極上氷帝寮物語 11
小1時間ほどして、あともう少しで苦手な課題が終わると満足気に自分のノートを見直した時、
ドアを控え目にノックする音が聞こえた。
は一瞬跡部の方に顔を向けたが、跡部は全く動く気配がない。
その様子に安堵すると、は急いでドアを細めに開けた。
「おはようさん。」
そこに立っていたのは忍足だった。
「お、おはよう…。」
「一応制服は着てんやな。」
「な…に?」
「いや、学校、行かへんとか思うてないか、ちょい不安だった。」
「だから何?」
「迎えに来たんや。」
忍足は目を細めてニッコリ笑う。
「はい? そんな約束した覚え、ないし。」
はチラッと後ろを振り返って跡部が起きやしないかとハラハラしたが、
それでもドアを大きく開く訳にはいかないので、
慌てて自分の体で部屋の中が見えないように忍足に向き直った。
「言うたやろ?
俺はの事、好きやって。
俺の事意識してもらうんやったら、ずっと傍におらなあかん思うてな、
まずは一緒に登校しよ思うねん。」
「ま、まだ朝練の途中じゃないの?」
「ええねん。
大体、あの跡部が珍しい事に、なんの連絡もなしで朝練サボってるんや。
俺がちょっと位早めに切り上げた所で文句は言わせへんて。」
そう言っての顔をじっと見つめてくる忍足の目は
昨日の夜の時に垣間見せた怖さを思い出させる。
「まさか、跡部から何か連絡あったんちゃうやろなぁ?」
「…あ、ある訳ないでしょ。」
は背中に冷や汗が流れるのを感じた。
好意をもたれてるはずなのに、忍足の言葉はを不安にさせるだけだった。
昨日はあのまま雰囲気に流されそうだったけど、
今はなぜか忍足と二人きりになりたくないと、の体中に警告が鳴り響く。
多分、自分は忍足に迫られてるところを跡部に見られたくないんだ、
とやっとわかった。
後ろに踏み出せば部屋の中には跡部がいるのだが、
その跡部の手の中から一度逃げ出したには、
彼に助けを求めるなんて、そんな虫のよすぎる事など出来る訳もなかった。
「なあ、手塚の事が忘れられへん、いうんやったら、
俺が忘れさせてやる。
俺は手塚と違うてマメやし、を泣かせる事もせえへんで?」
「ちょ、ちょっと待って。」
「待たれへんな。」
「だ、だけど、なんで私なのよ。
は?の方が可愛いし、優しいし、忍足の事、好きだって言ってた…。」
「人の事はどうでもええんや。
俺は、じゃなく、お前が好きなんや。」
声を荒げる忍足がの肩に手を伸ばし引き寄せようとすると、
は思わず1歩後ずさり、背中でドアがカタンと音を立てた。
「忍足は、…私がテニスできなかったら好きだなんて言わなかった。」
「何言うてんねん。そんなことあらへん!」
「テニスバカのくせに!
テニスが一番好きなくせに!」
「そういうは手塚の事が好きやったんやろ?
あいつかてめっちゃテニスバカやん。
な、俺の事も絶対好きになるって!!」
「テニスバカは嫌いだって言ったでしょ?
好きになんてならない。」
「いいや、は嫌いやゆうてもそんなに嫌ってないやん。
大丈夫や。俺は手塚とは違うで?
絶対後悔させへん!」
「わかってる!わかってるから嫌なの。」
「何やそれ。
手塚と上手くいかへんかったからって
怖がってるだけやん。」
「…違う。わかってないのは忍足の方だよ。
私の事、わかるはずなんてない!
じゃあ、聞くけど…、
テニスと私、どっちか選べって言われて私を選べる?」
ヒステリックに困惑し、の必死な様子にニヤリと薄ら笑いを浮かべて、
忍足は眼鏡のフレームを押し上げた。
「なんや、やっぱりそういう事か。
どうせ手塚はテニスを選んだんやろ?
俺はを選ぶに決まっとるやん。
なあ、ええ加減駄々をこねるのは止めとき。
俺はのためならテニスなんてどうでもええんや。」
「忍足のバカ。私はそんな事望んでない!」
忍足が悲痛な表情を浮かべてるに手を伸ばしかけた時、
はぐいと後方に引っ張られ、小さく悲鳴を上げた。
ポフッと納まった人肌の感触に慌てて上を見上げれば、
大きく開かれた扉に手をかけている跡部の顔があった。
「何、忍足に告られてんだよ?」
耳元で不機嫌そうな跡部の声が聞こえたが、はなぜか緊張の糸が解けたように身を任せていた。
その様を見せ付けられて忍足は顔を歪ませながら跡部を睨みつけた。
「おい、忍足。
お前、何にもわかっちゃいねーな。」
「何が言いたいんや、跡部。」
「テニスを捨ててを選んだら、は絶対お前のものにはならねーぜ。」
「なんやて?」
「こいつは、テニスを選んだ手塚が好きだったんだぜ。
たとえ自分は捨てられたとしても、それでもそういう手塚で良かったと思ってるんだ。
でもそう思ってる自分を褒めてやれないんだから、もバカだよなぁ。」
そう言いながら跡部は優しくを抱きしめている。
「俺様ならどっちかしか選ばないって言うせこい真似はしねーな。
こいつもな、本当は自分ではどうしようもなく我侭で贅沢な奴なんだ。」
その言葉にが見る見る赤く染まりだすのを、
忍足は呆然と見つめながら、なおも諦めきれぬ様子で突っかかった。
「大体、なんでの部屋に跡部がおるん?」
「あーん? 忘れたのか?
ここは 俺の部屋だろうが…。」
忍足はぐっと拳を握り締めたまま立ち尽くしていた。
「う、嘘やろ?」
「ああ、もちろんだ。
お前の考えてるような事は何も起こっちゃいねぇ。
だが、お前が、本気で俺と張り合うつもりなら俺は受けて立つぜ?
ただし、をこれ以上追い詰めるやり方はするな。」
跡部の、試合で見せる以上の気迫に気おされ、忍足はに眼を向けたが、
自分に酷い仕打ちをした人間に怖気づいて身を震わせている子猫のようなの姿に、
忍足はやっと自分がどうあがいても受け入れてもらえない事実に愕然とした。
「…なんでや?」
「…ごめん。」
「謝らんでええわ。」
跡部よりも先にの心を掴みたいばかりに急いてしまい、
その選択を誤ってしまった事に忍足はがっくりと肩を落とし、
そのまま踵を返すと、ゆっくりと階段を下りていった。
「いたっ。」
いつまでもぼんやりと忍足を見送っていたら、
首に回されていた腕がするっとはずされ、突然頭に空手チョップが降って来た。
驚いて振り返ると、すでに跡部はの椅子に座っていて、
の課題をぺらぺらとめくっていた。
「お前、無防備すぎ。」
「そんな事言われたって…。」
は自分の頭をなでながら跡部の横に並んだ。
あんな事があったというのに、跡部は全然普通で、
は拍子抜けしたようにまじまじと跡部の横顔を見つめた。
「ねえ…、ここって、跡部の部屋なの?」
「言っただろ? ここはテニス部の合宿所なんだぜ。
俺の部屋もあるに決まってんだろう。」
「あれ、じゃあ…。」
「いいんだよ、お前はそんな事気にしなくても。
そんなことより、一応他の奴らも泊まってるんだ、
ほいほいドアを開けるんじゃねーよ。」
ぶっきらぼうだったけど、それでもやっぱり心配してくれたんだ、
と思うと不意に嬉しくなる。
だけど、なんで跡部の部屋を使わせてもらってるんだろう?
そんな疑問が頭をよぎったけど、跡部が勝手に人の課題を覗き込んでる様子に、
思わずノートを取り上げようと身を乗り出したら、
伸ばした手を払われてシャーペンでトントンとドイツ語の作文を跡部が指し示す。
「ここ、間違ってるぜ?」
何もこんな時にそんな事言わなくったって、とばかりには抗議する。
「だから、ドイツ語、苦手なんだってば…。」
「好きになれなかったんだからいい加減諦めろ。」
「諦めれたら苦労しないって。」
「…全くだな。」
跡部の意外な言葉にえっ?って聞き返したが、
それには答えてくれなくて、跡部はのシャーペンで間違った所をサラサラと直していく。
「大体、お前が理数系に変更するから悪い。」
「な、何よ。」
「あのままだったら文系選抜で俺と一緒のクラスだっただろ?」
「う…ん、まあ、そうかも。」
「俺は2年の時から片想いのままだ。」
「!?」
静かに言われた言葉がじわじわとの心の中に染み渡ると同時に、
そんなに前から思われていた事実に驚く。
けど、見上げてくる跡部の瞳が優しくて、
青く透き通ったようなその色に、その言葉が嘘ではない事を語っていた。
跡部の瞳ってこんな色だったっけ?
「…跡部が、片想いなんて…激ダサ!」
つい宍戸の口真似でわざと無愛想に返したら、今度は思いっきり額にデコピンをされた。
「悪かったな。
そういうお前の方が何万倍も激ダサなんだぜ?
こんなに手を焼かせやがって。
あのまま忍足に押し切られてたらどうするつもりだったんだよ?」
「…。」
「ったく、人の気も知らねーで。」
「…ねえ、跡部。
私の事、好き?」
最後の方は小さな声になってしまったけど、
跡部は立ち上がるとゆっくりとの肩をその両腕で抱き寄せた。
「ああ、好きだぜ。」
は静かに目を閉じた。
「私も、好きになれるかな?」
跡部の温もりが体中を優しく包み、昨日と違ってその温かさが
自分にはもう無くてはならない物のように感じられて、
もぎこちなく跡部の背中に手を回した。
「ばーか。
お前はもう俺の事好きになってるだろうが?」
「…忍足よりは、ね。」
「ああん? どの口がそんな事言ってやがる?」
不機嫌な口調に怒ったかな、と視線を上げたら、
ニヤリと笑う跡部の顔が近くにあって、
あっと思う間もなく跡部に唇を塞がれた。
唇に触れた熱が電流となって体中を駆け巡る。
「手塚よりも、だろ?」…そう耳元で念を押されて、
ああ、そうかも、って心の中で納得したら、
なんだかストンともやもやしていたものが抜け落ちて
すっきりしたような気分になった。
跡部とだったら上手くいくような気がする。
「なんて顔してやがるんだ。」
「へっ?」
「全く、俺の方がこんなにまいってる、なんてよ…///」
「えっ? ああ、まだ具合悪い?」
「違うだろ!!」
むきになる跡部がおかしくて、はクスクス笑った。
「跡部…。」
「なんだ?」
「一緒にご飯、食べよう?」
朝ごはん食べて、一緒に登校して、
苦手なドイツ語を跡部に習って、
放課後は跡部のテニスを見て、
部活が休みの日はデートして…。
きっとみんなの噂どおりのカップルになったら、
その時は、こんな自分を好きになってくれた跡部を褒めてあげよう、
そんな風には思った。
The end
Back
☆あとがき☆
とりあえず一旦終わりにします。
忍足に切ない役をやらせてしまって後味悪くって〜。(笑)
でも、なんだか番外編作ってももいいかな、とは
思ったり、思わなかったり。
2006.8.31.