素顔に恋して   2










翌日も梅雨前線は関東から動く気配がなく
昨日から続く雨は勢いが衰えない。

昇降口で自分の傘を畳んだところで
クラスメイトの数人が自分を待ち構えてるのに気付いた。

 「おはよう。」

 「おはよう、さん。」

リーダー格のはにこやかな笑顔を向けているけれど
彼女の笑顔程怖いものはない。

 「さんが早くて助かるわ。」

ほら来た、とは思った。

 「実は今日の週番、変わって欲しくて。」

 「週番って、図書の?」

 「そう。
  あ、でも私じゃなくてミキの番なんだけど、
  今日はどうしても早く帰りたくて。」

 「・・・いいけど。」

 「ほんと?ありがとう。
  ね、ほら、さんならきっとそう言ってくれると思った。」

の後ろで頭を下げてる子を見ながら
今週は確か書庫の掃除があったっけと気付いた。

どうせたちは放課後どこかに寄るつもりなのだ。

確信犯的に面倒な日に用事を入れた位は分かっていたが
せめて変わって欲しい本人が頼めばいいのに、と
は心の中でため息をついた。


 「おお、、丁度良かった。」

靴を履きかえて階段を上る所で担任に出会った。

 「おはようございます。」

 「ああ、おはよう。、すまんが教室に行く前に準備室に寄ってくれないか?」

担任は化学が担当だったから第1理科室の事を言ってるのだろうとは思った。

 「私の机の上にプリントがあるから配って置いてくれ。
  次のテスト範囲の資料だから必ずやっておくように、とな。
  後、HRは適当にやっておいてくれ。
  ちょっと行けそうにないんでな。」

せっかちな担任が最後の言葉を言う時にはすでにに背を向けて歩き出していた。

いつも忙しそうにしている担任に慣れっことは言え、
せめてこっちの返事位ちゃんと聞いて行けないのだろうかと思ってしまう。

頼られるのは嫌いじゃない。

でも・・・、と思ってしまった。



 「あんまりやな。」

自分の心の中を代弁するかのようにの後ろでため息をつかれた。

 「えっ?」

 「そういう顔しとるよ?」

振り向けば忍足が口元に拳を当てて笑いを堪えてる様が見て取れた。

全く失礼千万である。

 「それはどうも。」

嫌味を込めたつもりなのに長身の彼にはまるで通用しない。

そればかりかまた肩を並べて歩き出す彼を不審げに見上げる事になる。

 「教室に行かないの?」

 「プリント取りに行くんやろ?」

 「そうだけど。」

 「ええやろ?」

にっこり微笑まれれば何も言えなくなる。

そして何も言えなくなる自分を分析しようと試みるのに
全くのお手上げなのだ。

昨日の相合傘の時の距離感が蘇って来て
つい忍足と間を開けてしまった。

そんな事ばかりに神経が向く自分に心の中で舌打ちをしてしまう。

 「さんって、てっきり文系志望かと思うてた。」

 「えっ?」

だから一瞬忍足の言葉が聞こえて来なかった。

 「何?」

 「さんは文系志望やなくて理系志望なんやろ?」

準備室に着くと忍足は当たり前のようにドアを開けて
が先に入るよう促す。

机の上にはレジメされたプリントが山積みになっているのが
すぐ目に入って来た。

ドアを開けたままの忍足に、
こんなちょっとした事でさえ慣れてないから
つい同級生なのに頭を下げて理科室に入ってしまい、
頭の上でクスリと笑われる。

 「私が理系だとおかしい?」

忍足が笑ったのはそういう事ではないと思ったのに
つい不機嫌に言ってしまった。

 「ちゃうちゃう。
  俺も理系志望やから3年間同じクラスになれるなぁ思うて。」

は忍足には見向きもしないで
1部ずつが分厚いプリントをただじっと見つめていた。

 「俺は医学部志望やから、来年からは理系選抜やしな。」

氷帝学園は2年から理系と文系にクラスが分かれる。

そして成績の上位の者だけを集めた選抜クラスなるものが
文系と理系それぞれ1クラスずつある。

ほとんどが氷帝の大学部に進学するとは言え
選抜クラスの中からは毎年東大や京大に進学する者もいる。

選抜クラスは普通クラスと違ってカリキュラムも特別だから
選抜クラスに入るかどうかでその後のステータスも違って来るのだ。

 「理系選抜ね・・・。」

はプリントをぱらぱらとめくってみた。

忍足はそんなをじっと見ていた。

 「私は選抜クラスは無理かも。」


ここの所ずっと憂鬱でならなかった。

中学まではどの科目もやすやすと上位が取れていた。

なのに高等部に入ってからというもの
苦手だと意識した途端その科目はどんどん重くなっていた。

必死になればなるほど授業でついて行けなくなる不安が襲って来る。

分からない所を誰かに聞きたくても優等生と言うレッテルが
逆にの首を絞めていたのだ。

 「なんてね。」

めくり終えたプリントからふと顔を上げれば
忍足は黙りこくったままだった。

ふともらしてしまった本音を誤魔化すかのように
は慌ててプリントを両手で抱えようとした。

けれど忍足はプリントを持ち上げようとしたを制するように
やんわりと口を開いた。

 「構わんよ。」

プリントを軽々と全部持ち上げる忍足には何が?と
聞き返そうとしたのだが声にはならなかった。

忍足は目を細めての様子に頭を振った。

 「俺には本音でも不満でもぶつけてもろて構わんよ。
  さんに重いもんは俺が持ってやるし、軽くもしてやる。
  俺に出来る事やったら何でもする。
  言うたやろ?
  俺はさんの味方やって。」

 「何で?」

 「何で、言われてもなぁ。」

 「だってそれじゃあまるで・・・。」

 「まるで、何や?」

問い返されて今度はが押し黙る番だった。

頭の中に浮かんだ言葉は即座に消去した。

忍足はまた目で笑うだけだった。









夕方になっても雨脚は弱まるばかりか
まるで嵐のような横殴りの雨へと変わっていた。

代わってと言われた図書室の書庫清掃も
たいして長い時間の拘束とはならなかった。

窓ガラスを叩きつける雨を見ながら
はもうしばらく図書室で時間を潰す事にした。

机の上には今朝配られたプリントが広げられてはいたが
その実ちっとも捗ってはいなかった。

机の上に突っ伏してしまいたい衝動を辛うじて堪え、
頬杖を突きながらは気付けば忍足の事を考えていた。

彼は何でもすると言うが
一体何をしてくれると言うのだろう。

頼れば不得意科目を見てくれるのだろうか?

けれどそれでは自分が優等生でいられなくなる。

だけど、彼はの被っている優等生の仮面を剥がすつもりはないと
言ってくれたのだ。

味方だと言ってくれたその言葉は
今思い返すと魔法のようにの心を掴んでしまっている。

考えれば考えるほど分からなくなる。

悶々としていたら隣の席の椅子が引かれる気配に驚いてしまった。

図書室の中は閑散としているのだ。

何も好き好んでの隣に席を確保しなくとも、と
眉を顰めて隣を見れば
そこには今しがた思い悩んでいた彼が笑っていた。

忍足は自分の鞄をどさりと机の上に置くと
ゆっくりと丸眼鏡を外してさらに鞄の上に置いた。

はびっくりしたまま忍足の顔をじっと凝視していた。


 「びっくり顔やね?」

 「何で?」

 「雨やから。」

納得のいかない表情のに向かって忍足は顔を近づけるものだから
は微妙に顔が熱くなるのを止められなかった。

 「雨やから部活はさくっと筋トレして上がって来てしもうた。」

 「な、何で・・・?」

 「さん、まだ図書室におるやろな、思うて。
  んで、こう、しかめっ面で苦手なプリント、
  捗ってないんやろな、思うて。」

クスリと笑う忍足はそれでも嫌味でもなく
からかうのでもなく、優しい目でそばにいる。

至近距離の忍足の瞳の中のはまるで自分のように思えなかった。

彼氏に見つめられて頬を染めている彼女にしか見えない。

レンズ越しでなく、素のままの自分がそこにいる。

そんな顔を忍足に見せている自分が恥ずかしくてたまらない。

違う、これは私じゃない、そう言いたかった。

でもそれでも体も心も思うように動かせなかった。

やっとの事ではもう一度忍足に尋ねた。

 「そう・・・じゃなくて、な・ん・で?」

 「何がや?」

 「何で、・・・眼鏡外すの?」

忍足はぷっと噴出した。

 「突っ込むとこはそこか?」

 「だって。」

ますます赤くなるを見ながら忍足は困ったなと呟く。

 「さんがそうやって素顔見せてくれるから。」

 「えっ?」

 「俺も素顔、さんに見せなあかんやろ?」

またの心の中がざわついた。

けれどそんな甘言にほだされるものかと
頭の中で優等生のが囁く。

だからは至極真面目にボケてみた。

 「忍足君の素顔って、眼鏡外す事なの?」

それなのにあっさりと忍足は答えた。

 「そうや。」

たまらなくなって今度はが噴出した。

優等生で通っているが学校でこんな風に素で笑った事があっただろうか。

必死で声を漏らさないようにしているが
体を折り曲げお腹を押さえてかなり笑っている。

 「何もそこまで笑わんでも。」

忍足がむすっと呟けばはやっと笑うのをやめた。

 「だって忍足君が笑わすから。」

 「まあ、ええけど。
  さんの笑顔、見れるんやったらなんぼでも眼鏡外すわ。」

 「別に眼鏡外した顔が可笑しい訳じゃないけど。」

 「当たり前や。」

気を悪くさせただろうかと忍足を見ればそうでもなさそうで
はほっとした。

何だか忍足と話していると楽しいと思うようになっていた。

 「でもその丸眼鏡で素顔を隠せてるってよく思えるね?
  あんまり変わらないと思うけど。」

大体丸眼鏡が似合う人なんていないだろうとは思った。

掛けていても外していても忍足はかっこいいのだから仕方ない。

それでも教室で眼鏡を外したらそれこそ大騒ぎになるだろうな、と思った。

 「そんな事ある訳ないやろ?
  大体、人前で眼鏡外したんはさんにだけや。」

 「嘘。」

 「嘘やない、って!!
  あんなぁ、滅茶苦茶レアな事なんやで?
  特別やゆう事、分かってへんやろ?」

 「えっ?な、何?」

何となく忍足の言わんとする事が分かるような
分かりたくないような、くすぐったい気持ちには俯いた。

何で忍足は自分をこうも恥ずかしくさせるような事ばかり言うのだろうか。

 「だからな、べたな事言うで?
  笑うなよ?
  俺は好きな子にしか自分の素顔はさらさへん。
  素顔見せるんはさんにだけや。
  どうや、これで分かったやろ?」

 「・・・。」

 「何とか返さんかい?」

忍足のツッコミに返す言葉が見つからなかった。

だってそれは忍足の告白に他ならない。

恋愛偏差値が低くたってそれ位分かる。

分かるけどどう応対すればいいか、となると全く分かっていない。

 「真面目に考えてくれよるならそれでええよ。」

何か答えた方がいいのだろうかとそればかり思うのに
視線は先ほどからプリントの何の手助けにもならない記号の羅列ばかり、
その上っ面だけが見えているだけ。

これで真面目に考えている事になるのだろうかと
が悶々としていれば忍足はこつんとの額を横から小突く。

 「けど、生真面目すぎてもええ事ないで?」

 「えっ?」

 「こういうのはどれが正解とか、ないし。
  今こうやって俺が隣におっても嫌やない、それ位のレベルの回答で
  ええんやけどな?」

隣を見れば裸眼の忍足は目を細めて笑っている。

ここでそんな笑顔を見せるのは反則のような気がする。

答えは導かれるままに忍足に続いているのだから。

 「嫌じゃない・・・けど。」

 「そんでもって、さんの苦手な化学を俺が教えるのは、
  嫌やない?」

 「えっ?」

 「俺、理科全般どれも得意やし。
  さんと一緒におれる口実作れるし、
  さんは俺のおかげで選抜クラスに入れる、
  ちゅうのはどうやろ?」

どうやろ?なんて聞いてるくせに
何だかもう答えはひとつしかないような気がする。

 「ちょっと待って。」

 「何や?」

ドキドキする胸を押さえつけては深呼吸をしてみる。

そんな様を忍足がますます楽しそうに見ているのが分かるだけに
の方は口惜しい気分だ。

 「やっぱり、怪しすぎる。」

 「何やて?」

 「何だか忍足君に言いくるめられてる。」

口を尖らせて抗議するに忍足はため息つきつつ目じりを下げる。

 「あんなぁ。」

 「ううん、分かってる。
  それも嫌じゃないって思ってる。
  ただ言ってみただけ。」

 「まあ、怪しまれてもしゃあないわ。
  下心ない訳やないし。」

忍足が本音を隠そうともしないのでは苦笑した。

そしてつと忍足の眼鏡を取り上げると
忍足の方へそれを渡した。

 「じゃあその下心は眼鏡で隠してください。」

 「二人の時はええやろ?」

 「勉強見てもらうのに邪魔です。」

ピンと背を伸ばして軽く忍足に会釈をして見せる
忍足は難儀やな、と頭を掻いた。

 「勉強中は優等生モードなんか。
  やったら、帰りはまた相合傘しよか。」

 「傘なら持ってる。」

 「俺の傘の方が大きいで?」

大きさの問題じゃないのに、と思ったが
そんな些細な会話さえももうすでに嫌じゃない自分は
雨が上がってしまたら
次はどんな風に忍足が切り出して来るのか、と
きっと楽しみにしているのだろうとは思った。













The end


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☆あとがき☆
梅雨の話だったのにもうすでに
夏休みも終わり。
こんなに苦労したのは久々の忍足だったから。(笑)
2013.8.28.