誕生日に乾杯
しまった。
この電車を逃すと私の降りる駅には
最終電車は止まらない。
二駅離れた駅からタクシーで戻るには
ちょっともったいない距離だ。
と言ってこの時間、バスはない。
私はそらで覚えてる時刻表をそれでも見上げて
どうにもならない事実が変わる事など有り得ないのに
その場からしばし動く事ができなかった。
ここの所立て込んでた仕事が一段落つき
後輩に誘われるままに飲み会に参加したのが運のツキだった。
深酒はするまいと思っていたのに
つい気が緩んで仕事のせいであまり飲まなかった日々を
取り戻すかのように飲んでしまった。
でもそれはお酒の席が楽しかったからで
決してすれ違ってしまってる彼氏へのウサ晴らしではない。
と言いつつも、今更甘えるなんて事は出来なくて
私は開いた携帯の画面をしばらく凝視してしまっていた。
「えっ、仕事なの?」
がっかりだった。
せっかくその日に合わせて休みを取ったのに
電話口の向こうで手を合わせんばかりに謝っている彼氏の姿が
容易く思い描けて私は相手に気付かれないように心を落ち着かせた。
「堪忍。
この埋め合わせはちゃんとするから。」
「うん、分かってる。」
「まあ、そぉ言うても誕生日やからって
別にたいした日でもないけどな。」
侑士はそんな風に言ったけど、
照れ隠しのつもりかもしれなかったけど、
でも私にとっては侑士の誕生日は特別な日だ。
だからそんな風に切り捨てて欲しくなかった。
仕事だからって・・・。
学生の頃は何だかんだと言いつつ
侑士の所属するテニス部のメンバーがやたらつるんで来たから
二人っきりで過ごすイベント事は社会人になってもまだ数える位しかない。
でも私は物分りのいい彼女でいたかったから
そういう事に面と向かって文句を言った覚えは昔も今もない。
テニス部の皆と一緒でも
侑士の誕生日に側にいられる事は
私にとってはやっぱり特別だったから。
そんな事を思い出して私はひとつため息をついた。
誕生日も仕事だという侑士に今更こんな事で呼び出す訳にも行かない。
それは殊勝な彼女としての本音じゃなくて
むしろこうなったら意地でも彼氏の助けは借りるまい、
と言う、いつしか下らない見栄でしかなかった。
多分飲みすぎたせいもあるけど。
人気のまばらになってしまった改札口で
私は昔なじみの番号を呼び出していた。
「もしもし?」
「おー、か?」
速攻で電話に出る宍戸は相変わらず声がでかい。
と言ってもどうやら電話口の向こうは賑やかだったから
宍戸は宍戸で飲んでいるのかもしれないと瞬時に分かってしまった。
「どうした?何か用か?」
「ああ、うん、ちょっとね。
それよりどこで飲んでるの?
随分賑やかねぇ。」
「はは、まあそう言うな。
今日は大きな契約が取れたもんでよ。
前祝ってとこだ。
で、お前は?元気か?」
「まあまあかな。
私も仕事がらみで飲み会だったんだけどね。」
昔から宍戸と話すとほっとする自分がいる。
それは悪く言えば気を回さない、
真っ直ぐな宍戸らしい、着飾らない言葉に安心するのかもしれない。
「お前もほどほどにしろよ?
って、午前様になりそうな俺の言う事じゃないか。」
あっけらかんと笑う宍戸に私も笑みが漏れる。
「んで、何の用だったんだ?」
「えっ、ううん、ただちょっと
宍戸の声が聞きたかっただけ。」
「お前、相当酔ってるな?」
「酔ってないよ?」
「んじゃ、侑士とけんかでもしたか?
大体が俺に何の用もなく電話なんかしねーだろ?
いいから、言ってみろ。
侑士には言わねーからよ。」
心配そうな宍戸の声にさすがに悪かったかなと自己嫌悪。
携帯を持ち直すと私は正直に宍戸に打ち明けた。
「あのさ、終電、逃しちゃったんだよね。」
「はぁ?」
「だからさ、宍戸なら何とかしてくれるかと思って。」
「お前なぁ〜。」
今度はほとほと呆れたと言う呟きに私は小さくごめんと返した。
「俺に電話掛ける前に泣きつくとこがあるだろうが?」
「だって侑士、忙しそうだし。」
「だぁ〜!!
全くお前もちっとも変わらねーな。
そう言う事するから俺も諦め切れねーっていうか・・・。」
「何?」
「あああああ、何でもねぇよ!
わかった、俺が何とかする。
今どこにいんだよ?」
駅名を答えれば宍戸は即座に長太郎を呼び出すから
そこを動くなよ、と釘を刺してきた。
まあ、さっきまでロータリーにひしめき合っていたタクシーも
今は1台もいなくてどっちにしろ動く事はできない。
後輩君には後でたっぷりお返しをせねばなるまい。
「宍戸、ありがとね。
私ね、だから宍戸って好きだよ。」
感謝を込めて頼りがいのある宍戸にそう言ったら
宍戸は隠す事もなく盛大なため息をついていた。
携帯はもうとっくに0時を過ぎていた。
10月15日。
侑士の誕生日だ。
意地を張ったばかりにお祝いメールもまだ送っていない。
バス停のベンチに腰掛けて
夜空に寂しそうに光る三日月を何となく携帯に撮る。
満月でも新月でもない、普通の三日月。
それでも侑士の誕生日の三日月なら
私にとっては特別なのに。
何だか虚しくなって来る。
物分りのいい彼女なんてちっともいい事なんてない。
本当は侑士にもっと構ってもらいたい。
迷惑掛かろうと声が聞きたい時にはすぐに電話したい。
会いたい時に会いたいってちゃんと言いたい。
ぐずぐずと泣きそうになってきて
思いあぐねてとうとう三日月の写メを侑士に送った。
返事はなかなか来なくてますます落ち込んでいたら
ロータリーの中に1台のスポーツカーが入って来て
滑るように走って来たかと思ったら私の目の前で急停車した。
中から助手席のドアが開けられ、
運転席に笑っている侑士の姿があった。
「侑士?」
「はよ、乗りや。」
言われるままに車に乗ればいつもの侑士の香りに包まれた。
「侑士、仕事は?」
「開口一番、それか?
まぁ、ええわ。
それより寂しい三日月の写メより
ちゃんとの口から聞きたいねんけど。」
慣れた手つきでハンドル操作しながら
侑士はもう片方の手で私の手を握ってきた。
会いたかった気持ちがトクトクと侑士に伝わってしまうだろう。
もう意地を張る必要はない。
宍戸とは違った安心感に身を委ね
心を込めてメールに綴った言葉を口にする。
「誕生日、おめでとう。」
「ん。」
「でも何で侑士が迎えに来てくれたの?」
「なんや、不服か?」
「まさか。」
握られた手に更にぎゅっと力が込められた。
「は昔から宍戸とは仲がええからな。
それがちょい妬けるから
あいつにはきつく言い含めてるんや。」
「えっ?」
「もしが頼って来る事があったらいつでも
どんなささいな事でも俺に話してや、って。
宍戸の性格からしてのためやったらあいつは
たとえ自分に不利な事でもやってくれる男や。
俺を裏切ったりはせーへん。
友達やし。」
「私のためって?」
「宍戸はずっと前からのことが好きやからな。」
うそ・・・、と私は口篭る。
宍戸はいい友達だ。
友達だから頼りにしていた。
私は宍戸に対して残酷な事をして来ていたのだろうか?
「が気にする事はないで?
その代わり、俺も宍戸とはひとつだけ約束しとる。
俺に万一の事があったら、
その時はを幸せにしたってな、って。」
「えっ!?」
驚く私に侑士はニッコリと笑った。
「でもそんな事は起こらんよ?
俺がをめっちゃ幸せにするんやから。
例えばな、こんな普通の三日月やって、
と見ればええ月夜や。」
「侑士。」
「は誕生日やから特別やって思うてくれるんやろけど
俺はとおる日はいつでも特別や。」
真夜中の信号はすでにその役目を終えて点滅状態だった。
車の通らない交差点だからと言って
こんな真ん中で車を停めていいはずがない。
焦る私を他所に侑士は体ごと私の方に向くと
そのまま唇を寄せて来た。
まるでドラマでも撮っている気分だ。
有り得ないのに侑士のキスはとても甘く感じた。
「、寂しい思いさせてすまんな。
会いたい時はいつでもそう言ってくれてええよ?」
「でも。」
「は優しくて賢い女や。
我侭も言わん。
けどな、そうやっては俺をカッコええ男にしてくれるけど、
俺はそんなええ男ちゃうねん。
に幻滅されんように頑張ってるだけや。」
もう一度私の頬に軽くキスをしたかと思うと
侑士はギアを入れ替えた。
いつの間にかフロントガラスの前方に三日月が見える。
車窓に広がる景色から侑士が自分のマンションに向かっているのが分かった。
「私、侑士が一番好きだよ。
好きだから侑士の誕生日には一緒にいたい。」
「そやな。
俺もと一緒に居りたいねん。」
「でも侑士、仕事でしょ?」
「仕事せな、可愛い奥さん、貰われへんねん。
で、考えたんやけど、
一緒に暮らさへんか?」
「えっ?」
「の帰るとこは俺んとこ。
アッシー君でも何でもするで?
誕生日だけやない、普通の日もずっと一緒や。
ええ考えやと思わん?」
振って沸いた侑士の申し出に私はすっかり酔いが冷めてしまった。
一応プロポーズなんやけど、と侑士が苦笑交じりに言うのを聞きながら
どうにかコクリと頷けば、目に映った三日月も
今夜は格別な輝きに見えた。
The end
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☆あとがき☆
最近忍足の話を描いてなかったな、と思って
今年はもう面倒だからいいかな、なんて思ってて。
でも期待してる人に合わせて
普段あまり描かないシチュエーションにしてみました。(笑)
2010.10.14.