ビターチョコ・バレンタイン






 「おい、これ、何だよ?」


机の上に差し出されたチョコはまるで市販の物と
見紛うばかりの出来栄えだ。

バレンタインを数日後に控える今、
丸井の目の前にある物はこの時期にしてみれば
ありがちなものではあった。

一目見ただけで分かるほど
益々腕を上げているクラスメイトの
賞賛の眼差しを向けるものの、丸井ははたと考え込む。

このチョコを俺は食べてもいいのかと。

 「丸井君に食べてもらおうと思って。」

それなのにははにかみながらそう言った。

丸井はじっと箱の中のチョコを見つめた。

 「これってバレンタイン用じぇね?」

 「えっ? ううん、まだ試作品。」

 「試作って、幸村の、だろぃ?」

面白く無さそうに呟けば
目の前のは明らかに頬を赤らめて素直に頷く。

去年のテニス部のクリスマス会で幸村はに告白した。

それを丸井は苦々しく思っていた。

自分だっての事は他の女の子より特別に思っていた。

大事に大事に、それも丸井にしては慎重過ぎるほど
ゆっくりと仲を深める気でいた。

それをあっさりと横取りされ、丸井はあまりいい気がしなかった。

幸村なんてクリスマス直前まで全然と親しかった訳でもなかったのだ。

けれどにとってはこのクラスの中では丸井は一番仲のいい男友達だ。

それは今も変わらない。

幸村の告白を受けたとは言え
同じ教室の中では行動を共にする時間が長いのは
絶対的に丸井の方だったからだ。

それに丸井は見かけによらず天才的に味の分かる男子だったから
は自分の作ったお菓子を丸井に批評してもらうのを楽しみにしていた。

それも前と何ら変わる事はなかった。

だからは初めて幸村に贈るチョコの味見も
普通に丸井の所に持って来たのだ。

 「幸村にやる奴なら、幸村に試食してもらえばいいだろぃ?」

丸井はちょっと膨れっ面で言った。

 「えっ?それはちょっと困る。」

 「ああ?幸村は喜んで試食すんじゃね?」

 「で、でも、それだと当日びっくりしてくれないかもしれないし、
  美味しいかどうか丸井君に聞いてからじゃないとあげられないよ。」

に信頼されているのは悪い気分ではない。

ただ、クリスマス会の時のケーキを思い出すと
丸井は素直にチョコを口にする気にはなれない。

 「そう言えば、クリスマス会の時のケーキ、
  あれ、甘さ控えめにしただろ?」

 「あっ、うん。」

 「今だから言うけど、俺、あん時、
  いつものらしくなくて、あんまり美味しいとは思わなかったんだぜ?」

 「えっ?そうなの?」

はびっくりして丸井の顔をじっと見つめたまま
あの時の手順を思い出すかのように小首を傾げた。

 「ああ、確かに不味いとは言わねーけどさ、
  大人し過ぎっつうか、パンチが効いてねーっつうか、
  クリームの砂糖はもう少し入れていいんじゃね、って思った。」

 「そっかぁ。」

 「大方、幸村は俺より甘党じゃねーと思ったんだろぃ?
  だったら尚更、こいつは幸村に食ってもらうのが一番なんじゃねーの?」

 「う、うん・・・。」

は眉根を寄せてしばし考え込む。

それを見た丸井は差し出されていたチョコをの方に押し戻した。

 「幸村に味見しろって言えねーのかよ?」

 「そんな事はないけど。」

 「じゃあ、何だよ?」

 「だって、多分、幸村君は美味しいって言うから。」

 「へっ?」

丸井は怪訝な顔をした。

 「だっ、だから、幸村君は
  何食べても美味しい、って言いそうで。」

凄く恥ずかしい事を告白してしまった、というような顔で
は立ち尽くしている。

丸井はハアーっと大きくため息をついた。

幸村なら言いかねない。

それが自分の好みの味と違っていたとしても
自分の好きな子が作ってきた物だったら
どんなものでもあの極上の笑みのまま褒めるに違いない。

 「何だ、よく分かってんじゃん。」

 「でも、やっぱり美味しいって思ってもらいたいもの。」

はいじらしくもそんな事を言った。

丸井はにそんな風に思ってもらえる幸村を
羨ましく思った。

何だ、結局惚気られてるのか?

けれどにしてみれば真剣そのものだ。

仕方なく丸井はチョコの箱を掴むと立ち上がった。

 「ほら、行くぜ。」

 「えっ、どこに?」

有無を言わせぬ勢いに負けては丸井の後について行った。

教室を出るとすぐ階段がある。

丸井は真っ直ぐに階段を目指すと後ろをちょっと振り返った。

自分より背の低いがちょこんとついて来るのが
何とも可愛くて思わずにやけてしまう。

自分の彼女なら手を引いてやりたい所だけど
まさかそんな事をして幸村にでも目撃されれば
どんな嫌味を言われるか分かったものではない。

嫌味だけならいいがずっと根にもたれてしまうだろうと思うと
逃した魚が大きい事にため息をつくしかない。

 「丸井君、どうかした?」

 「ああ?何でもねーよ。
  それよりカフェテラスでお茶にしよーぜ。」

 「えっ?私、財布持って来てないよ?」

 「おごってやるから心配するな。」

ぶっきら棒に返せばが嬉しそうに笑うのを
丸井は背中越しに聞いていた。












 「どうかな?」

テーブルを挟んでが心配そうに丸井の表情を見つめている。

丸井が1個、2個とチョコを黙って口に運ぶから
は真剣に丸井の口元に視線を注いでいる。

それが面映くて面白くて丸井はわざと美味しいとすぐには言ってやらない。

 「も食ってみろよ。」

そう言って親指と人差し指で摘んだチョコを
の口元に差し出す。

 「えっ?私はいいよ。」

 「よくない。
  昨日作ったんだろ?
  貰って食べた時の感じを掴むのにいいんじゃねぇ?」

変な理屈だとは思ったけどさらにチョコをの方に差し出す。

丸井も冗談で差し出しただけに
まさかがそのままチョコを口で受け取るとは思わなかった。

柔らかなの唇がかすかに丸井の指先に触れた。

静電気にでも触れたかのように丸井は慌ててその手を引っ込めた。

 「ちょっと甘さ控えめすぎたかなぁ。」

はそんな丸井の素振りに気がつく事もなく
脳天気にチョコの味を評価する。

 「あ、ああ。」

 「丸井君はもっと甘い方が良かったんでしょ?」

 「まあな。
  んでも、これもなかなか美味いぜ。」

 「ほんとに?」

 「あ、ああ・・・。」

その目を輝かせて嬉しそうに唇が綻ぶ。

丸井はの唇にばかり視線が行ってしまう。

今、その唇に自分の唇を重ねたら
チョコの味がするのだろうか、と丸井はぼんやり考えた。

不謹慎だけど、無性ににキスをしたくなった。

 「やっぱり丸井君に食べて貰ってよかった。」

そんな可愛い言葉がの口から零れると
丸井は自制心が利かなくなって腰を浮かした。

テーブルに片手をついての方へ身を傾けると
は自然と丸井の動きにつられて顔を上げる。

目と目が合ってもはまるで警戒する風でもなく
丸井を見上げている。

やばいと頭の中で思っても丸井の体は止まらず
あと少しでその艶やかな唇に届きそうになった所で
真後ろから呼び止められた。

 「何してるんだい?」

その声に咎めるような音色は含まれていなかったのに
丸井の体は瞬時に膠着した。

嫌な汗がどっと吹き出る。

できるものなら全ての感覚を麻痺して欲しいと思う位だった。

 「幸村君。」

の明るい声に救われるように丸井はストンと椅子に落ちた。

今は空になっている小箱がぽつんと丸井との間にある。

丸井はぼんやりとそれを見つめるしかなかった。

 「美味しいものがあるなら俺も誘ってくれればいいのに。」

幸村は平然と丸井の横に座って来た。

 「えと、これはまだ試作品だから。」

 「試作品でも食べたかったな。」

 「えっ?」

 「丸井だけ美味しい思いをするなんてずるいよ。」

幸村はクスクス笑っているけど
その横で丸井は生きた心地がしない。

魔が差したんだ。

そんな言い訳さえできない状態。

でもきっと幸村だって丸井の淡い片思いを
知らない訳はないだろうとは思う。

だから取り繕う事なんて無意味なんだと丸井は思った。

 「幸村がそれを言うか?」

 「何?」

 「美味しい思いをしてんのは幸村の方だろ?」

怒った様に丸井が言うものだから
幸村はそこで初めて丸井の方を向いた。

丸井はと言えば唇を噛み締めながら幸村の方を見ようともしない。

体全体で緊張しているのが分かる。

丸井の気持ちなんてとっくに分かっていたから然程気にしてなかったが
が全く警戒もしてない事が気にかかった。

 「そうでもないんだけどな。」

だから幸村はやんわりと話を続けた。

いい機会だ。

思ったより溜まっていた膿みは早めに出し切った方がいい。

 「順番なんてたいした事じゃない。
  今からだって遅くはない。
  丸井は自分の気持ちを素直に伝えたらどうだい?」

 「よくそんな事が言えるな、幸村。
  俺を完全に落ち込ませたいだけなんだろぃ?」

 「落ち込むか落ち込まないかは君の勝手だ。
  答えるのはなんだし、
  今更俺の望む答えでなかったとしても俺は文句は言わない。」

 「何言ってんだ。
  大体初めから分かってんだよ。
  どうせは・・・。」

 「丸井、何もしないでその言い草は感心しないな。
  俺は行動を起こした。
  それだけだよ?」

丸井はちらりと幸村を盗み見た。

相変わらず食えない奴だ。

けれど言い返せないのが悔しい。

 「あの、幸村君?」

二人のただならぬ様子にが心配げに恐る恐る声を掛けた。

幸村はに向けてニッコリと笑った。

 「大丈夫。
  あとはに任せる。」

 「えっ?何を?」

 「丸井の言葉に答えを出してあげて。
  俺はの出した答えを尊重するから。」

幸村の言葉にの瞳は不安の色を浮かべたまま
空の箱をじっと見つめていた。

これが良くなかったのだろうか?

自分のせいなのだろうか?

丸井は自分を責めているの気持ちが
手に取るように分かった。

だからすっと息を吸い込むと腹を括った。

 「。」

 「うん?」

 「俺はずっと前からお前の事が好きだったんだぜ。」

が顔を上げると丸井の真っ直ぐな視線とぶつかった。

突然の丸井の告白にはびっくりだった。

もちろん幸村の時だってびっくりだったけど
丸井がそんな風に自分を見ていたなんて全然知らなかった。

 「幸村がお前に告ったのは知ってる。
  もし幸村より先に告ってたら俺と付き合ったんじゃねーかって
  未だに気持ちの整理がつかねぇ。
  今からでも間に合うか?
  俺は今でもお前が好きなんだ。」

こんなに真剣な丸井は見た事がないと思った。

視線を外したら悪いとは思ったけど
はちらりと幸村を盗み見た。

けれど幸村は腕を組んだままその瞳を閉じていた。

丸井の言葉に答えを出すのは自分自身、
ははっきりと自覚した。

 「あの、私は、多分、えっと、その・・・。」

 「いいよ。ちゃんと言ってくれ。」

 「あ、う、うん。
  だから丸井君の事は、私も好きだと思うんだけど・・・。」

 「ああ。それで?」

 「話しやすいし、丸井君といると楽しいし、
  話も合うし・・・、優しいし・・・。」

丸井の事は嫌いじゃない。

だけどそれが幸村を思う好きと言う気持ちと同じなのかと
聞かれてしまえば、はどうしても違いを言わざるを得ない。

だけどそれを考えると丸井に悪いような気がして
本人を目の前にしてはなかなか口に出せない。

 「ありがとな、
  俺も幸村も分かってて聞いてる。
  でもちゃんと聞かなきゃ俺はお前に何するか分かんねぇ。」

 「えっ?」

 「俺の事好きなら、キスできるか?」

丸井の言葉には困ったように赤くなる。

 「は俺と幸村ならどっちとキスできる?
  要はそういう事なんだぜ?」

 「そ、そんな事、考えた事もないよ。」

 「んじゃ、今考えろ。」

 「む、無理だよ。」

あまりの丸井の無茶振りには言葉に詰まった。

好きな人とキスをする、それは自然な事かもしれないけど
告白されたのだってついこの間で、
幸村との付き合いだってまだまだ恋人同士の関係とは程遠い。

幸村とキスしたいかなんて、そんな感情はにはまだない。

考えろって言われたってむしろそんな恥ずかしい事を想像もしたくない。

 「俺はお前とキスできるぜ?
  さっきだって幸村が止めなければ・・・。」

 「さっき・・・って?」

 「お前、全然避けようとしてなかったんじゃね?」

 「違っ!!」

は思わず両手で自分の頬を押さえると
椅子が倒れるのも構わず立ち上がった。

あの時丸井がキスをしようとしていただなんて
これっぽっちも疑う事をしていなかっただったけど、
何だか幸村に対して不義理をしていたかのような
丸井の口ぶりにショックを隠せなかった。

 「酷い!!丸井君がそんな事言うなんて!」

居たたまれなくなったはばたばたとその場から走り去って行った。

翻ったスカートを目で追いながら丸井は大きなため息をついた。

 「幸村、追いかけねーのかよ?」

遣る瀬無い虚無感に丸井の表情は暗かった。

 「何もそこまで言う事はなかったのに。」

 「じゃあ、何て言うんだ?
  仲良く3人で付き合いましょうって、か?」

 「だけどあれじゃあ、当分俺だって口を聞いてもらえない。」

幸村の静かな口調に丸井は舌打ちをした。

 「ふん、知るか・・・。」








    



それからしばらくはは丸井にも幸村にも話しかけて来なかった。

当然といえば当然だった。

けれど丸井は後悔していなかった。

言い方は悪かったかもしれないが正直な気持ちだ。

の事は好きだったし、好きなら恋人に触れたいと思うのは
男なら誰だって持つ欲情だ。

がきちんと幸村を受け入れる、そうなれば必然的に
丸井に対してのの付き合い方は変わる。

幸村に強制的に仕向けられるのではなく
がそれに気づかなければ丸井は友達として
この先と一線を引いて付き合って行けないと思った。

確かに言い方は不味かった。

けどそれを訂正するつもりも全くなかった。

バレンタイン当日、丸井の机にはおびただしい数のチョコが山積みになっている。

それをひとつひとつ紙袋に入れていると
いつの間にかそばにが立っていた。

 「おう、何か用か?」

 「今年も凄いね。」

 「だろ?」

久しぶりの会話だったが丸井は無理に続けるつもりもなく
黙々と机の上のチョコを片付けていく。

しばらくそれを見ていたはやがて丸井の机の上に
小さな箱をそっと置いて来た。

 「これ。」

 「ん?」

 「丸井君に。」

 「小せぇ。」

間髪入れずにそう言ったらはクスリと笑みを零した。

久しぶりに見るの笑顔に丸井も笑った。

 「これは友チョコ。
  丸井君とはずっと仲のいい友達でいたい。」

 「だな。」

 「ちゃんと丸井君好みの甘いトリュフにしたよ。」

 「ああ、ありがとな。
  んで、幸村には渡したのか?」

 「まだ。これから。
  幸村君も凄そうだから。」

 「違いねぇ。
  でも俺より後にあげたら五月蠅いんじゃねーか?」

 「その時はよろしく。」

顔の横で丸井のトレードマークをして見せる
丸井は思いっきり顔を顰めてやった。

こうやってつかず離れずの関係がずっと続くんだろうな、と
丸井は教室から出て行くを見送りながら
小さなチョコの箱を摘み上げた。




が幸村の教室を覗くと幸村もまた
大きな紙袋を二つ分提げて帰る所だった。

 「今年は一段と凄いね。」

卒業を控えて最後の決断に踏み切る女の子も多かったのだろう。

勇気を振り絞って直接渡された戦果のひとつひとつが
ぎゅうっと紙袋に詰まっている。

 「部室の方にもだいぶあるらしいよ。」

 「幸村君が一番なの?」

 「どうかな?」

辺り触りない会話をしながら幸村はのそばまで来ると
紙袋に入ったチョコを床に置いた。

教室の中にはと幸村しか残っていなかった。

は後ろ手に持っていたチョコの箱を幸村の前に差し出した。

 「これ、貰って欲しい。」

 「俺の?」

 「うん。幸村君のために作ったよ。
  だから食べたら感想を言ってね?」

 「感想?」

 「次に作る時にもっと幸村君の好みに合わせたいから。」

はにかむように笑うの頬に幸村が手を伸ばした。

少し冷たい幸村の指先に戸惑いながらも
は幸村から目を逸らさなかった。

 「私、幸村君の事、好きだよ。」

真っ赤になりながらそう言葉に出して
はぎゅっと目を瞑った。

震えるような睫が緊張しているのが分かる。

の必死な覚悟に幸村は困ったなと呟くと
の後頭部に手を回して自分の胸に引き寄せた。

 「俺も大好きだよ。」

てっきり幸村にキスをされると思っていたから
は不思議そうに幸村の腕の中で幸村を見上げた。

幸村はニッコリ笑うと額をの額にコツンと当てた。

もの凄い至近距離にの動悸は悲鳴を上げるようだったけど
はなぜだかとても安心していられた。

幸村に触れられた部分が熱い。

何が何だか分からなくなる。

だけど心地いい。

 「最初からそんなに頑張らなくていいから。」

こめかみの辺りにちゅっとキスをされて幸村の顔は離れて行った。

 「幸村君?」

 「俺たちは両想いだろ?
  キスなんていつでもできる。」

 「えっ?」

 「丸井と俺とは違う。
  君がそこをちゃんと分かってくれたのなら
  今日はチョコだけでいい。」

そこでやっとの手の中のチョコを受け取ると
幸村は片方の手でさっきの紙袋を持った。

 「このチョコは特別だからね。」

 「うん。」

 「じゃあ、こっちのチョコの山は部室に置いたら
  これからデートしようか。」

 「デート?」

 「うん、だってから貰ったチョコは
  じっくり味わいたいしね。」

 「そ、そんなに期待しないでね。
  ビターテイストだから。」

 「どんなにビターでも
  と一緒なら甘いと思うよ。」

ふわりと笑う幸村に
きっとチョコの感想は美味しいしか言わないのだろうな、
は言いようのない可笑しさに口元が緩むのだった。









The end

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☆あとがき☆
はっぴーばれんたいん!
今年幸村はいくつチョコを貰うのかな?
跡部はライブがかかってるから
もうそれはどうでもいいのだけど
せめて氷帝以外の部長陣には負けたくない。
ほらあの包帯野郎とか包帯野郎とか・・・?(笑)
2012.2.14.