レトルトな恋
駅前通りからちょっと外れた所にあるそのスーパーは
お世辞にもキレイという訳でもなくて
だけど置いてある品揃えは意外に種類が多い。
お惣菜なんてほんと毎日買っても飽きないくらい
いろいろあるから、一人暮らしの大学生には重宝がられてる。
夕方のこの時間になるとタイムセールもあるから
共働きの主婦にも好評みたいで店内は思いのほか混んでいる。
そんなお惣菜売り場の賑やかさも
一歩商品棚の間に入れば静かなものだった。
はレトルト食品の棚にある色とりどりの箱を
確かめるようにひとつ抜いてはパッケージの宣伝文句を読み、
ひっくり返して裏の説明書きやら成分やらを眺め、
そうして戻してはまた抜き取る、という作業に余念がなかった。
どうせならまだ試した事のない商品、
未知の味を求めてひとり真剣に悩んでいた。
絶品だの極上だの究極だの、
有りがちなメッセージでは今ひとつ決め手に欠ける。
「空前絶後の芳醇な口当たり、って?
何だろ、ピンと来ないなぁ。」
熱心に文句を見ていたから自分がいつから言葉に出していたのか
皆目分からなかった。
だけどそれ以上にその独り言に返事が返ってくるとは思わなかった。
「それ、今日の夕飯?」
視線を横に向ければ見覚えのあるというか
自分と同じ立海の制服が目に入る。
もう少し視線を上げれば
見た事のある顔に絶句してしまう。
超が付くほどの有名人がの左隣に立っている。
「ゆ、幸村君?」
びっくりしすぎてレトルトカレーの箱を落としそうになる。
学校でさえ滅多に近くで拝む事なんて出来ないのに
こんな冴えない場所で冴えないものを買おうとしている所に出くわすなんて。
恥ずかし過ぎて顔が熱くなる。
今更箱を棚に戻した所で見られてしまった事実は消せやしない。
「それとも夜食・・・とか?」
いやいやいや、夜食にカレーを食べるなんて思われたら
それはあんまりだとは凹んだ。
幸村と話せるチャンスなんて今まで皆無だったし、
これからも多分そんなにはないはずだ。
それなのに大食漢に思われたままなんて悲しすぎる。
はできるだけ平然とそのレトルトを棚にしまった。
「し、新製品のチェックしてただけだから。」
何ともいただけないいい訳だ。
夜食を食べないという反論にはなっていない。
「そっか。
どうせならこっちの方が今、人気あるらしいよ。
俺も詳しくないけど、この間、丸井が食べてるのを見かけたから。」
幸村によって指差された季節限定の黒カレーをまじまじと見つめた。
丸井が食べていたなら不味くはない、とは思う。
けど、だからと言ってそれを手にする気にはなれなかった。
「あ、うん。
でも、今日はいいです。」
「レトルトも侮れないよね?」
楽しそうな声は聞いていてこっちまで幸せな気分になるけれど
幸村がどうしてこのスーパーのこの棚の前にいるのかさっぱり分からない。
ちらりと視線を下の方に向ければ
大きなテニスバックが見えるから部活の帰りなのだろうけど。
「ゆ、幸村君ってこの辺だった?」
「うん?」
の言葉が足りなかったのか、声が小さすぎたのか、
幸村が背をかがめるようにして近づく気配がした。
もうそれだけで緊張し過ぎる。
「えと、見かけた事、今までに一度もなかったし。」
「ああ、そうだね。」
この辺ではないらしい回答は得たけど
の聞きたかった答えは返って来ない。
仕方がないので別の質問に変えてみた。
「ゆ、幸村君は何、買いに来たの?」
「うーん、別に?」
そう言われてしまえば会話は続かなくなる。
困った。
としては今日の夕飯をレトルトで簡単に済ますはずだったのだ。
それなのに流れでレトルトカレーを取り損ねた。
と言ってこのままお弁当コーナーに向かうのも勇気がいる。
この時間だと値引きシールが貼られていてそれはとても魅力的なのだけど
幸村のいる前で買うのも、何だかあまりにも自分が料理は出来ないです、
みたいな看板を背中に背負い込む気がして動けない。
憧れの君がそばにいると言うのに
このチャンスをものにできない自分にも情けなくなって来る。
「あの!」
「何?」
「わ、私、今日は一人なんです!!」
「えっ?」
勇気を振り絞って体ごと幸村の方に向き直る。
ヤケクソ気味だけどそうでもなければ言葉が続かない。
「昨日から母が単身赴任中の父の所に行ってしまって。
だから夕飯は私一人なんです。」
「それでレトルトカレー?」
「で、でも、幸村君が一緒に食べてくれるなら
私、何でも作るけど。」
わああああああ、そんな事、世界がひっくり返ったって絶対言えない。
何ともお手軽な筋書きだ。
ついつい頭の中で妄想してしまったのはいいが
それを知らてしまうのは困るとばかりに
鞄を持っている手がじっとりと汗ばんで来た。
は自分で自分を窮地に追い込んでる様に一人で恥ずかしくなっていたたまれない。
いたたまれないのに足は全く動かない。
付け加えるならはほとんど料理はした事がない。
いくら妄想の中でも、「何でも作る」と言った自分に呆れてしまう。
「ねえ、さん。」
「は、はい?」
どうやってこの場を濁そうかと必死になっていたものだから
幸村に声を掛けられてもどこか上の空で返事してしまう。
「さん、カレーは辛くても大丈夫な方?」
「えっ?」
思わず顔を上げたら満面の笑みが待っていた。
慌ててちょっと緩んでるネクタイの辺りに視線を落とす。
とてもじゃないけどかっこいい幸村の顔を正視したままでは身が持たない。
「もし辛いのが平気なら・・・。」
頭上から優しい声が聞こえてくるのに
それが自分に掛けられているものだとはどうしても思えない。
思えないけど目の前に見える制服の胸ポケットには
幸村精市という名札がきっちり目に入る。
「通りの向こうにあるお店のカレーが食べてみたいんだけど。」
「へっ?」
また視線を上げてしまった。
幸村の言っている意味が良く分からなくて
でも幸村の目は冗談を言っているようには見えなかった。
「あ、の、どういう意味?」
「さんとカレーが食べたい。」
「わ、私?」
「うん。」
「カレーが?」
「カレーだね。」
会話が続いているものの
今ひとつ状況が飲み込めないでいるを見て幸村はクスクス笑い出す。
レトルトカレーがこんなに並んでるのが悪いんだ、と言い出す幸村は
でも、そこの店、結構美味しいって言う評判なんだ、と付け加える。
そんなに幸村はカレーが好きだったのか、とぼんやり思う。
「い・つ・?」
ドキドキしてくる心臓の音を無理やり押さえながら聞いてみれば
幸村は即答してくる。
「今だけど?」
「い、今?」
「さんが夜食にどうしてもカレーが食べたいって言うんなら
引き下がるけど?」
そう言うと幸村は今度は勢いよく笑い出した。
は何が何やら分からなくてやっぱりポカンと幸村を見上げている。
幸村はそんなを見て笑いながら付け加えた。
「いや、引き下がるつもりはないんだけど。
さんが夕飯を一人で食べるなら一緒に食べたいなって思ってね。」
「どうして・・・?」
「ああ、ちゃんと説明するよ。
から聞いたんだ、さんが今一人暮らしだって。」
幸村の口から親友の名前が出て納得するも
一人暮らしとは飛躍しすぎだと咳き込みながら反論する。
「ひ、一人暮らしじゃないけど。」
「ふふっ、でも暫く一人で自炊だって聞いたから。
何を作るのかなって興味もあったし。」
「えっ?」
「レトルトだっていいけど。」
「はいっ?」
よりにもよってお手軽レトルト食品で済ます所を見られたと思うと
また恥ずかしさが戻ってくる。
真っ赤になったままは意味もなくレトルトカレーの棚に視線をさ迷わす。
せっかく幸村と話すチャンスだったのに
家庭料理の上手な女の子、というアピールは出来ず、
彼に誘われている事実よりも
残念な出会いの方が大きくて茫然自失の状態だった。
そんなの様子を見て幸村はちょっとため息を付くと
またの方へ顔を近づけて来て念押しをしてくる。
「いや、だから、夕飯に誘っても大丈夫だなって思ったんだ。
外食になっちゃうけど、もちろん誘うからには奢るよ?
どうかな?」
どうかな?なんて幸村にお願いされて断る女子なんていないと思う。
それは後から思った。
その時は頭の中はすでに真っ白で、だから反射的に頷いてしまったのだと思う。
頷いてしまってから何に対して頷いたのだろうと思っていたら
眼前には幸村の嬉しそうな顔があって。
気づいた時には幸村とカレーの店の奥の席に座っていて
テーブルの上にはカレーの入ったお皿が二つ・・・。
だから後になっていくら思い出しても
スーパーを出て幸村と一緒にカレー屋さんに入った辺りは
未だに記憶が曖昧だ。
レトルトカレーの棚の前で幸村に誘われた事ははっきり思い出せるのに
店の中がどうだったとか、幸村と何を話したかとか
その後の事も不思議なくらい思い出せない。
ただただハッキリしていたのは
そこで食べたカレーがもの凄く辛くて
結局は半分くらいしか食べられなかったという事。
そしてその残りを幸村があっという間に平らげた事。
その後幸村にこれまた不思議なくらいあっさりと告白されたのだけど
はカレーを食べるたび、あの日声を掛けられた
レトルトカレーのある棚の前で
幸村と出会った事ばかりなぜか思い出すのだった。
「今日はカレーにしようかな。」
の呟きに傍らにいた幸村が押していたカートを止めた。
「カレー?」
「そう。ちゃんとルーから作る本格カレー!」
「大変じゃない?」
「大丈夫。もう安定期だし。」
緩やかなワンピースのおなかの辺りは気持ちふっくらと丸みが出てきた。
毎年夏になると体調を崩しやすいだったが
初めての妊娠でここのところ体調はずっと優れていなかった。
だから幸村はの肩に手を掛けてやんわりと答える。
「そんなに頑張らなくてもいいよ。」
「でもつわりが酷かった時はほんとに何も出来なかったし。
先生ももう普通に生活していいよ、って言ってくれたし。
精市、カレー好きでしょ?」
「俺は、の作るものなら何でも好きだよ?」
幸村が当然のように言うのを未だに聞き流せなくて
はちょっと顔を赤くする。
「初めて精市と食べたのがカレーだったね、覚えてる?」
「もちろん、覚えてるよ。」
「私、夏になるとあの時食べた辛いカレーを凄く思い出すの。
思い出すって言っても、どんな味だったのかとか
何が入っていたっけ、とかどんなお店だったっけとか、
そういう事はあんまり覚えてないんだけど。」
「そうなの?」
初めて聞く話に幸村は不思議そうな顔をした。
そう言えばあの時の店は今はもうなくなってしまったと
随分前に赤也が言っていたな、と幸村は思い出した。
「凄く辛かったのに、精市がとってもおいしそうに食べていたのだけ
よく覚えてる。」
「そんなにおいしそうに食べてた?」
「うん。
で、それと一緒に思い出すのが。」
が思い出し笑いのように頬を緩ませるので
幸村まで自然と可笑しな気持ちになる。
「何?」
「憧れの幸村君はきっと私の事、
レトルトな女の子だって思っただろうなぁって。」
「レトルトな女の子って?」
「だって、あのスーパーのレトルト食品の棚の前にいたから。
そんな出会いが凄く嫌だったの。」
「そんな事、気にしてたの?」
幸村は苦笑しながらまたカートを押しながら歩き始めた。
もゆっくりと幸村の隣を歩く。
うだるような猛暑の午後だというのに
店内のクーラーは涼しくてまるでオアシスのような居心地の良さだ。
「レトルトばっかり食べてるって思われたかな、とか。
料理がだめだからお手軽に済ませてるって思われたよね、とか。
もちろんあの頃は私、本当に料理なんて作れなくて。
でも、料理が出来なくてもスーパーに行けば何でもあるから
全然平気だったんだけど。」
「レトルトだって美味しいのは一杯あるからね。」
「うん、あの時もそんな事言ってくれたよね?
でも、私は精市が、また今度一緒に食べようよ、って
言ってくれるたびに、何とかしなきゃって思ったの。」
「ああ、それで料理教室に通ってたんだ?」
たまに週末に部活が休みになってデートに誘っても
午前中は大抵断られる事が多かった。
に、は内緒で料理教室に通ってるよ、と聞かされて
幸村も敢えてその事をに確かめた事はなかった。
「だってね、ってば、幸村君に釣り合う女の子になりたいんだって。
取り得が何もないから、せめて美味しいものを作れるようになって
幸村君に喜んでもらいたいんだってよ。」
のからかいを含んだ声に
それでも自分のために頑張ってると思うとが可愛くて仕方なかった。
とは全くと言っていい程接点がなかった幸村だったが
あの時、わざわざ遠回りをしてまでをスーパーで捕まえて
一緒に夕飯を食べようと強引に誘うくらいの事が好きになっていた。
クラスも違っていたのになぜかの姿が目に入ると気になって仕方なかった。
屈託なく笑う顔も好きだったし
いつも何かしら一生懸命な所がいじらしくて
それなのにどこか抜けていて
を眺めているだけでハラハラさせられる事も多かった。
それは今も変わらない。
「私、部活に入ってなかったから
母は私が本気で調理師にでもなるつもりなのかと思ったらしいわ。
でも本当は・・・。」
そこでが口篭るから幸村はまたカートを止めて
に続きを促すように目を合わせた。
「何?」
「幸村君のお嫁さんになれますようにって。」
「えっ?」
「あの時からずっとそう思ってたの。」
は恥ずかしい事を言ったから顔が熱くなる、と
顔の前で手をパタパタ振った。
「それは知らなかったな。」
「びっくりでしょ?
付き合い初めた頃に、もう結婚するって決めてたなんて。」
「そんな事はないけど。」
「私ね、あの日、精市に声を掛けられた時、
自分が料理上手だったら家に呼んでご飯作ってあげて
そうしたら憧れの幸村君と付き合えるかもしれない、って思ったんだよ?」
「そんな事思わなくったって・・・。」
「うん、まさか精市に告白されるなんて思いもしなかった。」
はちょうど立ち止まった所にあった調味料の瓶を指先で摘むと
それを幸村に渡した。
見ればガラムマサラだった。
幸村は黙ってそれを籠に入れた。
「だから余計に、付き合っていくうちに
もっとお互いの事が分かって、料理が下手だって思われたら
精市との仲も続かなくなるように思っちゃって。」
「えっ?」
「最初のうちはデートして外食が多いだろうけど、
そのうち、手作り弁当、とか、バレンタインの手作りチョコとか、
クリスマス、とか誕生日、とか。
そんな恋人同士の行事のたんびに
あ、でもはレトルトな彼女だから、なんて思われるのは嫌だなって。」
「ばかだなぁ。
別に俺は料理上手な子が好き、なんて言った事、なかったと思うけど?」
今度は幸村がターメリックを籠に入れた。
「それでも料理教室に通って料理が上手くなって
精市が美味しいって言ってくれたら
私はずっと精市の彼女でいられるって思ったんだよね。」
「俺、の手作りを不味いなんて思った事、
一度もなかったけど?」
「もう、精市は優しいからね。
でも、ほんとは味オンチなのかな、って思った事も・・・。」
「おいおい!」
幸村が怒った真似をするからも顔の前に両手を合わせて
ごめんね、と舌を出した。
「うそうそ。
でも、もっともっと料理上手になってから一緒になりたかったなぁ。」
「それって俺のせい?」
「パパの責任です〜。」
お腹の上からなでるように赤ちゃんに声を掛けるに
幸村は参ったなと苦笑する。
結局世間で言う「出来ちゃった婚」なのだから仕方ない。
と言ってもと付き合い出した時から
いずれ結婚はするものだと幸村も思っていたのだから
周りが驚くほどには全然動じなかったのだが。
「今日はやっぱりパパ向けに辛いカレーにしましょうね。」
「それはだめだよ。
お腹の赤ちゃんがびっくりするからね。
そんな事言うなら手作りはやめて
俺は辛口のレトルトカレーにするよ?
は甘口にすればいいからさ。
そうすれば問題ないだろう?」
調味料棚の隣には色々な種類のカレー粉があって、
その先にはレトルトカレーの棚が並んでいた。
「だーめ!」
が唇を尖らせて指と指でバッテンを作るから幸村は噴出してしまった。
「俺はレトルトだって平気なのに。」
あの日、真剣にレトルトの箱を眺めていたの横顔を
今も思い出す事が出来る。
余程レトルトカレーが好きなんだろうな、と単純に幸村は思ったのだ。
でもそれは全くの勘違いなのだ。
結婚してからまだ間がないけど
それでも我が家にレトルト食品が買い置きされてた事はなかった。
まさかがレトルトを幸村には出さないって
決めていたとは思わなかった。
幸村はの頭をクシャリとなでると目の前にあったカレーパウダーを取り上げた。
「わかった、わかった。
が頑張るなら美味しいカレーにしよう。
俺も手伝うからさ。」
夏野菜たっぷりのマイルドなカレーがいい。
愛情を込めるからそれだけで甘口になるだろう。
「精市が手伝ってくれるなら百人力だね。」
レトルトカレーの棚に背を向けると
は幸村の腕に自分の腕を絡めた。
そんな愛妻に笑みを送ると幸村はゆっくりとカートを押し始めた。
The end
Back
☆あとがき☆
残暑厳しいです。
そんな日には精市もきっとカレーを食べるだろう
という妄想で・・・。
でも暑過ぎると台所に立つのは嫌なんですけどね、
現実は。(苦笑)
2012.8.29.