Another story
「!」
廊下の向こうからにこやかに歩み寄ってくるのは、
立海大のテニス部部長・幸村だった。
頬の辺りで波打つ髪をさらりとかき上げている幸村の周りが
なぜかキラキラして見えるのは錯覚なのだろうか?
いつもながらにふわっと笑いかけるその表情は女性的なのに、
身のこなしはスマートで、かっこよすぎる…。
そんな風に思いながらは近づいて来る幸村を待った。
と、を追い越した女子生徒数人が幸村へと猫なで声を出した。
「幸村く〜ん!」
「もう体の方はすっかりいいの?」
「全国大会では絶対勝ってよ!!」
「幸村くんがいないとテニス部も華がないもんね〜。」
きゃぴきゃぴと愛想を振りまく彼女たちにもニッコリ微笑みかける幸村。
「君たちのためにも頑張るよ。」
そう幸村が答えるのを当然待っていたかのように彼女たちは、
きゃあと嬉しそうに声を出しながら通り過ぎて行った。
彼女たちが視界から離れたその瞬間、幸村は本当に嫌そうな顔をし、
そのままの前に来ると、有無を言わせずの唇を奪った…。
「っん、ゆっきぃったら…。誰かに見られるわ。」
「かまうもんか」
そう呟く幸村は目を閉じたままを抱きしめた。
暖かいの温もりがまるで冷え切った幸村の体を温めるかのように。
「ねえ、そんなに嫌だったら、
彼女たちに本当のゆっきぃの顔を見せてあげたら?」
きっとそんな事はできないだろうなあと思っても、
つい言いたくなる。
「いいんだ。
馬鹿な女どもには僕の仮面だけで十分。
僕が僕でいられるのはのおかげなんだから…。」
から体を離すと、乱暴な言葉とは裏腹に、優しい瞳での顔を覗きこんだ。
「はこんな僕は嫌い?」
「嫌いな訳ないでしょう?」
は幸村にそう答えると、幸村の手を引っ張って中庭の方へ歩き出した。
午後の練習までにはまだたっぷり時間がある。
は立ち入り禁止の札をものともせず、芝生の中に入って腰を下ろすと、
自分の膝の辺りをポンポンと叩いて指し示した。
幸村は目を細めて嬉しそうに頷くと、の膝枕に身を沈めた。
「ゆっきぃ、大丈夫?」
退院してまだ間もないのに、
やがて始まる全国大会に向けて幸村の並々ならぬ練習量は、
体力以上に幸村の精神力をも削り取っているのではないかとは内心心配していた。
自分の体の事が先決だろうに、
関東大会で負けてしまった立海大テニス部のレギュラー陣を支えてるのは
明らかに部長である幸村であった。
幸村がコートに戻ったと言うだけで、
関東大会準優勝と言う汚点を残してしまったと凹んでいた彼らを
あっという間に立ち直らせたのである。
今や立海大のテニス部員全員が、いや、全校生徒や教師・OBらが、
幸村の復活と同時に、全国大会連勝の達成を望んでいた。
それはそのまま幸村の双肩に重いプレッシャーとしてのしかかり、
体調が未だ不完全である幸村にとっては焦り以外の何ものでもなかったのだが…。
それでも幸村は口に出して愚痴を言うことはなかったけど、
に会うと、それがいつだろうが、どんな場所だろうが、
に癒されることを望んでいた。
だからは幸村が退院してきてからは、
いつも幸村のするがままに受け入れていた。
「ああ、平気だよ。
でも、しばらくこのままがいいな。」
「いいよ。ゆっきぃが望むことで私にできることならなんでも。
…って、傍にいる事くらいしかできないけど。」
にはそれしか言えなかった。
「うん?がいるだけで僕は十分だよ。」
少し離れたグラウンドからは昼食後の運動を楽しんでいるのだろうか、
バスケットをしているらしい歓声が聞こえる。
幸村と過ごす、こんなひと時がにはかけがえのない時間に思えた。
それは多分幸村も同じだと思うけど。
「のどかだよね。」
が幸村の額の髪をそっと細い指で漉いている。
「クスクス。」
目をつぶったままの幸村が笑う。
「なあに?」
「いや、といるとホッとする。」
「だって、ホッとするために私といるんでしょう?」
「うん。といると何も考えなくてすむし、
何も考えないのに、ただただ、幸せだなって思う。」
「そう言ってもらえるなら嬉しい。
だって真田君なんて、人の顔見るたびに、
幸村を堕落させるな!…って怒るんだよ。
ひどくない?」
「ああ、真田か。
あいつ、もうすぐ邪魔しに来るよ、きっと。」
幸村は何かを思い出したかのようにまたクスッと笑った。
「ゆっきぃったら、また何かサボって来たんでしょう?
それで私の所にいるのがわかったら、
また堕落してるって思われちゃうよ…。」
は真田の顔を思い浮かべるとため息をついた。
噂をすれば影…とは本当によく言うものだ。
今思い浮かべたその顔が突然現れたことには顔が引きつるのがわかった。
副部長とはいえ、立海大の皇帝と呼ばれて畏れられてる真田。
その真田に、は日頃から幸村を堕落させ、腑抜け状態にさせてる彼女と思われていた。
もちろんにはそういう気はないのだが、結果として、
といる幸村を見るに、真田には常にそういう風にしか見えないらしい。
「全く…。
あれ程釘をさしたのにもかかわらず、はまた幸村をこんな所に。
幸村も幸村だ。
午後は全国大会の抽選会があると言っておいただろうが?」
真田はの膝枕で気持ちよさそうにしている幸村に不満の色を隠さなかった。
「ああ、真田。
だって副部長の君がいれば十分だろ?」
「幸村が入院してる時は仕方なく俺が部長職を代行してきたが、
本来お前が部長なのになぜ俺が行かねばならんのだ。
もう少し部長としての威厳を持って欲しいものだ。」
「威厳ねえ。
僕には必要ないと思うけど。」
幸村は相変わらず興味なさげに真田を見上げている。
「抽選会には全国の部長たちが相見えるんだぞ。
本校で抽選をやるというのに幸村が出なくては示しがつかん。」
「真田、体裁なんてどうでもいいんだよ。
どっちにしたって関東大会で負けてしまった立海大に
もう威厳なんてないんだから。」
「何を言う。幸村がいれば…。」
「僕がいたら勝てた?
それはわからないよ。
どこの学校も去年とは違ってるんだから。
全国大会だって今のままの立海大じゃ、勝てるものも勝てないかもしれない。
真田だってそう思ってないって言い切れる?」
幸村はきっぱりした口調でそう言うと、体を起こして今度はを引き寄せて、
自分の胸にの頭を持たれかけさせた。
「でも、僕たちは全国では勝つ!
そのためにも僕だって必死なんだ。
ベストの体調に戻したい。
技を磨きたい。
そう思えば思うほど、僕には時間も余裕もないんだ。
だけど、練習するためにはこうしてといる時間がすごく重要なんだ。
に気力を注いでもらわないと、前に進むだけの力が今の僕には足りないんだ。
相反するように思うかもしれないけど、
といる時間があるからこそ、僕の気力は満たされて、
少ない時間でも集中して練習していけるんだ。
ね、真田、わかるだろ?」
は自分に注がれてる真田の視線を思うと気恥ずかしい気持ちで一杯だった。
幸村がそれほど自分を頼りにしているとは思っていなかった。
ただ、疲れた気持ちを少しでも軽くしてあげられれば、とは思っていたけれど、
まさか、がいなければ前に進めないなどと弱音を吐くとは思ってもみなかったからだ。
それは真田とて同じ思いだったのだろう。
真田は帽子を深めにかぶり直すと幸村に背を向けて言った。
「わかった。
だが、他の奴らの前では2度とそんな事を言わんでくれ。」
「ああ、もちろんだよ。
君だからこそ言えるんだよ。」
そう神妙に真田に言う割りに、幸村の肩が小刻みに揺れているのを見て、
は何か腑に落ちないものを感じた。
「じゃあ、真田、君のくじ運を祈ってるよ!」
「お前こそ、俺が戻るまでにウォーミングアップくらいはしておくんだな。」
真田が立ち去るとは先ほどの疑問を投げかけてみた。
「ねえ、ゆっきぃ。
…私がいないと前に進めない位ゆっきぃって弱かったっけ?」
「クスッ。どうだったかなあ?」
「全く。ゆっきぃってホント、真田君を操縦するの、上手いよね。」
「あれ?わかっちゃった?」
幸村は屈託なく笑う。
は自分の恋人の、時に儚げな外見を利用して相手に訴えかけるような言動に、
少なからず真田はいつも騙されてる…と思うのだった。
「だってねえ、あの位言わないと、
僕がにべったりなのを快く思ってないからね、真田は。」
「それはそうだけど。
でも部長の仕事を真田君に押し付けてるのはゆっきぃでしょ?」
「でもだって僕との時間を減らしたくないだろう?
それに、といる幸せな時間が僕に力を与えてくれるのは本当のことだよ。」
幸村はそう言うと、の唇に軽くキスをした。
「それに、真田とは付き合い長いから、
ああいう風に言った方が、丸く収まるんだよ。」
本当だろうか?とは半ば呆れた風に幸村を見つめた。
「さ、充電完了!
真田が戻る前に体ほぐしておかなくっちゃ。
ねえ、。
ウォーミングアップするの、手伝ってくれる?
鬼のいぬ間に、久々にと軽く打ちたいな。」
を見つめる幸村の瞳に吸い込まれそうで、
は思わず頷くしかない…。
幸村のお願い光線に、自分ももしかすると、
真田同様、どこか幸村のペースに巻き込まれてるのかもしれない、
と心の片隅で思うだった。
それから小1時間ほど後、コート脇のベンチにぐったり座り込むがいた。
「おい、、大丈夫か?」
ブン太がニヤニヤしながらの隣に座って来た。
「随分幸村にしごかれていたな?」
は肩に掛けられていた大き目のスポーツタオルの端を握り締めたまま、
まだ息を整えられずに下を向いていた。
「ウォーミングアップだって言ったのよ?」
「ああ。でも、幸村にとっては、だろ?」
「…。軽く打つだけって言ったのに。
あれで病み上がりなんて絶対信じられない!」
「はは。あいつらしいよ。
なんかさ、普段の幸村って気だるさそうにしてるけど、
テニスやりだすと加減ないもんな。
ま、だからこそおれたちの部長なんだけどさ。
でも、、苦手だったバックハンド、上手くなったぜ?」
ブン太は二人のラリーを見ていたのか、そう付け加えた。
「私が上手くなってどうするのよ。」
「そう言うなって。
あれはあれで幸村のお楽しみモードなんだと思うぜ、俺はな。」
「ブン太!
無駄口叩く暇があったらもう少し練習した方がいいよ?」
幸村の言葉にブン太の顔色が青ざめた。
「あとで僕がブン太の相手してあげるから。
ブン太は僕にどんな顔を見せてくれるのか、楽しみだね。」
さらりと言う割りに、ブン太に反論させる気さえ起こさせない幸村の口調に、
ブン太ははじかれたように立ち上がるとコートに戻って行った。
と打ち合った後、幸村は柳と手合わせをしてたようだったが、
その涼しげな顔つきに、自分の恋人は人間ではないのだろうか?とは思ってしまった。
体調がベストでない…ような事を真田に言っていたような気がするのに?
「ゆっきぃは全然平気なの?」
「何が?」
「何って、テニスやって、体調とか…。」
「全然大丈夫。好きな事やってるのに疲れたりしないし。
今日は大好きなと打てたし。
うーん、気力なくなったらすぐにこうやって癒してもらえるし。」
そう言うと幸村がの唇にそっと指を当てた。
「もう、人の気も知らないで!
それがお楽しみモードって訳?」
がそう言って頬を膨らませると、幸村はの頭をポンポンと軽く叩いた。
「違う違う。
のフォームってさ、すごくきれいなのに、
バックハンドになるとバランス悪いから返球の威力が落ちるよね?
せっかくだから直してやろうと思ってさ。」
「?」
「ふふっ。
ってさ、僕が追い込んでいくと、すごく色っぽい顔になるんだ。
あれを見るのが楽しくてさ。」
「なっ///、ゆっきぃ!!」
真田には時間も余裕もない、なんて言ってたくせに、
余裕ありまくりじゃないの。
「だってってほんと見ていて飽きない。
可愛いし、必死で僕の球に喰らい付いてくるところなんか、ゾクゾクするんだ。
真田にの魅力がわからないのが不思議なくらい。
って、真田には見せてやらないけどさ、の色っぽい顔なんて。」
は平気でそんな事を言う幸村に呆れつつ、
自分が一番幸村の事を理解してると思ってたのに、
実はそうでもなかったのかもしれない、と恨めしく幸村の顔を見つめた。
「私、ゆっきぃの彼女やっていく自信、なくなってきた。」
「ばかだな。は余計な事考えなくていいんだよ。
僕のそばにいて僕のためだけに存在してくれてればそれでいいんだ。
僕はなしでは生きていけないんだからさ。」
そんな甘い言葉に、はやっぱり幸村が好きだと思う。
多分、堕落してるのは私の方なんだ―――。
全国大会でも、きっと幸村の言動に振り回されるのは、
真田よりもなのかもしれない…。
The end
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☆あとがき☆
Genius248を読んで
こんな話を創ってしまいました。(笑)
原作でもっと立海大を出してくれればいいんですけど。
それにしても、無駄に長い話になってしまいましたが、
こんな私が書く幸村が好きと言って下さる、
細雪薔薇子さまに感謝を込めて捧げます。
2004.12.4.