その真っ白な日 3
年末年始はゼミの手伝いでほとんど家にはいなかった。
気まずく思ったのか忍足とも会う事はなかった。
それはそれでどうという事も無かったはずなのに、
忙しい間は何とも思わなかったのに、
2月になってぽっかりと暇になって来ると
自分の大学生活がいかにつまらないものなのか思い知る羽目になった。
あんなに仲の良かったでさえ、恋人と会う時間を作るために
平気で友だちを切る様にそんなものかと思う。
ゼミの先輩たちもいつの間にかカップルが出来上がり
青春を謳歌するべく春休みの先取りを楽しんでいる。
人のまばらな大学構内を独りで歩くと
不意に寂寥感に押しつぶされそうになる。
だから校内の売店にバレンタインのチョコを見つけた時には
一歩引いてる自分がいた。
大学生にもなってお菓子産業に踊らされる人なんていないだろう、
そうシニカルに思っても、実際はそうでもない現実に出会う。
闇雲にチョコをばら撒く中・高校生とは違って
本格的な大人な付き合いの中でも
チョコは有効手段である事に気付かされた。
そして自分には渡す相手さえいない事にも思い当たる。
もう元に戻れないあの日を振り切るように
踵を返した所で久しぶりの顔に出会って思いっきり面食らってしまった。
「おう!
元気やったか?」
「あっ、うん。
・・・忍足君こそ。」
「なんや、チョコは買わんのか?」
忍足は私の後方をちらりと見る。
彼の視線の先を思って私は苦笑した。
あんな気まずい喧嘩をしたのにそんな事をおくびにも出さず、
前と変わらない忍足の雰囲気に正直ほっとする。
「忍足君はたくさん貰えるんでしょ?」
「そこはな、義理でもええから
忍足君、貰ってくれる?って、聞いてくれるとこやないん?」
「ああ、そっか。」
生返事で答えたら相変わらずやな、と笑われた。
「なあ、本命にはどないするん?」
「えっ?」
「再チャレンジはせぇへんの?」
思わず忍足の顔を見上げたら
忍足は目を細めて優しく笑いかけていた。
その仕種がとても大人に見えた。
「俺な、の好きな奴が誰かなんて
知りたくなかったんよ。」
「忍足君?」
「現実を認めたくなかったんは俺の方もや。
けどどうにかなるんやったらどうにかしたい。
には悪い思うたけど、いろいろ調べてしもうた。」
「えっ?」
未練がましいのは俺もやな、と忍足はため息をつくと
少し歩かんか、と私を誘った。
春には豪華絢爛な氷帝自慢のサクラ並木も
今はすっかり寂しげな古木のオブジェにしか見えない。
その道をゆっくりと歩きながらしばらくは
どちらも口を利かなかった。
「あいつじゃなかったら俺は引かんのやけどな。」
サクラ並木が終わる頃
遥か向こうにグリーンのコートが見えた。
冬だと言うのにそこだけは緑色の絨毯のように輝いている。
「の好きな奴って跡部やったんやな。」
忍足の言葉に私は頷くでもなく視線はコートに向けたままだった。
「一番知りたかった事、俺にも聞かんかったな。」
「そうだったかな?」
「そうや。
あの頃、コートに通い詰めてたんは跡部の事、知りたかったんやろ?」
コートからさぁーっと吹いてきた風が冷たくて、私は思わずそっと耳に手を当てた。
聞きたくない訳ではなかったけど
ストレートに跡部という単語が耳に入っただけで
何だか胸が一杯になる。
「跡部が4月から大学に来ないって知った時、
跡部もそろそろ自由が効かんようになったんやな、位にしか思わんかった。
やって、中学・高校とテニス一筋でやって来たゆうても
それは親の手の中での事やったからな。
いつかは跡部も親の言う事に逆らえん時があるんやろな、って。
でもな、留学せんでも氷帝で充分やって言うてたから
俺らにも全く相談なしに、それも連絡が全く取れん所に行ったちゅうのが
何や跡部らしくないやん、って思うてはいたんや。」
「留・・・学・・・?」
「何や、それも知らんかったんか?」
忍足はふっと言葉を切ると私の顔をまじまじと見つめた。
少し痩せたんちゃうか、と忍足は小さく呟く。
忍足の視線を感じてはいたけれど私は相変わらず
知らない振りを決め込んでコートに視線を向けたまま答えた。
「そっかぁ、留学してたんだ。
どうりで見かけないはずだよね。」
「あー、けどな、跡部にとっても不本意だったらしいわ。」
「そう・・・。」
でも私にとってはもうどうでもいい事に思えた。
好きの気持ちは変わらないけれど、
跡部とは居る次元が違うのだと気付かされる。
たまたま交差した自分と跡部の次元は
交差した地点からどんどん離れていってしまったのだと分かった。
私は気持ち、悲しい気分で忍足に笑って見せた。
「なあ、それでもあいつが好きなん?」
「悲しいくらい好き、かな。」
「俺ならそんな顔、させへんのに。」
「私は大丈夫だよ?」
私は無理にでも明るく振舞おうとくるりとコートに背を向けた。
「ね、学食で珈琲でも飲まない?
私、おごるよ?」
そう言ってそのまま歩き出そうとすれば
すかさず忍足が私の腕を掴んで来た。
間近に迫る忍足の顔に思わず身を捩って力を込めれば
忍足は酷く真面目な瞳で
この場を誤魔化そうとする私の気持ちなんて
お見通しと言わんばかりにその手に更に力を込めて来た。
「、俺な、高校の時はいろんな子と付き合うてたわ。
何もせんでもモテモテやったから
声掛けるんも掛けられるんも日常茶飯事みたいでな。
付き合うちゅうのはこない簡単なもんや、思うてたわ。
でな、ある時、跡部に聞いた事があるんや。
やって、跡部もめっちゃモテてたやん?
俺と同類やろな、思うてて、
けどあいつ、結構真面目で誰とも軽い気持ちで
付き合うちゅう事ができひんみたいで。
それって本人よりもバックの跡部家が災いしてんのやな、
って何となくそんな風に思ってた事があるねん。」
何の話かと思えば忍足はそんな昔話を持ち出して来た。
確かに跡部は特定の誰かと付き合うという事がなかった。
でも噂には事欠かない人だったから
私の知らない部分でいろんな子と付き合っていたのかも、
という風には漠然と思っていた。
いや、だって誰もがそう思っていたと思う、あの頃は。
だからホワイトデーに誘われた時だって
自分が特別だったなんて本気で思ったりはしなかった。
少しは付き合ったりできるかなとは期待したけれど
ずっと続く恋愛だとは思っていなかったと思う。
ただ自分の方がこんなにずっと跡部の事を好きでいるなんて事だって
信じられないくらいなのだから。
「けどな、あいつ、俺の事馬鹿にしたように笑うねん。
人を好きになるのにお前にはリミッターが必要なのか、ってな。
そんなつもりはなかったんやけど、
まあ正直本当に好きになった奴なんておらんかったし、
俺自身、どっかにリミッター付けて恋愛ごっこしてる気はなかったんやけど、
今思うとそうやったのかもな、思うねん。」
「な、何が言いたいの?」
「俺な、本気での事が好きや。」
「だから、私は!」
「そうや、跡部が好きなんやろ?
やったら、もその好きな気持ちにリミッター付けて
どないすんねん?」
「えっ?」
驚く私の目に忍足の優しい表情が映る。
「会いたいんやろ?」
「・・・。」
「今日、会えるで?」
そう言うと忍足は掴んでいた私の腕を放した。
そしてやや大きめの自分の腕時計を見ながら続けた。
「会える時に会わへんかったら
もう二度と会えへんやろな。」
「えっ?」
「跡部、今羽田にいるらしいで?
15時の飛行機や。
今から行けば間に合うで?」
私の体の中で血流が激しさを増したような気がした。
溢れる想いが全身を駆け巡る。
跡部に会える。
けれどこの機を逃せば二度と会えない。
会ってしまったら尚の事跡部を忘れるなんて出来ないかもしれない。
でも会わなかったらこの先後悔の念で押し潰されるかも知れないのだ。
「もう一度言うぞ、ええか?
俺はが好きや。
跡部と会わへん言うなら俺と付き合うんやで?」
まんざら戯言とは思えない真剣みに思わず頭を下げていた。
「ありがと。」
忍足の気持ちが痛いほど私の心に流れ込んで来る。
「ええって。
、言うたやん、
跡部を好きでいる自分が好きや、って。
俺もな、に本気になってる自分が
今えらい好きやって思うてるんや。」
顔を上げると必死で大人ぶってる忍足に出会った。
心の中でごめんと呟きながら
私はもう迷う事無く走り出していた。
羽田に行けば跡部に会える。
そんな簡単な言葉に惑わされた事に
私は今更ながらに落ち込んでいた。
空港なんて来た事がなかった。
跡部を簡単に見つけられると思った瞬間が
ひどく恨めしい。
思った以上の人混みに
行き交う人の波に翻弄されて思うように進まない。
搭乗手続きを促すアナウンスは頻繁で
刻々と時間は過ぎて行き、気は焦るばかりである。
そう言えば跡部の乗る飛行機の会社名も分からなければ
行き先さえ聞いて来なかった事に気付いて
自分がどれだけ動揺し、冷静を欠いて羽田まで来てしまったのか、
そしてその混乱の中でつい買ってしまった手の中の
小さな包みに思わずため息をついてしまう。
頭の隅でこれでは精神的にちっとも成長していないじゃないか、
と自分を窘めるものの、結局時間になっても
懐かしい跡部の後姿さえ探し当てる事はできなかった。
出発が遅れている便の放送を耳にするたび
それが跡部の飛行機ではないだろうかと気を揉むが
ぬか喜びに過ぎないと段々諦めの境地に辿りつつあった。
所詮、今日という日も跡部と交わる時空軸はなかったのだろう。
しばらく放心していたがそれでも諦めのため息と共に
私はゆっくりとモノレール乗り場の方へと歩き出した。
ここまで頑張った自分を褒めればいい。
何もしなかった訳じゃない。
無理やり飲み込むため息の深さに泣きたくなるが、
後ろの方から僅かに聞こえてきた声に
思わず私の足は釘付けになる。
多分、他人の空似、跡部の声に似ている誰かが
通り過ぎただけなのだ。
馬鹿みたい、そう心の中で呟いたらまた声が届いた。
「?」
たまらなくなって振り返った。
落胆してもいいから声の主を見たかった。
だけど彼の声を聞き間違うはずなど絶対に有り得ない。
行きかう人たちのその向こうに
私が一番会いたかった人が佇んでいた。
Next
Back