春の約束
「。」
名前を呼ばれた。
振り返らなくても分かってしまうその声の主は
毎日しつこい位私の名前を呼ぶ。
相手なんてしたくないんだけど
仕方なく振り返ればもう一度名前を呼ばれる。
「、おはよう。」
いつもの事だけどその無駄な笑顔は何とかならないのかと思う。
返事をしなければまた絡んでくるから一言おはようと返して
私は教室へと歩き出す。
「ねえ。」
あいつはへらりと笑いながら私の後をついて来る。
それだけで、もう何人もの女の子たちが振り返る。
ちらりと横を見れば余裕で追いついて隣に並ぶから始末が悪い。
「今日もいい天気だね。」
無視をしてもお構いなしなのだ、この男は。
「今日の昼休み、時間ある?」
「ない。」
「部室の横の花壇に種を植えようと思って持って来たんだけど。」
人の話を全然聞いてない、それもいつもの事。
無駄だと思うけど一応立ち止まってもう一度言葉に出す。
「あのねぇ、私、暇じゃないの。」
「うん、でもね、撒く時期逃すと育ちが悪いからさ。」
「だから、そういう事は美化委員にでも。」
「俺、美化委員。」
ニッコリ微笑まれても、こっちは眉間に皺が寄るばかり。
「私は違うし。」
「うん、だから・・・。」
「だから?」
思わず突っ込んだらますます嬉しそうに笑う幸村に
しまったと思ったけど後の祭り。
「に頼んでる。」
いつもこうだ。
人が嫌がってるのに全くこっちの気持ちを分かってくれない。
名前を呼ばれたってそれは呼ばれただけ。
頼み事はいつもの事で、嫌な顔をしたって結局私は引き受ける。
けど、引き受けた所で歩み寄った気でいれば
そうじゃない事に気付かされて、私と彼の関係はとても不鮮明。
そう、私の本当の気持ちなんて分かってくれない。
分かろうともしてくれない。
そんな彼はそれでもいつも輝きの中に立っていて
私にはその眩しさが痛々しいくらい私の心をかき乱す。
彼の名前は幸村精市。
全国に名を轟かせる立海大テニス部の部長。
そんな大きな看板を背負ってるだけでも目立つのに
その眉目秀麗な容姿は彼のファンを魅了して止まない。
一度大きな病を患ってテニスはもう出来ないのではないかと噂され
それなのに不死鳥のように復活を遂げて
高校テニス界でもトップ集団に君臨していると言うその伝説が
彼をあまりにも大きく有名にさせている。
凄い人だと思う。
素直に尊敬に値する人なのだけど
なぜだか幸村といると憎まれ口しか出て来ない。
最初はテニス部の練習が大変だろうからと
普通にクラスメートとして彼の助けになるならと、
それは本当に些細な事で、日直の仕事を少し余分に私がしてあげたりとか
委員会に代理で出席してあげたりとか、本当に何でもない事だったのに、
いつの間にか彼が何かを頼む時は他の誰でもなくて
まず私に声が掛かるようになっていた。
もちろん最初は快く引き受けていた。
だけど彼の頼みは段々少しずつ
私じゃなくてもいい事じゃないの?という事だったり
私に頼むのは可笑しいんじゃないの?という事に変わって来ていた。
先週なんて、テニス部のファイルを片手に幸村はニコニコと近づいて来た。
「今度練習試合があるんだけど。」
「・・・。」
当たり前のようにテニス部のファイルを私の机の上に広げるけど
私はもちろんテニス部員でもなければマネージャーでもない。
「この資料を纏めておくはずが
まだ出来てないって言うんだ。」
「何、それ?」
「後輩に任せていたら全然進まなくてね。
、こういうの、得意だろ?」
「だからって何で私が。」
「もちろん俺も手伝うから。」
「いや、だから、手伝うって私の仕事じゃないから。」
「放課後、部室借りて置いたから。」
一事が万事、こういう具合にすでに決定事項となっている。
「ねえ、何で私がテニス部を手伝う事になる訳?」
たまたま部室に遊びに来ていた仁王に文句を言ったら
仁王は思いっきり噴出して来た。
「やりたくなけりゃ、やらんでもええじゃろ?」
「そうだけど。」
「はええ娘じゃの。」
「笑いながら言われても褒められてる気がしない。」
むすっと答えるも仁王はテニス雑誌かなんかを眺めながら
相変わらずニヤニヤしている。
「じゃけど、は責任感あるし。
器用で何でもテキパキやっちょるけん、
幸村も頼りにしてるんじゃろ。」
「頼りにされてる気はしないけどね。
いつだって私の都合なんてお構いなしだし。
幸村って結構強引だよね。」
「に都合なんてあるんかの?」
「仁王も大概酷い事言うね?
私そんなに暇じゃないけど?」
纏めた資料を重ねると私は窓から外を見た。
一緒に手伝うなんて言いながら
当の本人は後輩のテニスを見たくて外に出たまんまだ。
「まあ、は安全パイだからの。」
「安全パイ?」
「お前さんが手伝う分には
誰も文句は言わんじゃろ?」
「はあ?何それ?可笑しいよ!
誰か文句言ってやってよ!!
私はテニス部のマネでもなければ
幸村の小間使いでもないってば。」
憤慨して勢い良く立ち上がれば
つられる様にして仁王の視線が雑誌から私に移った。
「どこ行くんじゃ?」
「用済みだからもう帰る。」
「待ちんしゃい。
幸村もそのうち戻るじゃろ。」
「別に待つ気なんてないし。
大体いつだって感謝される事もないんだから。
幸村だって私が待ってるなんて絶対思ってない。
もうほんと、人を何だと思ってるんだか。」
「幸村がか?
そりゃあ、お前さんの事は特別じゃろ?」
「特別?
どこが?」
最初の頃はそれでも幸村のために頑張ってる自分がいた。
仲良くなれるかな、なんて期待もしていたんだと思う。
確かに新密度は上がったのかもしれないけど
気安く声をかけてくれる様にはなっても
それはちょっと私が思い描いていた関係とは少し違っていた。
私以外の女の子に対する優しさが上辺だけの物だとしても
幸村が私に対して同じように優しくしてくれたかと言えば
そうでもなかった。
見返りを期待していた訳ではなかったのに
段々と私の中に何も返してくれない幸村が冷たく感じられた。
本当に単純に頼みやすいだけの女友達、そんな所だろうか。
だから何かを頼まれると嫌々返事をし、
不承不承手伝って、あたかも貸しを作ってるかのように振舞ってしまう。
それが返って良かったのか、幸村に頼まれたのがいつも私であっても、
誰にも反感を買う事はなかったのだが、
何だかそれも女の子として幸村に見てもらえない事を
周りもそう思ってるのかと思えて遣る瀬無かった。
「私、思うんだけどさ。」
戸口の所で仁王を振り返って私は続けた。
「何でも素直にはいはい、って聞くような彼女でも作ればいいのよ。」
そう口に出しては見たけれど
本当の所、幸村に彼女ができたらいい、なんて思ってはいなかった。
今だってこれ以上の関係は望めそうにないのに、
これでもし幸村に彼女が出来てしまったら
私の居場所は幸村の近くにはなくなってしまう。
そんな本音が顔に出てしまったのか
目聡い仁王は遠慮なく突っ込んで来た。
「嘘はいかんぜよ。」
「えっ?」
「が素直になったらどうなんじゃ?」
心の内を射抜かれるような仁王の眼力に
一瞬ドキッとしたが、私は何気ない顔で強気に言い切った。
「もちろんそのつもりよ?
卒業式の日にはばしっと言ってやるわ。
それで幸村のパシリ扱いともおさらばだと思うと
せいせいするもの。」
仁王にしかめっ面を見せて
少々乱暴に部室から飛び出した。
コートからは規則正しいボールの音が聞こえて来る。
その音から逃げ出すように私は足早に校門に向かった。
仁王が幸村に何か言いはしなかったかと
それが気には掛かったけど
その後も幸村とは相変わらずの調子だった。
どうでもいいような事を頼まれては
文句言いつつも引き受け
だからと言って幸村からは労いの言葉もない。
一度くらい何か奢ってくれてもばちは当たらないんじゃない、
と皮肉を込めて言ってやろうかと思ったりもしたが
それで二人っきりでお茶でもするという光景が
私には何となく耐えられない気がした。
どんな顔で幸村と用事もないのに過ごすのか、
変な所で私には幸村に甘えるなんて事はできなかった。
やがて卒業の式が終わって三々五々教室へ戻る途中
私はかつて幸村と種を蒔いた花壇の前で立ち止まっていた。
何を植えたかなんて思い出せなかったけど
小さな芽が出ているのを見つけると何となく込み上げてくるものがあった。
本当にどうでもいいような事まで言いつけられた気がする。
見返りがなくてももっと可愛げのある態度を取ればよかった、
そんな風に思うのは今日が卒業式だからだ。
感傷的な気分のまま、でももうこれ以上は耐えられない。
何も思わないで幸村の頼み事を引き受ける、
ただの便利屋さんとも卒業した方がいいに決まってる。
「。」
ひとり卒業の感傷に浸っているというのに
こうもタイミングよく幸村が隣に立って来るなんて
卑怯としか言いようがなくて私は黙ったままだった。
「卒業、おめでとう。」
何がおめでたいんだと憎まれ口を叩きたかったのに
声を出せば嗚咽と共に張っていた虚勢が崩れそうで
幸村の方を見上げる事もできない。
「今まで随分色々には手伝ってもらったね。」
ずるい。
そんな事を今言い出すなんて、ずる過ぎる。
「が嫌がってるのも分かってたけど
でも一番頼みやすかったからね。」
分かっていても幸村の口からそんな風に聞かされると
やっぱり私の心はぎゅううっと締め付けられるようだった。
こっちから縁を切ってやろうと思っていたのに
まさか幸村の方からこの関係に終止符が打たれるとは思わなかった。
予想される言葉が頭の中でぐるぐると回りだした。
同時に大学でもこのままの関係でもいいと言ってしまいそうになる。
高校の時のように毎日顔を合わせる事はなくなるだろうから、
せいせいすると思った気持ちは今は寂しいと感じていて
自分でもそれをどうやって幸村に伝えればいいかまでは分からなかった。
会えなくなればそのまま私と幸村の繋がりは自然に透明になって行ってしまうのだろう。
でも私の耳には予想もしない言葉が聞こえて来た。
「高校卒業の今、最後にもうひとつだけ
に頼みたい事があるんだけど。」
「えっ?」
私は精一杯の虚勢をかき集めてその顔に無理やり貼り付けて
幸村の方を一瞥した。
「最後?」
「うん、最後。」
幸村は目を細めて頷く。
私は僅かにため息を付いた。
「、左手を出して。」
言われるまま左手を出せば
幸村は私の手を優しく受け止めて指が開くように持ち上げ、
いつの間にか取り出した光る何かを
幸村の右手が私の指にはめて行く。
薬指に加圧するそれは立海大のカレッジリングだった。
「何、これ?」
「今、大学部で流行ってるらしいよ。」
「だから、何?」
人の指で何を試しているんだ、と眉根を寄せてしみじみ見れば
未だ私の手を握っている幸村に気付いて苦しくなる。
今までどんなに近くで作業をしていた事があっても
幸村と私が触れる事なんて一度たりともなかったはずだ。
手を引っ込めようとしたら逆にぎゅっと握り締められて
思わず幸村の顔を見たら
その真摯な眼差しに体中の神経が一瞬にして麻痺させられてしまった。
「これからは。」
幸村はまるで私の脳が麻痺しているのを見越したかのように
ゆっくりと静かに声を発する。
「結婚を前提として。」
声にならない驚きが私の口から漏れたけど
幸村は全然気にしないで続けた。
「俺と付き合って欲しい。」
「な、何て?」
かろうじて言葉に出来たのはそれだけだった。
幸村が私をからかってる訳でも
冗談を言ってる訳でもない事は分かったけれど
余りにも飛躍しすぎる展開に私は呆然とするばかり。
「今はまだこんな指輪しかにあげられないけど。」
「何言ってるの?」
「大学に籍は置いたままプロになるつもりだから
いずれはちゃんとした指輪を贈ってあげるね。」
そこでニッコリ微笑まれて
これは間違いなくプロポーズなのだろうかと思い当たって
私は真っ赤になりながらも可愛い台詞のひとつも言えやしなかった。
「しょ、正気なの?」
「そこは、本気なの?って可愛く言ってもらいたいんだけどな。
もちろん俺は正気だよ?」
「だって、そんな・・・。」
「俺はの事、好きだよ。」
「う・・・そ!?」
「ずっと好きだったし、
これからもずっと好きだ。」
呆然とする私に苦笑しながら
幸村は私の体を包み込んだ。
そのがっしりとした体躯に抱きしめられて
初めて夢じゃないと実感できた。
「でも。」
「でも?」
「だって今までそんな素振り、全然しなかったじゃない?」
「ああ、うん、そうだね。」
「酷いよ。
高校生活、終わっちゃったじゃない。」
泣くつもりなんてなかったのに
何でか嬉しいというより、貴重な時間を棒に振ってしまった気持ちの方が上で
自分でも何に対して悔しいと思ってるのか分からないくせに
間違いなく溢れてるのは悔し涙だと心の中で思った。
「え、そこ、泣く所なの?」
「だって・・・、だって・・・。」
「俺には貴重な時間だったよ。
にずっと片思いしていた時間だったし。
今からは両想いだって思えば
両想いの時間の方が何倍も長くなるんだから。」
「そ、そんな理屈。」
「ほら、もう泣かないで。
俺はもう君のものなんだから、ね。」
耳元で未来の奥さん、なんて言われたらもう何も言えなくなってしまう。
どれだけ私の心をかき乱せばいいんだろう。
クスクス笑う彼がとても意地悪に思えて
私は思わず彼の胸に向かって呟いていた。
「好きだよ、バカ!!」
The end
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☆あとがき☆
何を隠そう、ついこの間まで
「僕等がいた」のアニメをずっと見ていました。
原作は全然知らず、何このモヤモヤした四角関係?
につい引き込まれたのですが、その中の台詞
「好きだよ、バカ」という言葉が酷く心に残りまして、
それをイメージして書いてみました。
ああ、幸村にはどんなお高い指輪をねだっても
買ってくれそうですなぁ〜。
私の誕生日に是非買ってもらいたいです。(笑)
2012.3.26.