来て、一方的に彼らの好意を受け取る立場に
正直戸惑い、パニックになってる自分自身に嫌悪感が沸き起こり、
何かを考えなければいけないと頭で思うたび思考回路はぷっつりと止まってしまう。


跡部に抱かれて一瞬でも心地よいと思った自分の中の女の部分や、
忍足にキスされそうになって、あのままキスを受けていたのかもしれない自分の弱さに、
苛立ちを覚えるものの、どうしても彼らのぬくもりを思い出してしまう自分が許せなかった。


自分が自分でなくなるような感覚…。






は冷たい水で顔を洗うと鏡を覗き込んだ。

とりあえず制服に着替えよう、そう思い、クローゼットの前に立った。











       ********








が階下に降りようとすると、テニスコートの方からボールを打ち合う音が聞こえた。

こんなに天気のいい日は屋外で運動するのは気持ちがいいものだろうが、
軽快なボールの音は、を複雑な気持ちに追い込む。

ロビーには朝日がさんさんと射しこみ、眩しいくらい大理石の床が光っている。

思わず目を細めそうになった時、ソファの後ろにちょこんと置かれた黒い物体に
目が釘付けになる。


それはの鞄だった。


律儀にも朝練の前に跡部が届けに来たのだと思うと、
顔を合わせる必要がなくてよかったと思う気持ちと、
会いたかったという気持ちがもやもやと胸の奥で渦巻く。


それでもその鞄を取り上げようとソファに近づいた時、
そこにうつ伏せに倒れこんでる人影に気がついた。

ドクンと何かが脈打つように全身に電流が走る。


 「跡…部…?」


はソファとソファの間から回り込むと、
跡部の背中をゆっくりとゆすってみた。



 「どうかしたの、跡部?」

 「…か?」

 「……。」

 「鞄、そこにあるだろ?」

 「えっ? あ、うん。
  それより…具合でも悪いの?」

 「なんでもねぇ。気にするな。」

掠れたような声でやっと呟くような跡部に、
の心はぎゅうと締め付けられるようだった。

 「具合悪いのに、わざわざ持って来てくれたの?」

 「…。」

 「ねえ、保健室に行く?
  あ、でもここからじゃ遠すぎるか。
  じゃあ、どこか空いてる部屋で休みなよ?」

 「いいって言ってんだろ。」

 「だって、こんな所より…。」

 「どこでも同じだ。
  保健室も寮のベッドも狭くてやなんだよ!」

 「えっ?だって寮のベッドはすごく気持ちいいよ?」


の驚きの声に跡部は心底呆れたようにため息を吐いた。


 「お前の部屋のベッドは特別なんだよ。」

 「…そうなの?」

 「ああ…。」


そのまましばらく言葉が続かなかった。

だけど、このまま跡部を放っておく事もできなくて。


 「ねえ。家に連絡して車、回してもらおうか?」

 「…。」

 「あのねぇ。人がせっかく心配してあげてるんだから、
  返事位したら?」

 「お前なぁ、雨の中、俺を残して先帰ったくせに、
  そんな事言えた義理か?」

 「わっ、具合悪いの、私のせい?」

 「違うとは言えねーな…。」


跡部がかすかに喉の奥で笑ったような気がした。


 「じゃあ、お前のベッド、貸してくれるのか?」

 「えっ?」

 「冗談だ…。」


そう言って目をつぶる跡部の横顔を見てしまうと、
やはり見捨てる訳にもいかなくて、
は自分のお節介加減に呆れながらも、跡部の肩に手をかけた。


 「わかった…。今回だけだからね?
  ほら、立って。肩、貸すから…。」



驚いたような跡部の表情に自分で赤くなり、、
跡部に手を貸してやりながら、もう何も考えるまいとは唇をかみ締めた。

跡部もなぜか素直にに寄りかかると、
思っていた以上にだるかったらしく、そのままの部屋まで一言もしゃべらなかった。

シャツ越しに感じる跡部のぬくもりを意識しないようにと心に念じながら、
ゆっくりと階段を上がり、やがては自分の部屋のドアノブに手をかけた。

と、不意に跡部が囁いた。


 「いいのか?無防備に男を部屋に連れ込んで…。」

 「バカ!自惚れないで。」


がむっとしながら答えると、
跡部はそのまま開いたドアからベッドの方へ自分からなだれこむような形で崩れ落ちた。


 「自惚れてなんかねーよ。」




はドアを閉めるとベッドに横たわってる跡部をじっと見つめていた。

なんて大胆な事をしてしまったのだろう?

は急に落ち着かなくなってくる自分を持て余し、
跡部と一緒に持ってきた自分の鞄を机の上に置いて軽くため息をつく。

自分が跡部の彼女だったら、きっとかいがいしく世話をするんだろうか?
ふとそんな考えが頭をもたげ、いやいや、自分はただ具合の悪そうな元クラスメートを
放っておく事ができなかっただけ、ベッドを貸してあげただけ、と自分に言い聞かす。

けれど、身じろぎもせず、に背を向けたまま横になってる跡部は眠ってしまったのか、
が傍にいる事などまるで気にかけないようなその背中に、
なぜか物足りなさを感じてしまう。


 (物足りないって、何よ?)


自分に突っ込んでみてもそれ以上の言葉は出てこなくて、
やがては静かに机に向かうと、鞄の中を整理して、
とりあえず全く手をつけていなかった課題を登校ぎりぎりまで仕上げようと、
跡部の存在を頭から振り払うかのようにノートを開いた。








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☆あとがき☆
 この連載で跡部に言わせたかったシーン…。
それは保健室や寮のベッドは狭くて嫌だというところ。(笑)
その部分だけでこの話が始まりました。
ほら自室のベッドがありえないくらいの豪華なキングサイズだと思うので。
って、あの跡部がぶっ倒れて学校の保健室に寝る事はまずないでしょうけどね。
2006.8.12.