置いて行かないで








跡部は黙って車に乗り込んだ


私がなりふりかまわず追いすがるように走って来たというのに

多分、いやかなりわかってる顔だと思ったのに

窓越しに見せる横顔は決して私の方には向いてくれなかった


もう少しでその窓ガラスを叩き割ろうと拳を振り上げた瞬間には

黒光りしていた車は静かに発車してしまった


 「跡部!」


声にならない叫びは空しく私の頭の中で木霊し続ける


なんで?

なんで黙って行ってしまうのよ?

私が聞かなかったから?


振り上げた拳が最後の力だったように私はそのまま地面に崩れてしまった

唇に砂利がまとわりついて不快だった

最後の最後でこんなぶざまな姿を晒してしまった事よりも

もっと早く彼に自分の気持ちをぶつければよかったんだと後悔した



跡部はきっと聞いてくれた…

私のどんな言葉も我侭も受け入れてくれる

それを誰よりもわかっていたのに

私には跡部に甘えるという選択肢は最初からなかった


もたれかからない

一人でやって行ける


そう自分を勇めねば跡部の隣になど立ってはいられないと思っていた

自信に溢れ、いつも上を見ている跡部に相応しい一個人でいることが

私の唯一のプライドだった



 「そうやって生きていくつもりか?」

 「何?」

 「いや、お前らしいなって思うぜ。」


そうやって認めてくれる言葉が実は最後通達だなんて思いもしなかった

跡部とずっといつまでも一緒にいるのだとばかり思っていた



それなのに

なんで何も言ってくれなかったの?




 「跡部…。」


行かないで!!

私を置いて行かないで!!!



そばにいてよ!!!!













 「…。」


暖かいものが溢れてきてるのに頬を伝っている時は冷たい雫になる。

その雫が誰かの手によってそっと拭い去られた。


 「…?」


眩しい光の中にぼんやりと浮かんでくるシルエットはまぎれもなく跡部だった。


 「…跡部?」

 「ああ、俺はここにいる?
  どうした?」

優しく覗き込んでくる青い瞳は心配そうに揺れ動いていた。


ああ、夢だったんだ。

私はほとんど同時に両手を伸ばした。



 「跡部…、行かないで!」


私の言葉に跡部は驚いたよう瞳を大きくしていたが
伸ばされた私の両手はしっかりと跡部に握り返された。


 「どこにも行かねえよ。
  …お前がそう望むならな。」


跡部の静かな声が私の心にゆっくりと染み込んで来るのが嬉しかった

と、同時に私ははっきりと跡部の顔をしみじみと見つめて
両の手の指に絡みつく跡部の長い指の温かさに
自分がさっき言ってしまった馬鹿げた台詞に赤面した。


 「ご、ごめん。忘れて…。」

つと手を引っ込めようと力を入れたら
跡部は包み込んだ私の手を離すまいと握り返してきた。


 「お前、自分の言葉に責任持てよ?」

 「ごめん、さっきのは、なし!
  夢の続きかと思ったから…。」


思わず口走った言葉に跡部は口角を上げて笑った。


 「それは聞き捨てならないなぁ。
  俺の夢を見ていたって告白されちゃあな。」

 「あっ…////」


それきり跡部は黙ってしまった。

私は視線を泳がせて、ここが保健室であることを確かめた。

夢の中でもぶざまだったけど今の状況もぶざますぎる…。

私がほうっとため息をついて跡部の方に視線を戻すと
じっと伺っていたのか跡部は口元を緩ませながらも眉間に皺を作っていた。


 「それにしても、具合が悪い時はちゃんと言え!
  我慢してまでやる仕事じゃねーだろうに。」

 「…。」

 「全く、女跡部って言われるのがそんなに嬉しいのかよ?」



跡部と肩を並べられるならなんて言われようと問題じゃなかった。

跡部に追いつくので必死だった。

それなのに余裕ぶった態度を取りつつ、気落ちはいつも不安で一杯で…。

さっきの夢のように、本当の自分を知られたら跡部に見限られると思っていた。



 「私、全然役立たずだね。」

 「今日は随分と弱気なんだな。」

 「跡部…。」

 「なんだ?言ってみろよ?」

 「もう限界…。」

 「そうかよ。」


跡部の手がそっと離れて行くがわかって私は目を閉じた。


 「もう頑張れない…。だけど…。」

 「だけど?」

優しく聞き返してくれた跡部に最後の醜態を見せることになっても
もうあんな後悔だけはしたくなかった。


 「私を置いて行かないで。」

 「…。」

 「私、跡部のことが好きなの。
  好きすぎて疲れちゃった…。」




 「ばかだな。」


跡部の指が私の前髪を持ち上げたかと思うと
額に暖かなものが落とされた。


 「とっくにそんな事はわかってる。
  わかってないのはお前の方だろ?
  俺だってお前を離す気なんてさらさらないんだぜ?
  気付くの遅ぇーんだよ。」

有り得ないほどの至近距離で見る跡部の顔は完全に男の顔だった。

私が真似して真似できる人じゃなかった。

けれどその跡部が私を必要としている。

それだけでよかった。


 「、お前も俺を置いてどこにも行くなよ。
  いつも傍にいてくれ。
  俺の女としてな。」



もうあんな夢は見たくなかったから
私は両の手を伸ばすと跡部の首に回した。

ぎゅっと抱擁する心地よさは私を悪夢から解放してくれる。




そして甘美な夢へと変わっていくんだ…。









The end



Back










2008.1.15.