ゴールテープ
「先輩!」
黒髪の先がクルンと跳ねている。
あの強豪テニス部の幸村の後釜として部長に就任したはずなのに
この後輩クンは相変わらず威厳が伴わない。
立海大のエースとして3強にしごかれるまま
その実力は全国レベルというのに普段の彼はやんちゃなままで
相変わらずネクタイもまともに結べない様は
いつ見ても弟のように構いたくなってしまう。
「・・・何か用?」
窓際の席では読みかけの小説を開いたまま
赤也の方をちらりと見てからまた視線を元に戻した。
赤也はの机の前に勢いよくしゃがむと
机のふちに両手をかけてと同じ高さで視線がかち合うようにしながら
指先での本をパタリと倒し、もう一度先輩と名を呼ぶ。
わざわざ昼休みに3年の教室まで臆することなくやって来る彼は
こちらが多少冷たいかなと思うくらいに接してやらないと
どんどん彼のペースに持って行かれるので要注意なのだ。
けれどわざと本から手を離さない彼が
明らかにこっちを向いてと言わんばかりに振舞う様が
小憎らしいと思いながらも応えてやらないと
割と頑固でしつこい性格だという事を知っているは
仕方なく本から手を離すと初めて赤也を真正面から見据えた。
「体育祭、おんなじ赤組ッスね?」
「そうだね。」
「俺、借り物競争があるんスけど。」
「知ってる。2年生は恒例だからね。」
「先輩の所に借りに行きますから!」
「何を?」
「何でも、です。」
白い歯を見せてニヤッと笑う赤也は
そういう顔をすればがときめくだろうという事を
わかってやってるのだろうかと時々疑いたくなる。
そんな赤也にとっくの昔にほだされている自分は
けれどその気持ちを打ち明ける気にはなれない。
3年生たちの凄まじいしごきに挫けそうになる赤也を
ずっとそばで支えて来ていた自分は
赤也にとっては母親のような甘えられる存在にすぎないと知っていたから。
赤也が懐いているのは唯一心のバランスを取るための
無意識のオアシスにすぎないからとわきまえていた。
だから今や立海大を引っ張るリーダーとしての赤也が
今までのようにに甘えて来る事を
このままずるずると許していいものかと最近のは悩んでいた。
悩んでいたからこそ赤也とは距離を置く方がいいのだと思っていた。
「何でも、って、そんなに都合よく
あれもこれも持ってる訳ないでしょ?」
「大丈夫ッス!」
何が大丈夫なのか全然話が見えないけど
いつになくあっさりと赤也は立ち上がった。
「絶対先輩の所に行きますから待ってて下さいよ!」
赤也は来た時と同じようにいつの間にかいなくなっていた。
ぽかんとするしかないの肩を誰かがポンと叩いて来た。
「相変わらずの事が好きなんだね、赤也。」
「冗談は止めてよ。」
振り向くと同じクラスの幸村がニヤニヤしている。
「同じクラスなのに俺には挨拶もないんだよね。」
ため息混じりにそう呟く幸村は
多分見た目ほど落胆している訳ではないくせに、
それもそんなスタンスなんてには通用しないのに
それでもがっかりしたような表情を浮かべて見せるからは眉を顰めた。
「何、それ・・・。」
赤也は幸村を尊敬していた。
むしろ男の先輩としては真田なんかより幸村の方が好きで
どんなに無茶苦茶な特訓の後でも、けろっとして幸村の後をくっついていた。
だからか、幸村も赤也の事を弟のように可愛がっていたし、
よく3人で部活帰りに甘いものを食べに行ったりもしたものだった。
そう言えば幸村が引退してからは
そばに幸村がいてもの方にまず挨拶してから
ついでのような感じで幸村に挨拶していた様な気がする。
「ちょっと天狗になってんじゃないの?
あとで叱ってやらなくちゃ。」
「ふふっ、別にどうでもいいよ。」
「えっ?」
「その位でちょうどいいんだよ、きっと。」
「何が?」
「部長らしくなったよね、赤也。」
「ええっ?そう?どこが?
全然そうは思えないけど。」
「ちゃんと分別ついてるよ、赤也は。
キメル時は公衆の面前で、っていう俺の教えも生かすつもりみたいだし。
楽しみだなぁ。」
クスリと笑う幸村はいつも適当に人の事をからかって来るから
本当に始末に悪い。
どうせ懐いてくる後輩と自分の事を面白がって見ているだけなのだと
はもう幸村の事は相手にせず読みかけの本に手を伸ばした。
********
「赤組、少し負けてるね。」
体育祭当日は清清しいくらい爽やかな天気だった。
得点ボードを見ながらが言うと
隣でスポーツドリンクを飲みながらは何でもないという風に答えた。
「どうって事ないでしょ?」
「なんで?」
「幸村が応援団長なんだから。」
学ランを着てエールを送る幸村は意外過ぎた。
先頭きって皆の応援をするなんて
そんな面倒な事をやるようには見えなかったのに、
最後だしね、と営業スマイルよろしく立候補した幸村は
その潔さにまたファンを増やしたようだった。
明らかに赤組の女子の意気込みはある意味凄いかもしれない。
「あり得ない。」
「え〜、そう?
かっこいいじゃん。」
「胡散臭い。
あいつ、ナルシストだからね。
きっと応援団長の姿がみんなにどう写ってるかって
計算してやってるのよ。」
「そうかなあ。」
「絶対そう!
下心なくて何の得もなくてあんな格好しないって。」
「も相変わらず幸村には厳しいのね?
ま、には切原君くらいがちょうどいいのよね?」
「なっ!?」
の言葉には押し黙る。
今も向こう上面で飛び跳ねてるのは赤也に違いない。
これから始まる2年生の借り物競争に意欲満々な赤也は
トップでゴールを切るからとえらく張り切っていた。
「も好きだって言ってあげればいいのに。」
「まさか。」
「あんなに一生懸命な子、もったいないよ?
そんなに気にする事ないと思うけどなぁ。」
「だから別に何とも思ってないから。」
「嘘ばっかり。
ホントは年下だって事がネックなんでしょ?」
年下が嫌な訳ではなかったけれど
先輩後輩だった間柄が恋人同士に昇格しても
はたから見ればそういう風に見えないような気がして
どうしても踏み込めない自分がいる。
二人きりなら赤也がに存分に甘えて来たとしても
それはそれで嬉しいとは思うけど
そんな姿を赤也の後輩たちが見たらと思うと
なんとなく割り切れない気持ちがにはある。
赤也をかっこ悪くさせてしまう存在にはなりたくないと思う。
暗くなってふさぎ込んでしまったをはほらほらと小突いて来る。
いつの間にか借り物競争は始まっていて
予想以上に各クラスとも応援が白熱している。
顔を上げて運動場を見渡せば
先頭を走って来る赤いハチマキが真っ直ぐにの方に近づいて来て
はドキドキしてくる胸に思わず自分の握りこぶしを当てて押さえた。
赤也だ。
カードを拾った赤也が
髪の色と同じく黒い瞳で真っ直ぐにに照準を当てているのがわかった。
何を引き当てても自分の所に来る気らしい。
そう思っているうちにキャーという歓声がの周りを包み込んだ。
「先輩、早く!」
赤也が右手を差し出した。
「何?」
「いいから、走って!!」
「えっ?」
戸惑うの手首を強引に掴むと赤也は迷うことなく走り出した。
「あ、赤也、待って!」
「待てないッス!
もう待たないッス!!」
「えっ、な、何?」
つんのめりそうになりながらも必死で走り出した。
横に並ぶ赤也は嬉しそうに笑っていた。
入部したての頃はひょろっとして頼りない感じの赤也だったのに
今は背もずっと高くなっていて腕だってがっしりしている。
ぐいぐい力強く引っ張る赤也はまるでより年上のような感じさえする。
参ったな。
一歩が踏み出せない自分は見透かされているのかもしれない、
だから赤也は今必死で自分をくだらない固定観念から
連れ出そうとしてくれているのかもしれない、とそんな考えがよぎった。
最後のコーナーを曲がった時に幸村が何か叫んでるのが見えた。
それは単に赤組としての応援だったのだろうけど
「赤也、頑張れ」的な言葉はそのままの意味どおりにには聞こえなかった。
このまま向こうに見えるあの白いゴールテープを切ってしまったら・・・?
には何もかも仕向けられた罠のように感じられた。
そうだ、赤也はどんなカードを引いたって
初めから以外を借りようなどとは思っていなかった。
それはそのまま、こんな形で自分と赤也の仲を見せ付けているようなものではないか?
そしてきっと赤也は言ってしまう。
「先輩が好きです!」と・・・。
公衆の面前で臆することなく。
そう、幸村に入れ知恵されたまま、キメル時は皆の前で。
公認の出来事にしてしまうつもりなのだ。
とたんには歩調を遅くした。
うん?とばかりに赤也が振り向く。
2番手以降はまだカードの借り物を探しているらしく、
ゴール前で小走りから歩きに変わっていくと後方との差はまだ大丈夫と
赤也はそう判断してからの顔を覗き込んだ。
「先輩、どうかしたンスか?」
意外に冷静な赤也には感心したのだけど
今はその気持ちは敢えて抹殺した。
「・・・せて。」
「えっ?」
「カード、見せて。」
突然ゴール前で歩き出している二人の様子に
俄然白組の応援団がここぞとばかりに応援を始めた。
そんな周りの喧騒など聞こえぬかのように
と赤也は黙り込んだまま見詰め合っていた。
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2008.9.24.