その真っ白な日  4





 「跡・・・部・・・君?」

目の中に飛び込んできた跡部は
黒のトレンチコートを着ていたせいか
まるで別人のように見えた。

空港内を行き交うサラリーマンと変わらない、
いや、もちろん跡部の容姿は他の誰にも叶わないくらい
カッコいい訳で、ただとても同学年とは思えない雰囲気に
私は思わず駆け寄りたい衝動よりもたじろいでしまった。

見えない次元がそこにあるかのようで
忍足からもらったはずの勇気は砕け散っていた。

それなのに跡部は驚いた表情のまま
どんどん近づいて来る。

 「?」

名を呼ばれ懐かしさに身が震える。

あんなに会いたくて
そして今でも好きだという気持ちを
伝えるべく自分はここに来たというのに
搭乗を促すアナウンスに足が竦む。

別れがそこにあるという事実に耐え切れなくて
私は思わず視線を落としてしまった。

本当は時間一杯跡部を見たかったはずなのに。

 「誰かの見送りで来たのか?」

優しくて懐かしい声にかろうじて首を横に振る。

 「じゃあ、何でここに?」

跡部が訝しげに思うのも仕方ない。

本当なら跡部は私になんて会うはずもなかったのだろう、
そう思うといたたまれない。

そんな私の運命が動いた。

はしゃぐ旅行客の一団のうねりに飲まれて
私の背は誰かによって跡部の方へと押しやられてしまった。

その不意打ちにぐらりとバランスを崩せば
眼下に跡部の腕が迫り私は跡部の胸の中に抱き止められていた。

何という偶然なのだろう。

暖かな温もりが私と跡部の間の次元の壁を一気に済し崩す。

 「大丈夫か?」

跡部の言葉に私の涙腺はすでに決壊しそうだった。

 「ご、ごめん。」

 「何で謝るんだよ?」

離れられなくてごめん、そんな気持ちで一杯だった。

 「跡部君に・・・、会い・・・たくて。」

 「?」

 「やっぱり・・・好き。」

小さく呟いたのに跡部の体に緊張が走ったのが分かった。

 「め、迷惑だよね?
  でも、ごめん。」

身を起こそうと跡部の体に手を掛ければ
私の手の中の小箱がかさりと音を立て
跡部がその箱を掴んだ。

 「迷惑だなんて思っちゃいねぇ。」

 「えっ?」

 「俺も会いたかった。」

そのままきつくきつく跡部に体を抱き締められた。

手の中の小箱も取り上げられ
私の手はどうして良いか分からず空を掴む。

今も変わらない跡部の香りにたまらなくって泣きじゃくれば
泣く奴があるかと嬉しい言葉が耳に木霊して
その優しい声音にまた涙が溢れ出す。

ほぼ1年ぶりだというのに
変わらない跡部の優しさに
この人を好きでいて良かったとしみじみ思った。

未練がましい私につれない視線を送って
そのまま行ってしまう事だって出来たはずなのに
こんな思い出をくれた跡部に感謝しなければと思った。

意を決して跡部から体を離そうとすれば
それに気がついた跡部もまた私からそっと離れてくれた。

遅れていた便の搭乗を促すアナウンスに
今度こそ腹を括って、私は涙を拭きながら跡部を見上げた。

 「それ、もらってくれる?」

 「何だ、これ?」

 「馬鹿みたいでしょ?
  今度跡部君に会う時は跡部君が悔しがるくらい
  良い女になってやろうと思ったけど無理だったみたい。
  でも跡部君に二度もチョコを受け取ってもらえた子なんて
  いないと思うから。
  安物で悪いけど。」

上手く笑えたかは頬の筋肉が突っ張ってて分からなかったけど
ちゃんと渡せたよ、と心の中で忍足に報告した。

跡部がいなくなったら当分また泣いてしまうだろうけど
黙って姿を消されるよりはいいに違いない、そう思うしかなかった。

 「あり・・・がとね。」

でもやっぱり殊勝な女にはなれないらしく
私は嗚咽を飲み込む事ができなくなって両手で顔を覆った。

跡部がきっと困ったような顔で呆れているだろうと思いながらも
もうどうする事もできなかった。

 「全く、泣くな!
  泣かれると俺が困るだろうが。」

 「う、うん、そうだよね。
  でも、気にしないで・・・。
  時間、・・・もうないでしょ?」

 「時間なんざ、気にするな。」

そう言って跡部が私の顔を隠すようにまた近づくのが分かった。

どうしよう、このまま跡部に抱きついて
飛行機が行ってしまうまで足止めしたい、と
バカな考えが浮かぶ。

そうした所できっとその次の便に乗ってしまうのだろうけど。

 「お前はどうなんだよ?
  時間はあるのか?」

 「えっ?」

 「好きな女に抱きつかれるのは悪くねーが、
  別の場所でゆっくりしたいもんだな。」

 「だって飛行機の時間・・・。」

 「俺はたった今、日本に着いたばかりだぜ?」

私の涙は瞬間的に引っ込んでしまった。

ぽかんと見上げれば跡部の目が笑ってる。

 「どういう事?」

 「それはこっちの台詞だ。
  どうも辛気臭せぇ顔してやがると思ったが。
  、今日の事、誰に聞いた?」

 「お、忍足君だけど?
  跡部君、また海外に行くんじゃ・・・?」

 「あいつ・・・。」

 「もう会えなくなるって・・・。あれっ?」
  
頬に残った涙の後を跡部がぎゅっと手で拭い取ってくれる。

何が何やらさっぱりだけど、
とにかく跡部と別れる事にはならないと分かって
自分の勘違いが恥ずかしくなってくる。

勘違いは忍足の曖昧な言動のせいなのだろうけど
そうしてもらわなければ多分私の足は動かなかっただろう。

余程本人より忍足の方が私の性格を見抜いていたとしか言えない。

 「まあ、いい。
  どっちにしてもお前に会いに行く所だったしな。」

 「えっ?」

 「まさかこんな所で、またに告白されるとは思わなかったが。」

跡部はその手にあった小箱をポケットに入れると
私の手を握り締めて歩き出した。

 「あ、跡部君?」

 「悪かったな。
  でもも俺の事を好きでいてくれたんだと確信できて
  これで俺はちゃんと胸を張って対峙できる。」

 「な、何?」

 「あの時お前を抱いてしまったのは早計過ぎたと反省はした。
  だが後悔はしてねぇ。
  が俺に黙って帰ってしまったのも無理はねぇ。
  けど、それ以上に親父が強硬手段に出るとは
  俺も思ってなかった。」

あの日の事を跡部が語ってる。

思い出すだけで恥ずかしくてたまらない。

良い思い出にしたかったのにそうならなかった
それ以降の寂しい日々。

 「わ、私だって後悔なんてしてない。
  でも歓迎されてないんだなって思っちゃった。
  朝帰りする女の子なんてどう思われるかなんて分かりきってるのに。」

 「のせいじゃねぇ!
  俺が我慢できなかっただけだ。
  それも親父の性格を甘く見ていた。
  好きな女を泊めた所でどうこう言う親じゃねぇ。
  けど変な所で理屈を通して来やがる。
  あの時も親父は俺たちを試そうとした。
  いきなり離れ離れになったとしても
  お互いの愛が確かなら何の問題もなかろう、と
  俺はその日のうちに留学させられたんだ。」

 「えっ? 嘘!?」

 「まじだ。」

跡部は露骨にため息を洩らした。

 「何も言わずにお前の前から消えてしまって
  お前がどんな風に思うのか、それがたまらなかった。
  だが、どんな事をしてもに連絡を取れば必ず親父の耳に入る。
  そうなれば親父はきっと別の手段を講じてしまう。
  俺はそれが怖かった。
  と二度と会えなくなる、
  それだけは避けたかったから俺は親父の半ば監禁状態の留学を
  受け入れざるを得なかったんだ。」

 「何で?」

 「それだけお前に惚れてたからだ。」

跡部の表情を見ようと上を向けば
跡部の優しくてどこまでも真っ直ぐな視線とぶつかった。

顔が赤くなるのが分かった。

跡部の言葉がもの凄く嬉しかった。

 「う・そ?」

 「嘘じゃねぇ。」

 「ほんとに?」

 「今になって俺様の言葉が信じられねーのか?」

 「そうじゃなくて・・・。
  今までずっと欲しかった言葉だったから。
  もっともっと聞きたいなって。」

 「そうか。」

 「うん。」

初めて跡部の本心を聞けたと思った。

自分も自分の気持ちに嘘をついたり誤魔化したり、
諦めたりしなくて良かったと本当に思った。

跡部が好き。

ずっとずっと好きだった。

その気持ちが報われた瞬間だった。





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