クリスマス・ラバー 1
「、今日は?」
帰り支度を済ませたが教室のドアから顔だけ覗かせて
私の返事を待っている。
最近跡部の彼女になったは
放課後テニス部に顔を出すのが日課になっている。
夏の大会後、引退した3年生は前ほどの練習量はこなさないにしても、
後輩指導の名目でほんの2時間くらい部活をしてるらしい。
もはや有名人となったに怖いものはないだろうに
どうも一人で跡部を待つのは気が引けるらしく、
私もずっとに付き添ってテニスを見学してきたけれど、
その付き添いもそろそろ辞退したい気分。
「あ〜、ごめん!
今日もバイトなんだ…。」
「そっかぁ。じゃあ、明日ね。」
「うん、バイバイ!」
軽く作り笑いを浮かべて手を振りながらも
ほっとしてる自分がいる。
に跡部が好きだと打ち明けられて親身に応援してきたのには、
あわよくば私も想い人の近しい存在になりたいという下心のためであり、
今となってはその思惑も意味を成さなくなったことに
私は下手な作り笑いを放課後中、ずっと作り続ける自信はなかった。
どうにも抜け出せない迷路のような日常で、
消化させるにはあまりにも無機質な塊をお腹に抱え、
決してそれを生み出すことの出来ないジレンマにどこかへ逃げ出したかった。
好きな人の顔を見るのが苦しくなってしまうなんて想像もしてなかったのだ。
そう、私の好きな忍足がに思いを寄せていたと知ったのはつい最近のこと。
忍足の恋は実際実らなかったのだから
たとえ忍足がのことを好きだったにせよ、
いずれは自分の気持ちを切り替える時が来るだろう、
そんな風に次のチャンスを期待しない訳ではなかった。
だけど、と二人の時、忍足があまりにも自然に自分をさらけ出してる雰囲気に
私は軽い嫉妬と共に逆にその現実に打ちのめされてしまっていた。
と同時に、が跡部と並んで帰る時、
その後姿を一緒に視界に入れてしまう忍足の表情は、掴み所がないくらい無表情で
の親友という立場の私に義理でも笑いかけてくれない忍足に
私は胸が張り裂けそうな思いで忍足の傍にいた。
だから、もう期待するのも頑張るのも辞めようと思った。
未来は果てしなく私には暗いものだった。
真っ白なマフラーを取り出すと私はそれを2重に首に巻きつけ、
冷え切った心を少しでも暖かくしていたくて
笑えない口元を隠して教室を後にした。
今年のクリスマス、に跡部のうちへ一緒に行かないかと誘われたけど、
私はそれを断る理由のためだけにバイトを始めた。
「よお、今日は寄って行かないのか?」
のろのろと歩く私に声を掛けてきたのは隣のクラスの宍戸だった。
すがすがしい短髪とは反対に、コートを着込んで寒そうな宍戸は
コートにいる時とはまるで違って不自然に見える程だった。
「うん。宍戸君は?」
「ああ、こうも寒いと体が縮こまっていけねぇな。
軽く1ゲームくらいは打たないと調子でねぇし。
ま、まっすぐ帰っても、逆にやることねーしな。
それによ、俺が顔出さないと心配する奴がいてよ、
返ってそっちの方が面倒くさかったりしてな。」
人一倍後輩思いの宍戸の言葉に
心配される人のいる彼が羨ましいと思った。
「…そっかぁ。」
「そういうお前はなんか用でもあるのか?」
「あー、うん、ちょっとね。」
「なんかすっげー寒そうだけど風邪なんかひくなよ?」
「えっ? うん、ありがと。
宍戸君もね。」
「おう。」
快活な笑顔を残して去って行く宍戸の背中を見ながら
彼らしい優しい言葉につい鼻の奥がつんとしてしまう。
宍戸の事を好きになっていたらもっと楽な恋が出来たのかな。
そんな風に考えても、自分はやはり忍足の声でそれを言われなければ、
同じ言葉でもドキドキすることはない、と解っている。
ほんの少しため息を吐いて、靴箱から取り出した靴に履き替えた。
外に出ると思ったよりも空気は冷えていて
耳がキシキシと音を立てて凍るような気がした。
このまま自分の恋も冷えて固まって、何にも感じなくなればいいとさえ思う。
バイトの店は裏門から出た方が本当は近いのだけど
そうするとテニスコートの脇を通らなければならないので、
昇降口を出た私はまっすぐ並木に続く道を選んだ。
やがて来るクリスマスに胸ときめかせてると違って
私は忍足同様に、重い気分で今年のクリスマスを迎えるのだろうと思うと
今は早く、バイトで身も心もクタクタにさせたいと思うしかなかった。
けれど前を歩く氷帝のカップルが手を繋ぎ出すのを見てしまったら、
その二人を追い越してしまいたい衝動に駆られはしても
走り出す力はどこを探しても沸いて来なかった。
幸せそうな笑い声にも耳をふさぎ、
街行くカップル全てに目をふさぎ、
平然と作り笑いで通り過ぎてしまえる余裕もなくて、
わざと信号に引っかかるようにのろのろと歩いていく。
「…!」
自分の名前を呼ばれた気もしたけど
耳まで覆っているマフラーをずらす気にもなれず空耳だろうと思った。
「ちょお、待ってくれへんか?」
間違いようのないイントネーションに私の足が勝手に止まる。
「そりゃ、聞こえへん訳やなぁ?
そないぐるぐるにマフラー巻いて…。
具合でも悪いんか?」
信じられない言葉に私は声が詰まる。
この期に及んで優しくされたらどう返事していいかわからない。
への字に結んだ口元は見えないだろうから
私はじっと目だけで忍足を見上げる。
「宍戸がはなんか元気なさげだった、ゆうから。」
走ってきたのか、忍足の息は少し弾んでる。
宍戸君の言葉で心配してくれたの? たったそれだけで?
私の胸は勝手にトクンとときめいた。
けれど…。
「…ほんまに具合、悪いんか?」
繰り返した忍足の言葉の微妙なイントネーションに
私はわずかに首を横に振りながら、
勝手にときめいてしまった心がいとも容易く冷えていくのを感じていた。
そう、これがもう少し優しい言い方だったら勘違いしても良かったのだけど
片方の手をポケットに突っ込んでイライラした感情を隠しもせずに
不機嫌そうなぶっきらぼうな声で言われた日には
ほんと何でわざわざ追いかけてくるのよ、と忍足を睨みつけたかった。
でも実際はそんな事すら私には出来ない。
なんで忍足が不機嫌なのかさっぱりわからない。
「ほな、なんで先に帰るん?」
「何でって言われても…。」
「そやかてひとりで帰らんでも。」
私は忍足の言葉に自分の耳を疑った。
別にテニス部に顔を出すのは約束事でも日課でもない。
私が早く帰ろうが、どこかに寄り道しようが、
忍足には関係ないと思うのに。
「用が…あるから。」
「用ってなんや?」
「…バイト。」
「バイト?」
「そう。バイト、始めたから。」
そう小さな声で答えたら忍足はさらにむっとしたように聞き返してきた。
「なんでや?」
まさか理由を聞かれるとは思わなかったから
私の頭の中には機転を効かした、建前の理由が思い浮かばなかった。
「…今日の忍足君、なんか変。」
「変ってなんや? 理由聞いたらあかんのか?」
「だって、私がバイトやるのがいけないみたいな言い方するから。」
私は困惑したまま言葉通りに忍足に抗議した。
こんな可愛くない会話をしたいなんてこれっぽっちも思ってなくて、
むしろ追いかけて来てくれた事がとても嬉しいのに、
でもそんなはずはないし、と否定的な受け取り方しか出来ない。
「とけんかでもしたんか?」
そっか、そっちの方が心配だった訳か。
私は足元に視線を移すと、やっぱり期待しただけ損をしたと
これ以上傷つきたくなくて歩き出した。
「待てや!」
「とは…けんかなんてしてないし。」
「待て、ゆうとるやろ?」
忍足に腕を掴まれて驚いて振り返れば
忍足は気まずそうに手を離す。
一体、何なのよ?
「私、何か忍足君を不快にさせるような事した?
むしろと跡部君のお邪魔虫にならないようにしてるんだけど。」
「…それでクリスマスパーティーに来んつもりなん?」
「だから、なんなの? 私、バイトなの。かき入れ時なの。
私の時間をどう使おうと関係ないでしょ?
大体パーティーに出ようが出まいが、私なんて…。」
そう、全然あなたの目には止まらないでしょう?
目にじんわり涙が溜まってきてどうしよう、と思った時、
不意に忍足の携帯が鳴り出して、ディスプレイに浮かんだ文字に
忍足は舌打ちをして通話ボタンを押した。
「なんや? …ああ、わかっとる。今行くとこや。」
ため息をつくと忍足は携帯をポケットにしまった。
「俺、学校に戻らなあかんわ。
あとでゆっくり話がしたいんやけど、バイト先、どこや?」
答える義理がどこにあるんだろう?
のことを心配して来てる忍足に
ただ黙って彼の言葉に素直に耳を傾けろと?
「…部活、早く行った方がいいよ?」
「今、行く。
そやから、バイト先。」
「部活、終わる頃には終わってる。
来るだけ時間の無駄。
その頃にはもう帰ってるし…。」
可愛くないのは承知で早口で答えたら、
忍足の手が伸びてきて白いマフラーをするりと取られた。
「な、何なの?」
「これ、預かっとくわ。
後で返しに行ったる。
な、そやから先に帰ったらあかんで?」
私の抗議の声も空しく、さっさと私のマフラーを自分の首に回すと
忍足は学校へ向かって走って行ってしまった。
バイト先、結局どこの店かなんて教えなかったから
忍足が来るはずがない。
ああ、そうか。に聞けばわかるもんね。
と話す機会をまたあげてしまったんだと気づいた私は
なんだかバカみたいだ。
でも、想いが叶わないと知ってるくせに
と話すのが嬉しいのかも知れないと思うと
忍足もバカだ…。
すうすうと首元が寒くなって思わずコートの襟を立てたら
期せずして想い人の元へと旅立っていったマフラーに苦笑した。
本当なら返してもらわなくてもいいマフラーだったのに。
クリスマスに忍足にあげるために作ったマフラーだったけど、
一度でも忍足の首を暖めることが出来たなら
もう思い残すことはないように思えた。
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