ゴールテープ 2
「カード、見せて。」
の言葉に赤也の左手がゆっくりとの目の前に差し出された。
が、赤也はそれを握り締めたままに見せるつもりはないようだった。
「これ、見せないって言ったらどうするンスか?」
「・・・だったらゴールしない。」
「先輩、無茶苦茶な事言わないで下さいッス。
ここで1等にならなかったら団長になんて言われるか。」
いつもの赤也らしくなく、静かに諌められた。
「このまま赤也と一緒にゴールしたらもっと言われる。」
「ねえ、先輩。
ここでゴールしなかったらもっともっと言われます。
俺たち注目の的でしょ?」
「わ、わかってる。
だけど、どうせ幸村の差し金なんでしょ?
こういうの、嫌なの。」
きっと幸村の目にはが駄々をこねてる位にしか写ってはないのだろうと思うと
それはそれで悔しいのだが、赤也が幸村の脚本通りに動いてると思うと
そっちの方が余程情けないと思う。
の言葉に赤也はため息をつくと二つ折りのままの紙をに手渡した。
「わかりました。
先輩の納得のいくまで見てください。
ただし、このままじゃ負けちまうんで怒らないで下さいッスよ?」
念を押すように断りを入れると
文字を目で追ってるにおかまいなく
赤也は彼女の肩と膝裏に手を当てるや軽々とを抱き上げた。
「なっ!?」
不意の出来事にの体に緊張が走る。
と同時に周りの歓声というか奇声が一段と大きくなった。
「ねっ、先輩。
指示通りでしょ?」
嬉しそうに笑う赤也はを抱きしめたまま走り出した。
そしてそのまま鮮やかにゴールを切って行った。
********
俺、もしかしてヒーロー?と自分の中で思ったのは
本当にあの白いゴールテープを切った一瞬だけだった、
と赤也は仰向けのままぼうっと空に浮かぶ白い雲を眺めていた。
赤組の応援席で椅子を3個並べた上で赤也は仰向けになっていた。
まだジンジン疼く右頬には冷却シートが張られているという
なんとも情けない顛末だった。
「赤也も災難だったな。」
太陽を遮るようにして傍らに立って来たのは柳だった。
「全く、俺の脚本通りにしないからだよ、バカ也。」
不満を露にしているのは幸村だった。
「ほんとせっかくのチャンスが台無しじゃないか。
あそこでお姫様抱っこなんて何考えてるんだ。
あんな過剰サービス、俺だって引くね。」
赤也は思わずため息を深く吐いた。
「怒らないでって念を押したのに・・・。」
が借り物競争の紙に何が書いてあるか
それを赤也に問いただすだろう事は想定の範囲内だった。
赤也にしてみればどんな物でも
にこじつけて飄々としていればいいや、ぐらいの気持ちだった。
だけど幸村は違っていた。
「赤也、こういうのはね、効果的に使うものだよ?」
「はあ。」
「女って言うのはね、時としてすごく勘が働くんだ。
そしてね、嘘や出まかせがとても嫌いなんだ。
その癖ね、すごくロマンチックな事に弱いんだ。」
机をはさんで幸村と対峙している赤也は
幸村のトントンと机を叩く指先だけを見つめていた。
机の上に広げられた1枚の紙にやがて幸村はきれいな字で書き始めた。
自分の一番大事な人
そこにはそう書かれていた。
「誰だってさ、何かの役に立ちたいと思うだろ?
赤也が借り物競争でを借りたいと思ってもさ、
世の中、そう都合よくそんなカードは引き当てられないよね?」
「まあ・・・。」
「赤也がの所に行って一緒に走って下さい、って言えばさ、
十中八九彼女は断らないよ。
でもさ、カードに何て書いてあったのかは気にするよね?
つまんない物だったらやだな、なんて頭のどこかではそう思ってるんだよ。
で、赤也がカード見せたらさ、そこには眼鏡とかハチマキとか
ありがちなんだけど自分とは全然関係ないものが書かれてたりしてる訳だよね?
それを見たら、彼女はやっぱりがっかりするんだ。」
「ただ一緒に走りたかった、って言うのはダメなんスか?」
「ああ、ダメダメ、
表面的にはいい事言ってるように聞こえるけどさ、
みたいなお姉さんタイプはね、まず怒るね。
だめじゃない、カードと違うもの借りちゃ、ってね。」
幸村は書き終わった紙を長い指で器用に挟むと
赤也の鼻先にそれをひらりと突きつけてきた。
「だからね、どんなカードを引いてもそれを見せたらダメなんだ。
いいかい、この紙を渡すんだよ。
一番大事な人はあなたです、って胸を張ってさ。
女ってさ、非現実的な事が起こっても、
目の前に見せられたものが事実だってすんなり納得しちゃうんだよ。」
「そ、それって嘘じゃないスか?」
「違うよ、赤也?
は赤也にとって凄く大事な女の子なんでしょ?
違うの?」
「えっ?いや、それはそうッスけど。」
「なら、問題ないよ?これは事実なんだから!」
微笑む幸村に力説されて赤也は黙ってその紙切れをポケットにしまった。
「上手く行ってたッス。
絶対上手く行ってたんス!」
赤也は何度も自分に言い聞かせていた。
「その割には本気で叩かれていたじゃないか?」
柳は笑いを堪えているのか、口元を手で覆っていた。
赤也はそれが無性に勘に触った。
「俺のシナリオは完璧だったよね?
凄くドラマチックにハッピーエンドになるはずだったんだよ。
それなのに脚本を無視するってどういうことかな?」
傷口に塩を塗りたくるような幸村の愚痴ももうたくさんだった。
「だって先輩、あそこで白組に抜かれる訳には行かないじゃないッスか!
1位でゴールを切って得点稼げって言ってたくせに。
もし抜かれたりしたら絶対文句言うくせに・・・。」
「何だって?」
「いや、だから・・・。」
幸村の不満そうな瞳に赤也は押し黙った。
泣きたいのはこっちの方だと思う。
ゴールを切れば自分とは恋人同士になるはずだった。
みんなに自慢したいくらい美人で優しくて頭が良くて、
赤也が恋焦がれて止まないマネージャーだった。
本当なら立海3強と並んで赤也の手の届く人ではないと思っていた。
だけどはいつも3強の横ではなく、赤也の横に並んで
時に励ましてくれ、時に叱咤してくれ、何やかやと心配してくれていた。
もしが3年の先輩たちの誰かと付き合う事になったら
赤也はすっぱり諦めるつもりでいた。
けれど気づけばいつも赤也の視線の先にの視線があった。
いつもいつも自分を見ていてくれる。
それはとてつもなく赤也に自信を与えていた。
「でも、ほんともうわかんないッス。」
赤也はポツリと言葉を吐き出した。
「俺、やっぱり振られた事になるンスか?」
「あーもー、そういうぐちゃぐちゃ言うの辞めてくれないかい?
ほんと、うざったいなぁ。」
「精市、まあそう言うな。
赤組が先の種目で逆転できたんだ。
盛り上がり方も上々なのではないか?」
「そりゃあ、あんな修羅場が見れたら誰だってエキサイトするよ。
が真面目すぎて笑えたもん。」
あまりの言われように赤也はむっくりと起き上がった。
自分は笑われても、の事を悪く言われたくはなかった。
「あっ?赤也が怒った?
でもさ、元々は赤也の理性が持たなかったんだから
やっぱり自業自得だろ?
ゴールしてもの事ずっと抱きしめちゃってるんだから。
あれでが平手打ちを食らわせなかったら
赤也、絶対キスくらいしてるよね?」
「・・・////////。」
ニヤニヤしてる幸村にはもう反論する術がなかった。
抱きしめてしまったの感触はまだ赤也の腕に残っている。
抱きしめてキスを一杯したかった、
それは赤也の願望だった。
「だけどね、赤也。
やっぱり順番て大事なんだよ?
まだ告白もしてないうちにキスしようとするなんて。
言っただろう?女はロマンチックに弱いって。
あんな運動場の真ん中でするもんじゃないだろう?
いくら好き過ぎてもさ。」
幸村が全うな事を言ってるのがなんとなくくすぐったかった。
だけど、の気持ちを考えれば自分の思慮が足りなかったのだと思う。
自分と同じくらい相手も自分を好きでいてくれると
高を括っていたのかもしれない。
そうだ、まだ好きとも言ってないのに・・・。
「赤也、俺は恋愛ごとを数値化する趣味はないのだが、
お前たちが上手く行く確立はかなり前から変わっていない。」
「へっ!?」
「告白してないんだから振られた事にもならんだろう?
こんな所でいつまでもうじうじしてないで
の所に行けばいいと言ってるのだ。」
柳はそう言って自分の携帯を幸村に渡した。
幸村はその携帯の画面を見るや、眉間に少し皺を寄せて柳を睨んだけど
結局はぴっとボタンを押して耳に当てた。
「もう1回だけだからね、赤也。」
幸村は相手が出るや明るく話し出した。
「ああ、? 俺。
そう、蓮二の携帯から掛けてる。
だって俺の携帯だと出なかったでしょ?
ねえ、今、どこ?
うん、それならちょうどいいや。
悪いんだけど部室に行って俺のジャージ持ってきてくれないかな?
えっ、何?
そんな事言わないでくれないかな?
応援合戦の時に着るから、ないと困るんだけど。
赤組のためと思ってさ。
うん、頼むよ。」
赤也はぼんやり幸村を見ていた。
携帯を柳に返すと幸村は気の抜けた顔をしている
赤也の額を指で弾いてきた。
何でもない仕種なのに思いっきり痛かった。
「ほら、御膳立てしておいたよ?
部室に行ってジャージもらって来て。」
「えっ?」
「二人っきりにさせてあげるって言ってるんだよ。
何か赤也たち見てるともううざったくって。
本気で赤組優勝狙うから、もう赤也に構う暇ないしね。」
「幸村先輩・・・。」
何気に酷いなと思いつつも、赤也は二人の先輩に頭を下げると
頬の冷却シートをはがしがら部室の方へ走り出した。
*******
は部室の中ではなく、ドアに凭れ掛かって立っていた。
まさか外に立っているなんて思わなかったから
落ち着いて話そうと思っていたのになぜだか緊張してしまう。
「あ、あの・・・。」
「幸村のジャージ?」
はやっぱりまだ怒っているようだった。
「さっき柳からメールが来た。
幸村のジャージならすでにこっちにあるからって。
大体部室の鍵、開いてないじゃない。」
「あっ、そうなんだ。」
「そんなの口実に決まってるじゃない。
こういうの、私、嫌いだって言ったよね?」
はそう言うとかすかにため息をついた。
「ま、私も分かっててここに来たんだけどね。
・・・まだ痛む?」
の瞳の中にはいつもの心配そうな優しい色が浮かんでいて
赤也はが自分に怒っているんじゃないんだと思って少しほっとした。
「全然平気ッス。
あの、先輩。」
「何?」
「俺もほんとはこういうの好きじゃないッス。
ちゃんと自分の力でもっとこう、
なんか先輩の凄く喜んでもらえるシチュエーション考えたかったんス。
けど、俺の考えくらいじゃいいのが思いつかねーし。
生半可な事じゃ、先輩、絶対乗ってくんなさそうだし。
だって部活引退したら急によそよそしいし、
逆に俺だけ部活で忙しいし、あんま会えないし。」
「赤也、部長だもん。」
「そうッス!!
俺、まだ立海の3強を追い抜いてはいないけど
でも時期部長は俺だって認めてもらったッス。
俺、先輩にふさわしくなりたかった。
周りに先輩と付き合ってもおかしくないって思われたかった。
けど、一番認めてもらいたかったのは先輩なんス。
俺、マジで先輩が好きです。
俺の・・・彼女になって下さい!」
そこで頭を下げるのもどうかと思う。
けれど精一杯の赤也なりの好意なのだとわかるから
は思わず赤也のふわふわの頭に手を伸ばしていた。
赤也は黙ってされるままになっていた。
「私も、赤也の事、好きだよ?
でも私なんかでいいのかなって考えてた。
赤也に手を引かれて走るのも抱きしめられるのもほんとは嫌じゃなかったけど、
でも凄く恥ずかしかったんだ。
すごく・・・。」
赤也が顔を上げるとは自分の言葉でさっきの事を思い出したのか
また赤くなっていて視線を合わせてくれなかった。
だけど好きだと言ってくれた言葉が嬉しくて
赤也はの事をまたぎゅっと引き寄せていた。
今度は平手打ちはされなかった。
体の力が抜けていては赤也に体を預けてる感じだった。
華奢なはとてもとても大事な宝物のようで
赤也は嬉しくての肩に顔を埋めた。
もう愛しくて愛しくて手放せないと思った。
「先輩、今は誰も見てないからいいッスよね?」
「なんだかこれも幸村のシナリオ通りで悔しいかな?」
「ええっ? そんな事思わないで下さいよ?
ここはもっとラブラブに盛り上がる所ッス!」
赤也がそんな事を言うからは思わず赤也の胸に顔をくっつけたまま笑った。
「そうだね、赤也の演出に任せなくちゃね?」
「・・・、じゃ、じゃあ、先輩、キスしても?」
「今日はダメ。」
「そうッスね・・・。」
赤也は仕方なくそれでももう一度をぎゅっと抱きしめた。
キスなんていつだってできるんだ
ゴールエンドじゃないんだから
赤也はもう少しこのままとに囁いていた。
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☆あとがき☆
赤也、お誕生日おめでとう
バースデー・ネタではなくて、
なんか赤也って体育祭バンバン頑張りそうだなって
そんなイメージで思いつきました。
そしてやっぱり幸村に愛されてるんだよって
そんな風に思ってます。
でも当人にとってはありがた迷惑だったのかな、なんて?(笑)
2008.9.26.